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草原に吹く風 1
日時: 2008/12/19 14:15
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

「草原」の編集を全面的に任されたので、草原の編集やそれに係わることなど、メモ的に書いてみたいと思いました。
ご意見ご異見があれば、この場にどうぞ。
あくまでも感情的でなく意見を交わせればうれしいかなと思います。意見を交わすことで、互いが勉強できればうれしいです。建設的なご意見を頂き、「草原」を発展させたいと思っています。ただ、「草原」や「ゆ」の考えはありますので、反論せねばならないときは反論する事をお許しください。
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12月8日 ( No.90 )
日時: 2009/12/08 12:34
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨日通信詠草互選と席上互選の選句をお願いしました。一人分を追加して、2度出ししてしまいました。じゃんけんでもそうですが、あわててはいけません。(アセ)

早速白兎さんから頂きました。
ありがとうございます。
イソップ物語を書き直したいです。
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10月10日 ( No.91 )
日時: 2009/12/10 16:23
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨日帰りの電車の中で、印刷屋さんの電話を受けた。駅で降りてから折り返すと、本文の印刷は終り、表紙への印刷をした所が、途中で表紙の紙が逆になっていて、50枚ミスってしまったといいます。
家について直ぐにプリンターで印刷して取りに来てもらいました。
こういうこともあるのですね。

今日は年賀状の印刷が終りました。
私の年賀状は、毎年の干支をデザインするのですが、必ず新しい作風にするということにしています。小学校4年くらいから、ずっと続いています。
最初は1枚ずつ手描きでしたが、やがて木版、ゴム版、1980年版は、理想科学からガリ版刷りがでて早速採用、ゴム版とのミクストメディア。1985年版からは蝋紙にフラッシュで版を作るシステムになったので採用。翌年には現在と同じシートシステムとなったので、プリントゴッコを本気で取り入れ、蛍光色を使って印刷するようになります。原画はスクリーントーンやコラージュでシュールな原画を作成しています。1991年からは、作品として、サインとエディションを入れるようになっています。
年末が忙しくてプリントゴッコでは難しくなったので、2005年の酉からは写真にして、プリンターにしました。残念ながらプリントゴッコは、時代の役割を終えて、蛍光色インクがなくなり、版もランプも高価になってしまい。一応蛍光インクは買いだめしていあり、器械も3台くらいありますが、これは版画、セリグラフ作品用にしています。

さて、今年のデザインの評価はどうでしょうか。

宛名書きは来週からにします。
喪中が遅く来ることがあるので用心です。
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12月16日 ( No.92 )
日時: 2009/12/16 17:07
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨日印刷が上がったので、夜遅くなりましたが、封筒に入れて封をし、玄関に重ねておきました。

朝一番で連絡しておいたので、「草原」22年1月号を、今日午前中にクロネコメールで配布できました。
今回は年末なので、あわてましたが、印刷屋さんが無理してくれて早めの印刷物にまぜてやってくれたようです。ありがたいです。
これも皆さんのご協力のお蔭です。
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12月22日 ( No.93 )
日時: 2009/12/22 11:26
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

海外に行っている古戸暢さんから選句とコメントが来ました。
回線が不調になっていたり、体調を崩して病院に行っていたりと連絡が取れなかったということで、遅れたとのことです。
異国での病気は心配です。

日本人には全く想像し難いことなのですが、海外でが、水や食物、気候変化、治安や生活インフラが、全く違うことがあります。

イザヤ・ペンダサンが指摘したように、「日本人は『水と安全はタダ』だと思っている」に表されているように、この先人が汗水たらして築き上げた日本の社会インフラ整備の素晴らしさに感謝して暮らしていないのは、世間知らずというか世界知らずの井蛙と思います。
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12月25日 ( No.94 )
日時: 2009/12/25 19:31
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

彌生書房に「草原」を寄贈として送っていました。
その彌生書房がもうないと「メール便返品」と返ってきました。あの「放哉全集」や「住宅顕信句集」など損得抜きで発行してくれていた彌生書房がなくなったというのです。

「支えられかなえた出版の夢」
人情の温かさに泣いた日もあった弥生書房会長  津曲 篤子さん(77)
京都新聞インタビュー1998.2.3より

 人との出会いが、人生にさまざまなドラマを生む。津曲篤子さんは、出版の世界に身を投じて五十五年。波らんに満ちた半生を、多くの人々に支えられ、苦しい日々を分かちあい、出版の夢をなし遂げてきた。よき人にめぐりあえた喜びに感謝し、自らを「幸せ者です」と話す。

―婦人公論の仕事が出発点ですか。
 志を抱いて中央公論社に入社し、婦人公論の記者として仕事を始めました。同僚の津曲淳三が出征先から帰り、結婚しました。津曲と出会ったおかげで、私は曽我量深(りょうじん)先生とお会いするご縁が得られ、お念仏をいただけるようになりました。

―ご主人はどのような方でしたか。
 初めは何を考えているのか分からない人でした。働いて稼ぐ気のない人だと後で気づきました。お米を買うお金がないと言っても「ぼくは知らんよ」と動じない人で、赤貧洗うがごときどん底の生活を繰り返しました。

―曽我量深さんとの出会いは。
 津曲は「歎異抄」を一冊持って出征したほどの求道の人です。たまたま図書館で曽我先生の「親鸞の仏教史観」を読んで深い宗教的信念を感じ、生涯を曽我先生に師事しました。

―出版社の仕事は。
 津曲は京都におられる曽我先生に直接聴聞したいと言い、京都へ行きました。一人で生活できない人だから私も行って借家を見つけましたが、十日もせぬうちにそこが気に入らないと大谷高校の寮へ移りました。そのつど人さまのお世話になり、人情の温かさにふれ、三条大橋の上で大声で泣いた日もありました。

―出版の仕事を決心されたのはそのころですか。
 生活をたてるには私が頑張らなくてはと、津曲と娘を京都において東京へ出ました。ワラでもつかみたい気持ちで知り合いの人々に借金して弥生書房を始めました。小林秀雄先生、川端康成先生はじめ井伏鱒二、河盛好蔵、草野心平、串田孫一先生らが応援し支えてくださいました。七年目からどうにか軌道に乗り、「定本八木重吉詩集」など約八百点の出版物がいま出ています。

―印象に残る出版は。
 「曽我量深選集」でしょうか。先生のご臨終に、津曲と駆けつけました。先生はもう目を閉じておられました。私が手を差し伸べると、強い力で握り返してくださいました。私は号泣しました。

―ご主人のご臨終は。
 私がお念仏をいただけたのは津曲が息をひきとる時です。それまでは、津曲の信仰を疑っていました。ナムアミダブツと言うと「ウソだ、ウソだ」と後ろから聞こえてくる気がしていました。介護役の私が主治医にしかられた時、息も絶えだえに私に「仏心になれ、人間同士なら許せないこともあるだろうが、如来さまはすべてをお許しになる。だから、おまえが仏心になればいいのだ」と言いました。津曲は二度ニコッと笑って、息をひきとりました。私は思わずナムアミダブツと唱えました。死に際の見事だったのには驚きました。やっぱり津曲の信仰は本物だと思いました。
 * * * 
つまがり・あつこさん 一九二〇年京都府生まれ。四二年中央公論社入社、四四年結婚。五二年人文書院入社、五一年弥生書房創業。著書に「女社長出版奮闘記」。

残念です。
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12月25日 ( No.95 )
日時: 2009/12/25 19:43
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

今日は年末なので、投句と原稿の1回目の締め切りでした。月末までの日にちを連絡しておいてもらえば後でも構わないとしたのですが、連絡が未だない方もします。早めの編集で、離れて住んでいる子らとゆっくりと正月らしくしたいと考えているのですが、果たして大丈夫でしょうか。期待しています。

昨夜は疲れて眠くてたまらなかったので、書ききれなかった賀状の宛名書きが、今朝書き終えたので、郵便局も持って行きました。ついでに追加の10枚を買って返信用としました。

何とか賀状を減らしたいのですが、交際も広がっているのでなかなか思うように行きません。
メンテ
1月4日 ( No.96 )
日時: 2010/01/05 00:05
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

大体の編集が済みました。
ただ、昨年末から先生の方から、プリンターが印字しないと言うメールが来まして、近什や自解が届きません。
私の診断では、年末の掃除の時にLANケーブルなどに触って、印字ができないのではないかと思うのですが、仰ることがまとめる言葉で語られるので、こちらのイメージ力不足でつかめません。
随句は、まとめないで、具体的に詠うということを思いました。

先生は新しいプリンターを買われたということです、なぜプリンターが投稿に必要なのかは判りませんが、近什などいただいたら、穴埋めの記事書きやカットを選ぶ作業ができるので、喉から手です。
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1月5日 ( No.97 )
日時: 2010/01/05 11:37
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

最近イエメンがアルカイダの基地化していて、政情社会不安です。
以下は、宮崎正弘の「国際ニュース早読み」の今日のタイトルです。

”イエーメン、まるで戦争前夜の状態。フランス、ドイツも大使館を閉鎖。在サヌア日本大使館、スペイン大使館は領事業務を中止へ”

つまりイエメン大使館でビザ発給を停止したと言うのです。古戸暢さんが心配です。未だアラビア語も不自由で、生活習慣も日本風で、髭も生やしていないし、頭も短髪です。とても心配です。

こんなんアルカイナです。
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1月8日 ( No.98 )
日時: 2010/01/08 23:15
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

先ほど印刷屋さんが来て、版下と表紙の紙を持って行きました。

昨夜遅く先生から近什が送られてきたので、1時過ぎまで、編集をしました。頁の関係で、殆ど組み直したので、時間がかかりました。

今朝表紙の印刷をしたのですが、ヘッダーノズルが詰まっていて、それをクリーニングしたのですが、なかなか一箇所の色の印刷パターンがきれいにならず、随分他の色のインクを無駄にしました。クリーニングすると一気にインクの残量が減ってしまいます。なんとか詰まった色のヘッドだけをクリーニングするという訳には行かないのでしょうか。プリンター会社の怠慢と言うか、わざとインクを早く消耗させようという魂胆としか思えません。

部屋の湿度を見ると北西の書斎や寝室は57%ですが、作業している居間は湿度が40%でした。これではインクヘッドが詰まり易くなるのも道理です。また鼻も喉も乾き易くなります。とりあえずバスタオルを水に浸したものをハンガーで吊るした所、直ぐに湿度50%になり、旨く印刷もできました。

NHKのガッテンを見るまでもなく、湿度35%以下ではウイルスなどが空中に飛散し易く、また65%以上ではカビが増殖し易く、最適湿度は40%〜60%だと言いますが、プリンターのことを考えるともっと狭い幅になりますね。

元々蔵書や絵画が多く、カビが着くと、本や絵に黄色いシミ(フォッシング)が着いて駄目になるので、エアコンの除湿や除湿機を遣って湿度には相当神経質なのですが、乾きすぎてはだめと言うのは、かなり面倒です。

明日は桜木町の随句教室で、その後は第4回自由俳句会のまとめ報告を書かねばならず。その次には、フィリピンの友人の会社への報告を書かねばなりません。

自分も映画『アヴァター』を観たりして遊びたいよーぅ。
メンテ
1月17日 ( No.99 )
日時: 2010/01/17 21:24
名前:   <yusoneda@yahoo.co.jp>
参照: http://soneda.or.tv

昨日は、第4回東京自由律俳句会の反省会ということで集まりました。
プロデューサー&議長として、報告書をまとめるものと思っていましたが、なかなか世の中は難しいですね。

その後ぎんなんの有志とおそばを食べて少し飲んで帰りました。
帰り道で、割引になると言うチラシをもらったのこで、終り近くでしたが、昭和音大のユリホールで開催していた第11回ショパン国際ピアノコンクールのアジア地区からの派遣審査の最終の2名の演奏を聞きました。辻井伸行さんもこれで批評家賞を取ったのがステップだったのです。

空気が冷たい夜道でしたが、気持ちがよく、よく寝れました。

さて、昨日は印刷屋さんが「草原」の2月号が刷り上ってきたので、昨夜と今日で配送作業を終え先ほどクロネコメールで送りました。
数日で皆様の手元に届くでしょう。

本文はテキスト化してイエメンにメールしたいです。
メンテ

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