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人権思想の正体
2019/01/27
人権思想の正体
Japan On the Globe(109)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
公民教科書読み比べ(12) 人権思想の正体

「人権・・・。教員は、この言葉にどれほど困っていることか。」こういう事態を招いた人権思想の正体とは?
■転送歓迎■ H31.01.27 ■ 50,456 Copies ■ 4,559,944Views■
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■伊勢雅臣: 鹿児島で講演をさせていただきます■

■建国記念の日をお祝いする鹿児島県民の集いのご案内■
日時:平成31年2月11日(月・祝日)14時より
会場:鹿児島市・県民交流センター 中ホール
参加費:1200円(前売券1000円)
    本会「正」「女性」会員は800円。本会「維持」「篤志」会員、高校生以下は無料。

第一部:奉祝式典 14時〜15時
第二部:記念講演 15時10分〜16時20分
 演 題:国民を結ぶ皇室の祈り
 講 師:伊勢 雅臣 氏(『国際派日本人養成講座』編集長)
お申込み・お問い合わせ
日本会議鹿児島 TEL 099-225-3533 FAX 099-225-3544
チラシ・申込用紙: https://nk-kagoshima.com/info/2417602
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■1.「それって人権侵害じゃん」

 昔、ある中学校で男子生徒が廊下で女性教師に突然ナイフで襲いかかり、刺殺するという事件が起きた。学校生活には不必要なナイフを持ってこさせないために、生徒たちの所持品検査をしようという意見が唱えられ、多くの人がこれを支持した。

 ところが、マスコミ、教育評論家、そして「人権派」と呼ばれる人々から、所持品検査は「生徒のプライバシーを侵害する。子供の人権を守れ」と待ったがかかり、結局、検査は実施されなかった。実際に殺傷事件の現場となった中学校ですら、「人権上の問題がある」として、所持品検査はされずじまいだった。[1, P9]

 その後、ある私立校の教師が、生徒がバタフライ・ナイフを持っているのを見て、「それ、こわいよ。持ってくるのをやめてよ」と言ったら、「おれが何かすると疑っているわけ? それって人権侵害じゃん」と言われた、という経験が新聞で紹介された。この教師は「人権・・・。教員は、この言葉にどれほど困っていることか」と嘆息した、と伝えられている。[1, P8]

 こんな状況はどこかおかしいのではないか? 一体、公民教科書では人権について、どのように教えているのだろうか?


■2.「人権」オンパレードの東書の公民教科書

 東京書籍版中学公民教科書(東書)[2]での第2章「個人の尊重と日本国憲法」は「憲法」をメインテーマにした章なのだが、その内容たるや「人権」の一本槍である。その中の三つの節のタイトルだけみても:

 1節 人権と日本国憲法
 2節 人権と共生社会
 3節 これからの人権保障

 と、すべて「人権」が入っている。前回までに述べた憲法の立憲主義、国民主権、天皇の地位、平和主義もすべて、この「1節 人権と日本国憲法」に入れられているのである。

「2節 人権と共生社会」は、この「人権」一本槍の章でも、さらなるクライマックスのようで、節のタイトルも最後の第6項を除いて「人権」と「権利」のオンパレードである。

 1 基本的人権と個人の尊重
 2 平等権−共生社会を目指して
 3 自由権ー自由に生きる権利
 4 社会権ー豊かに生きる権利
 5 人権保障を確かなものに
 6「公共の福祉」と国民の義務

「人権」は憲法を教える際の最重要項目の一つであるとは思うが、人権については5項目24頁も割かれている一方、「『公共の福祉』と国民の義務」がわずか1項目、2頁というのはいささかバランスを欠いているのではないか。


■3.「自由・権利の保持の責任とその濫用(らんよう)の禁止」

 この点で、育鵬社版(育鵬)は憲法を論じた第2章を二つに分け、第1節では「日本国憲法の基本原則」として、国民主権、基本的人権、平和主義などの原則を説明し、その後に第2節「基本的人権の尊重」を集中的に論ずる、という、東書に比べればバランスのとれた構成になっている。

 その原則面を記述した第1節の「5 基本的人権の尊重」では「基本的人権の保障」として重要性を述べた後、すぐに「公共の福祉による制限」の項を設け、次のように記す。

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 憲法は,国民にさまざまな権利や自由を保障していますが,これは私たちに好き勝手なことをするのを許したものではありません。
 憲法は,権利の主張,自由の追求が他人への迷惑や,過剰な私利私欲の追求に陥らないように,また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています。
 憲法に保障された権利と自由は,「国民の不断の努力」(12条)に支えられて行使されなくてはなりません。憲法では,国民は権利を濫用してはならず,「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任」があると定めています。[3, p54]
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 この一節の左には、「自由・権利の保持の責任とその濫用(らんよう)の禁止」と題したコラムで、憲法第12条を引用している。

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 この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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 憲法自体に自由と権利の「濫用」の禁止と「公共の福祉のためにこれを利用する責任」が明記されているのである。学校でナイフを振り回す「自由と権利」を主張する生徒に対しては、この第12条に基づいて、それが安全で充実した学校生活という「公共の福祉」を脅かしてないか、という切り口で反論できそうである。

■3.「人権制限」への警戒

 しかし、そんな反論もまたすぐに「待った」がかかりそうだ。東書が2頁だけ割いた「6 『公共の福祉』と国民の義務」の中身を見ると、まず「『公共の福祉』による人権の制限」というタイトルで憲法第12条を説明するが、その結びの一節は以下の通りだ。

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 しかし,何が公共の福祉に当たるのかを国が一方的に判断して人々の人権を不当に制限することがあってはなりません。人権を制限しようとする場合は,それが具体的にどのような公共の利益のためであるのか,慎重に検討する必要があります。[2,p58]
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 次に「自由権と公共の福祉」という項目では:

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 例えば,自由権の中でも経済活動の自由については,行きすぎると住民の生活環境が乱されたり貧富の差の拡大につながったりしかねないため,公共の福祉による制限が広く認められてきました。これに対して,精神の自由についてはこのような事情がなく,公共の福祉による制限は限定的にしか認められません。[2, p59]
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 最後の「国民の義務」に関しては、「普通教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」を簡単に説明した後、次の一節で結ぶ。

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 憲法に義務の規定が少ないのは,憲法が国民の権利を保障するための法だからです。国は,憲法に反しない範囲で,国民に義務を課す法律を制定することができます。[2, p59]
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 このように、各項とも人権を制限する事に対する警戒心を露わにして結んでいる。特に「憲法が国民の権利を保障するための法」という憲法観は、「人権」一本槍の構成にそのまま現れている。


■4.「生まれながらの人権」の独善性

 東書のこうした「人権」至上主義はどこから来ているのだろうか。東書は「人権思想の成立」で次のように書いていた。

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 特に17世紀から18世紀にかけての近代革命のときには,人権の思想が,身分制に基づく国王の支配を打ち破るうえで大きな力になりました。そのため,近代革命のときに出されたアメリカ独立宣言やフランス人権宣言などでは,全ての人間は生まれながらにして人権を持つと宣言されました。[2, p36]
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 フランス革命は国王・貴族・教会の旧体制を打倒した革命であった。そのために今までの文化伝統やキリスト教思想からは断絶して、「人は生れながらにして人権を持つ」という主張がなされた。

 そこでは「信教の自由」も謳われていたが、カトリック教会の聖職者や信者には全く適用されなかった。「公序を乱す」という理由で、革命政権に忠誠を誓わない聖職者たちは国外退去や流刑、死刑が科せられ、信仰心の厚いヴェンデ地方では40万人とも言われる大虐殺が行われた。[a]

 なぜこんなことになったのか。それはこの「生まれながらの人権」という考え方が「観念の所産」であって、それまでの文化伝統も宗教もすべて無視して、自分たちだけで何事も決められるという「独善性」を解き放ってしまったからだ。

 そもそも「生まれながらの人権」とは、定義も証明もない「公理」でしかない。したがって何が人権で、何が人権でないかを、論理的に決める客観的基準がない。だから、革命で権力を握った人間たちが、「革命に反対する者には人権はない。殺しても良い」と決めてしまえば、それでも論理が通ってしまう。

 これが歴史伝統を尊重する立場なら「昔から人を殺すのは罪とされている」という道徳も出てくるだろうし、宗教的な教えからは「汝殺すべからず」という戒律も介入してきて、こうした外的な規律から権力者の独善性は制約を受ける。

「学校にナイフを持ってくるのも生徒の権利である」という主張も、「人権」という「観念の所産」からくる独善性がもたらしたものである。歴史伝統を尊重する立場なら「先生がダメと言ったらダメ」と簡単に禁止できる。「人権・・・。教員は、この言葉にどれほど困っていることか」という冒頭の教師の言葉は、「人権」という概念が生徒の独善性を許してしまうからである。


■5.小学校の教室に「自分の不利益には黙っていない」

「人権」という言葉が、教員を困らせている事情がもう一つある。それは「権利」にはもともと「戦って勝ち取るもの」という「闘争性」が潜んでいる事である。

 たとえば、近代的自由の源泉の一つとされるイギリスの名誉革命では、時の国王ジェームズ2世の専制に対して議会や諸侯が立ち上がり、王を追放して「臣民の権利と自由を宣言し、王位継承を定める法律」を定めた。こうした王権と議会のせめぎ合いの中から、権利が確立されていったのである[a]。

 したがって、権利を巡っての争いになりがちなのだが、歴史伝統や神の教えという外的な規律があれば、それが争いを予防したり、緩和する。しかし、それらの外的規律を無視して、何が「生まれながらの人権」なのか、戦いの勝者が決めることになれば、歯止めはなくなり、剥き出しの闘争となってしまう。

 かつて、北海道のある小学校の教室に「自分の不利益には黙っていない」という標語が掲げられていたというが、ここに権利の持つ闘争性という本質がよく現れている。人権概念がもたらした独善性が、歴史伝統や宗教による外的規律を排除して、その闘争性を解き放ってしまったのである。


■6.文化も歴史も宗教も持たないアトム(原子)としての人間

 このような「生まれながらの人権」を抑制しうるのは、ただ一つ、他者の「生まれながらの人権」だけである。逆に言えば、他者の人権を犯さない限りは、何をしようと自分の権利ということになる。

 たとえば、学校で授業をサボって校庭で昼寝していても、屋上でたばこを吸っていても、授業を受けている他の生徒の権利は侵していない。この考えには個人はあっても、クラスや学校という「共同体」のことはまったく考えられていない。八木教授は、次のように指摘する。

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 つまり「人権」という言葉が示しているのは、いかなる共同体にも属さず、歴史も文化も持たない、また宗教も持たない、まったくのアトム(原子)としての「個人」という人間観、人間像なのである。あえて「「人間」の権利」と表記するのはそのためである。[1, p13]
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 これもきわめてまた非現実的な「観念の所産」ではないか。


■7.「大御宝(おおみたから)」の歴史伝統

 このような特異な「観念の所産」である「人権」概念に実体を与えうる歴史伝統がわが国にはある。

 東書では「ハンセン病と人権」というコラムで、ハンセン病患者たちが、「有効な薬」が見つかった後も、国の政策によって隔離され、差別を受けた事例を紹介している[1, p45]。育鵬もハンセン病をとりあげているが、主張点はまったく異なる。「ハンセン病の『人間回復』」というコラムでは、次のような一節がある。

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 皇室は古くからハンセン病患者の救済に力をつくしてきました。岡山県瀬戸内市邑久(おく)町にある国立ハンセン病療養所,邑久光明園(こうみょうえん)の名前は,奈良時代の聖武天皇の后の光明皇后にちなんで付けられたものです。[3, p71]
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 光明皇后は施薬院を設けられ、ご自身でもハンセン病患者たちの身体を洗い、膿を口で吸い出されたという伝承が残っている。その光明皇后と同様にハンセン病対策を後押しされたのが、大正天皇の皇后であった貞明(ていめい)皇太后だった。皇太后が40年近くも陰ながら支えた光田健輔(けんすけ)が、各地に療養所を作り、「有効な薬」の治験も行ったのである。[b]

 国の隔離政策を人権侵害だと学ぶのは良いが、同時にハンセン病患者のために生涯をかけた人々がおり、それを皇室が助けられてきた、という歴史を学んだ方が、中学生たちに「公共の福祉」のために尽くそうという情意を育てるには、はるかに有益だろう。

 皇室が国民を「大御宝(おおみたから)」としてその幸(さち)を祈り、その祈りを実現しようと代々の国民が努力してきた。そこには西洋で生まれた「人権」概念の独善性も闘争性もない。そういうわが国の心豊かな「大御宝の理想」をも、明日の公民となる中学生たちにぜひ教えて貰いたいものである。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(1065) 公民教科書読み比べ(5):フランス革命から学ぶ人権弾圧の歴史
 フランス革命は「人権の歴史」ではなく、「人権弾圧の歴史」として学ぶべき。
http://blog.jog-net.jp/201806/article_1.html

b. 伊勢雅臣『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』、育鵬社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594079032/japanonthegl0-22/
アマゾン「メディアと社会」「ジャーナリズム」カテゴリー 1位(H30/2/1調べ)
万民の幸せを願う皇室の祈りこそ、日本人の利他心の源泉。


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 八木秀次『反「人権」宣言』★★★、ちくま新書、H13
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4480058982/japanonthegl0-22/

2. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122333/japanontheg01-22/

3. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382483/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

無償の愛の体現者マザーテレサの言葉
2019/01/03
無償の愛の体現者マザーテレサの言葉

【今日の言葉+α】

「あなたは大切な人です。
あなたは神様から許されて愛し抜かれています」
━━━━━━━━━━━━━━
マザー・テレサ
○『人生の花を精いっぱい咲かせる生き方』(キャンペーン特典)より
━━━━━━━━━━━━━━

シスターとして60年間、人々の苦悩に耳を傾け、
その心に寄り添い続ける鈴木秀子先生。

本書は、そんな著者が8年にわたり手掛ける月刊『致知』の人気連載
「人生を照らす言葉」から、辛さ苦しさを乗り越えた人たちの体験談を
中心に精選し、再編集を施した一冊です。

本書に収録された25の物語の中から、マザー・テレサについて綴られた一篇を
ご紹介いたします。

………………………………………………

アメリカ人のある神父の話です。

彼は若い時、インドのマザー・テレサの「死を待つ人の家」でボランティアに従事していました。
そこでの彼の役割は、風呂に入れられた病人をバスタオルで受け止めることでした。

ところが、始めたばかりの頃、痩せこけて体が変形した男性が目の前に現れ、
思わず後ずさりしてしまうのです。後ろに並んでいたボランティアの人から
強く背中を押され、勇気を振り絞って男性を抱きかかえました。

怖じ気づく神父を見るに見かねたのでしょう。マザーが代わりに男性を受け止め、
体を拭いながら
「あなたは大切な人です。あなたは神様から許されて愛し抜かれています」

と静かに語り掛けました。死人同然の男性がうっすらと目を開いて
微笑みを浮かべたのは、まさにその時でした。

「たとえ死の間際であっても、憐れみや同情ではなく一人の人間として
対等に接してくれる人が側にいるだけで、人は温かい愛に満ちた心に
生まれ変わることができるのですね」

神父は私にこのように話してくれました。マザーの何気ないひと言によって
人が甦っていく瞬間を目にしたことは、神父にとって終生忘れがたい出来事で
あったことは間違いありません。

マザーが死にゆく男性に施したのは、何も特別なことではありません。
一人の人間として敬い、神様から愛されていることを祝福した、
それだけのことです。しかし、そのひと言は苦しみと絶望の間を彷徨っていた男性には、
何よりの喜びであり、力となるものでした。

よき人生は小さなことの積み重ねです。身近な人とさりげなく心を通わし、
相手に敬意を持って接するという小さな行いの中に、大きな喜びを感じ取れる人間になりたいものです。

目 次
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○第一章 運命を受け入れる
○第二章 心の工夫
○第三章 使命を自覚する
○第四章 真の幸福に気づく

あけましておめでとうございます
2019/01/02
本年もよろしくお願いします。

人間教育としての国語教育
2018/12/16
Japan On the Globe(1093)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sense: 〜『“とっちゃん”先生の国語教室』から

「人生を考えはじめている青年と共に考える。ということは、実に当然、国語教師のしなくてはならない事柄である」


■1.「ひたすら国語教師たるの道を求めつづけられた」

“とっちゃん”先生、こと、桑原暁一先生はある都立高校の国語教師を20年間勤めた人物である。この本の前書きには、こう紹介されている。

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 桑原さんは、一高文科を経て、東大文学部国文学科といういわば世にいうエリートコースを進んだ学究であったが、生涯を通じて栄達などには目もくれず、ひたすら国語教師たるの道を求めつづけられた。[1, p2]
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 桑原先生は昭和48(1973)年3月に退職された後、わずか2ヶ月後には逝去される。まるで国語教師を辞めたら、もうこの世には用がない、とでも言うようだ。ところが、その数年後、ある美しい機縁から、その遺稿が見つかり、出版されたのである。

 桑原先生の無二の親友だった教育学博士・元佐賀大学教授の副島羊吉郎先氏が、桑原先生からの来信を見直していると、昭和三十年二月二十九日の手紙に「『人間教育としての国語教育』を一気に書きあげた」との一節を発見された。もう20年以上も前の手紙である。

 ご遺族に探して貰ったところ、「不用になった試験問題用紙の裏を利用して、鉛筆でなぐり書きしたような筆運びのものが発見」された。副島教授は、それを丹念に別の原稿用紙(四百字詰八十九枚)に清書された。原文の判読で迷われた筆跡個所については、故人の筆跡をよく知っている方を煩わして解明できたという。副島教授は、こう書いている。

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 よみづらいことおびただしい原稿でした。しかし桑原さんは、″自分が一番力を注いだのは国語教育であったから、最後には国語教育に関することをまとめたい″と言っていました。
その念願を果さずに亡くなられましたから、この論文を私は非常な関心をもって読みました。結果は深い感銘をうけました。桑原さんが後で書かれたら、もっと修正したことだろうと思いますが、大きな筋は大して変らなかったのではないかと思います。[1 ,p4]
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 この遺稿をまとめた本が『“とっちゃん”先生の国語教室』[1]である。この本は最近、電子書籍版にて復刻され、私も一読して、深い感銘を受けた。「国語教師たるの道」を追究した人の言葉として、ぜひ国語教師を志す人、あるいは、ひろく教育に関わる人々に読んで貰いたいと思い、今回、紹介させていただく。


■2.「先生は生徒との一体感をとても大切にしていました」

 桑原先生の教師ぶりについては、この本のあとがきに寄せられたかつての生徒たちの思い出から窺うことができる。ある女生徒はこう書いている。

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 先生との出会いは千岳荘、夏の移動教室である。地下足袋をはいて、さっそうと安達太良山を登る先生を、私達は山のおじさんかと思っていた。そのおじさんが、二年になって教室に現れたのに困惑してしまった。
初めは風変わりな先生だなあと思っていた。先生も初めは実際そうしていたように思われる。教科書を小わきにかかえ、おもむろに教室に入ってくる。教壇に着くか着かぬ間に、ひとりで御辞儀をすませてしまう。立ちあがった私達は機を失っておどおどしてしまうといった調子だ。[1, p164]
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 桑原先生の授業ぶりについては、別の生徒がこう回想している。

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 先生は生徒との一体感をとても大切にしていました。・・・ある時には、きのう作った句だといって、

 老残の書斎明るむバラ五輪

と黒板に書きました。たいていそんなことをしながら生徒と一体になっていくのでした。そして本当に一体になった時には、目を細めて、つぶやくような話し方で、しみじみとした話をしてくれました。僕はこういった時の先生が一番好きでした。昔、小さかった二人の息子さんを、おんぶした時に、背中に伝わってくる子どもの感触のよかったこと。・・・[1, p171]
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■3.「国語科でやることは、ことばによる人間相互理解である」

「桑原先生は、いつも人間という生きた対象−生徒達も含めて−に素直に近づこうとされるようでした」と別の生徒は回想している[1, p163]。「生徒との一体感をとても大切にしていました」という前節の言葉に通い合う表現である。そして、それこそが「国語教師たるの道」として、桑原先生が生涯、求め続けたものであった。

 桑原先生は学校教師になってまもなく、国語とは何を教える学科なのか、真剣に悩んだ。フランスの哲学者ルソーの教育論『エミール』を読むと、「言葉による教育は一切与えず、すべて実地について教えきたえる。書物は無用。ただし例外として『ロビンソン・クルーソー』だけは読ませても良い。自分の頭と手足だけで生活をきずきあげた物語であるからだ」という。

__________
 ぼくは全くがっかりしてしまった。これでは国語の教師をやめるほかはない、人はわらうかも知れないが、いい年をして、こんなだらしない気持ちの日々がつづいたことがあった。[1, p28]
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 こうして少なからず悩んだ末にたどりついたのは、こういう結論だった。

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 ロビンソン・クルーソーも、ことばはもっていたにちがいない。そして、そのことばは、やはり「人間」のことばであり、彼自身つくり出したものではあるまい。国語科でやることは、ことばによる人間相互理解である、ということを、ルソーに向かっていってもわらわれないであろう。[1, p29]
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■4.人間はことばによって人間となる

 桑原先生はかつて読んだヘレン・ケラーの伝記を思い起こす。ヘレン・ケラーは幼児の時の病気で、目も見えず、耳も聞こえず、そのために言葉を話すこともできなかった。そして、性格が非人間的で粗暴で手がつけられなかった。

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 つまり、彼女はことばがわからないために、正に人間ではありえなかった。人間の間におかれた一種の動物にほかならなかった。それは自己を相手に通じさせるためには、わめいたり、あばれたりするほかはなかったのである。[1, p30]
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 そこに家庭教師のアン・サリバン女史がやってきて、手のひらに指で文字を書くことを教える。だんだん言葉が分かるようになり、サリバン女史と言葉が交わせるようになると、性格も穏やかになっていった。

 人間は言葉を通じて、他者とつながる。そのつながりの中で、人間として成長していく。桑原先生のクラスに不良じみた生徒がいた。両親はなく、親戚に厄介になっている。おもてだって、あまり口をきかず、かげではたえず人をいじめたりしている。

__________
 人間的な愛情に飢えているということは、ことばにうえているということである。・・・

 ぼくはこういう子供に、しいて言葉をかけるように心がけた。教室でも何か簡単な質問をしては、なるべく口を開かせ、教室の仲間入りをさせようとした。
ぼくのいうことをきかないで、わきのものに何かコソコソいたずらなどしているのをみつけると、「ぼくはお前がきいていないと張り合いがないよ、ぼくをがっかりさせないように、よくきいてくれよ」なんてこともいった。むろんぼくは、ぼくのこの心くばりを過大評価するつもりはないが、その子供をいくらかすなおな子供にしたことは信じている。[1, p31]
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■5.「生きた人間関係のなかに」

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 国語の時間には、つねに話し合いが行われなければならない。人間的な話し合いの行われるのは、国語の時間をおいて他にはもとめられないものなのである。[1, p33]
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 たとえば、国語の時間に、なにかの論文を読む、という時でも、「人間的な話し合い」の中で行われなければならない。

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 ある論文をよむ──よむというのは間接に人の話をきくということである。きいたら、ききっばなしのこともあろうが、多くの場合はそれに対して何かもっとききたいこともあろうし、自分からきいてもらいたいこともある。

 ところが、相手の人はそこにいない。一方的にきかせられるだけである。そこで教師がその人の代役をつとめたらよい。教師はその論文の筆者になりかわって、みんなの質問にこたえ、その意見をきく、ここで会話が行われる。そうすれば、この一つの論文は生きた人間関係のなかにおかれたものとなる。[1, p31]
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「桑原先生は、いつも人間という生きた対象−生徒達も含めて−に素直に近づこうとされるようでした」「先生は生徒との一体感をとても大切にしていました」という姿勢は、このように授業を「生きた人間関係」の中で行おう、という考えからきたものであった。


■6.国語の授業で、文学作品を取り上げる理由

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 人間教育ということは、国語教育のになう重要な役割であるとすれば、文学作品はそのもっとも適当な教材である。多くはのぞむ必要はない。一つの作品、一人の作家を、ほんとうによく知りそれと親しむこと、それだけでもいいことである。[1, p21]
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 ここで、国語の授業で文学作品を取り上げる理由が明かされる。文学作品をとりあげるのは、文学を学ぶためでなく、文学を通じて人間教育を行うためなのだ。文学そのものを学ぶのではないから、文学作品を広範に渉猟したり、文学史を系統的に学んだりする必要はない。

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 ぼくは中学の教師をしていたとき、教科書に中勘助氏の『銀のさじ』の一部分がのっていたのを機会に岩波文庫を生徒全員に買ってもらって全部をよみとおしたことがある。・・・

・・・生徒も大変よろこんでくれたようである。とにかく全部よんだ上で、何かわからないところ、問題となるところを質問させると、みんなどんどんといろいろきいてくるのである。[1, p20]
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『世界が称賛する 日本の教育』[a]では、灘校の「伝説の国語教師」橋本武氏が中勘助の名作『銀の匙(さじ)』を中学3年間かけて読み通すという授業を行って、大きな教育効果をあげている事例を紹介した。

 橋本武氏と桑原先生はほぼ同時代に、よく似た国語教育を実践していたのである。東京の中学教師と神戸の中学教師とでは、互いの事も知らなかったろう。しかし、真剣に「国語教師たるの道」を求め続けた結果、両者は似たような国語教育の方法に行き着いた、という事だろう。


■7.「青年と共に考える」

 この方法では、生徒たちがまずは自分で、一人の作者なり、一個の文学作品に取り組んでいく、という姿勢が不可欠だ。

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・・・僕は、その(JOG注:徒然草の)一段(本で一頁か二頁くらい)を一時間位にらみつけて、自分の力でどの位正確に、どの位深く読みとることができるかためしてみる、そんな勉強をおすすめしたいのです。
そしてその後で参考書をよめば「なるほどそうか」とうなずくところがあるものです。自分にわからないところがわかる、ということが大切で、それなしに片っ端に参考書を見て全部わかったつもりでいる、ということが困るのです。[1, p92]
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 これを桑原先生は、相撲の稽古にたとえて、こう説明している。

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 相撲の稽古は自分よりも強い相手の胸をかりて、叩きつけられ、叩きつけられするということでなければ、稽古ではないでしょう。それと同じで参考書の力を借りて、いつも簡単に相手を負かしたつもりでいたのでは、自分の力は分らないし、いつまでたっても力はつきません。自分で相手にぶつかっていくことです。

 教師や参考書はいわばコーチです。自分で努力したものにして始めてコーチの云うことがよく分って、自分のためになるのです。[1, p94]
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 国語教師がコーチを務める高校生たちは自我のめざましい成長期にある。

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 われわれはシェイクスピアについては、しろうとであるかも知れない。しかし、彼の一つの作品が提出している問題−それが人間の、あるいは人生の根本問題であればあるほど、もはや専門家も素人もあるはずはない。その問題について、ちょうど人間、もしくは人生を考えはじめている青年と共に考える。ということは、実に当然、国語教師のしなくてはならない事柄である。[1, p59]
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 この「青年と共に考える」ということこそ、国語教師にしかできない事柄である。そしてこれこそが、「国語教師たるの道」の究極の目標であろう。一人でも多くの国語教師にこういう道を目指していただきたい。それこそが「人作り」の正道である。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本の教育』、育鵬社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594077765/japanonthegl0-22/
アマゾン「日本論」カテゴリー 1位(H29/8/3調べ)、総合41位

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■『世界が称賛する 日本の教育』へのカスタマー・レビュー、32件、」5つ星のうち4.4

■★★★★★真の教育は日本にあった。青い鳥です。(はなぶささん)
 私は、自分の子育てにあまり自信がなく、近所に吉田松陰先生のような方がいてくださったらなあ、民の安寧を祈る御存在である天皇陛下を中心としてできあがった日本のあり方を学校で教えてくれたらなあ、など、気持ちは後ろ向きな私でした。

 が、この本を読んで、先人が時として命をかけて受け継いできてくれた尊い日本の教育は今でもあちこちで生きているということ、そして、自分にもささやかだが小さなことからできることのヒントを得ることができました。

 例えば、子供たちに自分で部屋の隅まで掃除をさせる忍耐力をつける。古人と共に生きるということ。レビューには書ききれないほどの事例があり、感動で目頭が何度も熱くなり、日本人として生まれてよかった、そしてそこで満足するのではなく、どのように社会で貢献していけるか、とても勇気を頂きました。

 先人の大事にしてきた教育、想いを受け継ぎ、子孫に残していくその大きな流れを改めて確認し、自分もその流れの中にいることを認識できました。何を目標に生きるのか、仕事をするのか、子供に教えるのか、人づくりというマニュアルがないものですが、でも核となるものを考えさせていただきました。

 教育者だけでなく、母親だけでなく、誰が読んでも社会の一員として人としてどう生きるべきかのヒントがちりばめられている、背筋がのびるおすすめの本です。
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 桑原暁一『“とっちゃん”先生の国語教室: 桑原暁一・遺稿から』★★★、国文研叢書 Kindle版
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B07L7RPSH8/japanonthegl0-22/



嘘を発信し続ける中国と韓国、信じて日本を叩く米国
2018/12/06
嘘を発信し続ける中国と韓国、信じて日本を叩く米国
森 清勇
2018/12/06 06:00

 ラビア・カーディル元世界ウィグル会議議長が中国のウィグル政策に対して、「米国は目覚めた」と語っている(「産経新聞」平成30年10月21日付)。
 自由や民主主義、法の支配は古代から幾多の哲人や革命などを経て確立され、近代社会になると人権も重視され、今日では普遍的価値とされている。
 また、17世紀半ばのウェストファリア条約体制で、「国家主権の尊重」が確立され、普遍的価値と共に現代の国際社会を律する基本とみなされている。
 そうした中で法の支配を無視する韓国、自由や人権も含めた普遍的価値観を蔑にする北朝鮮などの独裁国家も依然として存在する。
 ところが中国は、中華思想や華夷秩序も手伝ってか、普遍的価値観を認めず、他国の国家主権の侵害も平然と行い、覇権を追求してやまない国であるようだ。
ピルズベリー博士の指摘
 米国のマイク・ペンス副大統領はハドソン研究所で行った10月4日の演説で、対中対決の姿勢を明確にした。
 「ソ連の崩壊後、中国の自由化は避けられないと想定した」
 「自由が経済的だけでなく政治的にも拡大することを期待した」
 こう述べ、そのため「楽観主義をもって米国経済への自由なアクセスに合意し、WTO(世界貿易機関)にも加盟させたが、その希望は満たされなかった」と断言したのだ。
 副大統領は、ハドソン研究所理事のマイケル・ピルズベリー著『China 2049』の論拠をなぞるような形で演説した。
 ピルズベリー博士は、もとCIA(米中央情報局)の高級職員として米国の歴代政権に仕え、1973年から中国各軍の将官や政府の強硬派と仕事をしてきたと自認する人物である。
 コロンビア大学の博士課程時代の政治学の指導教官は「西洋と日本がいかに中国を不当に扱ってきたかを強調し、『贖罪すべきだ』と示唆した」と述べる。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 『China 2049』(日経BP社)
 その結果、中国を研究する米国人の多くは「(中国を)西洋帝国主義の気の毒な犠牲者」と見做しがちであるという。
 「中国を助けたい」という願望と、「犠牲者という中国の自己イメージ」を盲信する傾向が米国の対中政策の軸となり、「中国分析の専門家による大統領などへの提言」にも影響を与えたという。
 『China 2049』は、博士が50年間中国に関わってきた集大成として2015年に上梓したものである。
 中国専門家として中国の軍部や諜報機関に誰よりも通じていたと自負する著者が、朝鮮戦争、中ソ関係、ニクソン訪中、天安門事件などに関わる中国の考えを米国は少しも理解していなかった、というから驚きである。
 ピルズベリー氏と同じように、ジョージ・ワシントン大学のロバート・サタ―教授なども中国の攻撃的行動を過小評価していたことを告白している。
 中国が依然として「孫子」の国であったことを如実に示したというべきであろう。
 そこに習近平氏が登場し、ケ小平の遺訓ともいうべき「韜光養晦」の終焉を告げたのである。
 「中華民族の偉大なる復興」を掲げて権力を集中し、「中国製造2025」で世界一の軍隊を作り上げ、太平洋の二分を目指すと公言したのだ。
 そのベースになる研究や技術は米国や日本など先進国の知財窃盗によるものである。
 中国が米国に対峙する、あるいは凌駕する覇権国家を目指すと闡明するに至っては、好意的にサポートしてきた米国も黙っているわけにはいかないと立ち上がったのだ。
中国の条約破りに加担した米国
 日本で参事官として1919年まで2年間勤務したジョン・マクマリーは、帰国後は国務省で極東部長や国務次官補を務め、1925年から4年間、公使として中国で勤務する。
 1921〜22年のワシントン条約会議にも参加し、中国の主権や領土をいかに保全するか真剣に議論されたことを知り尽くした人物である。
 また、米国が英国に代わって世界のリーダーに躍り出る仕組みを仕かけ、日英同盟もこの時に破棄されたのだ。
 しかし、中国は条約違反を繰り返す。
 日本が被害を受けている事実を中国の後見人ともみなされた米国に訴えると、逆に日本の対応に異議を唱える始末で、中国を諫めるどころか増長させていくことになる。
 そうした顛末については、マクマリーが『平和はいかに失われたか』に詳述している。
 米国がもっと日本の言い分に耳を傾け、また約束を守らない中国に強く当たったならば、状況は全く変わったであろうというのだ。
 著名な外交史家のジョージ・ケナンやジョセフ・グルー駐日米国大使もマクマリーの見識を高く評価していた。
 特にケナンは、ワシントン条約破り常習犯の中国に日本が苦労していることや共産主義に日本が対処している実情を米国が理解していれば、その後の米国がソ連という共産主義国に対処する必要は起きなかったといったニュアンスのことを述懐している。
 日本人で当初共産思想に憧れ、米国に帰化したカール・カワカミ(カールはカール・マルクスに由来)は、後に米国紙誌の論壇で保守思想家として活躍する。
 1930年代、満州や中国本土なども視察し、中国を最も知っているのは日本(人)であると述べ、その日本の忠告に耳を傾けない米国に意見する。
 実際どのように米国が親中反日的行動をとっていたかを、下記2人の米国人が教えてくれる。
中国の宣伝に踊ったルーズベルト大統領
(1)フレデリック・ウイリアムズの忠告
 ウイリアムズは少年時代に外人部隊に所属し、その後は世界各地を放浪する冒険者的生活を続け、新聞で発表していた経験からジャーナリストになる。
 支那事変前の日本軍と中国軍にも従軍して取材し、正義感はどちらが持ち合わせているか、また共産主義の危険性などを警告する。日米と米中の貿易についても商務省統計を使って事実を明かす。
 「西洋諸国はアンチジャパンで、(中略)日本が負けたら、ソビエトがあらゆる国を中国貿易から締め出し、共産主義の垂れ幕の下に宝の山を運び入れるだろうという事実を彼らは考慮に入れない」
 「ロシアの脅しが聞こえている。いままさに行動に移ろうとしている。日本はいまにも世界のパワーになろうとしているソビエトを阻止しようと一人で戦っている」
 「我々が日本に1ドルを支払うごとに、彼らは20ドルをアメリカに支払っている。日本は1937年では、アメリカから41%以上を買っている」
 また、1936年と37年の米国の対日中貿易額の細部にわたる統計資料(36年:対日出超額3179万1000ドル 対中入超額2681万7000ドル、37年:対日出超額8417万6000ドル 対中入超額5391万9000ドル)から、両年で対日出超額は5238万5000ドルの164%増加に対し、対中入超額が2710万2000ドル、10%増加を示す。
 そして、「日本は西洋の工場で生産された農業機械類、鉄道資材など、無数のものを必要とした。(中略)アメリカ人が目覚め、外国のプロパガンダの手先になることをやめれば、このビジネスに参加できる」と、真実に目覚めるよう訴える。
 蒋介石のプロパガンダについては「かつてなかったほど沢山の偽物写真がアメリカの新聞雑誌にこっそりと挿入されている。彼らは次々と人々に恐怖を起させようと、実にタイミングよくリリースしていった」として、上海の爆撃で破壊された廃墟で泣き叫ぶ赤ん坊の写真を例示する。
 「世界中に配布されているから、偽物だと論破するにはもう遅い。(中略)『無法行為』をしでかした『非人間的な日本人』への反感から、義憤が立ち上がってきた。このような写真は沢山ある。・・・そして日本の敵には大変な名声を博している」
 「没落し行く紹介石政府は絶望したあげく、アメリカ人が結果として干渉してくることを期待して、まず同情を、それから援助を獲得しようとして宣教師たちにすがり寄った」
 「宣教師がやろうとしたのは、アメリカ人からの寄付であった。(中略)彼らは軍閥の支配体制、泥棒性、いかさま性、不信性、道徳的堕落、野蛮性、ふしだら、賄賂といったことには言及しない」
 「これらは役人にも大衆にも共通する中国人の日常生活である。彼らは『素晴らしい』ところ、哀れを誘うところ、同情を喚起するところしか言わないのだ」
 「中国人は善意で貧しくて、西洋世界とキリスト教が彼らに与えられるものを評価し、あこがれていると」
(2)ラルフ・タウンゼントの警告
 タウンゼントはコロンビア大学卒業後、新聞記者、大学講師を経て外交官となり、カナダから1931年に中国に赴任する。上海、厦門、福州で領事として2年勤務する。
 中国に対する知識をほとんど持たずに赴任した実体験から、中国人の生き方や社会観、国家観などが自分の国と著しく違うことを知り、同時に米国が行っている援助や布教活動は全く無意味なものであると考え、外交官を2年で辞職する。
 中国の本当の姿を知るのは宣教師、事業家、外交官らであるが、宣教師と事業家は本国からの援助や事業継続のために真実を覆い隠し、外交官は美辞麗句の建前報告をする一方で、日本の脅威のみが誇張されたという。
 中国の本当の姿を米国人に知らせる必要があるとして『暗黒大陸 中国の真実』(1933年)を書き上げる。
 その後も大学講師の傍ら米国の極東政策のあるべき姿を示し、米国人の間違った日本観、中国観を執筆や講演・ラジオで糾すことに明け暮れる。
 ルーズベルト大統領が進めている極東政策、なかんずく対日政策の誤りを質すものだけに、言論弾圧にも似て出版も放送も制約され、自宅あてに希望冊数などを寄せた者へ配送するなど大変な窮状の中でやらざるを得なくなる。
 サンフランシスコのラジオ局から放送された原稿などを集めた『アメリカはアジアに介入するな!』では、中国発信の嘘を米国が拡大発散していく状況を、軍隊の規模や商務省の統計などを活用して明らかにしている。
 当時の米欧諸国は「狂犬病的日本軍国主義の恐怖にさらされている」という話で持ちきりであるが、タウンゼントは「いかなる証拠があっての言い分か?」と訝る。
 そして「最大限入手可能な中立国の資料を総合して弾いた兵力」を、中国225万人、ソ連130万〜150万人と紹介し、同時期の日本の常備軍は列強中最小の25万人だという。
 しかも、中国とソ連は合体し400万人の兵力と圧倒的優位な資源で日本に対処してくる恐れがある。これでどうして「(日本が)世界征服を企てる」と言えるのかと疑問を呈する。
 日本は「米国を脅したことは一度もない」し、「どこの国よりも米国に対して丁重であり、借金をきっちり返済する唯一の国である」と事実に基づいて言う。
 軍国主義ばかりでなく、日本の印象を悪くするためにありとあらゆる偽情報、例えば最大の海軍増強国、独裁国家、未開の国、侵略国家などが流されているという。
 他方で、「民主主義の中国」、「平和愛好国家中国」と称揚し、「孤立するアメリカ」と際立たせて、すべての原因が日本にあると言わんばかりの一色に染め抜かれた状況に言及する。
 こうした「反日アジは、中国の領土を保全しようとして起きたものでないことは明らか」という。
 なぜなら、1895年(日清戦争)から1910年(韓国併合)までずっと日本が領土を拡張していた頃、「アメリカの新聞は大の親日」であり、西海岸の一部の新聞を除いて1918年(WW1終了)まで「心から日本を支持」していた。
 実際、親日世論もあって日露戦争(1904〜5年)時、クーン・ローブ社のニューヨーク銀行のジェイコブ・シフはかなりの額の融資を行う。
 タウンゼントはこうした真実を米国民に訴え続けるが、米国政府の(日本を敵に仕立てる)政治的企みがもたらす悪意の宣伝に抗すべくもなく、前述のウイリアムズともども、日本を好意的に報道したとして外国代理人登録法違反で囚われ、日米開戦数か月後から囚われの身となり刑に服する。
米国の対中認識は遅すぎた
 米国の中国専門家や政治家が中国に対する敵対心を高めている。しかし、ざっくり言えば、上述のように政治的思惑から放任してきたわけで、寝ぼけた話である。
 日清戦争は中国の約束破りから起きたもので、日本はそれ以前から中国の狡猾に気づいてきたし、諸外国に警告も発してきた。
 しかし、諸外国、特に米国は一向に耳を傾けないどころか、日本を悪者に仕立てて批判するばかりで、日本は孤軍奮闘する以外になかった。
 こうした状況は昔話ではなく、今でも南京事件や慰安婦問題などに受け継がれている。
 中韓の誇大宣伝は真よりも偽の拡大をベースにしている。対する日本は物事の真髄を指摘して、さほど騒いだりしない。
 ところが、多くの米欧メディアは偽を騒ぎ立てる中韓に加担して、「日本=悪」という前提を固守しているように見受けられる。
 「一帯一路」に関係する諸国は、中国の底意に気づき、プロジェクトに疑義を持ち始めた。
 これらの諸国よりも1世紀以上も長く中国と関わってきた米欧諸国もマーケットの大きさなどに幻惑されることなく、中国の本質をしっかり見極めてほしいものである。

あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?
2018/11/16
号外 ★あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?
(ロシア政治経済ジャーナル)

■Japan On the Globe(号外)■国際派日本人養成講座■
【伊勢雅臣】私の愛読する「ロシア政治経済ジャーナル」
https://www.mag2.com/m/0000012950.html
の北野幸伯さんが、拙著『比較中学歴史教科書一国際派日本人を育てる』の書評を発信されました。

 その中で、心に残ったのが、こんな子供の声です。

「僕は、日本人。
よりよい日本を作り、世界に和をもたらすのだ!」

 まさしく、こういう子供達が育つような歴史教科書であって欲しい、という思いで、この本をまとめました。北野さん、まことにありがとうございました。

伊勢雅臣『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』(勉誠出版、新書、\900+税)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/

 なお、教育改革に取り組まれている方、より良い教科書採択に努力されている方へのプレゼントを続けています。ご遠慮なく、応募下さい。
お申し込みは=>
   https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=463786
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     ロシア政治経済ジャーナル No.1879
                2018/11/10

★あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?

全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!

北野です。


では、本題。

私が、1990年19歳でモスクワに行ったとき、「自然と」自虐史観に染まっていました。

「ナチュラルに」「日本は悪い国」と信じていたのです。

しかし、モスクワに行ったら、日本と日本人は、世界でとても愛され、尊敬されていることがわかった。

それで、私は比較的速やかに自虐史観を卒業することができました。

ところで、今になって私は考えます。

「なんで自分、自虐史観に染まってたんだっけ?」

「いつのまに自虐史観を植えつけられたんだっけ???」

唯一の答えは、【学校で自虐史観を植えつけられた】でしょう?

他の場所は考えられません。

ところが、この先、私はどこにも進むことができません。

かなり確信的に、「学校以外の場所は考えられない」と思いますが、検証するのは容易ではない。

皆さん、自分の子供が、「僕は、悪い日本民族の子。

あ〜あ、なんでアメリカ人として生まれなかったんだろう。

中国人と韓国人に、あやまりつづけて、下をむいて生きて
いこう」

というふうに育ってほしいですか?

それとも、

「僕は、日本人。

よりよい日本を作り、世界に和をもたらすのだ!」

と思い、大志をもって進んでいけるようにしたいですか?

「セルフイメージ」ってホントに大事ですね。

松下村塾から偉人が続出したこと、「セルフイメージ」の大切さを証明しているのではないでしょうか?

志を植えつけられた子は、田舎に生まれ育っても大きなことを成し遂げるのです。

私たちの子供達は、どんな風に自虐史観を植えつけられて
いるのでしょうか?

「自虐史観ではない」歴史教科書はあるのでしょうか?

この疑問に答えてくれるのが、私が非常に尊敬する伊勢雅臣先生です。

皆さんご存知「国際派日本人養成講座」(JOG)発行人。

JOGは、全日本国民必読メルマガです。

まだの方は、いますぐこちらからご登録ください。(無料)

https://www.mag2.com/m/0000000699.html


伊勢先生、昨日ものすごい本を出版されました。



●比較中学歴史教科書─国際派日本人を育てる

(詳細は https://amzn.to/2Pg4F3r )

これを読むと、「嗚呼、俺はこうやって知らぬ間に自虐史観を刷り込まれていたのか!」
とはっきりくっきり理解できるようになります。

自虐史観というと、たいていは「2次大戦の話」かと思いがち。

ところが、日本の教科書は、なんと縄文時代の話から自虐史観に満ちている。

一方でシェアはすくないものの、なかには「脱自虐史観」の教科書もあるのですね。

伊勢先生は、具体的に「自虐史観教科書」と「脱自虐史観教科書」を比較され、「ここがこんな風に自虐的」と指摘してくださいます。

なんと古代から冷戦終了まで、非常に細かく具体的に解説してくださっている。

私は読みながら思ったのですが、「自虐史観教科書」って、ある面「自虐史観のステマ」をしているのですね。

ある記述、一見すると当たり前に思え、そこに自虐史観が組みこまれていることに気づかないのです。

ところが、伊勢先生のような大賢人が読むと、「ここはここがおかしい」と気づかれる。

私も、教科書比較と伊勢先生の解説がなければ、「この場所に巧妙に自虐史観が隠されていたのか!」と気づかなかったでしょう。

お子さんのいる方は、是非伊勢先生の新刊をお読みください。

次に「脱自虐史観」の教科書も入手しましょう。

そして、気概と大志を持った子供達を育てていきましょう。

北野絶対お勧めです!


●比較中学歴史教科書─国際派日本人を育てる 勉誠出版

(詳細は https://amzn.to/2Pg4F3r )

■伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。
 本誌への返信にてお送り下さい。

約1万5000年前,日本人は,土器をつくり始めました
2018/11/10
国際派日本人を育てるための歴史教育
Japan On the Globe(号外)■ 国際派日本人養成講座 ■H30.11.09

伊勢雅臣著『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』発売
 歴史教育の問題を探ろうと、各社の中学歴史教科書を読み比べてみたら、みな検定を通っているのに、こんなに違うのかと驚きの連続でした。
 その教科書比較から、日本の歴史文化を「根っこ」として持ち、国際社会で尊敬される国際派日本人を育てるための歴史教育が見えてきました。

■あなたは自分の言葉で日本を語れますか?

 いくら外国語ができても、自国の歴史文化も語れない「根なし草」では、外国の歴史文化も語れず、外国人と語り合うこともできません。そういう日本人が多いのは、日本の歴史教育の問題ではないでしょうか?

「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」

 この学習指導要領の目標が達成されていれば、それを「根っこ」として国際社会でも逞しく生きていける「国際派日本人」が育つはずです。現在の歴史教科書は、この目標を達成しているのでしょうか。

 この問題意識から、本講座では5年、46回に渡って、「歴史教科書読み比べシリーズ」を発信してきました。そのエッセンスを大幅に書き改め、1冊の新書版にまとめたのが、今回の『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』です。教育改革、教科書採択に関わっていらっしゃる皆様や、自分の言葉で日本を語る事に自信のない方々には、ぜひお読みいただきたいと思います。

伊勢雅臣『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』(勉誠出版、新書、\900+税)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/

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■■『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』贈呈■■

 本書は、我が国の教育改革にささやかなりとも貢献したいという思いで、書き綴ったものです。現実に教育改革に取り組まれている方々、より良い教科書採択に努力されている方々に、贈呈させていただきます。今後のご活動の参考にしていただければ、幸いです。

 皆様のお知り合いで、このような方がいらっしゃいましたら、ぜひ本号を転送して、お知らせ下さい。

お申し込みは=>
   https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=463786
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 以下、目次と前書きのみ、ご紹介させていただきます。

■目次

 序章 歴史教科書の目標
  歴史教育の目標
 「なぜ歴史を学ぶのか」
 
 第一章 独立国家・独立文明の建設
  縄文・弥生・古墳時代の独創性
  国づくりの苦闘
  日本文明への自信

 第二章 大御宝のための国づくり
 「公地公民」か、「階級社会」か
  戦国時代の高度経済成長
  徳川幕府の学問による国づくり
  世界最高の教育水準が実現した農村自治
  大御宝のための国づくり

 第三章 植民地主義との戦い
  欧米列強のアジア進出と幕末の危機
  日清戦争は何のため?
  日露戦争(上)〜 怪雲空にはびこりつ
  日露戦争(下)〜 世界を変えた一戦
  韓国併合は植民地化か

 第四章 共産主義との戦い
  暴力革命だったロシア革命
  日中戦争に引きずりこまれた日本
  大東亜戦争 〜 自存自衛とアジア解放の戦い
  和平への苦闘
  占領下の戦い
  冷戦とアジア独立


■まえがき
 
 三内丸山遺跡の発見などによって日本の縄文時代像が急速に書き変えられつつあり、それに刺激を受けて、縄文土器や土偶がブームとなっている。このように学問的な進歩が急速に進む時の歴史教科書の記述は難しい。定説と仮説との境界がまだはっきりせずに、どこまでを定説として教科書に記述すべきか、教科書執筆者は難しい判断を迫られるからだ。

 一般の読者は歴史教科書はすべて文部科学省の検定を通っているので、考古学的な研究成果については、ほぼ同じような内容だろうと、想像するかも知れない。しかし、各教科書の記述を比べてみれば、大きな違いがある。たとえば最古の土器の年代に絞って、いくつかの中学歴史教科書を見てみてみよう。(いずれも平成二十七年検定済み)


(1)狩りや漁・採集で得た食糧の保存や煮炊きのために土器を使うようになり、食べられる物の種類が増えて、食生活は豊かになりました。このころの土器は、表面に縄目の文様がつけられていることが多いので縄文土器といいます。(帝国書院『社会科中学生の歴史』)

 帝国書院版は土器と食生活の関係に関しては詳しいが、年代は書いていない。


(2)日本列島の人々は,1万2000年ほど前から土器を作り始めました。これはどんぐりなどの木の実を煮て食べるために考え出されたもので,世界的に見ても古い年代とされています。(東京書籍『新版 新しい社会歴史』)

 東京書籍版では、「1万2000年ほど前」から土器を作り始めた、とし、「世界的に見ても古い年代」とする。


(3)今から約1万5000年前,人々は,食物を煮炊きしたり保存したりするための土器をつくり始めました。これらの土器は, その表面に縄目の模様(文様)がつけられることが多かったため,のちに縄文土器とよばれることになります。縄文土器は,北海道から沖縄まで日本列島全体から出土しています。これは世界で最古の土器の一つで、・・・(育鵬社「新編 新しい日本の歴史』)

 育鵬社版では「土器をつくり始め」た時期を「約1万5000年前」とし、「世界で最古の土器の一つ」と表現している。


(4)今から1万数千年も前から、日本列島の人々はすでに土器をつくり始めていた。これは、世界で最古の土器の一つである。
側注1 青森県大台山元1遺跡から発見された土器は炭素年代測定法で約1万7000年前とされている。
側注2 2013年、日・英の研究チームが、北海道や福井県で出土した約1万5000年前の土器から、世界最古の過熱調理の痕跡を発見した。(自由社『新版 中学社会 新しい歴史教科書』)

 自由社版の記述はもっとも詳しい。側注では最古の土器として約1万7000年前のものが見つかっていることを指摘し、本文で「世界で最古の土器の一つ」としている。また「世界最古の過熱調理の痕跡」も発見されていることを述べている。


 土器の年代だけでも、「記述なし」(帝国書院)、「1万2000年」(東京書籍)、「1万5000年前」(育鵬社)、「約1万7000年」(自由社)とばらついている。
発見された最古の土器の年代を言うか、ある程度、普及した時期を言うかによって、2〜3千年のバラツキがあるのは理解できるが、東京書籍版で「1万2000年前」というのは、群を抜いて新しい。また、帝国書院に至っては、年代すら記載していない。

 さらに世界の他の地域との比較に関しては、記述なし(帝国書院)、「世界的に見ても古い年代」(東京書籍)、「世界で最古の土器の一つ」(育鵬社、自由社)と、これもバラバラである。

 教科書はギネスブックではないし、またいつ、より古い土器が見つかるか分からないのだから、ピンポイントの世界一かどうかを教科書で論じてもあまり意味はない。
しかし、岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官が指摘しているように、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」(『日本の歴史01 縄文の生活誌』、講談社学術文庫)という点は、わが国の歴史を学ぶ以上は、知っておくべき重要ポイントであろう。
そのような大事なポイントをまったく学べない教科書もある、という問題をここでは指摘しておきたい。

 土器の年代という単純な事実に関しても、各教科書でこれだけのバラツキがある。とすれば、それらの事実をベースに描かれる縄文の時代像も、教科書によって大きく違ってくる。かつては日本の縄文時代は「毛皮を着た原始人が獣を追っている」というようなイメージで描かれており、弥生時代になってようやく中国や朝鮮から米作が伝わって文明化した、という時代像であった。
しかし、最近の考古学的発見で縄文時代の日本列島では独自の文明が発達していたという時代像が描かれつつある。各教科書の記述のばらつきは、古い時代像から新しい時代像への移行に積極的か、慎重か、という違いから来ているように思われる。

 いずれにせよ、中学校教育は義務教育の最終段階であり、日本国民としての最低限の情操、知識を育む事を目的としている。その歴史教育がこれほどの大きなバラツキがあっても良いのか、というのが、本書をまとめる事になった問題意識である。


 本書は、筆者の発行している創刊二十一年、購読者五万人超のメールマガジン『Japan On the Globe国際派日本人養成講座』の中で「歴史教科書読み比べ」シリーズとして、五年、四十六回(単行本三冊分)にわたって発信してきた内容を大幅にまとめ直したものである。

 筆者は留学と駐在で通算十一年、欧米に滞在し、業務出張や学会参加、観光などで訪れた国は五大陸三十二か国に及ぶ。その間に海外で多くの日本人と出会ったが、かなりの人々が日本の歴史と文化に関する知識に乏しく、それがために海外の人々との交流も底の浅いものになっていると感じてきた。
異文化理解、異文化コミュニケーションをきちんと行うには、自分自身の母国の歴史・文化をしっかりとした「根っこ」として持たなければならない、というのが、筆者の海外体験を通じて得た持論である。自国の文化と歴史を良く知り、愛着を持ってこそ、他国の文化と歴史を理解し、かつ尊重することができるからである。

 この点の知識を補うために『国際派日本人養成講座』を始めたのだが、読者の中には、海外に出て自分がいかに日本を知らないか、を痛感して、インターネットを探し回って、このメールマガジンに辿り着いたという方も多い。

 多くの日本人が日本を知らない原因として、日本の歴史教育に何らかの問題があるのでは、と考え、いくつかの歴史教科書を読み比べつつ本当の日本の姿はどうなのか、を考えてきたのが本書のもととなった「歴史教科書読み比べ」シリーズであった。

 たとえば、帝国書院版で縄文土器について学んでも、その古さに関しては何ら記述がないので、無味乾燥な知識で終わってしまう。そんな知識は学校を出た途端に忘れてしまうだろう。

 しかし育鵬社版や自由社版と読み比べて「世界で最古の土器の一つ」と知れば、なぜそんな古い土器がユーラシア大陸の東端の日本列島で出土しているのか、という興味深い疑問が生まれる。そこから自分なりに調べたり、考えたりした事は、日本人の自画像を描く重要な材料となるだろうし、海外の人々に自分の言葉で日本を語る上でも貴重なトッピクスとなる。

 従来の文明観では、石器時代の人類は狩猟・採集による移動生活を送っていたが、約1万2千年前くらいから、世界の各地で農耕と牧畜を始めてようやく定住生活ができるようになり、そこから文明が始まったというものだった。この文明観から完全にはみ出しているのが、1万5千年前くらいから始まった日本の縄文時代だった。そこで我々の先人たちは狩猟や採集のまま定住生活を始めたのである。

 日本列島を巡る海は寒流と暖流がぶつかり合って世界有数の豊かな漁場をなし、深い森林からは木の実や果物、キノコなどがとれた。イノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富だった。こうした自然の恵みを活かして、縄文人は世界に先立って定住生活を始めたのである。
そして定住生活の中で調理や保存のための土器を作り出し、それによって食材の種類を増やし、さらに豊かな食生活を築いていった。(小林達雄『縄文文化が日本人の未来を拓く』、徳間書店)

 今日の日本料理が多種多様な食材を活用している様は世界の料理の中でもユニークな特色だが、それは縄文時代から続いている伝統だろう。また、土地への負荷が大きい畑作・牧畜を数千年続けてきたチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河などの流域はみな砂漠化してしまったが、縄文人たちは一万年以上も豊かな自然と共生してきた。
現在の日本列島が世界有数の人口密度と経済規模を支えながら、緑地の比率でもフィンランド、スウェーデンに続いて先進国中3位という豊かな自然を保っているのも、縄文時代の自然観が今も日本文化の中に根づいているからではないか。

 土器の年代から、こういう日本文化論にまで話を広げると、外国人も興味深く聞いてくれるだろうし、また異文化社会で自分自身を支えてくれる「根っこ」ともなる。本書では、教科書の読み比べから所々で脱線して、こういう形で日本の姿を語っている。読者が自ら日本を語るための材料としていただければ幸いである。

 本格的なグローバル化の時代を迎え、仕事や留学などで海外滞在している邦人数は百三十万人を超えている。海外からの訪日観光客数は年間三千万人、日本からの海外に出る観光客数は二千万人に達しようとしている。
これからの日本人は否応なく異文化社会で暮らしたり、異文化の人々とのコミュニケーションを迫られる。その際に自らを支えてくれる母国の歴史と文化という「根っこ」をしっかり太く深く伸ばすために、本書の試みがいささかなりとも参考になれば、望外の幸せである。

平成三十(二〇一八)年八月九日 伊勢雅臣

(文責 伊勢雅臣)

江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』
2018/09/30
■ Japan On the Globe(1083)■国際派日本人養成講座■H30.09.30より転載

地球史探訪: 敗戦直後の日本を共産革命から救ったのは
〜 江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』から

 敗戦の混乱の中で共産革命を実現しようとする国内およびGHQの共産主義者たちの前に立ちはだかったのは。

■1.野坂参三の凱旋帰国

 終戦から5か月の昭和21(1946)年1月12日、野坂参三は釜山からの連絡船に乗って、博多港に上陸した。博多港で待ち構えていた朝日新聞は、このニュースを社会面トップ、4段ぶち抜きで報じた。

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 平和時代から支那事変大東亜戦下の十五年を外国生活に過し中国共産党の本拠延安において日本人解放運動の最高指導者として反戦解放運動を活発に続けていた中共(JOG注: 中国共産党)幹部の野坂参貳氏(筆名岡野進)は戦犯者処分、軍国主義者追放など民主主義旋風裡の祖国日本に帰国、十二日正午釜山経由、博釜連絡船で博多港に上陸した。[1, 3989]
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 記事はこの後も、「長い四箇月の旅路を祖国再建への熱情で踏破」「大きな役割を示すものとして期待されている」などと、まるで凱旋将軍のような書きぶりである。

 野坂が東京入りすると、「人民の英雄、同志野坂」「働かせろ、食わせろ、家を与えろ」「人民共和政権樹立」などの幟(のぼり)やプラカードが林立するなか、共産主義者の愛唱歌「インターナショナル」を斉唱する群衆に迎えられた。

 野坂参三の凱旋帰国は、敗戦直後のわが国が迎えた共産革命の危機の幕開けであった。


■2.日本共産革命のエース

 世界共産革命を目指してソ連が設立した国際組織コミンテルンの日本代表であり、かつコミンテルン日本支部として創設された日本共産党のメンバーであった野坂参三が、モスクワから中国共産党の本拠地・延安に入ったのは1940年のことだった。

 延安では支那事変で捕虜となった日本軍兵士を洗脳して、将来の日本における共産革命の戦士に仕立てあげる日本労農学校が設けられ、野坂はその校長となった。そこでは日本軍兵士たちは厚遇され、悪いのは日本の軍国主義者であって、日中両国の人民が協力して彼らを打倒し、日本の兵士や労働者、農民を解放すべきだ、という洗脳がなされた。

 この方法は情にもろい日本軍兵士に大きな効果を上げた。1944(昭和19)年に延安を訪れたアメリカ軍事使節団は、これに驚き、ここから、終戦後、アメリカ占領軍によって実施される「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に発展した。

 アメリカの使節団は共産主義者が中心となっており、野坂を「明晰な思想家でかつ指導者たる器である」と高く評価した。野坂はソ連、中国、アメリカの共産主義者たちから見れば、日本で共産革命を起こすためのエース的な存在だったろう。その期待のエースがいよいよ日本に上陸したのである。


■3.GHQとともにやってきた共産主義シンパ

 日本の占領行政を行ったGHQ(総司令部)は、共産主義者の巣窟だった。当時は大恐慌の後で、資本主義の失敗が誰の目にも明らかとなり、人類の未来は共産主義にある、と信ずるインテリが多かった。さらにアメリカの共和制の伝統から、独裁的な帝政を倒して史上初の共産主義政権を樹立したソ連に親近感を持つ人々が少なくなかった。

 ルーズベルト政権が大恐慌克復のために始めたニューディール政策は公共投資を中心とした社会主義的な性格が強いもので、それまで小さな政府だった連邦政府を急拡大したため、多くの共産主義者が政府に入り込んだ。

 ソ連が世界の共産革命を狙って、各地の共産主義シンパとのネットワークを造り、彼らが各国の政権の中枢に入って、ソ連の工作員として働くようになったのも、自然のなりゆきだったろう。

 日本と蒋介石との戦いを煽って、「祖国」ソ連を守ろうとした尾崎秀実はその一例である[a]。同様にルーズベルト政権内にも200人以上の共産主義者が入り込んで、アメリカをドイツや日本と戦わせようとした[b]。こうした工作員、共産主義シンパが、GHQスタッフとして日本にやってきて、共産革命を起こそうとしたのである。


■4.GHQの容共政策

 GHQが矢継ぎ早に打ち出した占領政策は共産主義国家がとる政策と本質的に同じであった。まず報道や言論、思想の自由の抑圧である。報道や出版、私信の検閲など、総勢6千人を超える陣容で、戦時中よりはるかに厳格な検閲がなされた[c]。その上で、日本人に罪悪感を植え付ける洗脳工作「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が進められた。

 ついで反対勢力の弾圧としては、国内法にも国際法にもない「侵略の罪」や「人道の罪」による東條英機元首相ら39人の逮捕。さらには「公職追放」という名の粛正で、21万人以上の追放。大学や出版社などで多くのポストが空き、それを共産主義シンパやGHQに媚びをうる輩が埋めた。

 GHQのスタッフとして日本共産党を支援したのがハーバート・ノーマンであった。日本に赴任したカナダ人牧師の息子として、17歳まで日本で育った。ケンブリッジ大学在学中にはイギリス共産党に入り、その後、カナダの外交官となり、「日本は天皇制を中核とするファシズム国家である」との博士論文を書いて有名になり、マッカーサーによってGHQにスカウトされた。

 そのノーマンが起草した「人権指令」が10月4日に発表された。治安維持法など思想犯を取り締まる法律をすべて廃止し、それによる拘留者を10月10日までに釈放するように命じた。同時に10月5日には特別高等警察(特高)の警察官全員の罷免を要求する覚え書きも発した。

 特高、治安維持法などは、日本が共産主義と戦うための手段であったが、それらを全廃し、なおかつ、共産主義者を野に放って、共産革命に火をつけようという魂胆であった。

 府中刑務所から釈放された日本共産党幹部、徳田球一、志賀義雄らは、その日のうちに声明を出して、GHQに謝意を表し、その平和政策を支持するが、「天皇制」を打倒することなしには、ポツダム宣言に謳われた「日本の民主化」も、飢餓の克復もできない、と訴えた。

 こうしてGHQによる共産革命の下地作りが進んだところに、野坂参三が帰国したのである。


■5.「朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね」

 その頃の国内は、食糧事情が悪化していた。昭和天皇は:

__________
食糧事情の悪化は、このまま推移すれば多数の餓死者を出すようになるというが、戦争に塗炭の苦しみをした国民に、このうえさらに多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたいことである。[1, 4253]
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 と、心配され、皇室御物の目録を作らせて、これを代償にマッカーサーに食料供給を求められた。マッカーサーは感動して、「皇室の御物をとりあげる事など面目にかけてもできないが、国民のことを思う天皇の心持ちは十分に了解される」として、「かならず食料を本国から移入する方法を講ずるから、安心されたい」と答えた。

 一方、共産党にとっては、国民が苦しむ時こそ混乱に乗じて共産革命に火をつけるチャンスであった。野坂参三と、釈放された共産党幹部たちは、昭和21(1946)年4月7日、日比谷公園で「幣原反動内閣打倒人民大会」を開催して7万人を集めた。

 翌5月19日には、25万人も集めて「米飯獲得人民大会(食料メーデー)」を皇居前で開催した。この時、「朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね」などと書いたプラカードをデモ隊は掲げ、暴徒の一部が坂下門を突破して皇居に乱入した。

 この頃、警視庁が行った調査では、大半の世帯が米飯を一日に一回小盛りで食べるのがせいぜいで、あとは雑炊やいもなどの代用食でつないでおり、一日に米一粒も食べられない世帯も決して少なくなかったほどであった。

 マッカーサーは昭和天皇の御要望に答えようと、ワシントンに対して214万トンの対日食糧輸出を要請した。しかしアメリカ本国は、その要請を1946年2月に却下している。

 3月から小麦・雑穀の輸入が始まったものの、ソ連もメンバーとなっている極東委員会からは「日本はいかなる連合国または解放諸国より食糧補給の優先的取扱いを受けざる」よう掣肘を受けた。食料不足に苦しむ国民が増えるほど、反政府・反米のムードが盛り上げるからである。


■6.労働争議、ストライキなど頻発し、、、

 食料・経済危機を背景に、共産党は労働争議を盛り上げていった。特に8月、9月は労働争議への参加が60万人規模に達した。激しいインフレに対応するための賃上げ要求などが中心だったが、やがて運動は急速に政治化し、12月17日には「吉田内閣打倒国民大会」が「人民広場」と呼ばれた皇居前広場で開催され、50万人が集結した。

 労働組合の組織化も急速に進み、官公庁、民間含め、組合員は600万人に膨れあがった。

 吉田首相は昭和22(1947)年1月1日の年頭の辞において、こうした動きへの危機感を訴えた。

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 昨年以来労働争議、ストライキなど頻発し、生産減退、インフレおよび生活不安を激化し、いわゆる経済危機を助成せしめつつある現状であります。・・・
 いわゆる労働攻勢、波状攻撃などと称して市内に日日デモを行い、人心を刺激し、社会不安を激化せしめて、あえて顧みざるものあるは私のまことに意外として、また心外にたえぬところであります。[1, 5812]
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 この後、吉田首相は「しかれども私は、かかる不逞のやからが、わが国民中に多数あるとは信じられません」と語ったのだが、この「不逞のやから」発言を批判して、組合側は2月1日のゼネスト実施を宣言した。ゼネスト、すなわちゼネラル・ストライキは多数の産業にまたがる諸組合が一斉にストをして、経済を麻痺させる戦術である。

 共産党は「民族の独立と産業再建を妨げる吉田内閣を倒し、民主人民政府の樹立されるまで断乎として戦う」と、革命を宣言した。野坂は東京のソ連代表部の参事官に対して、定期的に共産党の活動を報告していた。吉田首相は「ソ連の代表などは、当時の労働不安、社会不安は、むしろ歓迎していて」と指摘している。


■7.「もしゼネストが実行されていたら、、、」

 ゼネスト予定日2月1日の前日、マッカーサーが禁止命令を出した。「余は現下の困窮かつ衰弱せる日本の状態において、かくの如き致命的な社会的武器を行使することを許容しない」と、共産革命を許さない姿勢を示した。

 この背景には、GHQ内部で、共産革命を支援する動きに対して立ち上がった人物がいた。GHQ参謀第2本部の部長チャールズ・ウィロビー将軍である。ウィロビーはある日本人から示唆を受けて、ソ連とアメリカ共産党の関係を知り、さらにはGHQ内での共産主義シンパの追い出しにかかっていた。

 マッカーサー自身も、日本の民主化は求めていたが、共産化は欲していなかった。ゼネストの動きを見ていて、これ以上放任すれば、日本の秩序を紊(みだ)し、治安の上からも危険であると誰でもが認めざるを得ない段階に至るのを待っていたのである。果たして、ゼネスト中止命令に対して、ソ連から抗議が来たが、マッカーサーは一蹴した。

 こうして間一髪の処で、ゼネストは回避された。吉田首相は言う。「もしもあの時、総司令部の断が下らず、二・一ストが実行されていたとしたら、その後の日本の状況はどうなっていたであろうか」


■8.国民を覚醒させた昭和天皇の御巡幸

 共産革命が不発に終わったのは、昭和天皇がマッカーサーに皇室御物の目録まで添えて頼まれた食料輸入が、昭和21(1946)年6月頃から本格化し始めた事も寄与した。たとえば東京都民が配給を受けた食料のうち、8月、9月は輸入分が90%以上となっていた。これが国民を餓死から救った。

 もう一つ、日本国民を覚醒させたのは、昭和天皇の全国御巡幸だった。昭和天皇は「この際、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ」との御決意のもと、昭和21(1946)年2月から、沖縄を除く全都道府県を8年半かけて回られた。

 御巡幸については、拙著『日本人が知らない 世界が称賛する日本』[d]で紹介したが、敗戦直後では宿舎もままならず、列車の中や学校の教室に泊まられたこともあった。「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」と言われた。

 常磐炭坑では、地下450メートルの坑内を歩かれ、40度の暑さの中を背広、ネクタイ姿で、上半身裸の鉱夫たちを激励された。深い坑内で万歳の声が轟(とどろ)いた。昭和天皇が訪れられる先々で、国民は勇気づけられ、生産高は飛躍的に上がった。

 ソ連抑留中に洗脳され、革命の尖兵として帰国したが、昭和天皇と国民の心の通い合いを見て、涙ながらに「天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」と語った引き揚げ者もいた。

 ゼネストで国民の生活をさらに苦しめて、混乱の中から革命につなげようとする共産主義者に対して、「国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与へる」昭和天皇の大御心が共産革命の機運をしぼませたのである。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html

b. JOG(929) スターリンが仕組んだ日米戦争
 米政府内に潜伏した200人以上のソ連スパイがルーズベルト政権を操って、日米開戦を仕組んだ。
http://blog.jog-net.jp/201512/article_1.html

c. JOG(098) 忘れさせられた事
 戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog098.html

d. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanonthegl0-22/

慰安婦 情報戦への反撃
2018/08/12
Japan On the Globe(1075)■国際派日本人養成講座■H30.08.12より転載
Media Watch: 「慰安婦」情報戦への反撃
〜 山岡鉄秀『日本よ、情報戦はこう戦え』より

 中国・韓国から「慰安婦問題」で仕掛けられている情報戦にどう反撃するか。

■1.「慰安婦像によって分断された町として記憶されてはなりません」

 オーストラリア・シドニー近郊、人口約4万人の町ストラスフィールド。その駅前の公有地に、2014年、「慰安婦像」が建てられようとしていた。ここは中国・韓国系移民が人口の約3割、1万人を超え、対する日本人は子供も含めて70人ほどだった。

 4月1日に市議会で公聴会が開かれることになり、ストラスフィールドに住む日本人の母親からの「日本人に集まって欲しい」というメールが、オーストラリアに永住して企業で働いていた山岡鉄秀氏の所に舞い込んできたのは、その前日のことだった。

 子どもたちが差別やいじめを受けないかと怯(おび)えているお母さんたちの事を思うと、「見て見ぬふりはできない」と山岡氏は思った。メールを出したお母さんと連絡をつけ、反論の仕方について、こう意見を述べた。

__________
 相手はいつものように歴史問題で日本を糾弾してくるはずだ。しかし、その土俵に乗って反論すべきではない。事実関係がどうであれ、そんな問題をローカル・コミュニティに持ち込んだらダメだという原則論を一貫して主張すべきだ。[1, p12]
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 翌日の公聴会では4人ずつがスピーチをした。相手側は中国人、韓国人だけだったが、こちらは地元のオーストラリア人、アメリカ人を含み、山岡氏がアンカーを務めた。

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 これまでのところ、ストラスフィールドは、多文化主義が最も成功した町です。その評判は維持しなくてはなりません。慰安婦像によって分断された町として記憶されてはなりません。市議会のみなさんもきっとそう思うのではないでしょうか。[1, p14]
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 終始一貫、淡々と、しかし情感を込めて、コミュニティの融和の大切さを訴えた。公聴会の結果は「市で判断できる問題ではないので州や連邦の大臣に意見を求めます」。中韓団体のごり押しの政治力を考慮して即時却下にはならなかったが、棚上げにはできた。

 山岡氏の新著『日本よ、情報戦はこう戦え!』[1]には、ここで発揮された情報戦のノウハウがふんだんにちりばめられている。


■2.「中韓主導のまさに情報戦」

 山岡氏がシドニーで駐在員の日本人社長たちと飲んでいる時の事である。氏が「慰安婦問題とは、事実を突き詰めて、何があったのか何がなかったのかということを明確にしておかないと、のちのち禍根を残すことになりますよ」と言ったら、皆、真面目な顔をして「そんなの、謝ってさっさと金払って終わりにしちゃえばいいんじゃないの」と言っていた。

 また、世界的に名の通ったビジネス・コンサルタント大前研一氏も、元慰安婦たちは「日本にひと言、謝ってほしい、それで韓国人は納得する」というような事を述べていた。

 駐在員社長やら、コンサルタントなど、国際社会で仕事をしている人々が、「さっさと金払って」とか「ひと言、謝って」などで問題が解決すると思っている「国際社会オンチ」ぶりには驚かされる。

 結局、こういう人々は海外といっても、良識の通じる日系企業や現地の一流企業としかつきあっていないのではないか。「ストラスフォードの慰安婦設置の動きは、中国共産党からの指令により、中国人主導で韓国人の反日感情を利用した運動であることは、疑う余地はなかった」と山岡氏は言う。

__________
 日本人は情報戦に関しては、思考停止状態に等しい。慰安婦像設置の動きなどは、中韓主導のまさに情報戦なのである。歴史を歪曲して切り取った情報戦を仕掛けられているというのが、慰安婦問題の本質と言える。[1, p23]
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 情報戦を仕掛けられながら、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」というのは、まさに「思考停止状態」に他ならない。


■3.我が国は、情報戦の総攻撃を受けている

 スイス政府が国民に配布している『民間防衛』では、敵からの侵略には次の段階があるとしている。

 第1段階 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳
 第2段階 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導。
 第3段階 教育の掌握。国家意識の破壊。
 第4段階 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用
 第5段階 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う
 最終段階 国民が無抵抗で腑抜けになったときに大量移住して侵略完了

 現代日本においても、いちいち思い当たるふしがある。たとえば第1段階として、自民党の中にも福田元首相のように「南京大虐殺記念館」を訪問する人もいるし、かつての民主党政権に至っては、蓮舫のような国籍も定かでない議員や帰化議員が権力を握っていた。

 第2段階でも、NHKや民放、新聞の偏向報道ぶりは弊誌でさんざん取り上げてきた。第3段階では日教組を中心とした偏向教育はすでに長い歴史がある。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は平和や人類愛をプロパガンダとして利用する第4段階であろう。第5段階の「自分で考える力を奪う」の成果は、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」とか言う人にすでに表れている。

 いずれにせよ、第2段階から第5段階まではすべて情報戦なのである。我が国は、情報戦の総攻撃を受けている、と言ってよい状態なのだ。


■4.「誰も韓国大使に文句を言っていない」

 公聴会の2週間ほど前、山岡氏があるランチの席で、韓国大使と一緒になる機会があった。大使が席を立とうとした時に、山岡氏は「大使、大使」と呼びかけ、「慰安婦像を建てようという人たちがいるらしいと聞いたので、非常に懸念しているのだが」と言った。

 韓国大使が驚いた顔で「それは民間がやっていることで、政府としては関知していない」と答えたので、山岡氏が「政府として関知していないのだったら、これから関知してやめるようにいったらどうです? そんなことをオーストラリアでやってもしようがないでしょう。迷惑です」と言うと、「そんな苦情を言ってきた日本人は君が初めてだ」と非常に驚いた。

__________
 つまり、オーストラリアに日本人はたくさんいるのに、誰も韓国大使に文句を言っていない。日本人は、みんな黙ってしまうのだ。そうそうたる企業の社長たちがいても、もちろん誰も何も言わない。日本の大使も外交官も一言も意見していなかったのだろう。[1, p53]
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 敵は情報戦の攻撃を次々と仕掛けてきているのに、日本人はみな他人事だと思って、知らんぷりをしている、という状態のようだ。これは正しく第3段階の「国家意識の破壊」、第4段階の「抵抗意識の破壊」、第5段階の「自分で考える力を奪う」が奏功しているという事ではないか。

 韓国大使は驚きのあと、少し気をとりなおして、「サッカースタジアムに『韓国人お断り』と書いてあった事件もあったじゃないか」と反論した。山岡氏はすかさず、こう言い返す。

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 それは日本国内でも厳しい批判を受けていることで、そのこと自体が本質ではない。慰安婦像を設置して、協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはないでしょう。[1, p55]
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 韓国大使は、これには本当に驚いた顔をしていた。


■5.「議論の土俵を変える」

 山岡氏の主張で注目すべきポイントは、「協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはない」という点である。これは公聴会においても、「そんな問題をローカル・コミュニティに持ち込んだらダメ」と主張した事に通ずる。

 すなわち、中国、韓国系移民が提起している慰安婦問題は棚上げにして、ローカル・コミュニティにこういう問題を持ち込んでいいのか、というように議論の土俵を変えてしまったことだ。

 この土俵では慰安婦像を建てようとする中韓勢力は、ローカル・コミュニティに不和を持ち込もうとする悪役となる。また、地元のオーストラリア人や、中韓以外の外国人も味方につけられる。

 国民が仲良く平和に暮らしている日本国内では、慰安婦問題のような対立があると、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」とか、なるべく早く対立を解消しようとするが、それでは相手の思う壺である。情報戦を仕掛けられているという危機意識を持って、その情報戦にいかに勝つかを、考えなければならない。

 そのための一つの戦術が、この「議論の土俵を変える」という手段なのである。


■6.中韓の誣告(ぶこく)という伝統

 議論に勝つために、どう土俵を変えるのか。相手の得意な戦い方を良く知って、それを発揮させないように土俵を変えれば良い。この点で、中国、韓国の戦い方は世界でも特異なものである。

 山岡氏は立命館大学の北村稔明・名誉教授から教わった「誣告(ぶこく)」という中国人の伝統を紹介している。これは「虚偽の事実で相手を貶(おとし)める」というやり方である。「南京大虐殺」はこの一例である。「従軍慰安婦」はこの伝統が韓国に伝わった結果だろう。

 韓国で偽証罪が多いのは、この誣告の伝統の現れだと思われる。韓国で2010年に偽証罪で起訴された人は日本の66倍、日本の人口が韓国より2.5倍多いことを勘案すれば165倍に達する。これはもはや文化の違いとしか言いようがない。[a]

 誣告の伝統を知っていれば、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」などという反応は、相手の思う壺である事が見抜けるはずだ。

 逆に、中国人、韓国人は誣告、偽証が国際社会の標準から見れば、どれほど信用を落とすものか分かっていない。議論の土俵を変えて、その主張が意図的な偽証であることを国際社会の前で明らかにするのが良い戦術なのである。それができれば、「慰安婦」像は彼らの「誣告の記念碑」となってしまう。


■7.韓国政府に「女性の人権を護れ」と抗議する

 彼らの誣告を逆手にとって、「慰安婦」問題そのものの土俵を変えてしまう戦術を、山岡氏は紹介している。それは「朝鮮人慰安婦への同情」をベースにした訴え方である。

 それによると、昔から朝鮮では女性の権利はないがしろにされており、宗主国・中国への貢ぎ物として差し出されていた。日本統治時代に公娼制度が導入され、売春そのものは禁止できなかったが、法律によって女性の権利が最低限守られるようになった。しかし、朝鮮人ブローカーが女性を欺し、誘拐した罪で日本の警察に逮捕された膨大な記録が残っている。

 もしも韓国人が本当に女性の人権を憂慮しているなら、現在、世界中で売春業から抜けられない何万人もの韓国人女性の救済に奔走すべきである。これら、現代の人身売買の被害者たちは、100年以上前に日本政府が取り締まっていたのと、まさに同じような極悪ブローカーたちによって苦しめられているのだ。

 海外で売春する韓国人女性は10万人に達するとみられ、アメリカやオーストラリアでも問題となっている。そのうち5万人は日本で働いているというから、日本政府も両国と組んで、女性の人権を護れ、と韓国政府に抗議する事ができよう。


■8.問題は事なかれ主義を許している国民の姿勢

 山岡氏の現地の人々を巻き込んで「協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはない」というアプローチと、「慰安婦」問題で現在の韓国人女性の権利を護れ、というアプローチには、二つの共通点がある。

 第一は、アメリカ人やオーストラリア人など第三者も巻き込んで、国際常識の下での問題提起をする、という点である。そもそも平気で「嘘」をつく中韓と1対1で交渉しても、モンスター隣人と話し合うようなもので、まともな議論はできない。だからこそ、第三者を巻き込み、国際常識に沿った議論をすべきなのだ。

 第二は、「ローカル・コミュニティでは協調的に平和に暮らすべき」とか、「若い女性を売春婦として輸出するようなことはすべきではない」という主張は、日本人の真心から出てくるもので、こういう「真実」と「真心」の訴えは、中韓の「嘘」に基づく誣告などよりも、はるかに世界の国々の支持を集めることができよう。

 このように「慰安婦」でも「南京大虐殺」でも、誣告に勝つ情報戦略はいくらでもある。一民間人の山岡氏でもこれだけ戦えるのだから、外務省が真剣に立ち上がれば、いくらでも反撃できるはずだ。

 問題は外務省の事なかれ主義であり、それを許しているのが、国民の「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」などの事なかれ主義なのである。それはすでに我々が情報戦の第3段階「国家意識の破壊」、第4段階の「抵抗意識の破壊」、第5段階の「自分で考える力を奪う」に相当やられてしまっているからだろう。

 まずは我々自身が、これは国の未来を、我々の子孫の幸福を脅かしている情報戦だということを認識しなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(815) 隣の国はモンスター!? 〜 『悪韓論』から
 データで明かされた韓国社会の異様な実態。
http://blog.jog-net.jp/201309/article_10.html

b. 「サムライたちの広報外交−米国メディアにおける日露戦争」、伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
カスタマー・レビュー:62件、5つ星のうち4.9
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★★★★★「国際派日本人という名称が気に入っています」(Amazon Customerさん)
 子供の時から、国際人になろう考えていました。現在、国際的に活動する状況になっていますが、日本人としてのアイデンティティが重要であることを実感し、ネームプレートに日の丸があることを誇らしく思います。日本人としての根本を保持しつつ国際的に活躍する、まさに国際派日本人という言い方がもっとも理想的と思っています。
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 山岡鉄秀『日本よ、情報戦はこう戦え!』★★★、扶桑社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594080219/japanontheg01-22/


■前号『公民教科書読み比べ(7): 日本国憲法の「不都合な真実」』へのおたより

■(デジタル難民さん)

 日本国憲法については『憲法改正=九条改悪』と脊髄反射する「九条教信者」のような方々がいて、話がややこしくなっているように思います。

 スポーツのルールでもそうですが、ルールは常に不都合が起きれば正しく変えられるべきであり、日本国憲法もその例外ではないと思います。(憲法自身が自分自身を変えることに言及している)

 九条は変えるべきものであるかどうか決めつける以前に、「変えるべきものであるかどうか議論する」ことの自由は保証しなければならないし、またその議論を経て「変える/変えない」を決めるべきでしょう。

 その結果として国民が「無改正期間で世界記録を更新」を選ぶならそれも大いによし、「改正件数で世界記録を更新」を選ぶならそれもまたよし、とするのがただしい民主主義のあり方ではないでしょうか。

「憲法改正」と口にすれば中身も聞かずに「九条改悪」と決めつけ議論すらさせないと言いたげに見える「九条教信者」の方が、むしろファシズムに近いと言うと言い過ぎでしょうか?

■伊勢雅臣より

「九条教信者」の中には、「平和や人類愛をプロパガンダとして利用」する情報戦にやられて「思考停止状態」に陥った人々と、日本が自衛力を高めては不都合な国のために、意図的にそのような情報戦を仕掛けている工作員がいると考えられます。

日本国憲法の不都合な真実
2018/08/06

Japan On the Globe(1074)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
公民教科書読み比べ(7): 日本国憲法の「不都合な真実」

 その特異な素性と、無改正期間の世界記録更新中という真実は隠すべきではない。
■転送歓迎■ H30.08.05 ■ 50,605 Copies ■ 4,509,425Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

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■伊勢雅臣 講演「皇室の祈り−国民を結ぶ利他の心」■

・公益財団法人モラロジー研究所「公開教養講話」
・平成30年8月13日(月) 14:00〜15:30
・会場:モラロジー研究所内 廣池千九郎記念講堂(千葉県柏市光ヶ丘2-1-1)
・聴講料:1,000円 受付にてお支払ください。
・申込み方法:お名前、性別、年代、ご住所を明記のうえ、
下記のアドレスにメールにてお申込みください。
・公益財団法人モラロジー研究所 柏生涯学習センター kashiwa@moralogy.jp
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■1.日本国憲法の制定

 日本国憲法は外国軍隊が占領中に制定されたという世界史上でも特異な素性を持っているが、制定の経緯について東京書籍版(東書)はこう記述する。

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【日本国憲法の制定】 1945(昭和20)年8月,日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し,第二次大戦は終わりました。そして,日本は軍国主義を捨て,平和で民主的な政府を作ることになりました。[1, p39]
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 育鵬社版の説明はもう少し精しく、内容も異なっている。

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【日本国憲法の制定】 1945(昭和20)年に日本はポツダム宣言を受け入れ,第二次大戦が終わりました。連合国は,大日本帝国憲法の下での政治体制が戦争のおもな原因だと考え,日本の民主主義的傾向を復活強化して,連合国にふたたび脅威をあたえないようにするために,徹底した占領政策を行いました。[2, p49]
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■2.占領軍による徹底した検閲

 東書では、「日本は軍国主義を捨て,平和で民主的な政府を作ることになりました」というが、誰が「軍国主義」だと判断して、「平和で民主的な政府を作る」と決めたのか、主語がぼやかしてある。

 この点、育鵬は主語が「連合国」である事を明確にしている。その「徹底した占領政策」の一環として、「検閲を受けた出版物」と題し、新聞紙面上に荒々しく指示の書き込まれた写真の下でこう説明している。

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 GHQは占領期間中,軍国主義の復活を防ぐためとして,徹底した検閲を行いました。また,その検閲の実態や,GHQが日本国憲法の起草において果たした役割への言及も禁止しました。そのため,自由な報道や表現は大きく制限されました。[2, p49]
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 占領中の検閲の実態は、江藤淳による労作で明らかにされている[a]。それはわが国歴史上かつてなかった規模で、日本人5千人を含む体制で、毎月400万通の私信、350万通の電信を検閲し、2万5千回の電話の盗聴を行っていた。

 さらに日本で発行されるすべての新聞、雑誌、図書、ラジオ、選挙演説などの事前検閲を行い、内容の修正削除を命じたり、時には発行禁止処分を行っていた。

 たとえば、朝日新聞は昭和20(1945)年9月18日から48時間の発行停止処分を受けたが、その理由は占領軍兵士による暴行事件を報道したこと、原爆、民間人への無差別空襲、病院船攻撃などの米軍による戦争犯罪に触れた記事が原因だった。発行停止処分の後、朝日新聞の論調は180度急旋回して、占領軍べったりに変わった。

 日本国憲法は、このように言論の自由も、公正な報道もないなかで、占領軍によって押しつけられたものだった。


■3.「自ら1週間で憲法草案を作成」

 東書は、新憲法制定について、こう記述する。

__________
政府が初めに作った憲法改正案は天皇主権を維持していたため,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し,政府はそれを基に改正案を作り直しました。改正案は,帝国議会で審議され,一部修正のうえ可決されました。[1, p39]
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 日本政府による憲法改正案は「天皇主権を維持していたため」「民主化が不十分である」とGHQが判断したとされているが、ここで「天皇主権」を再び持ち出し、それが「民主化」の逆であるかのように指摘する。「天皇主権」なる言葉のおかしさは[b]で述べた。

 一方、育鵬の描く過程は、これまた、もう少し込み入っている。

__________
 連合国軍最高司令官マッカーサーは,憲法の改正を日本政府に求め,政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし,連合国軍総司令部(GHQ)はこれを拒否し,自ら1週間で憲法草案を作成したのち,日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。
日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し,改正案として1946(昭和21)年6月に帝国議会に提出しました。改正案は,一部の修正を経たのち,11月3日に日本国憲法として公布され,翌年5月3日から施行されました。日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん,国外にも広く受け入れられました。[2, p39]
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 育鵬は憲法草案の英語原文を写真で示して、次のように説明する。

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英文で書かれた日本国憲法の草案 GHQの民政局は,各国の憲法を参照しながら英文で憲法草案を書き上げました。[2, p49]
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 しかし、GHQがなぜ草案を自ら1週間で急いで作ったのか、という点での説明がもう少し欲しい処だ。その理由は数週間以内に、GHQをチェックする権限を持つ極東委員会が発足する予定となっており、その中でソ連代表が強行に天皇制廃止を要求してくると予想されていたからだ。

 マッカーサーとしては、そんな事になれば、日本各地で叛乱が起きて、占領統治自体が頓挫することは目に見えていた。そこで、極東委員会が発足するまえに、天皇を象徴とする「民主的」な新憲法を世界に発表して、ソ連の動きを封じてしまおうと考えたのである。[c]


■4.「あとのことはすべて犠牲にしていい」

 しかし、憲法には素人ばかりのGHQ民政局のスタッフが1週間で憲法草案を作ることには無理があった。たとえば「貴族制度廃止で貴族院はなくなるので一院制にする」という原案に対しては、日本側から「二院制は議会多数派の独走に対するチェック・アンド・バランスとして必要だ」という基本知識を講義される始末であった。

 またGHQ民生局にはニューディーラー(アメリカの左翼)が多く、「土地および一切の天然資源の所有権は国家に帰属し」などという条項があって、日本側を社会主義憲法かと驚かせた。この条項も日本側の反対で、削除された。

 東書は「民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し」と書くが、これらの逸話だけでも、GHQ民政局が「民主化の先生」であったはずがない事が判る。マッカーサーとしては「民主化憲法の制定」という既成事実を作ってしまい、欧米世論に天皇訴追を諦めさせるだけの説得ができれば良かった。マッカーサー自身は次のように語っている。

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 どんなに良い憲法でも、日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしかもたないというのが自分の確信だ。[c]
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 占領が終われば、日本人はさっさと自主憲法を作ってしまうだろうから、とりあえず天皇訴追という最悪自体を避けられれば、それで十分とマッカーサーは考えていた。この思いは当時、首相だった幣原も共有していた。こう語っている。

__________
 ほかの点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁には自分たちで変更することができる。しかし、皇室だけはいったんぶち壊してしまったら取り戻すことができない。だから、すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない。

 天皇制の一点さえ、マッカーサーが極東委員会に対して承諾させてくれるなら、あとのことはすべて犠牲にしていいとさえ思っている。[c]
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■5.「余りに"ユートピア"的」

 育鵬は「日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん,国外にも広く受け入れられました」と結ぶが、この一文はいかにも「とってつけた」ようで、文科省の検定意見でやむなく入れさせられたかのように見える。

 実際には、日本政府が発表した新憲法草案に対して、次のように酷評したアメリカの新聞もあった。

__________
 新草案が陸・海・空軍を全面的に廃止し、日本は今後その安全と生存を世界の平和愛好国の信義に依存すべしと宣言するにいたっては、余りに"ユートピア"的であって、むしろ現実的な日本人として草案を軽んずるに至らしめるであろう。(ニュー・ヨーク・タイムス)

 これは日本の憲法ではない−日本に対するアメリカの憲法である。・・・この憲法の重要事項に日本の現実から生まれた思想はひとつもない。(クリスチャン・サイエンス・モニター)
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「日本の現実から生まれた思想がない」というのも当然の指摘で、たとえば前文はアメリカ独立宣言、合衆国憲法、リンカーンのゲティスバークにおける演説などの切り貼りである。素人集団が一週間で作ったのだから、それも仕方がないが、マッカーサーが「日本はアメリカのような民主国家に生まれ変わる」と欧米世論を説得するには、分かりやすい手法だったろう。


■6.押しつけ憲法無効論

 このような日本国憲法の怪しげな素性は、「占領下に押しつけられた憲法は無効である」との「押しつけ憲法無効論」を生む余地を作った。たとえば、占領軍が占領地の法律を改変することを禁じたハーグ陸戦条約違反である、などの指摘がある。

 東書で、以下のように、さも日本国が自主的に憲法制定をしたかのように精しく書いているのは、こうした無効論を牽制するためであろう。

__________
 政府はそれ(JOG注: GHQ草案)を基に改正案を作り直しました。改正案は,帝国議会で審議され,一部修正のうえ可決されました。日本国憲法は,1946年11月3日に公布された後,1947年5月3日に施行されました。[1, p99]
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 しかし、いくら日本の帝国議会が審議・可決したとは言え、マッカーサー自身が言うように、占領軍が「日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法」では自主制定とは言えない。

 ただ、東書の記述の最大の問題は、制定過程の史実をきちんと伝えずに、さも、日本側が自由な議論を通じ、自らの主体的判断で憲法を制定したかのような仮構を描いていることである。

 これは、「GHQが日本国憲法の起草において果たした役割への言及も禁止」した意向に今でも沿っていることになる。憲法をどうするか、という問題は、日本国の「公民」としての最重要の課題なのであるから、その制定過程の真実を教えない、という姿勢は、日本国の公民を育てる目的にそぐわない。


■7.日本国憲法、「無改正期間」において世界記録を更新中

 押しつけ憲法無効論とともに、公民として知っておくべきは、「法定追認」説であろう。これは民法125条で示されているように「たとえ脅迫による契約であっても、文句も言わずに履行していたら追認したものと見なす」という考え方である。

 これによると、たとえ押しつけによる無効な憲法であっても、独立して文句を言える状態になっても、そのまま守っていれば、その憲法を追認したことになる。

 当座しのぎの「民主」憲法を即席ででっち上げて、ソ連などからの天皇訴追をかわすというマッカーサーの戦術は成功した。しかし、彼の見通しが間違っていた点が一つだけあった。「銃剣を突きつけて受諾させた憲法」は占領が終わればすぐに改訂されるだろうとの読みに反して、日本国憲法は現在まで70年以上も手つかずのまま残された。

 憲法学者の西修・駒沢大学教授は、戦後40年近く経った昭和60年頃に、民生局で憲法起草にあたった人々にインタビューを行ったが、彼らの大半は、自分たちが短時間で十分な資料もないまま作り上げた日本国憲法が、その後一度も改正されていないのを聞いて、驚いたという。[c]

 西ドイツは1949年5月の独立と、ほぼ同時に基本法を制定した。憲法と言わないのは、東ドイツとの統一がまだだったからである。そして、その後、50回以上もの改正を行っている。

 日本国憲法が制定以来、一度も改正されていないのは、世界でも異例である。現行バージョンだけで考えれば、70年以上も手つかずの日本国憲法はすでに「世界最古」となっており、「無改正期間」において世界記録を更新中なのである。[d]

 立憲政治をするためには、憲法で現実に合わなくなった部分を改良し、かつ、環境保護など新しい考え方に合わせて進化させていく努力が不可欠である。押しつけ憲法を押し頂き、なおかつ金科玉条の如く守っていくのは、立憲政治としては真に未熟な姿なのである。

 マッカーサーは「日本人は12歳」と言ったが、少なくとも憲法に関する限り、これは当たっている。だからこそ、中学の公民の授業で、この「不都合な真実」を学ばなければならない。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■
a. JOG(098) 忘れさせられた事
 戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog098.html

b. JOG(1069) 公民教科書読み比べ(6):日本に人権思想はなかったのか?
「真の人権思想の確立は,日本国憲法の制定まで待たなければなりませんでした」と東京書籍版は説くが、、、
http://blog.jog-net.jp/201807/article_1.html

c. JOG(141) 仮設憲法、急造成功
 今週末までに、新憲法の概案を作れ、、、マッカーサーは、なぜそんなに急がせたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog141.html

d. JOG(105) 憲法の国際ベンチマーキング
 日本国憲法、無改正期間の世界記録更新中。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog105.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122333/japanontheg01-22/

2. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382483/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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