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第二回東京自由律俳句会
日時: 2009/02/23 18:14
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

第二回東京自由律俳句会 (江東区芭蕉記念館)
 平成二十年十一月二十三日

【参加者四十四名】 アイウエオ順

荒木 勉(自由律俳句クラブ群妙)・安門 優(海紅、しらさぎ句会)・池田常男(層雲・ぎんなん句会)・泉喜代子(ぎんなん句会)・伊藤千代子(ぎんなん句会)岩村操子(草原)・岩谷照子(海紅、しらさぎ句会)・荻島賢治(ぎんなん句会)・加藤邪呑(花野句会 )・上塚功子(海紅、しらさぎ句会)・菅沼良行(層雲・ぎんなん句会)・黒澤さち(海紅、かみなり社)・黒ア渓水(ぎんなん句会)・黒瀬文子(白ゆり句会)小山君子(海紅、かみなり社)・小山智庸(海紅、かみなり社)・斎藤 実(層雲・ぎんなん句会)・佐瀬広隆(層雲・ぎんなん句会)・重富架光(新墾・北九州句会)・清水福司(ぎんなん句会)白松いちろう(自由律俳句クラブ群妙)・新山賢治(自由律俳句ク
ラブ群妙)・そねだ ゆ(草原)・田中耕司(海紅、海紅社句会)・田中陽(主流)・棚橋麗未(しらゆり句会)・都丸ゆきお(海紅、しらさぎ句会)・富永鳩山(自由律俳句クラブ群妙)・内藤節子(層雲・ぎんなん句会・もも)・内藤邦生(層雲・ぎんなん句会・もも)・永松志都子・中塚唯人(海紅、海紅社句会)・南家歌也子(層雲・ぎんなん句会)・原鈴子(海紅・赤壺詩社)平岡久美子(層雲・ぎんなん句会)・堀美子(ぎんなん句会)・堀切博昭(ぎんなん句会)増渕コク(海紅、かみなり社)・三浦桂芽(海紅、稲穂吟社)・箭内 忍(文學の森「俳句界」)・吉川通子(海紅、海紅社句会)・吉多紀彦(ぎんなん句会)・湯原幸三(海紅、海紅社句会)・和田美代(白ゆり句会)
※ (名前の太字は当日出席者)

第二回東京自由律俳句会
平成二十一年二月一日発行
編集責任者     海紅 中塚唯人
発行所 〒一五四―〇〇一二
東京都世田谷区駒沢二―二八―一四 電話・FAX 〇三―三四二二―六九六二 メールアドレス tadato8008@nifty.com
メンテ

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【第二回東京自由律俳句会作品】 ( No.1 )
日時: 2009/02/23 18:16
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

【第二回東京自由律俳句会作品】

 今回は四十二人の方々から投句を頂きました。投句下された皆様から事前に七句選んでいただき、それを一点とし、その内の特選句を二点として集計した結果、五点以上を番号の後に掲載しました。

一 6 おはぎしみじみとこの手ざわりは母のもの   棚橋 麗美
二  銀髪のほゝえみ あの頃もマドンナ     白松いちろう
三  採血の観念した腕   そねだ ゆ
四 6 幼子の走り宙を飛ぶコスモスの道   原  鈴子
五  味噌汁の大洋にふくれた寒蜆   小山 智庸
六  国宝のまえでねころんだ禅寺洞碑   重富 架光
七 8 しじみ蝶が秋の風に乗った空が深い   田中 耕司
八 10 紫の実こぼれ小さな掌があわててる   上塚 功子
九  政が祭りとなり境内焼ソバの匂い   都丸ゆきお
一〇  夜顔咲いて会えば別れの時がくる       安門  優
一一  ひび割れた鉢に抱れ笑うひまわり 荻島 賢治
一二 7 お月様がいっぱいという空を見上げる 平岡久美子
一三 12 しびれた手も夢はある ミニトマトちぎる 重富 架光
一四  メールで無くした、ぶつかりあう言葉の真実 内藤 節子
一五  紅葉粛々と音ひらく 加藤 邪呑
一六  朝一番金木犀の香り私の中に秋広がる 岩谷 照子
一七 6 秋が来ているあやとりのように紡ぐ言葉 和田 美代
一八  アフガンの荒地に散った青年よ安らかに 永松志都子
一九  素晴らしい朝焼けこの幸運を独り占め 清水 福司
二〇 6 今朝まだ残る怒気の匂い 吉多 紀彦
二一 5 冷やっこへ茗荷の僅かなぜいたく 佐瀬 広隆
二二 14 君の乗った舟すこし空けといてくれ      富永 鳩山
二三  横にずれても座席に余る尻 そねだ ゆ
二四  過疎の町の起爆剤はじける色は何色 清水 福司
二五  総理辞めても続く黄昏の防災訓練 新山 賢治
二六 5 女の哀しさ受けとめて銀杏葉が色づく 泉 喜代子
二七  大空に飛び立ったカメムシの青さよ 永松志都子
二八  逃げたりしませんときめきはあの雲の中 和田 美代
二九 7 不意に来る不安夕暮れのバラの刺 南家歌也子
三〇  細い月には星のイヤリングがお似合い 南家歌也子
三一 11 眠ろうこれから金持になる予定もないし 伊藤千代子
三二 6 二十歳の私に見られている 堀  美子
三三 14 おしゃべりも介護のひとつカステラ厚く切る 内藤 邦生
三四  クレーン車のびてゆくオレンジ伸びて行く秋空 湯原 幸三
三五 7 きのう九州へ行って、いわし雲つれてくる 平岡久美子
三六  かかとの折れた靴で逢いに行く 荻島 賢治
三七  告げることなく時は姿を変えてゆく 安門  優
三八  背高泡立ち草不況に揺れる 吉川 通子
三九 7 真っ赤なもみじは微笑みながら散るのです 中塚 唯人
四〇 7 酔いのロマンが買わせるバラの花ひと抱え 斎藤  実
四一 8 ケロイドの傷ある地図を抱いて眠る 黒瀬 文子
四二  新米と辛子漬夕餉満ち足りる 小山 君子
四三 11 少少物申す無花果のおちょぼ口 小山 智庸
四四  咲いたよと風蘭の白しきりに香る 原  鈴子
四五 5 リセットボタンさがしています買物カゴ 白神美佐子
四六 11 女をまとって秋があるいてくる 荒木  勉
四七  かすむ灯台 波に打たれたか&#40407;    白松いちろう
四八 8 揺れているのは午後のわたしかコスモスか 棚橋 麗美
四九  稲妻が燃やす暗闇坂のハイヒール 荒木  勉
五〇  筆震え檀師絶句の鶏頭畑に座る 岩村 操子
五一  敬老会ご招待栗笑う御膳 小山 君子
五二 8 歪んでゆく背中祈りの姿になる 黒瀬 文子
五三 7 値札目で追う八百屋に秋あふれ 増渕 コク
五四  老いても女は女じじいはただのごみ 斎藤  実
五五  秋の空の色次郎柿が四角いです 田中 耕司
五六  蓮の花托に空き部屋ふえる所在なし 上塚 功子
五七 7 車中かしまし女三人秋刀魚の食べ方 都丸ゆきお
五八 17 洗濯機の中で踊っているシャツが妻と私 池田 常男
五九  六十の夢抱いて女晴着買う 内藤 邦生
六〇 9 ビルに切りとられた飛行機雲の行方 内藤 節子
六一  柿実り葉は一枚ずつ一枚ずつ散っている 池田 常男
六二  銀杏拾ってしまう車内で匂いませんように 岩谷 照子
六三  通り雨で濡れた杭の穏やかなひとこま 三浦 桂芽
六四  野バラの実折るまだ棘の厳しく 黒澤 さち
六五  しだれる萩が露をふくみ彼岸法要 泉 喜代子
六六  摘み手が消えた春菊に花 新山 賢治
六七 8 母乳あふれて赤児のつぶらな瞳 堀切 博明
六八  幼児のばんざいの手へと紙ふうせん 佐瀬 広隆
六九 9 扉たたきつけて 行くあてもない 吉多 紀彦
七〇  しぼる型の雑巾すっくと立つ 富永 鳩山
七一  そこにもここにも交尾のとんぼ南無大師 黒澤 さち
七二  貪欲なかまきり鎌を研いでいて淋しい 三浦 桂芽
七三  蚊も私も同じ命世の中ゆかい 伊藤千代子
七四  海ざわざわと万骨の雲間 加藤 邪呑
七五  雨を受ける水たまりのざわめき 萱沼 良行
七六  踏んづけた銀杏どこまで追ってくる   吉川 通子
七七 9 拝啓。金木犀がお騒がせしております 中塚 唯人
七八 8 秋桜吾亦紅がまの穂備前の壺が秋 岩村 操子
七九 8 寝ころがって雲をつかむ 萱沼 良行
八〇  孤独死 開いたままの窓 堀  美子
八一 15 かくれんぼ身体の中に鬼のいて 白神美佐子
八二  通草の双子あっちこっちへ口あけた 増渕 コク
八三 5 秋だなあ三日月もちょっとメタボ 湯原 幸三
八四  通夜黒枠の笑顔にバイバイする
メンテ
【大会記】ぎんなん句会 平岡久美子 ( No.2 )
日時: 2009/02/23 18:33
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

【大会記】ぎんなん句会 平岡久美子

 「第二回東京自由律俳句会」は、十一月二十三日に前回と同様に東京深川の芭蕉記念館で行われました。スタッフは十時半くらいから集まり、十一時半には前回から引き続きお手伝いしてくださる「海紅」の上塚功子さん、「しらゆり句会」の黒瀬文子さんや「ぎんなん」の堀美子さんもおいで下さり準備万端ととのいました。

 開会は定時どうり十三時から始まりました。出席者は前回よりは少な目ですが二十六名を数え、口語俳句協会副幹事長の田中陽さんが遠路、静岡は島田よりお越しくださったのを始め、所用で上京の「ぎんなん」黒崎渓水さんは福岡からの参加と、前回同様、熱気あふれる幕開けとなりました。今回は「ぎんなん」のプロデユースということで吉多紀彦さんが司会担当です。
 開会挨拶を『海紅』社主中塚さんが、そのあとこの大会を前に亡くなられた『群妙』の田中むつこさんを偲んで、富永鳩山さんの弔文が読み上げられ、続いて黙祷が捧げられました。
 そして参加者の自己紹介。続いて句会となりましたが、今回はパネルディスカッションが主となりますので、句は、予め句稿集として、各自から選句されたものを、当日詠草集として配られました。
最高点は八十四句中、池田常夫さんの
  洗濯機の中で踊っているシャツが妻と私   
が十七点でした。高点十句を選出しましたが、同点句三句あり、計十二句とそれに付けられたコメントが読み上げられ、出席者からの合評となりました。各人それぞれの俳句観から活発な意見が続出し、この会も二回目となると気心も知れ、皆さん言いたいことを言って大いに盛りあがりました。ちなみに高点句には図書券がご褒美に出ました。小額だったことはさておき、皆さんうれしそうです。

 タイムテーブルどおりに、十四時半に休憩を入れました。今回は顔馴染みも増えあちこちに話の輪が広がります。こういうことが大事なんですね。これは内緒ですが「海紅」のかたがたはとても口が肥えていらっしゃるのです、お菓子選びにはいつも悩みます、今回も差し入れがありましたし、立川の「相国最中」は気に入ってもらえたようでほっとしました。

 そんなわけで和気藹々のうちにパネルディスカッション「自由律への提言」へ移っていきました。パネラーは「海紅社」の社主、中塚さん、「草原」のそねだゆさん、「ぎんなん・桃の会」の内藤さん、それに「群妙」からは富永さんのメッセージを白松さんが代読されました。各パネラーの白熱した議論と共に、自由律に携わるものが共通して抱える悩み、迷いがテーマですから、皆さんどんどん前のめりになって行きます、それを仕切る司会者は大変と見受けましたが、さすが吉多さん、ばったばったと裁き見事、時間内におさまりました。こうした会が終わった後、なんとなく不完全燃焼ということがありがちですが、一同、次の機会への期待に満足されたようでした。

 つつがなく十七時に閉会、十七時半から懇親会への運びになり、前回は深川めしの「みや古」でしたが、今回はもっと親しく近付きたい、語り合いたいということで芭蕉記念館でひきつづき会は進められました、手際の悪さもありましたが、場所が広いので、皆さん自由に移動しあちこちで盛り上がったようです。
 楽しかった懇親会も十九時にはお開きです。来春の定型「街句会」とのコラボレーションに、またまたこの会の発展の予感をお土産にしていただくことが出来たかと思われます。回を重ねるごとに問題が明らかになり、何より仲間の顔が増えることは大きな収穫です。
 本当に皆さんありがとうございました。
                           おわり
メンテ
【合評会】吉多 紀彦  上 ( No.3 )
日時: 2009/02/23 18:41
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

【句  会】 ぎんなん句会 吉多 紀彦

―高点句発表と合評会―

 この会のために投句された全八十四句〈一人二句〉を互選しその集計によって高点十二句を発表。それぞれの句についての合評会を開きました。事前に選出された特選句評には◎印を付け、当日の句評要旨は○の通りです。同趣旨の発言もあり、特選句以外の発言者名は省かせていただきました。

  洗濯機の中で踊っているシャツが妻と私    池田 常男

 まず、トップ入選の句は池田常男氏のこの句。前回も高点に名を連ねた池田氏。手堅く今回は十七名の支持を得てトップです。
○ひねりがよく効いている。さしずめ体操ではウルトラCか。
○老いた二人だけの生活を的確にあらわしている。ダンスする軽やかなスイング感がいい。
   
  かくれんぼ身体の中に鬼のいて        白神美佐子

 十五点を得て、二名の特選に選ばれている句です。
◎人はかなしいかな、からだの中に鬼を棲まわせているようです。普段は隠れていて、時折顔を覗かせるようですね。この句は難しい表現でなく、さらりと言ってのけていると思いました。
                       (平岡久美子)
◎なにか誰しもが持つ自分の中の戦きあるいは狂気さえ感じさせる 意味深な句。それとも取りようによっては自分の中に宿る病かも知れない。そんなあれこれを感じさせ、読む者が勝手に楽しんで しまいました。季がないように見えますが、私には秋の夕暮れ時を思わされました。(中塚唯人)
○「体の中に鬼」という発想は面白い。
○言い切っていないところで読み手にいろいろ想像の広がりを与えていてよい句だ。

  おしゃべりも介護のひとつカステラ厚く切る  内藤 邦生

 内藤さんは前回最高点を得た方。実力を感じます。
◎介護の句というと重くなることが多いのではないでしょうか。でもこの句は爽やかです。介護を仕事にしていらっしゃる方でしょうか、家族にしても忍耐のいることなのです。「おしゃべりも介 護のひとつ」に共感しました。おしゃべりがどんなに大切なこと か、そして大変なことか‥‥。それをさらっと詠う。投げやりで ない、思いやりととりました。「カステラ厚く切る」の厚くに気 持をぶっつけ、ご自分も楽しんでいらっしゃるように感じました。きっとカステラはおいしく召し上がっていただけたでしょう。
                        (上塚功子)○介護という暗くなりがちなテーマを明るくさわやかに詠っています。
○介護されるほうは、話を聞いてもらえるだけで嬉しいものです。
○「カステラ厚く切る」で楽しい雰囲気が伺えます。

  君の乗った舟すこし空けといてくれ〈田中むつこさん追悼〉                         富永 鳩山

「むつこさん追悼」とあるだけで、富永さんの句と多くの方が分かったようです。富永さんのみならず、親しく交わりを持たれた多くの方の共感を呼ぶ句でした。前回は病を押してこの句会へ参加してくださった方だけにご冥福をお祈りしたいと思います。
◎田中むつこさんは「群妙」の一人一人にとってかけがえのない人でした。この五月の第一回東京自由律俳句会には、すでに闘病中にあったにもかかわらず病院から外出届けをもらっての上京でし た。この句会にだされたむつこさんの句[強がりが前のめり]は、 何時も笑顔をたやさず決して弱音を吐かない彼女の心の内を、見事に表現しています。むつさんという大きな同志を失った富永さ んの空洞を、この句は素直に投げ出しています。まだまだ、こち らでやることはたくさんあります。そう云って、先生が船に乗る のを引き留め此岸で共に苦闘したいと思う、我々凡百であります。 (新山賢治)
◎誰しもいずれは往く旅路、その船の席を少し開けておいて欲しい。 そちらで、また山頭火や自由律句について語り合おうではないか という声が聞こえてきそうです。(白松いちろう)
○若くして先に行かれたご主人があけて置かれた席へむつこさんも 行かれたでしょう。そして、鳩山さんは今度私の席もとあけとい て‥‥。そちらで句会でもというのが鳩山さんに限らずみんなの 気持ちです。

  しびれた手も夢はある ミニトマトちぎる   重富 架光

 高齢者の少なくないこの句会にも共感を得た方があります。
◎年を重ねた手の病気のせいか[しびれ]がある。その手をもみぽ ぐしながらミニトマトをちぎる。家庭菜園には季節の野菜を育て、 旅行にも行きたいなど、夢を育てている。(内藤邦生)
○若さを失っても希望を失わない姿勢に感動します。
○説明的になっているのがすこし気になります。「しびれた手にも 夢」で切ったほうがもっとよくなるような気がします。

  女をまとって秋があるいてくる        荒木  勉

 秋を詠う句の多い中での傑作。当日出席の荒木氏の自解によれば町を歩いていてまず秋を感じたのがすれ違った女性の姿だったとの事。
◎まさに「秋」です。昨日まで薄着だった女性が、今年の流行色な どを気遣いつつ、暖かい服装をしてやってくる様子が浮かびます。 そして、そんな様子を眺め「秋が女の姿を借りてやってくる」、 としたところが面白いと思いました。春や夏なら「まとう」より 脱ぐイメージですし、秋から冬への変わり目は大きな違いが感じ られません。秋ならではの句だと思います。(湯原幸三)
◎中句の「秋」に照応する上句の「女をまとって」の措辞はたくま ざる巧さがあって秀逸である。秋になると木々が紅葉し黄変する 絢爛たる姿を、さりげなく「女をまとって」と詩的に表現したも のと思われる。(加藤邪呑)
○女が秋をまとってなら普通、秋が女をまとっているのが面白い。 季節感がよく表れている。
(つづく)
メンテ
【合評会】吉多 紀彦  下 ( No.4 )
日時: 2009/02/23 18:43
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv


  少少物申す無花果のおちょぼ口        小山 智庸

◎無花果が顔に見えてきました。今の世の中への不満がたまり膨ら んだ顔。小さな口で「ちょっぴり不満を吐き出させてくれ」と言 っているようです。作者の発想に感心しました。(黒渾さち)
○「おちょぼ口」の「少少物申す」が面白い。確かに無花果はおち ょぼ口だ。

  眠ろうこれから金持ちになる予定もないし   伊藤千代子

◎なかなか寝つかれぬ夜というものがある。思えば小さな二とにく よくよしている自分である。馬鹿馬鹿しい眠ろう、悩んだところ で金持ちになるわけではなしと達観するのにも、それなりのプロ セスと時間がかかるのである。(池田常男)
◎現在の世の中政治経済、社会不安、老後等、諸々のことを考え出 すと眠れなくなる事もありますが、明日の仕事を思えば、とにか く眠ろうとする庶民の気持ちが出ています。(都丸ゆきお)
◎日本だけの話ではなく、世界中を巻き込んでの金融不安が世界中 に広がり景気の悪さばかりが語られていますが、本当にそうなの かなという疑問を持つべきなんじゃないのかなとも思います。庶 民の感覚とはかけ離れた総理大臣に、選挙用のばらまき給付金を もらってもその後の消費税のUPが前提というのじゃ要らないよ なというのが庶民の本音だと思う。この作品が私と同じように感 じているのかどうかは分からないが、私にはこんな風に感じられ た。ちょっとしたューモアと辛辣な政治批判がうまい具合にかみ 合って居ると感じました。(田中耕司)
○麻生総理がお金を配るという世相。タイムリーな句。
○その生活実感は定型では決して出せない句。

  紫の実こぼれ小さな掌があわててる      上塚 功子

◎選ばせていただいたそれぞれの句は、解かりやすく素直な句だと 思います。どれを一番にするか迷いましたが、八番は紫の実で秋 の様子が十分に感じられるし、子供の掌からこぼれそうな様子が とてもはっきりと目に浮び、一番にしました。(吉川通子)
○山頭火の「入れ物がない‥」を思わせる。紫で式部を連想させ、 古典の香りを感じる。
○おそらく孫の姿であろう。孫の可愛さを詠う句は多いが、それを 押し付けず、さりげない間接表現で可愛さがうまく表現されてい る。

  扉たたきつけて 行くあてもない       吉多 紀彦

○共感する。その時の自己嫌悪、やりきれなさも。

  ビルに切りとられた飛行機雲の行方      内藤 節子

 作者の自解によれば、病院の窓からの空とのこと。ふさぎこむ心に空を見つけた感動を句にしたとのこと。
○ビルの谷間のせまい部分に空を発見した感覚はすばらしい。

  拝啓。金木犀がお騒がせしております     中塚 唯人

◎私の職業は寺子屋のお習字の先生です。この寺には金木犀・銀木 犀が対をなして起立しています。年を重ねて力強い枝ぶりです。 秋になりますと目にするよりも先に薫って来ます。つい、深呼吸 したくなります。まわりではお習字の子供達が大騒ぎしています。 金銀木犀の香りと子供達の元気のよい姿が一緒です。この句を読 みすぐに情景が浮びました。それを大切にしました。(富永鳩山)○「拝啓」が効いている。金木犀が友人へ語りかけるという奇抜な 設定。自由律らしい句。
「こんなの俳句じゃない」という人もいるかもしれないが、こういう句もこれから出てくると思うので、これから育つそれらの芽を摘まないで欲しい。との中塚氏の自解。
 
 高点句全句の合評が終わったあと、その他取り上げたい句として、

  寝ころがって雲をつかむ           萱沼 良行

が取り上げられ、ひろがりと開放感のあり、山頭火、放哉を継ぐ自由律俳句らしい句として評価が語られた。

 この後一般論として
・新奇、とっぴな句を求めすぎると、句の世界がせまくなる、伝統的な俳句性を大切にしたい。
・高点句のみの評ではなく、得点は少なくても特選とされた句をもっと取り上げてみたらどうか。
などの意見が出され、句会を閉幕した。
メンテ
【自由律への提言―討論会】 1 ( No.5 )
日時: 2009/02/23 18:45
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

【自由律への提言―討論会】

 【第二同東京自由律俳句大会によせて】群妙 富永 鳩山

 たとえば、和歌の藤原定家、連歌の飯尾宗祇、茶道の千利休、俳諧の松尾芭蕉、俳句の正岡子規、小説の島崎藤村、この人達は、それまでの大団円の幕をひいた人、要するに天才は、その道にとどめをさしたのである …斉藤清衛

 「この人達は、過去のその世界に幕を引き、とどめを刺した。」

 山頭火の『草木塔』の序に書かれている。だから山頭火であるが、河東碧梧桐・荻原井泉水・中塚一碧楼が幕を引き、とどめを刺し、新しい幕を開けその中から山頭火や放哉も世に出たのである。にもかかわらず、山頭火や放哉の名のみ世に残った。新傾向、口語俳句、自由律俳句の名称は戦後、結社の中だけに残った。

 教育とは恐ろしいものである。戦後、教壇では「俳句は有季定型である」と最も採点のしやすいものを選んだ。自由律は意図的に消された歴史はあるが、型があり「決まり」のある方が指導しやすい、安きに流れたのであろうか。
 今や空前の俳句ブームである。定型律のブームである。書店では「俳句入門」「やさしい俳句の作り方」等毎月のように出ている。猫も杓子も季題にそって五・七・五、さあ完成、文学の一丁上がりである。毎月何十万句が作り捨て、文学がコロコロと大量生産。日本人もここまできたか、とつくづく思う。

 さて、自由律である、先日の出来事、「全国山頭火フォーラムIN山口」が開催された。山頭火を顕彰するフォーラムである。その中で全国俳句大会が開催された。俳句募集の要項を見ると、「有季定型、自由律も可」とある。選者はずらりと定型の大物である。山頭火フォーラムで有季定型をやるとは不見識もはなはだしい。考えようによっては定型律はかくも熱心なのである。もう日本の文化は定型律と信じ込んでいるのである。不見識とか無知とか言ってもはじまらないのです。
 また、高齢化が進むと、何か趣味を持ちたいという人が増え、そうして定型律は格好のお客さんを迎えることになり もちろん自由律も高齢化している。懐古的な句、足腰の痛い句、孫が可愛いという句、本当に多くなった。それも現実だから当然であろう。しかし、若い人達は「ああこんな趣味なのか」と振り向かない。
 一方に読み手の読む、書く、考える、想像力の欠如があり、作者は、わかつてもらうための説明的な句を作る傾向が出てきた。更に多少自信のある作者は、巧みな言葉で、生活感のない、ひたすら言葉遊びに熱中する。自分の人生です。自分の言葉で自分の心の姿ぐらい自由に表現しないでどうするんですか。

 正直なところ。自由律は危機です。それは長い間社会を見ることなく、個人的な趣味として結社の中に安住してきた結果なのです。先人たちが汗をして切り開いた自由律を個人の趣味にするという過ちを犯しているのです。
 もう散々楽しんだのでしょうから、そろそろ先人の汗に恩返しする勇気を持って欲しい。自由律を人間の句として、文学として真に確立するために力を合わせて欲しい、「自由律俳句クラブ群妙」はそのための応援の運動体として立ち上げました。今年度よりNHK山口では「自由律句らぶ」の放送がはじまりました。市広報にも自由律の文芸欄が出来、図書館でも講座をやってます。
 皆さんの地域社会でも大きな声をあげてください。必ず、白由律の道は開けます。それが自然だからです。昨日までの自分ではなく、新しい自分への挑戦です。一緒に新しい歴史を刻みましょう。
メンテ

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