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戦争ができる国になってこそ戦争のリスクを下げられる
2017/11/19
戦争ができる国になってこそ戦争のリスクを下げられる
Japan On the Globe(1036)■国際派日本人養成講座■H29.11.19より転載
Common Sense: 戦争と平和の逆説
 〜 エドワード・ルトワックの『戦争にチャンスを与えよ』から__
過去の検証は戦争回避への模索 戦後に仕組まれた情報戦は何のためか

■1.戦争を「やり切る」ことによって平和が訪れる

 国際的な戦略家エドワード・ルトワックの最新刊『戦争にチャンスを与えよ』[1]がベストセラーになっているが、そこで言われている「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」とは、一見、矛盾しているが、真実を突いた逆説ではないか、と思った。逆に言えば、戦争を「やり切る」ことによって平和に到達できる、ということである。

 例えば徳川家康は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで石田三成や毛利輝元など豊臣家中の敵対勢力を排除し、慶長19(1614)年の大坂冬の陣で豊臣方の立て籠もる大阪城の本丸のみを残し、堀を埋め立てるという条件で和睦した。そして続く夏の陣ではついに豊臣秀頼と淀君を討って実権を確立した。

 もし家康が関ヶ原の勝利で戦争をやめていたら、豊臣方の勢力はいつまでも残り、豊臣と徳川が対立する不安定な状態がずっと続いていたであろう。それでは二百六十年もの江戸の平和は実現できなかったろう。

 明治維新も同じである。鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸に逃げ帰って謹慎したところで、戦争をやめてしまっていたら、徳川の力がいつまでも残り、その後、明治新政府が国を挙げての近代化に邁進できたかどうかわからない。

 西郷隆盛が官軍を率いて江戸をおさえ、さらに抵抗する会津藩や庄内藩などを打ち破ったことで、初めて国内が明治新政府のもとでまとまったのである。

■2,「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」

 これらは戦争を「やり切った」ことで平和が訪れた例であるが、その逆の「戦争が凍結されては、平和が決して訪れない」典型的な事例は朝鮮戦争であろう。

 マッカーサー率いる国連軍は北朝鮮軍を押し返して、シナ国境まで追い詰めた。そこでさらにシナと北朝鮮の国境をなす鴨緑江(おうりょくこう)に架かる橋の爆撃を計画していた。これが実現されれば、シナ軍は参戦できず、北朝鮮が滅びて戦争は終わっていたろう。そうすれば、朝鮮半島全体が韓国によって支配され、今日のような北朝鮮による危機はなかったはずである。

 しかし何故か、そこでマッカーサーは解任され、後任のクラーク将軍も勝つための武器・兵員を与えられなかった。何者かによって不自然な形で朝鮮戦争は凍結され、開戦前とほとんど変わらない三十八度線で休戦協定が調印されたのである[a]。

 以後、60年以上も北朝鮮と韓国は休戦ラインを挟んでにらみ合い、時々小競り合いが起こっている。北朝鮮は核開発を着々と進め、今や韓国、日本ばかりかアメリカをも脅かそうとしている。これがまさしく「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」と言うことである。

■3.「人間は人間であるがゆえに」

 この逆説を述べているルトワックは本誌でも、その著書『中国4.0 暴発する中華帝国』 から、956号「暴発する中国から世界を護る戦略」[b]として紹介した。

『戦争にチャンスを与えよ』とは、日本語では聞き慣れない表現だが、英語では"Give War a Chance"。これは"Give him a chance"、「彼に任せて、やらせてみろ」といった場合に使う表現である。要は、戦争が始まってしまったら、途中で止めたりせずに、とことんやらせてみろ、と言う意味である。

 ルトワックの徹底したリアリズムは、なぜこの逆説が成り立つかを述べている次の一節からも窺える。

__________
 人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる。[1, 215]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「人間は人間であるがゆえに」とは、人間には未来が見えず、限定的な合理性しか持っていないということだろう。それゆえに、例えば明治維新の時にも、新政府に抵抗して、幕府側として戦った人々がいた。

 その後の歴史を知っている我々から見れば、幕藩体制ではもはや日本はやっていけないということは分かりきった事だと思ってしまうが、当時の人々にとっては、一寸先は闇である。だから、薩長などよりも、実績のある幕藩体制の方が良いと考えたとしても、何の不思議もない。

 薩長が良いか、佐幕が良いかは、議論で決着がつく問題ではない。だから最後まで戦争をして、佐幕派が追い詰められ、疲弊することによってようやく決着がついた。

 この戊辰戦争を途中で止めてしまえば、佐幕派がいつまでもエネルギーを残して、薩長との対立関係が続き、明治新政府として一丸となって、近代化に邁進するということもできなかったであろう。

■4.「平和が戦争をもたらす」

「戦争が平和をもたらす」のと対照的に「平和が戦争をもたらす」と言う逆説も、ルトワックは述べている。

__________
 人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。[1, 1041]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この典型的な事例が、イギリス首相チェンバレンの対ドイツ融和政策であろう。1935年、ヒットラーはヴェルサイユ条約の取り決めを一方的に破棄して、再軍備と徴兵制の復活、非武装地帯に定められていたラインラントへの進駐、オーストリア併合など着々と勢力を広げていた。

 第一次大戦後の平和を求める世論に縛られていた各国は、ドイツの行動を黙認した。さらにヒットラーはチェコスロバキアの要衝ズデーテン地方を要求し、チェンバレン首相はミュンヘン会談で「ドイツがこれ以上の領土要求を行わない」との約束のもとにその要求を呑んだ。ヨーロッパ中で、平和が維持されたという喜びに包まれ、チェンバレン首相は讚えられた。

 しかし、ヒトラーは増長してその約束を簡単に破ってポーランドに侵攻し、ついに英仏もドイツに宣戦布告をした。チャーチルが「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べているように、チェンバレンの融和政策が第二次大戦をもたらした、と言う見方が根強い。

■5.「まあ大丈夫だろう」という危険な選択

「平和が戦争をもたらす」現象は北朝鮮危機に対する韓国の態度にも見られる、とルトワックは指摘する。

__________
 さらに北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルを保有し、韓国を直接脅かしているのに、韓国自身は何もしていない。彼らは、北朝鮮に対して抑止さえもしていないのだ。
 韓国は、北朝鮮に何度も攻撃されているのに、反撃さえしていない。韓国の哨戒艦「天安」の沈没事件でも、誰もいない方向に砲撃しただけだ。
 要するに、韓国は、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。
 これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。[1,1049]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この態度は、日本も同様であると、ルトワックは言う。

__________
 何度でも言う。現在の日本は、北朝鮮に対して何も行動しておらず、唯一選択しているのは、「まあ大丈夫だろう」と言う態度だが、このような態度こそ、平和を戦争に変えてしまうものなのである。[1, 1110]
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■6.「平和が欲しければ戦争に備えよ」

 平和安全法制が審議された時に、左翼は「戦争ができる国になる」と言って、反対運動を起こした。「戦争ができない国」であれば平和が守れると言う考え方は、根拠のない信仰である。歴史はそれが誤りである事を教えている。

 チベットは第二次大戦後、唯一他国に侵略されて植民地に転落した国である。そこで起こったことは、「戦争ができない」国がシナに簡単に侵略されたということであった[c,d]。

 もしチベットが多少なりとも「戦争ができる国」であったとしたら、アフガニスタンの山岳ゲリラがかつてのソ連軍や、今日の米軍に粘り強く抵抗しているように、シナに易々と植民地化されることもなかったであろう。

 侵略国は、侵略のメリットとコストを天秤にかけて考える。侵略のメリットよりも、コストのほうが大きいと思えば、侵略に乗り出す事は無い。「戦争ができない国」はそのコストがほぼゼロということであるから、容易に侵略に乗り出すことができるのである。

 戦争をしたくなかったら、「戦争ができる国」となって、侵略しても割が合わないようにする必要がある。これが「抑止力」の概念である。

 ルトワックは「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ」と指摘しているが、これは4世紀のローマ帝国の軍事学者ウェゲティウスが「平和が欲しければ戦争に備えよ」と言っていることと同じである。

■7.「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒した

「戦争に備える」方策の一つとして、ルトワックは同盟の重要性を指摘し、これを「大国は小国を打倒できない」と言う逆説で表現する。

__________
大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っているからだ。小国は、規模が小さいゆえに誰にも脅威を与えない。だからこそ、別の大国が手を差し伸べるのである。
 小国のベトナムは、大国のアメリカを打ち負かし、小国だからこそ、ソ連と中国の支援を獲得できた。当時、ソ連と中国は、対立していたのだが、それでも互いに協力してベトナムを助けたのである。[1, 1146]
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「同盟関係は自国の軍事力より重要なのだ」とまでルトワックは言う。例えば軍事の天才ナポレオンに率いられた12万は精強だったが、イギリスはプロイセンやロシアなど同盟国を集めて、23万の兵力で対抗した。多くの「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒したのである。

 同様に、第2次大戦でのドイツ軍も屈強で、100人のドイツ軍を打倒するのに、イギリス軍は300人の部隊を必要としていた。しかしドイツ軍がいくら屈強でも、イギリスが米ソと同盟しては勝ち目はなかった。

 第二次大戦後にアメリカが結成したNATO(北大西洋条約機構)は、イギリスの同盟戦略のコピーであるとルトワックは指摘する。この同盟戦略で、アメリカはソ連と言う「熊」を倒したのである。

 ルトワックは、兵力も装備も貧困で戦闘力として頼りにならない小国をも同盟関係に入れることの重要性を説いている。NATOにはアイスランドやルクセンブルクのような小国や、トルコやギリシャなどの周辺国も入っていた。これらの小国を同盟に入れることの意味は、私見だが、次の三つが考えられるだろう。

 第一に、敵が孤立感を持つように仕向けられること。第二に小国と言えども、独自の立場からの情報貢献、経済貢献が期待できること。第三にそれぞれぞれの小国が敵と通じたり、反旗を翻すリスクを減らすこと。

■8.「安倍首相はまれに見る戦略家だ」

 以上を踏まえれば、ルトワックが「安倍首相はまれに見る戦略家だ」[1,544]と言う理由がよく分かるであろう。

 第一に、安倍首相は左翼が言うように日本を「戦争ができる国」にしようとしている。それは戦争のリスクを減らすために、必要不可欠なことだからだ。

 第二に、安倍首相は精力的な外交努力で対中包囲同盟を築きつつある。そこにはアメリカやインドなどの大国だけではなく、フィリピンやベトナムなども含まれている。安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、日米同盟を従来の極東からインド洋にまで拡大し、インドとの協力強化も含めたものである。

 先ごろ日本を訪れたトランプ米大統領も、この戦略を共有する姿勢を示した。日本が世界戦略を示し、アメリカがそれに賛同するというのは戦後初めての現象であろう。そしてその戦略は、世界的な戦略家ルトワックが激賞したものなのである。

 しかし偏向したほとんどの日本のマスコミは、こういう点を論じない。マスコミの記者自身が、ルトワックの説くような戦略論に無知なのか、あるいは敵側の視点でその戦略に恐れをなしているからであろう。

 自由民主主義国家にとって大切な事は、国民が「平和が欲しければ戦争に備えよ」「戦争ができる国になることが戦争のリスクを減らす」という防衛の逆説を理解し、多くのマスコミの偏向報道を見破って、正しい戦略をとっている政治家を後押しすることである。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(1002) 地球史探訪: 国際共産主義はグローバル資本が生み育てた.
 ロシア革命、第二次大戦、シナ国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、国際共産主義を生み育て、争いの種を蒔いてきた勢力の正体。http://blog.jog-net.jp/201704/article_6.html

b. JOG(956) 暴発する中国から世界を護る戦略
 中国の「対外強硬論」を挫折させたのは日本とベトナムだった。
http://blog.jog-net.jp/201606/article_5.html

c. JOG(123) チベット・ホロコースト50年(上)〜アデの悲しみ〜
 平穏な生活を送っていたチベット国民に、突如、中共軍が侵略を始めた
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog123.html

d. JOG(124) チベット・ホロコースト50年(下)〜ダライ・ラマ法王の祈り〜
 アデは27年間、収容所に入れられ、故郷の文化も自然も収奪された
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog124.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. エドワード・ルトワック『戦争にチャンスを与えよ』(Kindle版)★★★、 文春新書、H29
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朝日新聞はいかに 加計事件を創りだしたか
2017/11/05
Japan On the Globe(1034)■国際派日本人養成講座■H29.11.05より転載
Media Watch: 「加計事件」 〜 朝日新聞の謀略報道
 朝日新聞はいかに「加計事件」を創りだしたか。

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■1.「総理からの指示に見えるのではないか」

 これはまさしく確信犯による謀略報道だ、と小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」──朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読んで思った。加計事件の発端となった朝日新聞の5月17日付け「新学部『総理の意向』」と1面横にぶち抜いた大見出しの「スクープ」記事である。

 記事では「加計学園事件 文科省に記録文書 内閣府、早期対応求める」と縦の大見出しを添え、その記録文書の写真を載せているが、そこには次のような問題となった一文が読める。

__________
○ 設置の時期については、今治市の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。[1]
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 しかし、この次の次の段はスポットライトからはずれて、暗くて読めないようにしているが、実はこういう文面になっていた。

__________
◯「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか。[2, 1718]
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 この文面はどう読んでも、総理からの指示はなかったのに、そう見せかけた、という意味である。朝日はこの部分をスポットライトから外して、読めないようにして写真を掲載した。まさに意図的な捏造記事である。

 小川榮太郎氏の『徹底検証「森友・加計事件」』は、森友事件に関しても同様に朝日による「報道犯罪」ぶりを暴いているが、「森友事件」そのものは地方行政での土地売却事案に過ぎず、国政に関わる重要問題ではない。しかし「加計事件」として使われた獣医学部設置は鳥インフルエンザなどへの危機管理対応からして、国民の安全に直結する国家的課題である。

 この国家的課題を朝日は倒閣のための謀略報道に使った。以下、この点を詳述しよう。


■2.「もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね」

「加計事件」の根源には、獣医学部新設を52年間も認めてこなかった文科省の「岩盤規制」がある。前川喜平・前次官は規制の理由の一つとして、「獣医学部の定員を増やすという理由がない」と7月10日に参院で述べているが、実態はまったく異なる。

 加戸守行・前愛媛県知事は、獣医師の深刻な不足状況について、つぎのように語っている。

__________
 平成22年に宮崎県で口蹄疫が発生した際には、愛媛県の港に検疫態勢を取り、入県する車と人は全部消毒し、四国への上陸を阻止した。全員が不眠不休でやったが、獣医師が足りないから(民間の)ペットの獣医師まで動員して助けてもらった。あのときほど獣医師がほしかったことはなかった。
もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね。(7月16日付け産経新聞 加戸守行前愛媛県知事インタビューより)
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 この年に発生した牛や豚などの口蹄疫では約30万頭が殺処分され、畜産関連の損失額は1千4百億円、関連損失は950億円に上った。口蹄疫のウイルスは伝染性が非常に強いので、もっと早く発見して早く処置していれば、ここまで損失が広がる事もなかったろう。

 口蹄疫に罹った家畜は発熱したり、口の中や蹄の付け根などに水ぶくれができたりする程度で、死亡率は数パーセント。早く発見し早く処置するためにも獣医師が欠かせない。

 その獣医師を育てる獣医学部は極端な東高西低で、文科省による定員は東日本が10学部735名に対して、西日本は6学部あるものの195名に過ぎず、四国には一つもない。しかも、現在の学生数は約1200名で、定員に対して23%もの水増し入学となっている。自民党の青山繁晴・参議院議員は次のように証言している。

__________
 実は現場の方々に随分尋ねてきました。そうしますと、例えば、教室に入り切れない学生が廊下にあふれて、授業を一種見学している、のぞき込んでいるという実態もある。一番大切な実習も、実は背後からのぞくだけという状態が、これ大学によって変わりますけれども、起きているところがかなりあると。[2,2652]
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 前川・前次官は出会い系バーで「貧困調査」をしている暇があったら、こういう実態調査をすべきだった。


■3.国の将来に関わる獣医学部新設

 今治市の獣医学部申請には、畜産物輸出やライフサイエンスなど国の将来に関わる重要なビジョンも含まれていた。農林水産省は和牛など畜産物の輸出拡大に取り組んでいるが、検疫での信頼性を確保するためには、国際的に信用のある獣医学部の設立が不可欠である。

 また医学と獣医学の連携が世界的に進むなか、ライフサイエンスや試薬の開発にも、獣医学部の充実が求められている。例えば4千万人を感染症から救って、ノーベル賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授は、アメリカでの研究を牛の寄生虫退治のための動物薬の開発から始めている。[a]

 日本の医学部は世界的に見ても先端的なレベルを確保しているが、獣医学部は国際的にみてあまりにも貧弱で、専門家によれば「絶望的」なまでに遅れているという。この状況をなんとかしようと今治市から獣医学部新設の要望が出されたが、文科省の岩盤規制により15回も却下されたのである。


■4.「ゆがめられた行政が正された」

 このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている。

__________
 業界団体は多年の自民党政権下、有力な族議員に参入規制を陳情し、議員は監督官庁に圧力をかけて、規制を作らせてきた。この規制によって業界は既得権益を保護され、その為に動いた議員には様々な利益が供される。官僚はこの仕組みに積極的に参加することで天下り先を確保できたわけである。[2, 3216]
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 過度の新規参入が価格破壊やサービス低下を招いて、業界を混乱させ、消費者にも不利益を与えることがある。こういう場合には新規参入規制も意味があるが、獣医師会と族議員、文科省による獣医学部新設凍結は国家的に見ても大きな問題であった。

 このような岩盤規制に風穴を開けるために、安倍政権で創設されたのが「国家戦略特区」制度であった。これは国家戦略特区に指定された分野に新規参入希望者が現れた場合、監督省庁の側が規制の必要性を説明しなければならないという制度である。これにより「はじめに規制ありき」が通用しなくなった。

 獣医学部の場合は、文科省も農水省も規制の必要性を説明できず、獣医学部新設から逃げることはできなくなった。

 ここで作成されたのが冒頭の文書である。内閣府の藤原豊・審議官の発言を文科省の担当課長が報告した内容で、文科省が獣医師会と族議員から規制を崩された責任を糾弾された時に、「総理からの指示」で仕方なくのんだ、という形にする為以外に考えられない、と著者・小川榮太郎氏は指摘する。

 前川氏の「行政がゆがめられた」発言に対し、加戸氏は「岩盤規制に国家戦略特区が穴を開け、『ゆがめられた行政が正された』というのが正しい」と証言している。どちらが正しいか、獣医学界の惨状を見れば明らかである。


■5.加戸発言をほとんど報道しなかった偏向ぶり

 7月の国会閉会中の集中審議で、参考人として前川・前事務次官、加戸・前知事以外に、国家戦略特区ワーキンググループの中心メンバーも証言して、岩盤規制の実態が明らかにされた。

 しかし、朝日新聞は1面トップの記事に「加計ありき 疑念消えず 前川氏『官邸が関与』 首相ら当事者不在」、2面では「『丁寧な説明』なき審議」、3面では「加計巡り説明不足」と畳みかけた。その一方で、加戸発言については一般記事では全く触れず、詳細記事で20行、紹介したのみであった。

 同日の産経は一般記事で50行、詳細で53行、読売は一般記事で68行を使っている事と比べれば、朝日の偏向報道ぶりは明らかである。[2]

 テレビも同様で、小川氏のシンクタンクの調査では、7月11日、12日、在京キー局で参考人の発言を放送した合計2時間42分のうち、前川・前次官の発言が2時間33分と95% を占め、加戸前知事の発言は6分に過ぎなかった。

 加戸・前知事の発言は岩盤規制で「ゆがめられた行政」の実態を示す貴重な証言だったが、意図的な偏向報道によって、その実態は国民の目から隠されてしまったのである。


■6.「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)たれ」?

 かつて「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)たれ」と言われた。木鐸とは「木の舌(振り子)のついている大きな鈴」で、古代中国で法令などを人民に示す時に用られた。つまり、新聞は社会の「警鐘」とならねばならない、という意味である。

 新聞が「木鐸」としての役割を果たそうとすれば、「もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね」という危機状況や、獣医学部が「絶望的」なまでに遅れている現状に警鐘を鳴らし、同時に既存の獣医学部では「教室に入り切れない学生が廊下にあふれて」いる現状をレポートして、政治の怠慢に批判の声を上げるべきだった。

 さらにその原因として52年間も学部新設を阻止してきた政・官・民による岩盤規制の問題も摘出すべきであった。それをしていれば「岩盤規制に国家戦略特区が穴を開け、『ゆがめられた行政が正された』」のは、安倍政権の重要な業績の一つである事を国民は知ったであろう。

 さらに言えば、前川が出会い系バーに頻繁に通っていたことは文科省高官としては極めて不適切であったこと、文科省の天下り斡旋(あっせん)疑惑で停職処分発表前の辞任が認められ、自己都合退職として退職金5千万円余もが支払われた事に対する糾弾の声も上げるべきであったろう。

 朝日新聞はこのような「社会の木鐸」たる役割の、まさに正反対を演じてきたのである。


■7.倒閣のための謀略機関

 朝日の加計報道は、その内容だけでなく、手法においても、報道機関としての原則を完全に逸脱したものであった。

 冒頭の文章が報道された際に、菅義偉・官房長官は、「全く、怪文書みたいな文章じゃないでしょうか。出どころも明確になっていない」とコメントした。誰がいつ、どこで書いたのかも分からない、しかもそのうちのごく一部しか報道しない、こんな文章は裁判でも証拠能力はなく、一般社会でも「怪文書」扱いされるのは当然である。

 そんな怪文書に「総理の意向」と書かれてあっただけで、書かれた総理の側に説明責任を要求するのは、報道の基本原則から逸脱したものだ。まともな新聞記者なら、まずその文書を、いつどこで誰がどのような状況で書いたものか、の事実を追求するはずだ。

 その常識に従って菅官房長官が「怪文書だから関知しない」と言った後で、前川を登場させ、当事者として証言させたことで、「政府が調査から逃げている、何か隠している」という印象作りに成功したのは、謀略報道としては見事な腕前であった。

 そして、関係者の証言で獣医学部の岩盤規制の実態が明らかになった後も、加戸前知事の「ゆがめられた行政が正された」との発言はほとんど報道せずに、大見出しで「加計ありき 疑念消えず」、「『丁寧な説明』なき審議」、「加計巡り説明不足」と畳みかける印象操作を続けた。

 怪文書の片言節句を取り上げて説明を要求し、政府がいくら説明しても「疑念消えず」と見出しで印象操作をする。事実を国民に伝える報道機関ではなく、倒閣のための謀略機関そのものの手口である。


■8.「北朝鮮や中国と通じているのではないか」

 しかもこの期間は、北朝鮮のミサイルが日本列島周辺に着弾する、という国家的危機の最中であった。5月30日の朝日は前川の取材記事を一面トップで報じていた。前川証言をトップニュースで扱うのは2週間で3度目だった。

 その前日、北朝鮮が弾道ミサイルを3週連続で発射し、日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾したが、それを抑えてのトップニュースである。前川証言と北朝鮮の弾道ミサイルと、どちらが国民にとっての重大事件か、言うまでもない。前川証言を報ずるにせよ、一日ずらしても国民にとっては何ら問題はないはずだった。

 民進党が森友学園問題で政府を追及する様に対して、維新の足立康史・衆院議員は「安保情勢が厳しい中で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の足を引っ張るのは、北朝鮮や中国と通じているのではないかと疑われても仕方ない」と批判した。[4]

 筆者も朝日新聞に対してこの疑念を抱く。その意図はどうあれ、少なくとも結果的には、謀略報道で「事件」を作りだし、政府から国家的危機対応のための貴重な時間を奪い、同時に国民に対して危機から目をそらせていたのは事実である。北朝鮮からは頼もしい援軍と見えたであろう。

 森友・加計問題で、朝日新聞はますます確信犯的な謀略機関としての本質を国民の前に晒しつつある。わが国の自由民主主義を守るためには、一人でも多くの国民が、その正体に気がつくことが必要である。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)

b. 「朝日新聞」に関する弊紙記事
http://blog.jog-net.jp/theme/4f841679c7.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 朝日新聞Digital、H29.05.17「加計学園の新学部『総理のご意向』 文科省に記録文書」
http://www.asahi.com/articles/ASK5K0494K5JUTIL08N.html

2. 小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」──朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(Kindle版)★★★、飛鳥新社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/486410574X/japanontheg01-22/

3. 産経新聞、H29.10.08「朝日と毎日は『ゆがめられた行政が正された』との加戸守行前愛媛県知事発言取り上げず」
http://www.sankei.com/politics/news/171008/plt1710080094-n1.html

4. 産経新聞、H29.03.17「『北や中国と通じているのか』維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判」
http://www.sankei.com/politics/news/170317/plt1703170030-n1.html

日米対立の道
2017/10/22
歴史教科書読み比べ(44): 日米対立の道
■ Japan On the Globe(1032)■ 国際派日本人養成講座■H29.10.22より転載
歴史教科書読み比べ(44): 日米対立の道

 東京書籍版は、日本だけが悪役で、アメリカも他の国も登場しない一人舞台史観。

■1.「石油やゴムなどの資源を獲得しようとした」

 日中戦争から抜け出せないまま、日米関係は悪化していく。東京書籍(東書)版は、「日本の南進」の項で、次のように描く。

__________
イギリスやフランスなどがドイツとの戦争で劣勢におちいると、日中戦争が長期化した日本は,近衛内閣の下,これらの国々の植民地がある東南アジアに武力による南進を始めました。援蒋ルートを断ち切るとともに,石油やゴムなどの資源を獲得しようとしたのです。[1, p224]
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 育鵬社版の描く世界は全く別だ。

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 日中戦争が始まってから3か月後の1937(昭和12)年10月,アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは議会での演説で,無法な国を世界から隔離すべきだと,日本を非難しました。

 わが国は石油などの重要な物資をアメリカからの輸入に頼っていましたが,アメリカは, 1939(昭和14)年に日米通商航海条約の廃棄を通告し,対日輸出制限を強化しました。[2, p231]
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 日本の南進、仏領インドシナ(今日のベトナム)北部への進駐は1940(昭和15)年9月。援蒋ルート、すなわち米英などからの蒋介石支援物資が北ベトナム経由で運ばれていたので、それを断ち切ろうとしたのは事実である。しかし、アメリカはその前から日米通商航海条約の廃棄を通告し,対日輸出制限を強化していたのである。

 東書版は、日本は南進によって「石油やゴムなどの資源を獲得しようとした」と書くが、このアメリカの対日輸出制限を書かないので、なぜここで急に資源獲得の話が出てくるのか、中学生たちは分からないだろう。この書き方では、英仏がドイツとの戦いで劣勢に陥った隙を狙って、南方の資源を盗もうとしたとしか読めない。


■2.ルーズベルトの異様な敵意

 ルーズベルト大統領の「隔離」演説は、この人物が日本に対して抱いていた異様な敵意をよく表している。米国国務省が作成した演説原案には「隔離」云々の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身で挿入したものである。

 この演説は米国内で激しい反発を引き起こし、6つの平和主義団体が、大統領は米国民を世界大戦の道に連れて行こうとしているとの声明を出した。米国労働総同盟や議員三分の二も反対の声をあげた。

 しかし、国内の反発にも関わらず、ルーズベルトは着々と日本を追い込んでいく。日米通商航海条約は、もともと幕末の1858(安政5)年に結ばれた日米修好通商条約が改定を重ねたものである。いわば80年以上に渡って日米友好の基盤となった条約を破棄して、いつでも合法的に対日貿易を制限、あるいは停止できるようにしたのである。

 当時、日本にとって、アメリカは原油、精銅、屑鉄、機械類などの主要供給先であった。しかも、アメリカにとっても、日本は英国、カナダに次ぐ輸出先で、日本への輸出量はシナを含む全アジアへの輸出量よりも多かった。

 ルーズベルトの日本への敵意は、国民の意見も経済合理性も長年の友好関係も無視した異様なものであった。


■3.日本が着々とアジア侵略?

 育鵬社版の記述と比べて気がつくのは、東書版では日本の動きだけを追って、一向にアメリカその他の役者が登場しない事だ。この一面的な記述ぶりは、この後も続く。

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 日本は1940(昭和15)年9月,フランス領インドシナの北部に軍を進め,次いで日独伊三国同盟を結びました。さらに,1941年4月に日ソ中立条約を結び,日本の北方の安全を確保したうえで同年7月にフランス領インドシナの南部へも軍を進めました。
 こうした動きと合わせて, 日本は「大東亜共栄圏」の建設を唱えました。それは, 日本の指導の下,欧米の植民地支配を打破し,アジアの民族だけで繁栄しようという主張でした。[1, p224]
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 フランス領インドシナ北部への進駐、日独伊三国同盟、日ソ中立条約、仏領インドシナ南部への進駐と、日本が着々とアジア侵略を進めたように描かれている。

 その目的としては、日本の指導の下、「大東亜共栄圏」を作って、「アジアの民族だけで繁栄しよう」としたと言う。「欧米の植民地支配を打破」しようとしたのは事実だが、「アジアの民族だけで繁栄しよう」としたと大胆に断言した根拠は書かれていない。

 1943(昭和18)年11月6日、アジアの独立運動のリーダーたちを東京に集めた大東亜会議では、大東亜宣言を採択し、そこには「大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ・・・以テ世界ノ進運ニ貢獻ス」との条項もあった[a]。それが単なる建前であって、本音は違うというなら、そう断定できるだけの根拠を示すべきである。

 外交も戦争も相手のあることであって、その作用、反作用が歴史を織りなしていく。アメリカその他の国の動きは描かずに、日本だけが侵略に突っ走ったというのでは真っ当な歴史記述にはなりえない。


■4.「四か国協商」の目論み

 このあたりを育鵬社版は次のように記述する。

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 ドイツの快進鑿に目をうばわれた日本政府は,1940(昭和15)年,日独伊三国同盟の締結に踏み切りました。さらに米英に圧力をかけて讓歩させるため,ソ連を含めての四か国協商を結ぼうとして,日ソ中立条約を結びました。しかし、ドイツが日本に事前の協議もなく,不可侵条約を破ってソ連に攻めこんだことでその期待は裏切られました。
 また,三国同盟の最大の敵国はイギリスだったため,すでにイギリスと事実上の同盟関係にあったアメリカとわが国の関係は決定的に悪化しました。[2, p232]
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 東書版では日ソ中立条約は「日本の北方の安全を確保したうえで」南進するために結んだように書いているが、育鵬社版では「ソ連を含めての四か国協商を結ぼうとして」結んだものとしている。そして、その目的は「米英に圧力をかけて譲歩させるため」としている。実際に、当時の近衛文麿首相は手記にこう記している。

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 当時独ソは親善関係にあり、欧洲の殆ど全部はドイツの掌握に帰し、英国は窮境にあり、米国は未だ参戦せず、かかる状勢下で日独ソ連携によって英米に対する我国の地歩を強化することは支那事変を解決し、対英米戦をも回避し、太平洋の平和に貢献し得るのである。[3, p559]
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 しかし、そんな目論みも、独ソ開戦により吹き飛ばされる。日本は着々と主体的にアジア侵略の道を歩んだのではなく、複雑奇怪な国際政治に翻弄されていたのである。


■5.経済封鎖と仏印進駐

 その後の日米交渉に関して、東書版は次のように記述する。

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 日本が侵略的な行動を取る中で,日米関係は悪化していきました。近衛内閣は,アメリカとの戦争をさけるために1941年4月から日米交渉を行いましたが,軍部の要求などもあって,南進を止めませんでした。
 フランス領インドシナの南部へ軍を進めた日本に対して,アメリカは石油などの輸出禁止にふみ切り,イギリスやオランダも同調しました。戦争に不可欠な石油を断たれた日本では,このように日本を経済的に封鎖する「ABCD包囲陣」を打ち破るには早期に開戦するしかないという主張が高まりました。
 日米交渉の席でアメリカが,中国とフランス領インドシナからの全面撤兵などを要求すると,近衛内閣の次に成立した東条英機内閣と軍部は,アメリカとの戦争を最終的に決定しました。[1, p225]
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「近衛内閣は・・・日米交渉を行いましたが,軍部の要求などもあって,南進を止めませんでした」という一文では、いかにも交渉のポーズを見せつつ、実は侵略を続けた、と言いたいようである。

 育鵬社版は、南部仏印進駐について、こう説明する。

__________
 当時のわが国は,使用する石油の多くをアメリカから輸入し一部をオランダ領東インド(現在のインドネシア)から輸入していました。しかし,三国同盟によってオランダとの関係が悪化し,石油・ゴムなど重要物資のインドネシアからの輸入が困難になりました。そこで日本政府は,東南アジア産出の重要物資を確保するため, フランス領インドシナ南部に軍を進めました(南部仏印進駐)。
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 すなわち、先に「ABCD包囲陣」による経済封鎖があり、追い詰められた日本が資源確保のために、南部仏印に進駐したのである。東書版では、日本の「南進」を強調するあまり、原因と結果が逆になっている。

 ちなみに仏印進駐はフランスの主権を尊重し、フランス政府との合意に基づいている。これを侵略というなら、同じ年に英国やアメリカがドイツ侵攻の予防として、アイスランドとグリーンランドに進駐したのも同じ侵略であろう。ましてやソ連によるポーランド、バルト三国、フィンランドへの侵攻は、文句の言い様のない侵略である。


■6.日本との戦争を決意していたルーズベルト

 こうしてわが国は、袋小路に追い込まれていく。育鵬社版の記述では:

__________
 これに対しアメリカは, 国内にある日本の資産を差しおさえるとともに石油の対日輸出全面禁止に踏み切り,日米の対立は決定的なものになりました。また,アメリカは,イギリス,中国,オランダとともにわが国を経済的に圧迫し,封じこめを強化しました。
 首相の近衛文麿は,アメリカ大統領ルーズベルトとの会談を提案しましたが実現せず,開戦に消極的だった海軍も石油問題に危機感を強めていきました。[2, p233]
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「経済封鎖は戦争行為である」とはパリ不戦条約批准の際のケロッグ米国務長官の議会での発言である。ルーズベルトは部下からも再三、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていたが、聞き入れなかった。ルーズベルトは当初から、日本との戦争を決意しており、この点はアメリカ国内でも批判されている。

 ルーズベルトの前の大統領であったハーバート・フーバーは、終戦後、日本を占領中のマッカーサーを訪れて対談した。そこでは「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」と私(フーバー)がいうとマッカーサーは同意した」という会話がなされている。[b]

 また共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は、戦後に著した著書で、「フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した」と書いている。[c]


■7.ルーズベルト政権を操ったソ連

 今日では、当時の秘密文書公開によって、ルーズベルト政権には多くのソ連工作員が紛れ込んでいた事が明らかになっている。

 たとえば、真珠湾攻撃の7ヶ月前に日本爆撃計画が立案され、ルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた。この計画の立案者がロークリン・カリー大統領補佐官で、彼がソ連と極秘情報のやりとりをしていたことは、当時の米暗号解読機関によって確認されていた。

 また日本政府に開戦を決意させた最後通牒ハル・ノートは、財務次官ハリー・デクスター・ホワイトの手になるもので、これもソ連の指示に従ったものである事が明らかになっている。

 前号では、スターリンの謀略で、蒋介石政権と日本が日中戦争に引きずりこまれた事を示した。そして、近衛政権の近くに尾崎秀実などソ連に通じた工作員がいて、日本の対シナ強攻策を煽っていた事実を指摘した。そのスターリンの魔の手が、ルーズベルトを操って、日本を戦争に追い込んでいったのである。

 アメリカは日本との戦争には勝ったが、ソ連が北朝鮮、シナから東ヨーロッパ諸国まで共産圏に収め、アメリカ自身は何一つ得る所がなかった。この結果を見れば、まさに天才スターリンの一人勝ちであったことが分かる。


■8.一人舞台史観では歴史教育にならない

 本稿で述べたスターリンの陰謀説は、近年公開された機密文書などに基づき、アメリカでの歴史見直しが進んでいる段階であって、定説として確立するまでには、もうしばらくはかかるであろう。

 東書版の記述は占領軍に押しつけられた60年前の自虐史観そのものだが、日本だけを単独の悪役にすることで、世界各国の実情や思惑を無視した「一人舞台史観」となってしまっている。先にも述べたように、いろいろな国々の作用、反作用が歴史を織りなし、そこでの失敗や成功を学ぶことが歴史教育の眼目である。日本だけが悪玉の一人舞台史観では真の歴史教育にならない。

 それはちょうど、日本国憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのと同じ、世界各国のそれぞれの実情も思惑も無視した「お花畑」世界観と同じなのである。

 そんな歴史教育では、様々な国が入り乱れる複雑な国際社会の中で生き抜いていく国際派日本人は育たない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(338) 大東亜会議 〜 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h16/jog338.html

b. JOG(951) ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」 〜 日米戦争、冷戦、そして共産中国
 共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
http://blog.jog-net.jp/201605/article_4.html

c. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/


■『世界が称賛する 日本の教育』に寄せられたアマゾン・カストマー・レビュー

■★★★★「戦後の教育」ではなく、それより昔の「我が国固有の教育伝統」に光をあてると・・・(Emerald Greenさん、ベスト500レビュアー)

〈本書でいう「日本の教育」とは、戦後の教育ではありません。江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、それに明治以降の近代化努力を注いで形成してきた我が国固有の教育伝統を指します。
/ 戦後の教育は軍国主義だったという批判がありますが、実際はどうだったのか、日本の教育がいかに近代的で、国際性を持つものだったのか、まず事実を見てみましょう。〉と、「第1章 世界の賞賛する日本の教育」は始まる。

本書は、著者のいう「日本の教育」の素晴らしさを「事実」によって例証すると同時に、今日、打ち捨てられ顧みられないことの愚かしさも示される。そうした、教育の中身には「教育勅語」も含まれる。それが作成された経緯等について知ると、決して偏狭なだけの愛国主義に根ざしたものではないことを知ることができる。

他書からの引用にもとづいての論議が多いが、原著者の意図を捻じ曲げて伝えるようなことはしていない。つまり、原著者たちも、日本の伝統教育の素晴らしさを認めているということだ。そうした中には、評論家の渡部昇一、灘校国語教師の橋本武や教育学者の齋藤孝も含まれる。

「人づくり」に関心のない教師や親はいないと思うが、効果的にそれを行い「生きる力」を子どもたちに付与したいと願う方であれば、誰にとっても参考となるにちがいない。

■伊勢雅臣より

 我々の先人達は、「人作り」の本当の道を知っていました。それを思い出したい、というのが、著者の願いです。

日中戦争に引きずり込まれた日本
2017/10/22
Japan On the Globe(1031)■ 国際派日本人養成講座■ H29.10.22より転載
歴史教科書読み比べ(43):  
■■ Japan On the Globe(1031)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
歴史教科書読み比べ(43): 日中戦争に引きずり込まれた日本
 
■1.スターリンの天才

 東京書籍(東書)版は「日中戦争の開始と長期化」の項の冒頭で、次のように書く。

__________
 満州を支配下に置いた日本は さらに中国北部に侵入しました。中国では,国民政府(国民党)と共産党との内戦が行われていましたが,抗日運動が盛り上がる中,毛沢東が率いる共産党は,蒋介石を指導者とする国民党に協力を呼びかけ,1936(昭和11)年に内戦を停止しました。[1, p220]
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 育鵬社版で、これに対応する記述は以下のとおりである。

__________
 一方,日本軍が満州に隣接する華北地域に親日政権をつくると,中国で抗日運動が高まりました。中国では,国民政府と共産党の内戦が続いており,共産党が劣勢でした。しかし,西安(シーアン)事件をきっかけに,国民政府と共産党は協力して日本に対抗するようになり,両者による抗日民族統一戦線がつくられました。[1, p220]
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 西安事件に関しては、側注で「抗日を唱える共産党に,国民政府軍の張学良(張作霖の子)が同調して、西安で蒋介石を監禁し,内戦の停止と共産党と協力しての抗日を要求した事件」と説明している。

 東書版では「毛沢東が率いる共産党は,蒋介石を指導者とする国民党に協力を呼びかけ」と、さも平和的な連携のように記述しているが、当時、蒋介石の言葉では、共産党を滅亡させる「最後の5分間」にあったとしている。中村粲・獨協大学名誉教授の『大東亜戦争への道』では次のように述べている。
__________
 事件の報に接した中共(JOG注:中国共産党)では、蒋の人民裁判を主張する者も少なくなく、毛沢東自身の意見は「殺蒋抗日」であった。本家のモスクワの指示を仰いだところ、スターリンからは「連蒋抗日」と蒋介石の釈放を命ずる指示が届いた。
スターリンの電報に接した毛は「真赤になり、悪態をつき、足を踏みならして怒った」と伝へられるが、スターリンとしては、蒋を釈放しない場合は、国府軍によって中共軍が潰滅させられること、また蒋に代って反共・親日家の汪精衞が政権を取ることになるのを倶おそ)れたものと思はれる。[1, p220]
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 蒋介石が釈放の条件として何を約束させられたのか、は謎に包まれているが、この頃、モスクワに留学していた蒋介石の息子・蒋経国がソ連に人質にとられていたことを考えれば、おおよその推測はつく。いずれにせよ、この西安事件をきっかけとして、共産党が日本と蒋介石との対立を煽るという構図が生まれた。スターリンの天才と言えよう。


■2.盧溝橋事件は誰が仕掛けたのか?

 この後、日中戦争の起点となった盧溝橋事件が起こる。東書版はこう記述する。

__________
1937年7月,北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに,日中戦争が始まりました。[1, p220]
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 東書版は「日中両国軍の武力衝突」で済ませてしまうが、育鵬社版はもう少し事件の経過を説明している。

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1937(昭和12)年7月,条約に基づいて北京に駐屯する日本軍の部隊が,郊外の盧溝橋付近での訓練中に何者かの銃撃を受け,それが中国軍との戦闘に発展する事件がおこりました(盧溝橋事件)。[2, p229]
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 まず「条約に基づいて北京に駐屯する日本軍」という記述からは、日本軍の駐屯が合法的であることを明記している。これは義和団の乱で清朝が北京の各国大使館や居留民の安全を守らなかったために、各国と清朝が結んだ北京議定書によるものである。この点をおさえないと、そもそも北京郊外に日本軍がいること自体が侵略行為ではないか、という誤解が生ずる恐れがある。

 次に「日本軍の部隊が,郊外の盧溝橋付近での訓練中に何者かの銃撃を受け」とある。これも正確な表現で、日本軍は実弾を固いボール紙で包装しており、しかもある中隊は兵の過労をふせぐため、鉄帽すら携行していなかったというから、事を起こそうという考えは全くなかったのは間違いない。

「何者かの銃撃を受け」と、ぼやかしているが、これが中国共産党の仕業であったことを示唆する証拠がいくつか挙がっている。たとえば、事件の直後、延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で「成功した」と緊急無線があり、それを日本軍も蒋介石軍も傍受した、という証言がある[4]。

 育鵬社版の「何者かの銃撃を受け」というあたりが中学の歴史教科書としては精一杯の記述かも知れないが、少なくとも日本軍が意図的に武力衝突を起こしたのではない事が明記されている点は大切である。


■3.隠された通州事件

 盧溝橋事件の3週間後の7月29日、通州(現在の北京市通州区)にて、2百数十名の日本軍守備隊及び邦人居留民が虐殺される事件が起きた。事件後の目撃者の元陸軍少佐が宣誓口供書に残した証言には、次のような部分がある。

__________
 守備隊の東門を出ると、数間(すうけん)ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家悉(ことごと)く首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦人は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、七、八名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部に箒(ほうき)を押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を断ち割ってある者など見るに堪えなかった。[5, p163]
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 1928年(昭和3)年5月3日の済州事件でも十数名の邦人が同様に残虐な方法で殺されたが、こういう行為はシナの伝統のようだ。この通州事件については、両教科書とも記述がない。この点について渡部昇一氏は次のように語っている。

__________
 この通州事件については、戦後、ほとんど語られなくなった。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。・・・
 現在、最も詳しい近代史年表とされている岩波書店の近代日本総合年表は、800ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは1行も書かれていない。おそらく、意図的に省いたのであろう。[5, p162]
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 済州事件や通州事件のことを書かなければ、当時の日本政府及び国民にとって、シナの在留邦人の安全確保がいかに大きな問題であったかが分からない。そして、この点が分からないと、次の上海での兵力増強も「日本軍の侵略」に見えてしまう。


■4.日本と蒋介石軍を全面戦争に引きずりこんだ共産党の策謀

 この後、戦火は上海に飛び火する。東書版はこう記述する。

__________
戦火は中国中部の上海に拡大し,全面戦争に発展しました。これを受けて,国民党と共産党は日本との戦争のために協力し合うことを最終的に決め,抗日民族統一戦線が結成されました。[1, p220]
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 盧溝橋事件と同様、戦火が自然発火したような書きぶりで、誰が戦争を起こしたのかを伏せている。そしてここでも共産党と国民党の協力が協調されている。

 育鵬社版の記述は以下のとおりである。

__________
日本政府は不拡大方針をとりましたが,一方で兵力の増強を決定しました。その後も日本軍と国民政府軍との戦闘は終わらず,8月には日本軍将校殺害をきっかけに上海にも戦闘が拡大しました。ここにいたって日本政府は不拡大方針を撤回し, わが国と中国は全面戦争に突入していきました(日中戦争)。[1, p220]
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「兵力の増強」とは、蒋介石が上海方面に10個師団もの兵力を集中しつつあったからである。上海の日本の居留民を守るのは、わずか約4千人の陸戦隊のみ。日本政府は8月14日に2個師団を上海に派遣することを決定した。通州事件の後であることを考えれば、当然の居留民保護策である。

 この14日には蒋介石軍の爆撃機が日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦のみならず市街地にも爆弾を投下した。爆撃は共同租界、フランス租界に対しても行われ、大衆娯楽センターにいた千人以上、英人経営のホテル等では外国人を含めて2百数十名が死亡した。[3, p420]

 この爆撃は蒋介石軍の幹部で、共産党に通じていた張治中が、蒋介石の制止を振り切って実行した。日本軍将校殺害同様、日本と蒋介石を戦わせようと言う共産党の工作によって、日本と蒋介石軍は戦争に引きずり込まれたのである。[b]


■5.戦時プロパガンダ「南京事件」

 この日中戦争の過程で「南京事件」が起こったとされている。東書版の本文と側注での記述は次のようである。

__________
 日本軍は,1937年末に首都の南京を占領し,その過程で,女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件(1))。しかし,国民政府は,首都を漢口,次いで重慶に移し,アメリカやイギリスなどの支援を受けながら,戦争を続けました。
(1)この事件は,「南京大虐殺」とも呼ばれます。被害者の数については,さまざまな調査や研究が行われていますが,いまだに確定していません。[1, p220]
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 同じ東書版でも平成13年版では「20万人ともいわれる捕虜や民間人を殺害し」と人数を記載していた記述が、大幅に後退している。

 育鵬社版では、本文に

__________
 日本軍は12月に首都・南京を占領しましたが。蒋介石は奥地の重慶に脱出して徹底抗戦の姿勢をとり,戦争は長期化していきました。[2, p229]
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 とあり、南京事件については、以下の側注で記載するのみである。

__________
 このとき日本軍によって,中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数などの実態については.さまざまな見解があり,今日でも論争が続いている。[2, p229]
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「今日でも論争が続いている」のは確かだが、多くの研究者の多大な努力によって、この「南京事件」がシナ側の戦争プロパガンダであった実態が明らかにされつつある。「南京事件」を報じた欧米人記者たちが、国民党の「中央宣伝部」の工作を受けていた内部資料が発見されている。そして南京陥落時に現場にいた彼らですら、「大虐殺」に関しては伝聞としての記事しか書いていない。[c]

 当時、南京にいた国際委員会のメンバー、マギー牧師も東京裁判でアメリカ人弁護人から「では、あなたが実際に目撃した殺人事件は何件でしたか」と尋ねられて「たった1人です」と答えている。しかもそれは安全地区を警備していた日本兵が、そこに入ろうとしたシナ人を誰何したところ、突然逃げ出したので背後から撃ったというのである。

 現実に2百数十名が虐殺された通州事件は伏せられ、「南京事件」の20万人などというプロパガンダが教科書にまで記載されていた。戦後の日本の歴史教育の歪みを示す端的な事例である。


■6.妨害された和平交渉

 東書版は前項の記述で「日中戦争の開始と長期化」の項を閉じているが、育鵬社版では、さらに次の一節を設けている。

__________
 その間,何度か和平交渉が行われましたが,わが国も,米ソなどの援助を得ていた蒋介石も,強硬な姿勢を崩さず,和平にはいたりませんでした。中国戦線の長期化により,わが国の国力はしだいに低下していきました。[2, p229]
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 和平工作の一つとして上海派遣軍司令官・松井石根(いわね)大将が、国民党首脳部とも親しい間柄にあった茅野長知に依頼して、即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意を取り付けたが、近衛内閣のブレーンとなっていた昭和研究会のメンバーに潰されている。[d]

 昭和研究会の主力メンバーであった尾崎秀実は国内で「東亜百年戦争」を煽って、日本と蒋介石政権を戦争で疲弊させ、共産革命を実現させようと図っていた。尾崎は後にソ連のスパイであることが発覚し、死刑となった人物である。

 日中戦争は、スターリンがシナリオ書き、毛沢東が実現させたものであった。この点を踏まえないと、日本軍は無謀なシナ侵略を目指して、泥沼にはまった、という東書版の歴史解釈になってしまう。

 育鵬社版の記述では、「何者かの銃撃を受け」「日本軍将校殺害をきっかけに」と、第三者の策謀を示唆する記述が散見されるが、近い将来、この点を正面から書けるようになった時、日本はなぜ共産党の策謀にはまったのか、という真の反省ができるようになる。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 1026 歴史教科書読み比べ(41): 内戦続くシナ大陸
 清朝が倒れた後、軍閥の抗争の中で、在留邦人をどう保護するのかが、日本政府の直面した難題だった。
http://blog.jog-net.jp/201709/article_5.html

b. JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
 スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog446.html

c. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
 中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち
http://blog.jog-net.jp/200607/article_2.html

d. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/

4. 産経新聞、H6.09.08、東京夕刊「『盧溝橋事件』中国共産党軍指令部に電報で“成功した” 党謀略説を裏付け」

5.渡部昇一『昭和の大戦への道 渡部昇一「日本の歴史」6 昭和篇』★★★、ワック、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898311423/japanontheg01-22/


■『世界が称賛する 日本の教育』によせられたアマゾン・カスタマー・レビュー

■★★★★★「歴史」という縦軸でものを考えられる人には、すんなり納得できる本です。(街道Walkerさん、ベスト1000レビュアー)

戦後の教科書的にいえば、国内は身分制で息詰まるような封建社会、国際的には鎖国と言う閉塞状態それが江戸時代でした。

そんな中からわずかな年月で西洋列強の植民地支配をはねのけたばかりか、一気に欧米の文化・技術を吸収し近代化を進め西洋列強に並ぶ国を築け上げたのが明治維新というエポックメーキングです。

日本人にとってはそれが史実であり、当たり前のことですが、同じような条件であってもそうはならない国との違いから、明治の近代化の秘密に興味を持ち続けています。

近世の教育システムである「寺子屋」が果たした、当時の世界に類を見ない識字率の突出した高さ、民衆レベルでの底の厚さがあったからこそ近代へスムーズに移行したことが本書ではポイントを押さえた解説ですんなり胸に落ちます。

そうして近代国家の要件である「国民」の気概が、教育勅語に代表される「公」の精神をさらに深化させ、そうした戦前の教育を受けた世代が、日本史上で最大の国際政治のポジションを戦前に築き上げ、敗戦後はその同じ世代の人々が奇跡の経済復興を牽引し、ついには米に次ぐ世界第2位の経済大国を実現させました。

そして1980年代半ば以降、戦前の教育を受けた世代が社会の第一線から引いていく一方で、経済、教育など多方面で日本の衰退を招いていることは、私も実感しており、著者の見方に強く賛同するところです。

それじゃあ、どうするのか?
次に続く疑問についても、著者は処方箋を記しています。
3才までの母子一体感が、その後の人格に及ぼす影響、幼児教育の中への漢字教育の取り込み方、福井県での小中学校での家庭を巻き込んだ取り組み方の成功の秘密など。

さらに「ゆるみ」教育を批判し、本当の「ゆとり」教育のあり方について、灘校での名物国語教師の授業を紹介して、自律的にものを考える子供の育て方とそれが一生の宝になるということ。

本書には小さな子供をもつ親御さん、教育に携わる人達にはぜひとも読んでもらいたい話しがちりばめられています。

そうでない人々にも、マスメディアでは報じることのにない教育勅語についての知識など、新たな視点が得られることでしょう。

■伊勢雅臣より
著者の言いたかった事を、著者以上の簡潔明快さで指摘頂きました。脱帽です。

日本を中華帝国の隷属国家にすること
2017/10/08
Japan On the Globe(1029)■国際派日本人養成 ■H29.10.08より転載
The Globe Now: 憲法9条が招く国難
「日本は、憲法上の制約を口実に、アメリカの安全保障のためにほとんど何もしない」

■1.尖閣奪取は「中国の夢」の最初のステップ
 2016年春、ワシントンの民間軍事問題研究機関「国際評価戦略センター」は、シナの東シナ海戦略についての調査報告書を公表した。そこではシナが尖閣諸島の奪取のための軍拡を急速に進めている様子が報告されていた。

 例えば、尖閣諸島から約360キロの浙江省の南ジ列島でヘリコプター発着を目的とする新軍事基地の建設を始めた。同じく約320キロの地点にある同省温州市で、日本の海上保安庁にあたる「海警」の新しい基地の建設を始める事を明らかにした。

 高速大型のホバークラフトを配備し、新鋭の重量級ヘリの開発にも着手した。さらに軍用航空機と軍艦の拠点として機能する「洋上基地」の東シナ海での配備を決めた。

 この報告書は、シナが尖閣だけでなく、沖縄を含む琉球諸島全体の奪取を目論んでいると結論づけている。それが成功した暁には米軍はグアム以東に駆逐され、西太平洋は「シナの海」となり、わが国はそこに浮かぶ孤島列島となってしまうだろう。

 この「国際評価戦略センター」のリチャード・フィッシャー主任研究員は、シナの究極の目的を次のように説明している。

__________
 中国共産党は究極的には、日本という国をほぼ完全に屈服させることを目指しているといえます。アメリカとの同盟はなくす。自衛能力もきわめて制限される。もちろん核兵器など持たない。そして少しずつ中国の国家発展長期計画に日本という国を組みこんでいく。そんな目標です。つまりは日本を中華帝国の隷属国家にすることです。[1, 464]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 尖閣奪取は、この「中国の夢」の最初のステップに過ぎないのである。

■2.シナの3度の南シナ海侵略

 シナの侵出にどう対応すべきか。それを考えるのに南シナ海でのシナの動きが参考となる。

 シナは1974(昭和49)年1月、パラセル諸島(シナ名、西沙諸島)の南ベトナム軍を襲って、同諸島を我がものとした。この時、アメリカ軍が南ベトナムを離れてすでに10か月近く経っていた。さらに時のニクソン政権は、ウォーターゲート事件で苦境に追い込まれており、再び南ベトナムに米軍を送ることなど、まったく望めない状況にあった。

 そこをシナ軍が襲いかかって、双方の軍艦と戦闘要員が2日間激闘を続けた。結果は兵力の優勢なシナ側の圧勝で、ベトナム側戦死者53名、シナ側18名という結果だった。南ベトナム政府は詳細を公表し、国連に提訴したが、当然のことながら、国連安保理常任理事国であるシナに握りつぶされた。

 その後、ベトナム共産党政権が全土を統一したが、その共産主義政権が支配するスプラトリー諸島(シナ名、南沙諸島)のジョンソン南礁他に対しても、1988(昭和63)年にシナは攻撃して奪取した。ベトナム側は70人以上の戦死者と、輸送艦2隻の沈没、強襲揚陸艦1隻大破の被害を受けた。

 1994(平成6)年秋には、スプラトリー諸島の要に位置するミスチーフ環礁を支配するフィリピン軍に攻撃をしかけた。当時、米軍はフィリピンから撤退しつつあり、フィリピン国内で長年使ってきたスービック海軍基地とクラーク空軍基地を1992年までに返還していた。シナ軍は、その米軍の抑止力のなくなった好機を見逃さなかったのである。

 この3つの事例から、シナの攻め方の特徴が明らかに見てとれる。第一にシナは米軍がいる間は手を出さない。第二に相手の戦力を見て、弱いと分かれば、ためらいなく軍事力を行使する。「軟土深掘」(柔らかい土は深く掘れ)」という諺がシナにはあるそうな。それを地で行くシナの侵略パターンである。


■3.尖閣に関する虚々実々の駆け引き

 南シナ海に関しては、この3回の軍事侵攻で制圧を完了し、現在は島の埋め立てなど軍事基地化を進めている。これに比べれば、東シナ海の尖閣侵略は、これからの段階だろう。

 これまでの侵攻パターンを見れば、シナを抑止するためには、米軍の存在と、当該国自身の防衛力を充実させて、尖閣侵攻にはシナにとって相当のリスクがあることを見せつけることが必要であることが見てとれる。

 シナが尖閣海域では海警船は出しても、海軍の軍艦を出さないのは、海警は正規の軍隊ではないため、もし日本側と衝突があっても、米軍の出動条件にはならないからである。

 また、日米安保条約が適用されるのは、「日本の施政権下にある領域」だが、シナは海警の艦船を週7日、一日24時間パトロールできるという実績を示して、「尖閣海域の施政権は中国が保有している、少なくとも日本と共有している」と宣言できる状態に近づけようとしている。

 この出方は、アメリカも読んでいて、オバマ政権では「米軍が尖閣を防衛する」とは明言しなかった「曖昧さ」を変更して、トランプ大統領、ティラーソン国務長官、マティス国防長官がそれぞれ個別に「尖閣諸島は日米安保条約により共同防衛の対象になる」と明言して、シナを牽制している。尖閣に関しては、米中で虚々実々の駆け引きが続いているのである。


■4.日米同盟を弱体化させるシナの工作

 米軍が沖縄にいては尖閣侵攻もできないので、シナは日米同盟をなんとか突き崩そうとしている。アメリカ議会の政策諮問機関である「米中経済安保調査委員会」が2016(平成28)年3月に公表した報告書は、次のように指摘している。

__________
 中国の政治工作員は沖縄住民の米軍基地に対する不満や怒りを扇動することに努める。そのために中国側関係者が沖縄の米軍基地反対の集会やデモに実際に参加することもよくある。
 その結果、沖縄住民の反米感情をあおり、日米同盟への懐疑を強め、日米間の安保協力をこじれさせることを企図している。
 中国はまた沖縄の独立運動を、地元の親中国勢力をあおって支援するだけでなく、中国側工作員自身が運動に参加し、推進している。[1, 1653]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 沖縄の米軍基地反対活動には本土から渡った左翼活動家が多く、かつシナ企業から資金が出ていると国内でも指摘されていたが[a]、シナの関与が米国議会でも公言されたのである。

 また、翁長沖縄県知事は、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に出向いて「沖縄県民は日本政府及び米軍から抑圧される被差別少数民族である」というシナのプロパガンダそのままのスピーチをした。

 幸い、この翌日、沖縄女性の我那覇真子さんが「我々沖縄県民は少数民族ではありません」と断言し、シナの脅威に対する米軍基地の役割を指摘した。我那覇さんの活躍で、翁長氏のスピーチは不発に終わった。[b]

 翁長氏の娘さんは北京大学に留学後、シナ共産党・太子党幹部の子息と結婚したそうな。いかにもシナらしい工作だが、シナの手は国内の左翼のみならず、県知事にまで及んでいるのである。


■5.「従軍慰安婦」問題は日米韓連携へのシナのくさび

「従軍慰安婦」問題に関して、なぜ韓国があれほど執拗なのか、という疑問も、シナの日米同盟破壊工作という視点から謎が解ける。アメリカの軍事ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏はこう指摘する。

__________
(慰安婦像を設置した)グレンデールで起きた裁判の訴状を見ると、グローバル・アライアンス(世界抗日戦争史実維護連合会)が姿を見せています。この組織は在米中国人を中心とし、中国政府との協力も密接です。慰安婦問題ではこの中国の動きこそが核心なのです。[2,p41]
 ・・・中国がさまざまな手段を用いて日本、韓国、そしてアメリカのあいだを切り裂こうとしている、ということです。三カ国の間に亀裂が入れば、中国の南シナ海での勢力拡張や尖閣諸島の獲得が有利になるからです。慰安婦問題が拡大して最も利益を得るのが中国であることはいまや明らかです。[2,p39]
 慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は中国の操り人形として利用されているだけなのです。[2, p40]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日韓に基地を持つ米軍と、自衛隊、韓国軍が連携すれば、極東の対シナ防衛力がフルに発揮できる。「従軍慰安婦」問題は、その三国の連携にくさびを打ち込もうとするシナの工作なのである。

 2015(平成27)年末の日韓慰安婦合意の陰には、アメリカから韓国への圧力があった。その二か月前のホワイトハウスでの米韓首脳会談では、オバマ大統領が日韓友好を求めて朴槿恵大統領を叱責し、会談後の会見でも「(日韓の)困難な歴史問題が解決されることを望む」と厳しい表情で語った。[2]

 韓国がシナの慰安婦工作に踊らされていることが、極東の平和にいかに障害になっているのか、防衛問題に消極的だったオバマ政権ですら、重大な懸念を抱いていた事が窺われる。

■6.国内左翼による安全保障体制強化への反対
 シナの対日工作で最大の脅威をもたらしているのは、国内左翼による安全保障体制強化への抵抗だろう。平成27(2015)年の平和安全法制、今年5月の「テロ等準備罪」をそれぞれ「戦争法」、「現代の治安維持法」などと呼んで、左翼勢力は激烈な反対運動を展開した。尖閣防衛に威力を発するオスプレイ配備にも抵抗した。

 シナや北朝鮮からの危機には口を閉ざし、国内の「軍国主義化」のみをあげつらう左翼の主張は、シナの対日批判の受け売りである。国内左翼の唯一の「オリジナリティ」は、「森友・加計問題」で安倍政権の足を引っ張ろうとした点のみである。

 左翼勢力の本家である日本共産党がソ連やシナの下部組織として活動してきたこと[c]、また朝日新聞も長年、ソ連やシナの代弁者としてプロパガンダ報道を続けてきた前科[d]から考えれば、これら左翼勢力のなかにシナの指示を受けて、その代理人となって活動している人々がいるのは間違いないだろう。

 日本の安全保障体制強化の最大の山場は憲法9条の改正であるが、シナの工作を受けて、左翼勢力の反対活動はますます激烈になるだろう。


■7.「日本国民はソニーのテレビを見ていればよいのです」

 実は現在の日米同盟への非難はアメリカからも来ている。アメリカは日本の防衛に貢献するが、日本はアメリカの防衛に義務を負わないという「片務性」が、アメリカ国内で深刻な議論を呼んでいるからである。

__________
 日本は、憲法上の制約を口実に、アメリカの安全保障のためにほとんど何もしない。それなのに、アメリカが膨大な費用と人命とをかけて、日本側の無人島の防衛を引き受けるのは理屈に合いません。日本側はこの種の不均衡をいつも自国の憲法のせいにします。かといって、『では憲法を変えよう』とは誰もいわないのです。[1, 1866]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 本年2月、下院外交委員会のアジア太平洋小委員会の公聴会で下院の民主党ベテランメンバー、ブラッド・シャーマン議員の発言である。これに対して、共和党古参のデーナ・ローラバッカー議員は、こう日本を弁護した。

__________
 確かに日本の憲法が日米同盟を一方的なものにし、公正に機能することを阻んではいます。しかし安倍晋三首相は憲法改正をも含めて日本の防衛を強化し、同盟をより均等にしようと努めています。それにアジアでは中国に軍事的に対抗する際に、真に頼りになるのはまず日本なのです。[1, 1866]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 弁護しつつも「日本の憲法が日米同盟を一方的なもの」にしているという問題認識は同じである。そして、それは極めて合理的な、事実にも基づいた正確な認識であることは否めない。

 トランプ大統領も選挙キャンペーン中に、「アメリカが攻撃されても、日本は何をする義務もない。日本国民は家にいて、ソニーのテレビでもみていればよいのです」と度々指摘していた。そして「こんな状態を、みなさんはよい取り決めだと思いますか」と聞くと、聴衆からは「ノー」という声がどっと湧き起こった。

 アメリカの一般国民は、日本の憲法問題など関心も知識もないし、たとえ憲法上の問題があるにしても、「自国の憲法なんだから、自分たちで憲法を変えれば済む話ではないか」と思っている。これは国際常識そのものである。

 この片務性の問題は、まだ議論の段階だから今の程度で済んでいるが、実際に米艦船が攻撃を受けた際に、近くにいる自衛隊の艦船が法的制約で何もできなかったというような事態が実際に起こったら、米国民は怒り狂って、日米同盟は存亡の危機に瀕するだろう。


■8.『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』
 尖閣諸島や沖縄をシナの侵略から守り、ひいては日本国自体がシナの隷属国家になることを防ぐには、抑止力として自衛隊と日米同盟の維持強化が不可欠である。

 その最大の障害となっているのが、憲法9条なのである。『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』という古森義久氏の著書のタイトルはここから来ている。

 我々の子孫をチベット、ウイグル、モンゴルの民のような目に遭わせたくなかったら、シナの工作に従って蠢(うごめ)いている国内左翼勢力を克服して、改憲を実現しなければならない。我々が自国の憲法を自分で変えられない、というような愚かな国民でいては先人にも子孫にも申し訳が立たない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG Tweet 中国(10) 沖縄奪取の野望
http://blog.jog-net.jp/201508/article_8.html

b. JOG(958) 日本を守る沖縄の戦い 〜 我那覇真子さん、国連での言論戦
 翁長知事の国連を利用した米軍基地移転反対に、若き沖縄女性が立ち上がった。
http://blog.jog-net.jp/201607/article_1.html

c. JOG(941) 日本共産党小史 〜 国民政党なのか、外国工作機関なのか
 日本共産党は世界共産化を狙うコミンテルンによって設立され、その資金と指示で武闘路線を歩んできた。
http://blog.jog-net.jp/201603/article_1.html

d. JOG(866) 中ソの代弁70年 〜 朝日新聞プロパガンダ小史(下)
 朝日は、中国の国内代弁者としてモンスター国家の成長に一役買った。
http://blog.jog-net.jp/201409/article_4.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 古森義久『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』★★★、飛鳥新社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4864105650/japanontheg01-22/

2.呉善花「日韓慰安婦合意成立 最大の理由は米国の圧力と経済的な要因」、『NEWSポストセブン』 SAPIO H28.3
http://ironna.jp/article/2941


■前号「朝鮮総督府の『一視同仁』チームワーク」に寄せられた「おたより

■日本国民にも韓国への請求権があるのでは(康之さん)

 今回ご紹介のあった本については、たまたまですが、自分も既読しております。今回の紹介の中で、あえて外して書かれたと思われる所がありました。それは、”朝鮮から帰国の際に一定額以上は没収された”というところがあるかと思います。

 韓国が強制労働に対する賃金を払えというなら、日本もこの没収されたお金を返せと韓国で裁判を起こすわけには行かないのでしょうか?

■伊勢雅臣より

 国家間条約では、個人の請求権は消滅しない、という韓国の論法が通るなら、在留邦人が残してきた個人財産にも請求権があるはずです。西川さんの本には、以下の記述があります。

__________
 私達日本人が、日本に引き上げしてくる時は、一人千円しか持ち帰れなかったのです。手に持てる荷物だけしか認められませんでした。当時の貯金も、朝鮮にそのまま置いてきています。一体、日本人が残した貯金はその後どうなったのでしょうか。その天文学的な数字の財産を韓国はすべて自分のものとしたのです。[1, p166]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 こういう問題が残るから、個人財産の請求権も含め国家間条約で処理しているわけです。

 おそらくこの時期に徴用工の請求権問題を焚きつけているのは、北の工作だと思います。それによって日韓の離反を狙っているのでしょう。日本政府としては、こんな要求は相手にせず、また日本企業が事なかれ主義で支払いに応ずることも厳しく阻止すべきだと思います。

■「日本は朝鮮戦争で大儲けをした」と言われた(Hiroshiさん)

 小生は、条約ができる前、昭和47年、27歳から4年間、韓国に駐在しました。現在のような対立のムードはなく、若い人との間で、種々のビジネスも経験しました。その頃の話の中で、記憶に残っているのは:

「過去のことは特別な主張はない。間もなく条約もできる。一つだけ申し上げたいことは、私達は、その後の北との戦争で酷い目にあった。日本も同じ目に会えとは言わないが、その間、日本は大儲けをしたはず。この点を考えて、少し配慮をしてくれればありがたい」。

この点は、いかがでしょう。

■伊勢雅臣より

 朝鮮戦争で、日本が大儲けしたことは事実ですが、その前に日本統治時代に莫大な投資をして、それが全て韓国や北朝鮮のものになっています。西川さんの本には、解説のページで、以下のような一節があります。

__________
 日本が朝鮮統治の36年間に行った支援累計約は、 20億7892万円、現在の価値で約63兆円に相当する巨額なもので、、、[1, p181]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 朝鮮戦争で日本が儲けた金額はこの63兆円に比べれば、はるかに小さいでしょう。

 さらに日韓基本条約は、無償3億ドル、長期低利の借款2億ドル、さらに3億ドル以上の民間借款提供で合意に至りました。1961年当時の韓国の輸出額が年間4千万ドル足らずですから、その20年分に相当する額です。また日本側にとっても外貨準備高18億ドルの半分近い額で、並大抵の金額ではありませんでした。[a]

a. JOG(380) 筋を通した日韓交渉
 日本政府は足かけ14年もの交渉で筋を貫き通して、「完全かつ最終的な解決」にこぎつけた。
http://blog.jog-net.jp/200501/article_1.html

 これらを考えれば、韓国併合は完全に日本の持ち出しでした。やはり半島、大陸方面は日本にとって鬼門ですね。

日鮮のチームワークが朝鮮の高度成長を支えた
2017/10/01
Japan On the Globe(1028)■国際派日本人養成講座■H29.10.01転載
地球史探訪: 朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク
 日本人官吏と朝鮮人官吏の和気藹々としたチームワークが朝鮮の高度成長を支えた。

■1.「大和系日本人」と「朝鮮系日本人」のチームワーク

 朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』[1]だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

 この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

 一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

 仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。


■2.町の周囲の山が禿山だった

 西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

__________
 朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。

・・・朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。[1, p24]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、7、80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

 朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である[a]。西川さんはその一翼を担ったのである。


■3.日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

 昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

 昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

 給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

 その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。ここでも朝鮮人の上司に仕えたのだが、石川さんは全く違和感はなかったという。朝鮮人の上司は、西川さんをとても可愛がってくれた。

 朝鮮統治では、「皇民化」で当時の朝鮮人を軍国主義に染め上げようとした、などとの批判が現在されているが、それについて西川さんはこう答える。

__________
 皇民化政策について勘違いしている方が多いのです。日本人も朝鮮人も皇民だったということです。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思います。[1, p72]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 道庁内では各課ごとに野球チームを作り、野球大会をやっていた。朝鮮人は野球がとてもうまく、朝鮮人だけのチームもあったが、そこが一番強いかというと、そうではなかった。なぜか朝鮮人と日本人の混合チームがいちばん強かったと言う。個人の能力の高い朝鮮人とチームワークに優れた日本人の強みがうまく補完し合うからだろう。

 朝鮮は、日韓併合後の最初の20年で、人口も米の生産量も2倍となるなどの高度成長期を迎えるが、その原動力の一つが、この日本人と朝鮮人のチームワークだった。


■4.朝鮮人は日本名を名乗る権利があった

 朝鮮人に日本名を名のらせる創氏改名が強制されたというのも、戦後の神話である。

__________
 道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名しない人は沢山いました。はっきりと覚えていませんが、私の周りでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」と言う命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。

 総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うことを聞かないと言う事はできません。それが名前を変えなかったという事は、創氏改名は自由だったということです。[1, p108]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 むしろ朝鮮人が日本名を欲しがったと言う話も聞いたくらいだった。「あの当時は同じ日本人なのだから、したかったらしたらという感じでした。無理にしろということではありません」と西川さんは回想する。実際に「氏の創設は自由 強制と誤解するな」という総督からの注意が新聞記事でも残っている。[1, p111]

__________
 もし、創氏改名が出来なければ差別になります。日本人と同じと言っておきながら、朝鮮人が日本名に変えることができないとなると、これは一つの矛盾となります。朝鮮人は日本名を名乗る権利があったのです。[1, p110]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「徴用は、強制というより納得するように話すんです」

 現在、朝鮮人労働者を日本内地で働かせた「徴用」は「強制労働」とレッテルを貼られ、当時の日本企業に損害賠償を求める裁判まで起こされている。

 西川さんは寧越郡の内務課長時代にこの「徴用」に取り組んだ。徴用とは戦時下の労働力不足に対応するための国民に対する勤労動員である。内地では昭和14(1939)年から実施されていたが、朝鮮では昭和19(1944)年9月に開始された。

 朝鮮総督府が各道庁に朝鮮人男子青年の人数を割り当て、道庁は郡に、郡は面(村)に人数を割り当てる。ただし、西川さんの前任者は、10人の割り当てがあっても、5、6人しか集められなかった。

 西川さんは10人の割り当てに10人集めた。その成績が非常に良いと言うことで総督府の事務官が理由を聞きに、西川さんの所にやってきた。逆に言えば、徴用は法律上は強制であっても、実際には言うことを聞かない朝鮮人も多かった、ということである。

__________
 どうやって集めたかと言うと、面長(村長)とか、関係の人にきちんと説明して、本人にも納得するように説明してもらう事でした。・・・

 徴用は、強制というより納得するように話すんです。それをしっかりと話をしないで、集めようとするから、皆、嫌がって日本に行かないことがわかりました。

私はきちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんともらえると、係官に説明をしてもらったのです。[1,p105]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが「強制労働」の実態だった。


■6.「従軍慰安婦」の強制連行はなかった

「従軍慰安婦」の強制連行などは無かった、と西川さんは断言する。もし「従軍慰安婦」の強制連行があったら、徴用と同じように人数の割り当てがあり、内務課長がその人数を集める責任を負うはずだ。内務課長であった西川さんがそれをしてなかったという事は、強制連行の事実がなかったと言うことになる。

 百歩譲って、西川さんが嘘をついていたとしても、まだまだ反証がある。西川さんの周囲には、郡長や部長レベルも含め多くの朝鮮人官吏がいた。もし朝鮮人女性をトラックで無理矢理連行するような事があったら、それらの朝鮮人官吏が黙って見ていたはずがない。必ず大騒動が各地に起こったであろう。

 さらにもう一つの証拠として、当時の行政の厳格な文書主義がある。戦後、西川さんが帰国して、再就職する際に、政府から履歴書を再発行してもらった。そこには朝鮮に渡った18歳からの経歴、役職、給与までが克明に記録されていた。コンピューターもない時代に、総督府は一人ひとりの官吏にまで、このような詳細な記録を残していたのである。

 終戦後の引き揚げの混乱の中でも、総督府は「特別輸送乗車船証明書」を発行している。これは引き揚げの交通費を免除するためのもので、印刷された用紙に名前を書き、公印まで押している。

 もし総督府が行政命令として慰安婦を集めていたら、その命令書や執行報告書、そして集められた慰安婦たちの一人ひとりの記録が残されていたはずだ。西川さんは引き揚げ時には書類はすべて道庁に残してきたというから、もし慰安婦の強制連行があったら、その膨大な証拠書類が出てこないわけがないのである。


■7.朝鮮人志願兵への応募30万人

「従軍慰安婦」とは対照的に、朝鮮人志願兵の記録は詳細に残っている。朝鮮人の第一回志願兵募集が始まったのは昭和13(1938)年だった。応募者は2,976人と倍率が7倍を超えたので、採用者を増やして480人が採用された。

 志願者は年々増え続け、昭和18(1943)年には30万人にも達した。採用予定者は5,300人で、倍率は約57倍だった。この年にはさらに幹部候補の募集も行われた。

 日本の軍隊の特徴は、日本人と朝鮮人を混在させた点にあった。そのため朝鮮人上官の下に日本人兵が配置されることもあった。そこでは朝鮮人上官が日本人の部下を怒鳴りつけたり、殴ったり、靴を磨かせていた事も、当時の軍として普通に見られたようだ。

 アメリカでは、白人部隊と黒人部隊が完全に分かれ、黒人の上官の下に白人の部下がつくことなど、ありえなかった時代の話である。[1, p158]

 靖国神社には、日本軍として戦った朝鮮人兵士約2万1千人以上が英霊として祀られている。「一視同仁」、すなわち、日本人も朝鮮人も同じ「皇民」である、とする精神が軍隊内での処遇においても、慰霊においても実践されていたということである。


■8.「私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません」

 終戦の玉音放送を、西川さんは自分の机で聞いた。よくは聞き取れなかったが、「忍び難きを忍び」などの天皇陛下のお言葉を聞いて負けたということがわかった。道庁の中で、朝鮮人官吏の様子については特に変わった様子もなかったようで、記憶に残っていないという。

 西川さんは翌日も、職場に行った。

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 私は机の身近なものなど片付けて、それ以上はもう自分は必要ないから触らずに帰ってきたわけです。何も朝鮮と戦争した訳でもないから、朝鮮を差別したこともないし、内鮮一体でやってきたわけだし、私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません。

 朝鮮人と日本人と一緒になって、一生懸命やりましょうということだけで、仕事をしてきたわけです。江原道庁で、見られて都合の悪い書類なんて何もありませんでした。総督府は善政を敷いたのです。[1, p138]
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 日本の朝鮮統治は「植民地化」ではなく、「合邦」、企業で言えば「合併」であった[b]。そして西川さんたち朝鮮総督府官吏は、日本人も朝鮮人も「一視同仁」、「内鮮一体」の理想に忠実に、良きチームワークを発揮してきたのである。

 玉音放送の2,3日後、日本人が一人二人とコソコソと引き揚げてることを聞いて石川さんは人事課長の所へ行って、提案した。

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 戦争に負けて国は三等国以下になったとしても、我々国民はそのまま世界の一等国民ではありませんか、こそこそと逃げて帰るような事はしたくないです。現在、春川(シュンセン)に約一千人位いると思われる日本人全員が一カ所に整然と引き揚げて、流石(さすが)日本国民だ、綺麗な引き揚げ方だったと、朝鮮人から言われるような引き揚げをしませんか。
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 その言葉通り、在留邦人たちは一体となって、西川さんが仕立てた列車で釜山に行き、収容所で1ヶ月、船を待って、日本に帰り着いた。「一等国民」として、誇りに満ちた引き揚げ方だった。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://blog.jog-net.jp/199810/article_1.html

b. JOG(1017) 歴史教科書読み比べ(39):韓国併合の影と光
 韓国併合への反対派とマイナス面だけでなく、賛成派とプラス面も公正に両論併記すべき。
http://blog.jog-net.jp/201707/article_8.html

c. 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
 朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・融和のチームワークだった。
http://blog.jog-net.jp/200108/article_1.html

d. JOG Step 韓国問題−歴史編
 韓国の歴史に関する本講座記事を、体系的に週1編ずつ、お届けします。「植民地統治」「従軍慰安婦」など、史実をきちんと見ていきましょう。
http://blog.jog-net.jp/201402/article_5.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 桜の花出版編集部『朝鮮総督府官吏 最後の証言』★★★、H26、星雲社
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4434194453/japanontheg01-22/

昭和16年7月、日本爆撃計画に大統領が署名し承認した
2017/09/05
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第5418号平成29年9月4日(月曜日)より転載       
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(読者の声1)宮崎さんと渡辺さんの共著『激動の日本近現代史 1852-1941』(ビジネス社)読ませていただいています。お二人の知の対決というより真実を抉り出そうという共同作業ですね。
 まず年表を見させていただきました。そこで非常に重大な三つの事件が載っていないことに気付きました。

 昭和16年7月23日米国統合参謀本部がルーズベルト大統領に提出した、日本爆撃計画に大統領が署名・承認した。昭和16年7月25日対日石油禁輸をおこなえば日本の方から開戦するという進言に大統領が賛成し、日本爆撃計画を中止とした。昭和16年8月1日米国政府が対日石油禁輸を発表した。
日本爆撃計画はそれまで中国で中国人に擬装した退役米国軍人をシェーンノート中将が指揮して行っていました。いわゆるフライイングタイガーです。
それを拡大して、日本の三都市の工業地帯を爆撃して軍事能力を削ごうというのが計画でした。東京、大阪、長崎です。各編隊はそれぞれ約千五百機です。攻撃対象は非軍事施設、宣戦布告なし。勿論、国際法違反であり、ルーズベルト大統領の選挙公約違反です。
そういった作戦計画に大統領が署名していました。
1970年代に米国国立公文書館で資料が見つかり、平成19年(2007年)に米国のABCテレビの人気番組「20/20」で放送されました。
司会のバーバラ・ウォールターズが「日本がだまし討ちをしたと思っていたが、実はルーズベルトはこんなことを計画していたのか」と青ざめた顔で言っていました。
人気番組なので数千万人が観たはずですが、観た人もその時点ではショックを受けてもすぐにまた、元の歴史観に戻ってしまったことでしょう。大多数の人間の歴史意識なんてそんなものなのです。

ちゃんとした資料の裏付けのあることです。少なくとも日本の中学の教科書には載せてもらいたいものです。ちなみに、もし実行されていれば、殆ど全てゼロ戦をはじめとする優秀な日本軍の戦闘機に殆ど全て撃墜され、パラシュートで脱出した米国兵は捕虜となっていたはずです。
   (當田晋也)

国民のための国防常識
2017/09/03
Japan On the Globe(1023)■国際派日本人養成講座 ■H29.09.03より転載
Common Sense: 国民のための国防常識 〜 憲法学者に惑わされないために
 一般国民の社会常識を働かせば、自衛隊違憲論には惑わされない。

■1.「危機が起きてからでないと法制はできませんでした」

 朝のテレビ・ニュースを見ていたら、突然、それを遮って、「北朝鮮から弾道ミサイルが発射されました。屋外にいる場合は、近くの頑丈な建物や地下(地下街や地下駅舎などの地下施設)に避難して下さい」とのテロップとアナウンスが流れた。全国瞬時警報システム(Jアラート)というシステムだそうだ。

 北朝鮮の最近のミサイル実験が、我々の日々の生活にも影響を及ぼし始めた一瞬だった。こういう現実に直面すると、野党やマスコミが今まで騒いでいた森友やら加計学園の空騒ぎぶりが、改めて国民の目の前に明らかになった。

 ちょうど、自由民主党本部で湾岸戦争以降のすべての安全保障・防衛政策の策定・立案等に関わってきた田村重信氏の近著『知らなきゃヤバい! 防衛政策の真実』を読んでいたら、唖然とした一節があった。「今までの危機管理法制というのは、危機が起きてからでないと法制はできませんでした」と氏は指摘しているのだ。

 昭和34(1959)年の伊勢湾台風で死者・行方不明者5千人以上を出して、災害対策基本法ができた。よど号ハイジャック事件の後に「ハイジャック防止対策本部(常設)の設置」などが決められた。平成7(1995)年の阪神・淡路大震災では、放置車両が自衛隊の救援活動を妨害したので、災害対策基本法が一部改正された、という具合である。

 防衛政策や危機管理体制に関して、実際に被害が出てからでないと考えない、というのは、我々現代日本人の一大欠陥ではないか、と思えてくる。この点で、Jアラートシステムにしろ、昨年の平和安全法制にしろ、北朝鮮からの脅威に対して、現実の被害が出る前に対応が少しずつでもなされているのは、一歩、前進だろう。


■2.半世紀以上も繰り返される同工異曲の批判

 防衛政策に関して、なぜ「危機が起きてからでないと法制はでき」ないのかは、田村氏の著書を見れば良く分かる。その都度、左翼が激烈な抵抗をしていたからである。

 昭和35(1960)年の日米安保条約改定では、「米国の戦争に日本が巻き込まれる」と、全学連のデモ隊が国家に突入し、激しい反対闘争が繰り広げられた。

 平成4(1992)年のPKO(国連平和維持活動)への自衛隊参加に道を開くためのPKO協力法案審議では「戦争への道だ!」と社会党、共産党が反対し、朝日新聞も「PKO協力の不幸な出発」と題した社説を発表した。

 平成11(1999)年に有事関連法制が国家に提出された時も、「有事法制は戦争法だ」「アメリカの戦争に協力するためのもの」などと左翼は反対した。

 こうした左翼の批判が正しかったかどうか、その後の歴史を見れば誰の目にも明らかだ。日米安保条約で、日本はアメリカの戦争に巻き込まれたか? PKO協力法で、わが国は自衛隊を「海外派兵」し、侵略戦争に乗り出したのか?

__________
 その後、カンボジアやモザンビーク、南スーダンなど各地における自衛隊の活動は世界の平和に大きく貢献し、各国から感謝され、国際的にも高い評価を得ているのはご存じのとおりです。当時、猛烈に反対していた朝日新聞なども、今では自衛隊のPKO支持に転じています。[1, 1588]
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 昨年、成立した平和安全法制に関しても、野党やマスコミの一部は「安倍政権は日本の軍国化を目指している」「米国が起こす戦争に荷担することになる」などと批判をした。60年安保以来、半世紀以上もの間、現実を見ずに同じ批判を繰り返しているのである。

 一般社会で、ある人物が50年以上も誤った言説を主張し続け、しかも間違っていた事実を認めず、反省も謝罪もしないとしたら、そんな人物はどう受けとめられるだろうか? 間違った信念に凝り固まった狂信者か、別の目的のためにそのような言説を繰り返す確信犯か、あるいは生活のためにはもはや転向できなくなった利得者のいずれかであろう。

 いずれにせよ、そのような人物を政界やマスコミ、学界に多数、抱えていることは、わが国の自由民主主義国家としての構造的欠陥である。


■3.「サシミの法則」

「サシミの法則」をご存じだろうか? 「刺身」ではなく「三四三(サシミ)」である。アリや蜂の社会を観察すると、自ら先頭に立って働く蜂が3割、与えられた仕事をしている蜂が4割、怠け者の蜂が3割だという。

 防衛の分野に当てはめると、国家の平和と安全を守るために声をあげてきたリーダー蜂が3割、黙々と日々の仕事に打ち込んでいる働き蜂が4割、半世紀以上も反省もなく誤った言説をまき散らしてきた抵抗蜂が3割という構図だろう。

 3割の抵抗蜂が狂信者か、確信犯か、利得者であるとすれば、事実も観ず、論理も通らない彼らの考えを変えさせようとすることは無駄な努力だろう。自由民主主義国家では言論と思想の自由があるから、放っておくしかない。

 ポイントは、4割の働き蜂がこれらの抵抗蜂の言説に惑わされずに、自らの目で事実を観て、自らの頭で論理的に考えるようにすることである。それには抵抗蜂たちの言論がいかに事実に悖(もと)り、論理を歪めているかを示すことだろう。この4割の働き蜂が健全な見識を持つことが、自由民主主義社会を護る本道である。

 その意味で、政権与党として、憲法や国際情勢の制約の中で、抵抗蜂と戦いながら国民の安全と平和を守るために苦闘してきた田村重信氏の著書は、4割の働き蜂が国防の常識的な事実と考え方を学ぶ上で好適である。


■4.「国家として当然の権利である自衛権」

 抵抗蜂たちが働き蜂を惑わすために用いる代表的な言い分が「自衛隊は憲法違反だ」という主張である。わが国は平和憲法を持っており、戦争を放棄したのだから、軍隊は持つべきではない。したがって、自衛隊は憲法に違反している、という。これに関しては、まず「自衛権」の概念を良く理解する必要がある。

__________
・・・国際法上、日本は国家として当然の権利である自衛権を有するということですので、したがって、自衛行動は憲法上許される。自衛のための戦力に至らない必要最小限の実力という保持もこれは合憲である。[1, p2050]
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 平成24(2012)年2月、「民主党政権」時代に野田内閣の藤村修・官房長官が衆議院予算委員会で答弁した内容である。これが伝統的な政府見解であり、最近の安倍首相も同様の発言をしている。

 自民党から民主党に、そして再び、自民党へと政権が移っても、政府としての憲法解釈は、そう簡単には変えられない。責任ある政権政党なら当然の政治姿勢だろう。

 ここで言われる「自衛権」とは、個人になぞらえて考えたら分かりやすい。たとえば、「平和を愛する周囲の人々の公正と信義に信頼して、自分の安全と生存を保持しようと決意した」人は、もし暴漢に襲われたとしても、何の自衛手段もとれないのだろうか。

 誰でも正当防衛の権利はある、というのが、人間社会の常識だろう。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と聖書は説くが、どんな敬虔なキリスト教徒でも「暴漢に長男を殺されたら、次男を差し出しなさい」とは言わない。

 理想と現実のギャップを少しでも埋めようとする努力は大切だが、そのギャップを無視して、あたかも理想が実現しているかのように振る舞うことは、狂信者の行いである。

 アフリカ・ソマリア沖を通過するタンカーなどを海賊から護るために海上自衛隊の護衛艦を派遣する事に反対していたピースボートが、地球一周の船旅で海自に護衛して貰った[2]。彼らは自らの理想が実現していると信ずる狂信者ではなかった、ということである。偽善者ではあったが。


■5.国民を護るのは国家の義務

「自衛隊が違憲か」に関して、最高裁が唯一、憲法第9条の解釈をしたのが「砂川判決」であり、そこには自衛権をベースに次のように述べられている。

__________
 憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
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 日本国民も「平和のうちに生存する権利」を有する。国家は、国民が互いに助け合う共同体である、と考えれば、国家が国民の「平和のうちに生存する権利」を護るために自衛権を持つというのは、国民に対する義務でもある。これが国際常識である。

 人権を大切と考えるなら、最も基本的な人権は生命の安全なのだから、国民の安全が北朝鮮の核ミサイルに脅かされている現在、人権運動家こそ、現在の防衛体制で国民の人権を護れるのか、と政府に問い詰めなければならない。


■6.自衛のための「必要最小限度の武力の行使は許容される」

 日本が国として自衛権を持ち、「そのための必要最小限度の武力の行使は許容される」というのが、上述の最高裁の判断であり、従来からの日本政府の基本的な立場でもある。

 それでは憲法9条はどうなのか、との疑問があがるが、これについての政府見解は、次のようなものであると田村氏は説明している。

 まず、第一項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に対しては、政府は次のような答弁書を出している。

__________
 憲法第9条第1項は、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められているところであると解している。[1, 172]
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「自衛のための必要最小限度の武力」という点が、キーポイントである。9条1項が禁じているのは、北朝鮮が核ミサイルでわが国を脅かしているような武力の使い方であって、その脅威から日本国民を護ろうとする武力の行使は認められている、という解釈である。

 第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」であるが、これに対して、同じ答弁書は次のように指摘している。

__________
 憲法第9条第2項は、『戦力』の保持を禁止しているが、このことは、自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。[1, 204]
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「必要最小限度の実力」に関しては、「性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、これを保持することが許されないと考えており、たとえば、ICBM(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母みたいなものは保有することは許されない」としている。[1, 204]


■7.「自衛隊が憲法違反だ」とする主張は憲法違反

 政府見解はそうだとしても、ほとんどの憲法学者は「憲法9条は『戦力は持てない』としているのだから、自衛隊は憲法違反だ」と考えている。彼らは問い詰めるであろう、「政府見解がほとんどの憲法学者よりも正しい、とする根拠はどこにあるのか」と。この異議に対する田村氏のカウンターパンチは単純明快である。

 憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と述べている。政府見解が正しいか、大方の憲法学者が正しいのかを、最終的に決定するのは最高裁判所である。

 そして、前述の砂川判決が最高裁が下した唯一のものである以上、「自衛隊が憲法違反だ」とする主張そのものが憲法違反なのである。

 もし憲法学者が心底から「自衛隊が憲法違反だ」と考えたら、その後の論理展開は以下の3通りになる。

a)武力をいっさい認めない憲法では国民の「平和のうちに生存する権利」を守れないから、自衛隊を合憲とするよう憲法を改正すべきである。

b)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。したがって他国に侵略された場合は、それを甘受し、どれほど国民が虐殺、略奪されても仕方がない。

c)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。日本さえ他国を侵略しなければ戦争は起こらないから、平和も人権も保てる。

 一般社会の常識から考えたら、b)もc)もあり得ないだろう。それなら、a)を主張すべきだが、憲法学者が改憲を主張している姿はあまり見たことがない。要は、憲法学者の多くは、法学の世界に閉じこもっていて、そこから先を考えてないのである。

 彼らの中には狂信者や確信犯や利得者もいるだろうが、いずれにせよ、3割の抵抗蜂であることは確かである。我々、働き蜂の一般国民は国防の基本的常識を学び、彼らの言説に惑わされないようにしなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(969) 憲法9条改正シナリオ
 9条1項の「積極的平和貢献」は日本の伝統的理想、それを実現するために2項「非武装」を改変すべき。
http://blog.jog-net.jp/201609/article_5.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 田村重信『知らなきゃヤバい! 防衛政策の真実』★★★、扶桑社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594077714/japanontheg01-22/

2. 産経新聞、H28.5.17「『危ないときは守って』はムシがいい」 ソマリア沖で海上自衛隊の護衛艦がピースボートを護衛」
http://www.sankei.com/politics/news/160517/plt1605170038-n1.html

フーバー大統領回想録の『裏切られた自由』
2017/07/17
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通算第5358号
平成29年(2017)7月17日(月曜日。祝日)より転載       
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 これは戦後出版界と歴史学界を画期する一大事件である
  フーバー大統領回想録『裏切られた自由』、ついに邦訳が刊行
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 待望のフーバー大統領回想録『裏切られた自由』(草思社)の邦訳板刊行が始まった。
 同時にこの本を詳細に解説する渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』(同)も出版され、戦後の歴史解釈が根底的にひっくりかえる。

 ガリレオが、コペルニクスが、あるいはダーウィンがそうであったように、世の中の通説を転覆させ、真実をのべることは勇気を必要とする。
アメリカ人が単純に信じ込む「米国=正義」に対して、そのタブーに正面から挑戦したのが、フーバー大統領の回想録だからである。

 真珠湾攻撃は事前に暗合が解読されていて、むしろ日本をけしかけていたルーズベルト大統領の陰謀だったことは、いまや周知の事実である。しかし、日本の攻撃で一気にアメリカの厭戦ムードは吹き飛んだ。ルーズベルトの狙いは当たった。
 
アメリカは孤立主義から大きく逸脱し、まずはヨーロッパ戦線に大軍をさしむけ、ナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリアと戦闘。西側を勝利に導いた。いや、勝った筈だった。

ところが敵であるはずのロシアを支援し、あろうことか、戦後秩序はソ連のスターリンが最大の裨益者となった。死力を尽くしたポーランドが共産化され、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアばかりか、バルカン半島に到るまでソ連が手に入れた。
極東では南樺太、全千島を手に入れても足りず、アジアは中国共産党の手に落ち、朝鮮半島は南北に分断され、とどのつまりルーズベルトはソ連の領土拡大に協力したことになる。

 結果論の皮肉は、近年でもたとえば米軍がイラクに介入した結果、ISというテロリストを産み、イラクはイランの影響下に入り、アフガニスタンはタリバニスタンに変貌しつつあり、朝鮮半島では南が自ら赤化を望み、いそいそと中国圏に戻ろうとしている。

 フーバー大統領(任期1929−1933)はルーズベルト大統領に騙されていた。何かを仕掛けたなとは本能的に直感したが、当時、すべての密約は密封され、フーバーにさえ「ハルノート」という最後通牒を日本に突きつけていたことは知らされていなかった。
 フーバーは書類、議会議事録、外交文書そのほかを緻密に検証し、20年の歳月をかけて本書を書き残していた。
フーバーの言い分とは簡単に言えば「ルーズベルト外交は自由への裏切りであった」ということである。

 
 ▲マルタで東西冷戦は終わった

 東西冷戦は、ルーズベルトの失策がもたらした。そもそもルーズベルトの失敗は、ソ連を国家承認した(1933年11月)ときから始まった。大統領就任直後である。
それが世界に厄災を運び、ルーズベルト政権の周りはソ連のスパイと共産主義者に囲まれて国策を次々とあやまった。

大胆にソ連に挑戦したのは1981年のレーガンの登場だった。
スターウォーズ計画、ミサイル防衛網を前面に出して、ソ連と対峙姿勢をしめし、対抗策としてソ連は大軍拡にはしるのだが、経済力がついてこられず、あえなく頓挫。ペレストロイカ、グラスノスチを謳ったゴルバチョフが登場した。
1989年師走、ブッシュ大統領とゴルバショフはマルタの沖合のヨットで会談し、東西冷戦が終結した。

共産主義者は思想的敗北から逃れるために環境保護、人権運動、フェミニズム、少数性差別、反原発に流れ込み、日本でもその亜流がいまもメディアが牛耳っている。

さて、1938年3月8日に、フーバーはヒトラーと会見している。
「この会見でフーバーは、ヒトラーを狂信者であり、お飾りだけの愚か者だとする欧米の報道が間違っていることを確信した。ヒトラーは自身の言葉で国家社会主義思想に基づく経済再建を語った。情報の豊かさは彼の優れた記憶力を感じさせるものだった」(渡邊解説本、64p)。

その前年、1937年にルーズベルト政権はシカゴで演説した。有名な『隔離演説』である。しかも、この演説で、ルーズベルトは「国内の経済問題を話題にしなかった。具体的な名指しは避けたものの、日独伊三国によって世界の平和が乱されている、これを是正するためにはアメリカは積極的に国際政治に関与しなけれはならないと訴えた」(同72p)。

 一九三九年月一五日、ナチスはチェコに侵入した。
 「少なくとも軍事侵攻ではない。ハーハ(チェコ)大統領との合意によるものだった。さらに、フーバーが考える独ソ戦では、ドイツはソビエト侵攻のハイウエイとなるチェコスロバキアを通らざるを得ないことは自明である」(同88p)。

 次はポーランドだった。
 ここで英国のチャンバレンはポーランドの独立を保障する宣言を行った。英米は、ドイツはスターリンとの対決に向かうと考えていたから、ポーランド回廊を通過するのは自然であり、このポーランド独立を英国が保障するということは、フーバーからみれば愚かな選択であった。


▲ルーズベルトがスターリンに譲歩したのはアメリカを不幸にした

 ヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、しかもソ連もポーランド侵攻に踏み切る。
「犬猿の仲であった独ソ両国の唯一の共通点。それが第一次大戦期に失った領土回復を希求する強い思いであった」(同99p)

舞台裏では何回も複雑に執拗に交渉が続いたが、ポーランドの誤断も手伝って、ついにナチスはポーランドへ侵攻する。
「この戦いがなければ日米戦争がおこるはずもなかった」が、ポーランドの稚拙な対独外交が原因で、戦線が広がり、日米開戦への道が準備される。

その後の戦争の展開は周知の事実とはいえ、問題は「カイロ宣言」、「テヘラン会談」から「ヤルタ」会談の密約、そしてポツダムへと米英ソの『密約』が次々と進み、アメリカ国民は何も知らされないままルーズベルトとスターリンの謀議は進展し、途中からチャーチルはのけ者にされ、やがて病魔に冒されたルーズベルトは正常な判断も出来なくなった。

トルーマンはルーズベルトから殆ど何も聞かされていなかった。原爆を保有したことさえ、トルーマンは知らなかったのだ。
こうしてフーバー回想録は、アメリカの歴史学主流に投げつけられた爆弾である。
かれらが『歴史修正主義』とレッテルを貼り付け非難してきたが、どちらが正しいかは明らかであり、ルーズベルトの評価が地獄に堕ちているのだが、これを認めようとしない一群の学者とメディアが、真実をいまも覆い隠しているのである。

渡邊氏は、解説書の最後を次のように結んでいる。
 「中国と韓国は、日本を『極悪国』として捉え、歴史認識では日本の主張を一切受け付けず、二十一世紀になっても非難を続けている。歴史の捏造が明らかな南京事件についても、いわゆる慰安婦問題についても、アメリカはプロパガンダであることを知っている。それにもかかわらず、アメリカが日本を擁護しようとしないのはなぜなのか。それは、ルーズベルトとチャーチルの戦争指導があまりに愚かであったからであり、その愚かさは、日本が(そしてナチス・ドイツが)問答無用に『悪の国』であったことにしないかぎり隠しようがないからである。
 歴史修正主義は、戦後築きあげられた『偉大な政治家神話』に擁護されている二人の政治家(ルーズベルトとチャーチル)の外交に疑いの目を向ける。ナチス・ドイツや戦前の日本が、胸を張れるほど素晴らしい国であったと声高に主張しているのではない。極悪国とされている国を『歪んだプリズム』を通して見ることは止めるべきだと主張しているに過ぎない。それにもかかわらず、歴史修正主義は枢軸国を擁護する歴史観だとのレッテルが貼られている。それは、ルーズベルトとチャーチルが引き起こした戦後世界の混乱の真因から目を逸らさせたい歴史家や政治家がいるからである)(同220p)。

 歴史の偽造やフェイクをまだ信じているガクシャは、本書を読むと顔が引きつるだろうし、日本の論壇にまだ跋扈している左翼は卒倒するかも知れない。

参考資料
フーバー回想録『裏切られた自由』(草思社) 
https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1-%E4%B8%8A-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C%E9%81%BA%E7%97%87-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC/dp/4794222750/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1500158565&sr=8-1&keywords=%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1

 同解説書
 渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を越したのか』(草思社)
https://www.amazon.co.jp/%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98-%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%83%A3%E6%A8%B9/dp/4794222777/ref=pd_bxgy_14_img_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=8XKCDTACRTE020QXBDGB

加計学園の件をめぐって開かれた閉会中審査
2017/07/14

 青山繁晴さんが、7月10日(月)の午後3時37分頃から約40分間、参議院の文教科学委員会・内閣委員会連合審査会で質問に立たれました。
 テーマは『国家戦略特区における学部新設に関する件』。
 加計学園の件をめぐって開かれた閉会中審査です。

 青山さんの質疑のみですが、全文書き起こしました。完全起こしです。
 
※元動画:https://www.youtube.com/watch?v=hl42tJ73So8
※委員長(赤池誠章さん)の発言は省いてます。発言者の指名だけなので。
※聞き取れない部分が数カ所ありました。○○○で表記しています。聞き取れた方、教えていただければ幸いです。←ひとまず解決済み。皆様ありがとうございました。
※引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正する可能性があるので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。
※この日の朝(月曜)、ふだん通り、青山さんは朝8時から「虎ノ門ニュース」に出演されました。拙ブログでは、毎週、番組の要旨書き起こしをしていますが、今回は予定を変更、急ぎ、閉会中審査の青山さんの質疑書き起こしを優先しました。「虎ノ門ニュース」は後日書き起こす予定です。ご了承下さい。

 書き起こしここから____________________________

青山繁晴委員
「自由民主党・こころの青山繁晴です。えー、党利党略のためでなく、ただ国益のためにこそ、不肖ながら質問いたします。よろしくお願い申し上げます(一礼)。
 はじめに、九州をまたしても襲った豪雨災害で、犠牲になられた方々とご遺族に、魂から哀悼の意をお伝えしたいと思います。
 えー、さて、加戸守行・前愛媛県知事、前川喜平・前文科事務次官におかれましては、参考人としてお出でいただきまして、ありがとうございます(一礼)。お二人は同じ文科省で、加戸さんの方が先輩でいらっしゃるということですから、お名前を先にお呼びいたしました。
 えー、質問に入ります。現在の日本では、鳥インフルエンザ、口蹄疫、そしてBSE、狂牛病という深刻な新しい危機が生まれています。鳥インフルエンザは、鳥から鳥にだけ伝染していた状態は、たとえば中国ではすでに終わり、鳥からヒトへ、さらにヒトからヒトへと伝染する、恐るべき事態に進展し、死者も出ております。えー、これは鳥インフルのウイルスが、突然変異を繰り返して、感染力を高めている証拠です。日本においても、高病原性鳥インフルエンザがヒトにまで広がる事態に、常に備えねばなりません。また牛や豚などの口蹄疫は、宮崎県ですでに大発生し、畜産農家に一時は壊滅的な被害を与えました。これもウイルスです。狂牛病もすでに北海道、千葉、神奈川、熊本で発症しています。マスメディアが忘れたかのように報道しないため、危機意識が薄れていることこそむしろ、大問題です。不肖私はもともと民間で危機管理の実務に長く携わって国会に来ました。この動物由来のウイルスを、ウイルスによる人類の新しい危機から国民を守ることが、政府と国会のどれほど神聖な任務か、よく理解しております。
 その観点から、いわゆる加計学園をめぐる問題が、取り沙汰されるずっと以前から、民間の専門家のはしくれとして、自治体や政府と連携すべきは連携しつつ、動物ウイルスを扱う獣医師の不足に、私も直面してきました。農水省によれば、全国3万9000人の獣医師のうち、ペット関連の医師の方々が39%と最も多くて、家畜の防疫や改良などを担う公務員獣医師はわずか9%です。えー、今日質問するにあたりまして農水省に改めて問い合わせてみますと、以下のような回答でありました。産業動物獣医師、これはたとえばいま申したウイルスなどに対応できる獣医師です。産業動物獣医師については、十分に確保できていない地域があることから、獣医学生に対して、地元に就職することを条件に、学資を貸与している。えー、このような地域は、産業動物獣医師の確保が困難だと言えます、という回答でした。そして、こうした学資の貸与は、愛媛県では、9件あります。全国で3番目に多くなっています。東京にはこうした貸与は一切ありません。農水省の政府参考人であります小川良介審議官、これで間違いないか、それだけを簡潔にお答え願えますか」

農林水産省・小川大臣官房審議官
「お答え申し上げます。ただいまご指摘の獣医学生等に対して就学資金を貸与する事業でございますが、平成28年度には全国で16地域が事業を実施するなか、愛媛県の計画は9人で、全国で3番目に多くなっているところでございます」

青山繁晴委員
「えー、前川参考人にお尋ねします。えー、あなた様におかれては、日本に獣医師の不足がないから、愛媛県今治市に加計学園が、新たに獣医師学部をつくることは、行政をゆがめることであるという趣旨で発言されていると思いますが、この、いま申し上げた実態はご存知なのでしょうか(議場ざわ)」

前川喜平参考人(前文科事務次官)
「えー、違います。あのー、えー、獣医学部の新設について、一律に申請を受け付けないという、ま、これは告示があるわけでございますが、その告示に対して特例を設けるかどうか、あるいは告示の撤廃を考えるかどうか、獣医学部の入学定員について、えー、定員管理をするというポリシーを捨てるか捨てないか、これは政策論議をすべき問題でありまして、それは、ま、国家戦略特区を舞台にして議論することもできるでしょうし、あるいは一般論として議論することもできます。で、この規制緩和をすべきかどうかという問題と、その規制緩和の結果として、加計学園に獣医学部の新設を認めるかどうかという問題とは、これは次元の違うことでございまして、私がゆがめられたと、いうふうに思っております部分というのは、規制緩和の結果として、加計学園だけに獣医学部の新設が認められるに至ったプロセスであります。その部分が問題であるし、不公平な部分があるんではないか、また不透明な部分があるんではないか、そこの解明が必要だというふうに考えてるところでございます」

青山繁晴委員
「正直いま、前川参考人のおっしゃったことは、ま、僕の予想した通りであります。で、この件については、もう少しあとに改めてご質問いたします。で、いま、加戸参考人におかれては、自治体の最前線でこの獣医師不足に直面してこられました。えー、どのような実態でしょうか。また、前川参考人の先ほどのご答弁、お答えをどのようにお聞きになりましたでしょうか」

加戸守行参考人(前・愛媛県知事)
「お答えいたします。まずあの、参考人でお呼びいただいたことに心から感謝申し上げます。もう、10年前に、愛媛県知事として、今治に獣医学部の誘致を、当時は構造改革特区の名のもとに、申請した当時のことを思い返しまして、鼻も引っ掛けていただかなかったこの問題が、こんなに多くの関心を、10年後に持っていただいてるということに、不思議な感じがいたしております。
 当時、愛媛県知事として、たくさんの仕事を預かりながら、県民の生命、身体、財産、畜産業の振興、食品衛生、その他で、一番苦労しましたのが、鳥インフルエンザ、あるいは口蹄疫の、四国への上陸の阻止、あるいは、BSEの問題の、日本への波及の阻止、言うなれば四国という、小さな、島ではありますけれども、こういった感染症対策として、一番防御が可能な、地域という意識もございましたし、そしてアメリカが、この問題で狂牛病の体験を受けて、先端切って国策として、これからはライフサイエンスと感染症対策をベースとした、獣医学の教育の充実ということで、大幅な獣医学部の入学者の増加、そして3つの獣医科大学の新設という形で、懸命に取り組んでいる姿を、横で見ながら、なんと日本は関心を持っていただけない国なんだと。私は少なくとも10年前に、愛媛県民の、そして今治地域の、夢と希望と関心を託して、チャレンジいたしました。厚い岩盤規制で、はね返されはね返され、やっと国際(国家?)戦略特区という枠の中で、実現を見るようになった。いま本当にそれを喜んでもおります。
 先ほどの、話にございました、(前川氏の)行政がゆがめられたという発言は、私に言わせますと、少なくとも、獣医学部の問題で、強烈な岩盤規制のために、10年間、我慢させられてきた、岩盤にドリルで、国家戦略特区が穴を開けていただいたと、いうことで、ゆがめられた行政が正されたというのが、正しい発言ではないのかなと、私は思います(議場ざわ)」

青山繁晴委員
「はい。あの、前川参考人と加戸参考人のお話は、ま、見事に食い違ってるわけですけども、その経緯につきましては、もう一度、申します。この1問あとに、お問いかけします。いまの獣医師の問題について、えー、もう一点だけ、ご質問、お二人にいたします。
 これまでの獣医師養成には別の問題もあります。実は現在、930名の定員でありますけれども、1200名まで、水増し入学が行われています。これで需要が均衡してると、もしも文科省が判断してるんであれば、この点からも、おかしいのではないでしょうか。これは23%もの水増し入学が横行してるってことでありますから。実は現場の方々にずいぶん尋ねていきました。そうしますと、たとえば教室に入りきれない学生が廊下にあふれて、ま、授業を一種、見学してる、覗き込んでるって実態もある。一番大切な実習も、実は背後から覗くだけという、状態が、これ、大学によって変わりますけれども、起きてる所がかなりあると。
 で、文科省は現在、大学の定員超過の是正に取り組んでいる、とも聞きました。文科省に聞きました。ただ、もしも獣医学部の水増しが正されれば、年間270名、なんとほぼ4分の1もの新しい世代の獣医師が減ることになります。えー、これは獣医師の教育が現状の学校では十分でないという証拠でもあり、獣医師養成の学校が足りないという証左ではないでしょうか。前川参考人、この点については、ご見解いかがでしょうか」

前川喜平参考人(前文科事務次官)
「ま、私立大学の定員超過の是正をどうするか、ということは一般的な問題としてあると思います。これは私学助成をどのように活用するかというようなことも含めまして、えー、検討する必要がある問題であろうと思いますが、ただこのー、獣医師の需要がどのぐらいあるのか、それに対してどのくらいの、獣医学部の、入学定員が望ましいのか、これはやはり政策的に考え、また、あのー、おー、定員管理を、政策的に行っていくと、いうことが当面、えー、正しい方法だろうと思っておりまして、ま、いっぺんにこれを撤廃するということは、望ましくないだろうと、私は個人的に思っております。
 ただ、その獣医師に関してましてもですね、もし、その、今後養成を増やす必要があるというのであればですね、それはまだ確認されたことではございませんが、もし、今後、獣医師の養成を増やす必要があると、言うのであればですね、それは、既存の大学の定員を増やすという方法もあるわけでありますし、既存の大学には、十分なスタッフが揃っている場合もありますし、さらに十分なその、定員、その、教官組織をですね、さらに充実させるということもあると思います。まっさらに新しく、獣医学部をつくる方が、よほど困難でありまして、その教員をどこから連れてくるかという問題は非常に、難しい問題のはずであります。既存の大学から、その新しい学部に、教員を連れてくるのであれば、既存の大学の教員組織が弱体化いたします。そこをどうするのかという問題ございますから、単に、養成数を増やすということであれば、あー、通常はですね、既存の大学の定員を増やす方が、よりコストのかからない方法であります。で、実際、医師についてはそういう方法をとって、供給数を減らして、いるわけであります。そういった選択も含めて、政策的に考えるべき問題であるというふうに考えます(加戸知事が苦笑しながら頭をさかんに横に振っている。NHK中継より)」

青山繁晴委員
「はい。いま前川参考人がおっしゃったのを、謙虚にお伺いしましたけれども、要は、既存の体制、の強化でありたい。で、それがもしできるならいいんですけれども、それだったら、いまの水増しのような事態が、この獣医師養成機関はみんな志を持ってやってるわけですから、起きるはずがないと思います。ま、そのうえで、もう一度、いまの件について、加戸参考人はいかがでしょうか」

加戸守行参考人(前・愛媛県知事)
「特区の申請をしてから、何回も門前払いを食らいました。いろいろな方策で模索しましたが、一番強い反対は、日本獣医師会でありました。ま、当時、直接の接触はございませんでしたけど、ホームページでは、専務理事が、まあ、今治の、獣医学部新設に関して、えー、ケチョンケチョンの論陣を張ってられました。で、まー、その、中でも、要するに、養成はちゃんとするから、余分なことをするなっていうのが基本であります。
 で、当時から私が大変疑問に思いましたのは、まず、獣医師の養成が、私は、こういう言葉を使いましたけれども、箱根の関所から東を関東と言ってました。箱根の関所から東で、8割の入学定員があり、箱根の関所から西の方には、2割の入学定員しかなくて、しかも、私学は、水増し入学はしますから、実質的には、養成される獣医師の数は、箱根の関所から東は、80数パーセント、場合によっては90%近くが、そちらで徴集。で、空白区は、四国であります。獣医師が確保できない。県知事として、いろんな対応をしても、とにかく、たとえば、地方公務員は、競争試験が原則ですけれども、獣医師はもう、無試験でもいいから、どうぞどうぞと言っても、来ていただけない。で、獣医師会の反対は何かと言ったら、処遇しないからだと。じゃあ、愛媛県だけは、あるいは四国は、獣医師の給与体系を、国家公務員の獣医師よりも、上回る体系を作ることができるのか。それは、じゃあ、獣医師が充足された時は給料を下げるのかと。給料の問題は、愛媛は給料が安いから行かないんだよとか、奨学金を出さないから行かないんだよと。全部東京へ来たら、養成して帰すからと。そういうことでいいのかなってことがひとつ。
 それから、新しい学部はできないという、それも反対されながら見てました。でも、自分達はどうであったのかと申し上げると大変恐縮ですけれども、大学教授の定員は、10年前と今日と、変わらないままで、アメリカは必死にやってるのに、据え置いたままで、新しいのはつくるなつくるなと。で、今回のケースにしましても、はるかに多い獣医学の教官をつくって、感染症対策なり、あるいは、ライフサイエンスなり、あるいは動物実験による創薬の研究なりと、幅広い学問をやるスタッフを揃えようと思っても、それにブレーキをかけるっていうのが、私には理解できない。それならば自分達で、なぜこの10年の間に、アメリカに遅れないように、スタッフを揃えないんですかと。いまのままで置いておいて、今治にはつくるなつくるなって言う。これはあまりにもひどいではないかっていうのが、私の思いでありました。
 少し時間をちょうだいしてよろしければ、私の知事の任期の終わりの方に、民主党政権が誕生して、自民党じゃできないわ、私たちがやると言って、頑張ってくれました。対応不可の門前払いから、実現に向けての検討とレベルアップしました。ああよかったね、で、私は次の知事にバトンタッチしました。ところが自民党政権に返り咲いても、何も動いていない。何もしないでいて、ただ、今治だけにブレーキをかける。それが、既得権益の擁護団体なのかと、いう、悔しい思いを抱えながら、参ってまいりました。
 そして国家戦略特区で取り上げられ、私も昔取った杵柄(きねづか)で、いま今治市の商工会議所の特別顧問という形で、この応援団の一員として、参加しております。それを眺めながら、大切なことは、欧米に伍(ご)した、先端サイエンスと、感染症対策と、封じ込めと、私たち日本人の生命がかかる、この問題を、欧米に遅れないような、獣医師を養成しなけりゃならないことに、手を加えないでおいて、今治はだめ今治はだめ、加計ありきと、言うのは、何でかなと思います。
 私は、加計ありきではありません。加計学園がたまたま、愛媛県会議員の、今治選出の議員と、加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながってきて、飛びつきました(議場ざわ)。これもだめなんでしょうか。お友達であれば全てだめなのか。そんな思いで眺めながら、今日やっと、思いの一端はこの場を借りて、申し上げさせていただきました(議場ざわ)」

青山繁晴委員
「あの、加戸参考人におかれては、旧文部省で官房長まで務められたお方で、先ほど申しました通り、前川参考人の先輩でもいらっしゃいます。ま、文科省、あるいは旧文部省が守ってきたいわば既得権益、規制の壁と、それから自治体、特に地域の方々、そして危機に備えなきゃいけない務め、そういうことが、実はやっぱり、齟齬を来していたということが、率直に、ご自分を誇らずに、お話になられたと思います。さ、そのうえで、先ほど前川次官から、加計ありきが問題じゃないかっていう趣旨のこともおっしゃいましたので、えー、時間がだんだん少なくなりますけれども、このお話、このご質問、いたしたいと思います。
 というのは、経緯です。えー、愛媛県の今治市に加計学園の岡山理科大学獣医学部を新設することについては、ま、今日の審議でもさまざまな文書、が議題になりましたけれども、省内のメモというのは普段から、僕も政治記者の時代からよく存じ上げております、あふれているということ。で、そういうことに依拠するよりも、閣議決定や、あるいは国家戦略決定をめぐる議事録、公に公開されているものを丹念に調べていけば、えー、これ私の個人見解ですけれども、経緯は非常にはっきりしていると考えています。
 まず文科省は、先ほど前川参考人がおっしゃった告示、これを西暦2003年に最初に、この件について出しております。で、この告示というのが、実は今日の部屋にいらっしゃる方はご存知であっても、一般国民は非常になじみが薄いものであって、法律でも政令でも省令でもなくて、いわば役所が出す、一種の、ま、命令というのは言いすぎかもしれませんけれども、相当な力を持ってるものを、役所が実は出すことができると。そういうものが存在してること自体、実はマスメディア、僕は元記者なので、えー、この告示のチェックまで正直やったことないです。ということは国民の方々がこの告示の実態に触れるのは、関係者になった時だけですね。
 で、したがって、この告示にまず注目せざるをえないんですけれども、その告示によって、これまさしく前川参考人がおっしゃったとおり、獣医師などの大学新設を事実上差し止める、告示が、2003年に出されました。えー、これは公平のために言っておくと、獣医師だけではなくて、お医者さま、歯医者さま、獣医師の方々、そして船員の方々、この4種についてですけれども、そういう差し止めが行われたわけです。で、この、ごめんなさい、2003年の告示の前からこういう姿勢だったですけれども、告示で改めて確認したということですから、そのために獣医師の大学、学部は、半世紀の間、実に新設されていないわけです。
 これに対して、いま加戸参考人がおっしゃった通り、愛媛県と今治市が共同で獣医学部を誘致し、加計学園だけがこれに応じたのが、告示の3年後の2007年です。ですからさっき加戸参考人は、10年の苦闘と。苦闘というお言葉ではありませんでしたけどもそういう趣旨でおっしゃったのは非常に正確な、時系列をおっしゃってます。その後8年間にわたって、加計学園だけではなくて、ここにいらっしゃるまさしく加戸さん、当時の愛媛県知事ら自治体の働きかけがあって、では、新しい需要があることなど、4つの条件を満たせば、国家戦略特区の中に獣医師の学校をつくって良しと、いう閣議決定がなされた。これが、一昨年の、2015年の6月30日です。
 で、この前年には、この国家戦略特区の基本方針がやはり閣議決定されていて、だから、どんな方も読むことができます。その中に、こういう趣旨があります。えー、これは先ほど、山本大臣(地方創生担当大臣)がおっしゃったことでもあると思いますけれども、あ、答弁は必要ないですが、えー、ある省庁が規制の緩和を困難とする場合には、その正当な理由を説明するのを義務とすると。これを、ま、難しい言葉だと、挙証責任と言ってるわけですけれども、そういう趣旨が盛り込まれました。そのために先ほど申しました4条件に基づいて文科省は、新しい需要が獣医師にあるのかないのか、2015年度末、えー、つまり、去年の3月31日までに説明する責任が実質的に生まれました。ところが文科省は、年度末までにそれができなかった。で、それを見てなのか、そこで新たに京都産業大学が名乗りを上げました。つまりちょうどその頃、2016年の3月です。
 しかし政府、この場合は安倍政権は、これをもって文科省のいわば敗北とはせずに、半年延ばして、2016年9月16日に、国家戦略特区ワーキンググループのヒアリングを行いました。この席で、文科省の課長補佐の方は、こうおっしゃった。新しい需要があるかないかという挙証責任は、大学、これ言葉補ってますけど、大学や学部を新設したいという側にあると。これちょっと言葉を補いましたけども、要するに文科省にないってことをおっしゃったわけです。えー、ところがワーキンググループ側に、今日たとえば衆議院で、参考人でいらっしゃった原(英史)さんなどが、いや、文科省にあると。原さんの言葉、正確に言うと、逆さまになってると。むしろ挙証責任があるのは文科省の方なのに、逆さまに言ってるってことをおっしゃって(議場ざわ)、この、議事録を、どなたでも読めますから議事録を見ていただくと、このあとに文科省の反論は一切ないんです。ね。で、したがって、議論はそこで決着してしまっている。で、なぜ挙証責任が文科省にあるかといえば、これは大学や学部新設の許認可はすべて文科省が握っているからです。文科省も、それが分かっているから反論しなくて、いわばそれで決着してるわけです。もう一回申します。これ僕の推測とか、勝手な組み立てで申してるんじゃなくて、こういうものを、メディアも読み込んでいけば、本当は分かることです。
 で、この文科省が、いつも話題、問題になる総理の意向があるという内部文書、前川参考人のご答弁におかれても、これがメモであるという趣旨は、感じられますが、これを作成したのは、この決着した、事実上決着したわずか10日後のことです。2016年9月26日のことです。すなわち、課長級の交渉、この場合、ま、直接は課長補佐ですけど、クラスで言うとだいたい課長級の交渉で決着してしまったことに、改めて内閣総理大臣が口を出すというのは、およそ行政の現場にいる人からしたら、信じられないことです。これ実は、あの、外務省、防衛省に至るまで、僕の記者時代の知り合い全部に聞いていきましたけど、一人もそんなことはありませんと、ね、いうことで、どうして国会でこういう議論になるんでしょうか(ヤジが飛ぶ)という疑問がむしろ僕に提示されました。
 で、これはすなわち、ここは僕の推測ですよ、フェアに申しておきますが、文科省の内部向けに、敗北、したことであっても、それは総理のご意向だから仕方ないでしょうという内部向け、に弁明する文書だったと見るのが、一番真っ当な解釈ではないでしょうか(議場ざわ)。
 で、この解釈が当たっているかどうかは別にして、現実に動いたのが、日本獣医師会です。先ほど加戸参考人がおっしゃった。獣医師会の蔵内勇夫会長は、最近、西日本新聞のインタビューに答えて、こうおっしゃってます。規制緩和が決まった後は、つまりこの、ワーキンググループのヒアリングで事実上決着したってことを、当事者の獣医師会が一番、痛切にお感じになったわけですから、規制緩和が決まったあとは、確かに1校にして下さいと、せめて1校にして下さいと、お願いしましたと。新設を回避できないなら、せめて1校に限るべきだと思ったからですと。これもどうぞ、インタビューの、もとを確かめて下さい。
 で、これを受けて、この年、まさしくこの年の11月秋になって新規参入の、京都産業大学が、次回以降に期待をつなぐ形で、えー、これも、すみません、お名前申せませんが、京都産業大学、あの、取材に応じてないようですけれども、僕の知り合いに確認しましたら、今回だめでも次回以降、期待できるっていうことで、無理をせずに、ここで矛を収めましたと。ね。これは但し、非公式な発言ですから、あの、信憑性は確認できません。で、個人の発言ですから分かりませんが、しかし、皆さんお聞きになってどうですか。これごく真っ当な話ですよね(「そうだよ」と声が飛ぶ)。はい(議場ざわざわ。「分かりやすいよ」と声が飛ぶ)。
 そして、その京都産業大学の撤退を、直接受ける形じゃないと思いますけど、翌年、つまり今年の1月に、加計学園が、特区事業者に認定されたわけです。えー、そして、獣医師会の強い希望、そしてこれ、僕は自由民主党のために質問してるんじゃありませんから、国益のために質問してますから申しますが(議場ざわ)、獣医師会による自由民主党を含めた政界への働きかけによって、1校に絞られた時に、もしも去年に、初めて参入した、京都産業大学になっていれば、それこそ何があったのか、大変な問題になったんではないでしょうか。逆に言えば、京都産業大学が、今回については断念なさったのは、獣医師会の、強い働きかけがあったことも、一因ではないかと考えられます。これが、正直、公開された文書を何度も何度も読み返し、隅々まで全部調べたら、この経緯しかないんです(議場ざわ)。
 この経緯について、前川参考人にお尋ねします。ちょっと失礼な、物言いになることは許して下さい。そもそもこういった経緯について、現職の時に、こうやって国会にお出でになるような時の前に、詳細にご存知だったでしょうか」

前川喜平参考人(前文科事務次官)
「えー、ま、私が、まあ、現職で文部科学省で仕事をしてるなかでもですね、見えない部分がたくさんございました。どうして30年4月開学が、大前提なのかですね。ここについては、合理的な説明はどこにもございませんでして、結局は官邸の最高レベルが言っていること、あるいは総理のご意向であるというような説明しかなかったと、いうようなことがございまして、これはあの、内閣府の方で、ご説明いただかなければならない部分だろうと思いますけれども、文部科学省からはあずかり知らない部分はたくさんございますので、私が承知していないことは多々ございます。しかし、えー、その、日本最高戦略改訂2015でですね、えー、平成27年の6月に閣議決定された4条件てのがございます。これはやはり閣議決定でございますから、閣議決定である以上、政府部内にあるものは、何省であれ、何府であれですね、あるいは、特区諮問会議であれですね、これは内閣の一員として守らなければならないものだと思っています。で、この閣議決定の中でですね、4つの条件があるわけでありまして、文部科学省としてはこの4つの条件をやはり満たす必要があるということをずっと、ま、こだわったわけでありまして。
 えー、その第一は、現在の提案主体による、既存の獣医師養成でない構想が具体化すること。で、これは今治市からそういう構想が出てくるということを想定していたわけであります。で、今治市から確かに何らかの物は出てまいりました。これに対して文部科学省側は何と言ったか。あの、ワーキンググループの、おー、議事録をお読みいただければ分かりますけれども、文部科学省はそのひとつひとつにつきましてですね、えー、これは、既存の大学でできている、すでに取り組まれていることであると、ということを言っとります。で、それに対して、何ら反応はなかったわけであります。ですから、この、文部科学省としてはですね、この4条件に照らして、えー、この、今治市から出てきた提案は、この条件を満たすものではないと、いうことを主張はしておるわけでありますけれども、そこから先の議論になっていないわけであります。そこからあとは、もう、とにかく、決めると。4条件は満たしたと。誰かが決めてしまったと。ま、そういうことでありましてですね。文部科学省として、その、ワーキンググループで、満たしていないという主張はしていることは、お読みになれば分かります(議場ざわ)。
 で、これをもって、その、挙証責任うんぬんと言われるのはおかしい話でございますが、あの、まず、その政府内での議論のなかで、どちらが先に、その必要性を述べるかと。これは確かに、議論の順番として挙証責任をまずどちらに負わせるかということあるかもしれませんが、その結果としてですね、内閣府が勝った、文科省が負けた、だから国民に対しては、これをやるんだと説明すると。これでは国民に対する説明にはなりません。この挙証責任の在処(ありか)ということと、国民に対する説明責任とはまったく別物でありまして、国民に対する説明責任はやはり、政府一体として負わなければならないわけでありまして(ヤジ)、えー、挙証責任があって、その議論に負けたから、文部科学省が説明するんだと、こういう議論にはならないはずであります」

青山繁晴委員
「あの、僕は本音のところで、前川さんという人をなるべく信用したいんですけど、いまのお話は非常に不可思議な話で、まずあの、全体としておっしゃってるのは、いま僕が申し上げた、経緯について全部ご存知ないっていうのが伝わってきました。そうはおっしゃってませんけれども。ご存知であればご存知だとおっしゃるはずです。それから、たとえば、その、挙証責任を持つということと、国民に説明するってことは別だとおっしゃいましたが、これ別だったら民主主義は終わりです(「そうだ」と声が飛ぶ)。はい。何のためにこの審議やってるのかも分かりません。
 それから、挙証責任っていうことを、むしろ、こう話を、こういう言葉使いたくないけど、すり替えておっしゃったのはいまの前川さんの方であって(議場ざわ)。ね。だからそういうことは、その、何かの志を持って、いまお話しされてるんであれば、なるべく避けていただきたいと思います。
 で、そのうえで、時間も迫ってきますから、この件もやっぱり加戸参考人にお考えをお聞きします。どうぞ」

加戸守行参考人(前・愛媛県知事)
「えー、私の古巣でありますけれども、やはりあの、文科省も、時代の進展、国際的な潮流を考え、これでいいのかということは常に、自問自答しなければならないと思っております。私自身が今回の問題にタッチして、それがはね返され、年月が経過する度に、当時同時並行で、たとえば、薬学部、これが医薬分業がありまして、いっぺんに入学定員が6000…、5000数百…、6000人近く増えました。大学の数も、えー、2倍近く増えました。でも、そのことに関して、需要ではどうだ、供給でどうだ、挙証責任がどうだと、誰も問題にされていなかったと思います。で、いま、何が起きてるかというと、今後何万人という、薬剤師の過剰供与、それをどうするかっていうのは深刻な問題だということになってる。かたや、獣医学部はびた一文だめです、そして、挙証責任がありますとか、私は関係しておりませんでしたけど、論議を聞きながら思いますのは、少なくとも私の知る限り、提案した時点から、東京の私学の獣医学部は、45人とか50人とか50数人の、教授陣容のままで、時代の進展に対応しないまま、今日に来ております。その中で、今治で計画してる獣医学部は、72人の教授陣容で、ライフサイエンスもやります、りんし…、感染症対策もやりますと、さまざまな形での、もちろんそれは、既得のたとえば医学部の一分野で、何かやられてるかもしれませんけど、そういう意欲を持って取り組もうとしてるのに、その、何と言うんですか、いびりばあさんじゃありませんが、薬学部ならどんどんつくってもいいけれども、獣医学部はびた一文だめだって、こんなことが、いったいこの、国際化の時代に、欧米に遅れていけない時代に、ありうるんだろうかというのが、私の思いで、参りました。屁理屈はいいんです。
 ただ、それからもうひとつ感想を述べさせていただきますと、私は霞ヶ関で30数年生活いたしました。省庁間折衝というのはあります。自分の思いを、省を代表して、激しい言葉も使い、場合によっては虎の威を借る狐のような発言もあり、でも事柄が決着したあとは、酒を酌み交わして、そして、お互いの、ああ、あんたもきつい言葉を使ったねと言いながら、決まったことに向かっての次の施策へ向かって行く。これが、霞ヶ関の文化でした。今回は霞ヶ関の文化が感じられません。時代が変わったんでしょうか。少なくとも、日本国民にとって、時代の潮流のなかで、どこが何を求めているのか、それに対応するにはどうすればいいのかを、考えることであって、私は本質の議論がされないままに、こんな形で、獣医学部がおもちゃになっていることに、甚だ、残念に思います」

青山繁晴委員
「はい。時間はあと6分になったんですけれども、えー、前川参考人が、文科省の不正な天下り事件に関わられて、お辞めになったことはまあ、公然たる事実であります。で、この天下りの実態について、この日本記者クラブで、前川参考人が6月23日に、記者会見なさった時に、自分はその詳しい実態を知らなかったと、いうことを、その、お話になってます。で、これは正直、あの、僕は大変、驚きを持って、その記者会見を拝見しました。動画でも、記録でも拝見したんですけれども。
 これが事実だったら事務次官の責任放棄か、怠慢、と言わざるをえませんし、事実でないんだったら、天下りあっせんの、そもそも違法につい…、違法性について、認識が足りないんではないかと、いう根本問題につながりかねないと思います。えー、時間、何とか作って、前川さんにちゃんとお答えいただきますけれども、たとえば獣医師会の蔵内会長は、この医師会内の春夏秋冬というご自身のエッセイで、何を書かれていらっしゃるかというと、既存の獣医師の改善待遇、に、意を砕かれていると。そのためにも獣医師が増えることには反対すると。直接的には獣医師増に、つながる学校の増設には反対する意志、これエッセイで明確にお書きになってます。で、この獣医師養成の機関を含めて学校の許認可権はすべて、文科省にあるわけです。だから学校は天下りの文科官僚を受け入れ、文科省は次官以下が、学校への天下りを法を犯してでも進めたから、前川参考人におかれても、この問題で辞任なさったわけです。
 えー、この獣医師会に見られるような、これも、獣医師の方が全部そうだとは僕はとても思いません。しかし会としては、既存の学校だけを守ろうとする姿勢と、天下り問題は密接につながってるんではありませんか。すなわちこれは、既得権益を、政・官・財・民、もうとにかくありとあらゆる所が一体で守ろうとする日本の闇につながっているんではないでしょうか。学校の設置許可も、良い学校が残っていくと良き競争に任せないで、既存の学校をとにかく守る、妥当な規制緩和であっても、やらないという姿勢が、現在の文部科学省ではないんでしょうか。その懸念を、今日の審議でも大変感じました。
 あと4分あります。すみません、前川参考人、できれば加戸参考人と、2分ずつ割っていただいて、えー、すみません、簡潔にですが、前川参考人のご見解をどうぞ」

前川喜平参考人(前文科事務次官)
「えー、この国家戦略特区における、今治市における、獣医学部設置の問題、この問題をめぐる議論とですね、この、いわゆる天下り、再就職規制違反に係る問題と、これは結び付けて議論をするのはやはりおかしいと思います(議場ざわ)。ま、仮に結び付けるのであればですね、えー、具体的な事例は、木曽理事の問題です。木曽理事は確かに、私の先輩でですね、えー、内閣府官房参与をしたうえで、えー、内閣官房参与の身分を持ったまま、あー、加計学園の理事になっておられまして、その2つの肩書きを持った状態の時に私のとこにお出でになりまして、えー、まあ、加計学園の獣医学部の新設に向けてですね、働きかけをされたと。こういう、その、OBによる現役に対する働きかけこそがですね、やはり、いわゆる天下り問題の弊害の、ひとつの端的な例だと思っておりますが、私はこの木曽理事の働きかけにつきましては、それをもって、何らかの政策判断に影響させるということは、いたしませんでした。ま、その事実だけは、あー、担当から伝えましたけれども、それをもってですね、何か、その、忖度をするとかですね、便宜を図るとかですね、審査を甘くするとか、態度を軟化させるとか、そういったことはすべきでないと思っておりましたし、実際にそういうことにはなっておりません。この天下り問題と、この、おー、獣医学部をめぐる問題とをですね、結び付けて議論することは誤りだと思います」

青山繁晴委員
「いや、僕は結び付けなればいけないと思っています。そこが一番違うところですが、前川さん、最後に、加戸さんの話をいただく前に、一言だけ申せばですね、文科省はこのほど、文部科学白書を発表しました。その冒頭の3ページに異例な言葉が入っていて、組織的な天下りの問題について、省をあげて猛省する。そして国民に謝罪して、3人の事務次官経験者は、すなわち、前川さん、あなたを含めてです、あっせんの構造づくりや、運用に関わっていた責任を、極めて重く受け止め、停職相当の評価としたと。そういうふうにお書きになってるわけです。この、後輩の方々が苦しんで書かれた、この文章を、いまのご答弁は、これちょっと裏切ってるんじゃないかと思いました。
 すみません、あと1分になりましたが、加戸参考人、どうぞ。よろしくお願いします」

加戸守行参考人(前・愛媛県知事)
「ありがとうございます。若干感情が高ぶって、思いの丈を申し上げすぎました。ただひとつだけ、触れていなかったことがございます。さまざまなことがございましたけれども、眺めながら。6月13日の国家戦略会議、諮問会議の民間有識者の委員の方々が記者会見をされて、私は人に知らされて、インターネットの、えー、あの、中継ではなくて、何て言うんですかね、あ、YouTube、YouTubeで1時間半、拝見させていただいて、感激しました。特に、今回の規制緩和に関して、心に一点の曇りもなく、やったということで、これが、今回の、大きな事件の、結論だったんだろうなと。これが国民に、知ってもらうべき重要なことなんだなと、私は思いました。
 たくさん、いままで私のとこに取材が、ありましたけれども、都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことは、取り上げていただいた、メディアは、極めて少なかったことを、残念に思いますけど、あのYouTubeが、すべてを語り尽くしているんではないかなと、思います」

青山繁晴
「ありがとうございました。終わります」


 「虎ノ門ニュース」などで青山さんが何度か指摘していた(たとえば6月26日放送分)、前川前次官や元次官らが暴力団の関与する出会い系バーに通っていた件については、質問がされませんでした。

 これを質問しないことは、事前に(日曜に)青山さん自身がブログで表明されていました。
 要は、今回は質問時間と答弁時間を合わせて41分しかなく、答弁者がどれくらい話すか事前に全く予想が付かないので、本質の行政論だけに絞りこんだということだそうです。

 私もその方がよいと思っていました。

 さて、この日の青山さんの質問と加戸守行・前愛媛県知事の答弁、メディアでどの程度、報道された(される)のでしょう?

 NHKが生中継したといっても、平日昼間の時間帯ですから、全部通して見たという人はあまりいないでしょう。
 録画しておいた人も、衆院4時間(放送されたのはこれより短いが)+参院3時間=7時間という長丁場ですから、全部集中して見るのは難しいですよね。
 (私も録画はいちおうしたけど、他の人の質問はまだあまり見れていません)

 結果、多くの方が審議の内容を、テレビニュースや新聞など既存メディアの報道で知ることになります。
 既存メディアが、自社の主張に合うように発言を都合良く編集したり、「報道しない自由」を行使したりというのは、日常茶飯事です。

 たとえば、夕方、FNNのニュース番組をたまたま見たところ、加戸前知事の「一番強い反対は、日本獣医師会でありました」という答弁を流した後で、それを打ち消すように、日本獣医師会顧問・北村直人氏の「そんなことはない。獣医師会を悪者にしようとしている」旨のコメントを流していました。

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