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草原の風 4
日時: 2012/06/24 10:34
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

前回、99回で止めるのを忘れて書き込んで、全て過去ログに移されて、往生した思いがあるものですから、早めに新スレッドを立てておきます。

 老いては杖を忘れるなダナ

タイトルも、読売新聞で連載されていて今は成書になっている前漢の劉邦を描いた宮城谷 昌光「草原の風」と同じ題と簡略化しました。

「草原」が中原に鹿を追うことができるのか、「キングダム」の若き勇者たちに期待しています。
メンテ

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7月21日 ( No.10 )
日時: 2012/07/21 22:38
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

以前大昔、西太子堂に住んでいたことがあって三軒茶屋に行く機会があるととても懐かしいです。

小田急の豪徳寺から乗り換えて世田谷線の山下から三茶に行く途中に、松蔭神社前という駅があるのですが、吉田松陰の神社がなぜここにあるのか不思議でした。
しかし、昨日週刊ポストで井沢元彦連載の「逆説の日本史」に安政の大獄で松蔭が小塚原で処刑され、刑場外に埋められたいたのを、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、長州藩は朝廷に働きかけて大獄で罪に問われた人々の罪名を削るように運動して、朝廷はこれを幕府に通達し幕府も認めたというのです。
これで松蔭は罪人ではなくなったので、刑場に葬ったままというのはおかしいということになり、改葬することになりました。

その改葬地は江戸郊外若林大夫山(東京都世田谷区若林)が長州藩の持ち山で、別邸があったところからこの地が選ばれたとのことです。
なるほど。
メンテ
7月22日 ( No.11 )
日時: 2012/07/22 15:51
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨夕、クロネコさんが来て、「草原」8月号を送りました。
その後通信互選をまとめて上位句の自解依頼をしました。

昨日は、東京自由律句会の第10回目の企画を話し合いましたが、プロデューサーとなる私が、1案として「若い俳人の意見」を聴く場と、2案として、「草原」「海紅」などの勉強会を既にしていますが、当時はその他の動きなど、自由律俳句について、百家争鳴で、それぞれが、なぜ自由律かを考え議論してきたのに、現在の結社では、そうした熱気が感じられない、「感動律」や一碧楼をいただきながら、「海紅」とは袂を分かった「青い地球」などの考えも勉強しておきたい。と提案しました。

吉多さんから、「もし若者でも、やる気があれば、自分からぶっつかって来る筈だ、彼らを特別扱いする必要はない」と厳し意見が出ましたが、実際、それぞれの結社でこれはと思う俳人を上げてもらうと、なんと「層雲」や「ぎんなん」では思い当らないというのです。除名などの権力争いをしている場合ではなく、本当に、随句人が老衰で減って行くと私には危機に思います。それに私は、旧い俳人のマンネリ句には気になっていて、句歴に関係せず、才能ある随句人と熱気を学びたいのです。文学であるなら、絶えず新鮮な感性を磨くべきだと私は思います。もう自得句には飽きました。

つくづく思うのですが、グローバル時代と言いながら、日本人の攘夷主義には呆れることがあります。
「議論をする、つまり冷静に他の人の意見を聞き、考えてみる」という習慣がある人が少ないのです。勝手に自分の物差しで決めつけて、他の人の言うことを聞かない、考えようともしない」つまり、中江兆民の言う「日本には、いにしえより今に至るまで、哲学がない。」と感じることが多いです。
おまけに、彼らは、他の人の方に難癖を付ける「相対化」で自分を甘やかすのです。
これでは、随句の将来があろうはずはありません。
メンテ
7月25日 ( No.12 )
日時: 2012/07/25 14:47
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
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福露さんから連絡が来て、いつも友人文と一社に2冊送っているのですが、1冊しか入っていなかったということです。領収書を入れる方に気が回っていて忘れたものと思います。
やはりボケです。
今14:00にクロネコさんに渡しました。

BS日テレで月火と放送されていた。「恕の人−孔子伝」が35回で終りました。
「恕」とは、許すとか思いやりのことですが、孔子は弟子や諸侯の礼に叶わない行動には厳しかったです。
つまり、私は、思いやりとは、弱いものや未熟なものに対して慈愛は必要ですが、間違った行動をする者を許したり甘やかしたりすることではないと思います。もしそれを許せば、その人が将来困ったことになるので、きちっと糺すことだと思います。それが相手に誠実に処遇するということだと自分は思っています。大抵の人は、不正や悪行を見て見ぬふりをするか、自分の行動基準をそれに合わせて下げてしまうことがありますが、それは自分を甘やかすことです。
いじめに対してもそれは言えると思うのです。

孔子の時代は春秋戦国時代でしたから、孔子のような実戦に役立たない論は、机上の空論とみなされました。最も期待していた願回や子の孔鯉を亡くしましたが、孫の子思は曾子から習い儒家を再興します。
その後のチャイナ史2500年で多くの皇帝や王が存在しましたが、彼らは、支配のために儒家を利用しました。つまり、忠考や礼節を強調しましたが、孔子の重んじた仁や礼が根底に持つ、相手に対する敬愛と思いやりはない。つまり感謝の念も自制に基づく仁義もなかった。

今の我がちの日本も同じになったのだろうか。
日本の戦国の後の武士道も儒教を利用したが、同時に自制や努力を基とする葉隠れの美徳もあったのですから。
「ならぬものはならぬ」・・・これが欠けた世の中はさびしいです。
メンテ
7月21日 ( No.13 )
日時: 2012/07/31 15:31
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
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句稿が揃いません。
色々やらねばならないのですが、暑さで、何をするにも集中が難しいです。
できるだけ早めに句稿や原稿をいただけると、余裕を持って編集したい時期です。
神も仏もないものか

 句稿揃わない蜩耳鳴り  ゆ
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7月31日 ( No.14 )
日時: 2012/07/31 23:27
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
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「草原」8月号を、復本一郎先生に送っているのですが、巻頭言の「鬼」特集ー自由律俳句への挑戦について、復本先生は「私の関心は、あくまでも井泉水の発言『俳句とは1つの区切りを持ちたる1行の詩なり」にあるのです。これをどのようにお考えになるのか、3節説を唱えられた方にお尋ねしたきことしきりです。』と葉書でよこされました。

井泉水は、長生きしたこともあり、その説を一書でもって解釈することは大変に危険です。12年発行の『自由律俳句入門』での記載から、解析されていますが、15年発行の『新俳句入門』も解析されれば、”区切り”が俳句でいう”切れ”とはニュアンスが違うことが分かると思います。

また井泉水は、「『俳句』というものを『形』を本位にして理解しようとしていては駄目なのである。『形』というものよりもっと内面にあるもの、即ち『調べ』というものを本位にして考察しなければならないのである。」と言っています。
つまり、外見で物を観ては駄目ですし、それで句を作るのも駄目ですし、それで、句を鑑賞しては、作品性を損なうということだと思います。

井泉水が上げる例として、

 路暮れて香にせまりさく茨かな  蕪村

ここで、井泉水は、この句で、区切りは”・・さく”と”茨・・”の間にあると言います。たしかに読み下す時に、気持ち的にここに”ふくみ”があると気が付きます。この句では”かな”が切れ字ですから、この例からも”区切り”が”切れ”とは違うことが解ります。

井泉水は「区切り」と「切れ」とは別物として解説していることは明白だというのが私の見解です。
メンテ
8月6日 ( No.15 )
日時: 2012/08/06 13:58
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨夜は遅くまで編集をやっていたので、今日はゆっくり起きようと思っていたのですが、7時過ぎに起きてしまって、新聞を読んで、8時になったので、NHK総合を点けました。

広島市長が、福島に絡めて反核の話をしていた。
小学6年の男女生徒の「違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です」が良かったです。

子供のいじめも大人のシカト=ネグレクトも、「相手が自分と違う人格なので、意見も考え方も違うことを認め合って、相手の言い分にちゃんと向かい合う」ことができれば、争いはなくなる筈です。
自分達がそのことができないのに、口先では、争いは嫌だとか、平和がいいとか言うけれど、それを言うことのできる資格のあるだろうかと、自省することのできるものが、今の世にどれだけいるだろうか。

相手が、自分の思い通りや良いなりになる筈がないことは、逆な立場を想像すれば分かることだと私は思うのです。

グローバル時代と頭では分かっても、隣りの人間が違う考えだと、なぜ敵のように思うのでしょうか。
ディベートで問題解決することこそ、この世界で私たちが平和で豊かな生活を送れる在り方の筈なのにと自分はいつも思うのです。

 八月六日は八時に起きる  ゆ
メンテ
8月7日 ( No.16 )
日時: 2012/08/07 22:45
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
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やっと編集が終わり、校正をお願いしました。
本日は腎センターの予約日だったが、終ったときには時間が遅くなったので、電話して来週に予約し直しました。

かもめサイト便りは、幹事の担当になっているのですが、状況説明などで、幹事が見落としたり、聴き逃した先生の重要な言葉などを私が追加補充した時に、「勝手に直すな」と怒られたことがあります。しかし、締め切り日がとっくに過ぎて出してくるので、問い合わせる時間がないと、やりとりすることができないし、土日は連絡のつかない人なので、そこらを考えて、早めに出してもらいたいと言ってあるのですが、今回も3日(金曜)に出して来たので、5日(日曜日)までに返事がほしいと連絡したのですが、月曜日昼に返事があり、更に私が担当した、箸袋句会の記事に追加を要求されたのでそれを追加しました。

しかし、編集期間に出せばよいだろうと思われたのは考え違いです。彼の選句のまとめにより上位句の自解をお願いするのですから、3日出稿では、やはり集まりが悪かったです。第一彼の自解さえも送って来ませんでしたから、自分の自解を入れて穴埋めしました。

人間は万能でも全知でもないので、相手に対する思いやりがなければ、どこかで人にしわ寄せすることになります。
メンテ
8月8日 ( No.17 )
日時: 2012/08/08 23:16
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

校正をお願いしている古戸暢さんが体調を崩しておられるとのことで、今年の夏は暑さも半端でないので無理をされたのではないかと心配です。

自分も昨年は母の病院通いで、腰痛を再発して、全く調子が悪かったのですが、今年はそれもなくて、回復基調でしたが、暑さもあって、実は歳のために調子がおもわしくなかったのですが、今何とか戻ってきた感じがあり、無理しなければ、元に戻れるかなと期待しています。

白兎さんは奥さんが入院されているということで、お忙しくもご心配でもあろうかと気をもんでいます。

さて、昨夜は編集の追い込みで、遅くなったのですが、BS朝日でやっているベストヒットUSAを観てしまいました。時々マイケル特集もやっているのですが、昨夜はレディ・ガガ特集でした。
私は、シンディ・ローパーやガガフアンでして、音楽ではなく、その努力家である人柄やマーケティングに関心があります。

ガガの本名は、ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・シャーマノッタと言いイタリア系と分かります。
1986年3月28日生れの26歳。身長155cmでブラウンヘアに緑の眼で、横顔で見ると口が少し出ていて、正面からも前歯がリスです。
番組の最後に、彼女の監督のプロモーション映像の 「メリー・ザ・ナイト」の出だしで素顔を観るとちょっといただけません。

彼女の売り出しについて、この彼女のルックスについてウエンディ・スターランドが、「注目点を顔にではなく芝居ぽい所に持っていけば」と提案したのを彼女は直ぐに受け入れて、目からうろこが落ちたと言って、今日の彼女のビジネスモデルができたというのです。

普通の女子なら、男子でも、直接欠点を指摘されたら、まずもって相手の助言を受け入れることはないと思うのですが、彼女のこの謙虚さと実行力とビジネス感覚には敬意を払います。本当のプロ、スターは、謙虚でガッツがあるということです。

少女の頃いじめに遭ったといい、そのためか、「ボーン・ディス・ウエイ財団」を創設して、いじめる子もいじめられる子も助ける活動をしていると言います。

6日のBSフジのプライムニュースで、義家弘介が、いじめの被害者をまず救うために、加害者を登校停止にするのが先決だというのに、尾木直樹はママぶりを発揮して、教員をかばうような抽象的な反論をしていましたが、私は義家氏を全面支持します。弱者をまず救う、これ以外のことでナアナアしているのは、決断ができない今の日本を表しています。

自分が嫌われても嫌がられても、弱者や全体のために行動する者こそが賞賛される社会にしたいです。

甘えて、自分のことしか考えない者が増えたら、弱いものやこの社会が駄目になってしまいます。
メンテ
8月10日 ( No.18 )
日時: 2012/08/10 22:56
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

夕方、印刷屋さんが来て持って行ってくれました。
今月はお盆休みみがあるし、以前の製本屋さんであれば無理がききましたが、新しい製本屋さんは、ちゃんと休みを取ります。
このことは逆にいえば、世間が休みの時に仕事を引き受けるような会社には従業員hが長続きしないということで、廃業になってしまうということです。
私は無理な要求はしません。決まり通りにしていただくのがよいのです。

だから人のことを考えないで、無理をさせることを当たり前と思う人は、人の苦しみなど解らないのです。自分がやりもしないのに、勝手に決め付けると良い仕事のできない人になってしまいます。
これを放って置いては本人のためにならないでしょう。
編集が5日で済むものが、10日になれば私の時間がそれだけ無くなるということです。取り戻すために無理をすれば身体がまた壊れてしまうのです。
これは当たり前のことでしょうか。
それを大目に見ろと言われると悲しいです。
私は誰の奴隷でもありません。
自分のしなければならないことをしたいです。
黙ってやっても、感謝も労わりもなく文句ばかり言われると悲しくなります。
メンテ
8月13日 ( No.19 )
日時: 2012/08/13 23:38
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

4月からBSフジで始まった「Three Kingdums 三国志が、本日95回で最終回を持って終わりました。

こうした連続ものを録画するのは苦手なですが、なんと抜けもなく録画できたので、ホッとしています。

会社勤めで、P&Gでは、マーケティング部の長が社長になると聞きました。ようするに市場が見えるということは経営が判るということです。8回の転職をしましたが、マーケティングは、ペイも良く、転職も容易なので、−それだけ外資では交代が多いということです−、ハイリスクハイリターンな職ということです。

ケプナー&トリゴーの『管理者の判断力』を読んでから、問題解決の本を読みあさり、その派生として、創造性関連書を渉猟し、さらにマーケティング関連を読みあさり、外部の元P&Gの影響のある花王のマーケティングをされていた近藤真寿男先生に師事し、ハーバードのマーケティング講座を原語でやる講習会に自費で参加したりして、結構良い評価を得て自信を深めましたが、人間そのもの研究が今一だったので、まず仕事柄営業部員や管理者に教育する立場だったので、逆に彼らに同行してOJTをやることで、交渉術を習いました。そして、成書化された各種兵法書を買い求め徹底的に研究しました。それに「三国志演義」や曾先之の「十八史略」は小さい時からの座右の書でしたから、諸葛亮は憧れでしたので、この番組は待ちかねていたところです。製作費20億円はすごいですし、人民解放軍がエキストラ参加しているシーンは、かなり映像的には誤魔化しがあったのですが、金がかかっているのは見てとれます。
この番組の前に『孫子』も地上波で見ていたので、勝敗の分れ道はよく分かります。

孫武を参謀にいただいた呉王闔閭は必勝することになりますが、孫武の慎重論に飽きて、勝手に越に攻め入った結果、敗れて死にます。その子扶差も孫子を用いることができず結局越滅ぼされてしまいます。

三国志でも劉備は、孔明の力で蜀を得てからは、三国の中でも優位な力を持つようになると、孔明の制止を振り切り、関羽や張飛の復讐を求めて、真の敵の曹操ではなく、呉の孫権を攻めて、火攻めで回復不可能な大敗を期します。

奢っては駄目です。
勝ちは六分が最善なり  信玄

さらに最近の人は他人の助言を聴こうとしません。
諫言に耳を閉じるものは滅びる これが私の戒めです。

最近ある句会で、ある方の句を評して、俳句は読み手の力を信じる俳句性にあるのだから、自分だけが良いと思ったことを述べるだけでは、俳句にはならないと申し上げましたが、別の方からは、私が直言し過ぎるものですから、話す前に一呼吸置いた方がいいと助言されました。確かにこの助言は的を得てますが、誰にでも直言するのが誠実と信じて、自分を鍛えてきた私は多くの誤解を受けやすいことは真実で、教えてくれた人の親切には感謝しています。

別の話ですが、以前俳句は読み手があることを意識する文学だと言った時に、「私は他人のことなど考えないで、ポット思い付いたことを句にしています」と、まるで見当外れの意見を言う人がいて、かなり脱力したことを思い出しました。層雲にこんな頓珍漢なことを言う人がいるのでは、どうしようもないです。

「草原」は、感動を瞬間のひらめきで表現することが特徴ですから、詩は大体そうですが、そんなことも知らずに、発言するのですから。信じられない○○です。
メンテ

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