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終戦を遅らせたソ連の秘密工作
2017/12/10
Japan On the Globe(1040)■ 国際派日本人養成講座 ■
地球史探訪:終戦を遅らせたソ連の秘密工作
〜 江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』から
 今こそ「日本は誰と戦っているのか」を問わなければならない。
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■1.ソ連の工作員が終戦を遅らせた

 昭和16(1941)年、ソ連の工作員がアメリカのルーズベルト政権と日本の近衛文麿内閣に潜り込んで、日米を戦争に引きずりこんだことは、弊誌で何度か取り上げた[a]。

 しかし、同じくソ連の工作員たちが、日米の講和を妨害した事はあまり知られていない。その結果、終戦が何ヶ月も遅れ、硫黄島や沖縄での激戦で日米双方での多数の軍民が犠牲になった事、さらに空襲や原爆投下、そしてソ連侵攻による満洲・北朝鮮での民間人暴行、将兵のシベリアへの拉致、北方領土侵略など、戦争末期の被害がもたらされた。

 このあたりを、江崎道朗氏の最新刊『日本は誰と戦ったのか』[1]がアメリカでの近年の歴史研究成果に基づいて明らかにしているので、本号ではその一部を紹介して、この好著への誘いとしたい。


■2.「ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」

 話は終戦の6か月前、昭和20(1945)年2月4日から11日にかけて、クリミア半島南端、黒海に臨むヤルタで行われた米英ソの首脳会談、ヤルタ会談に遡(さかのぼ)る。

 当時、ルーズベルト大統領は心臓疾患による極度の高血圧で、ほとんど執務不可能の状態となっていた。ヤルタへの長旅と時差は、さらなる負担となっただろう。

 ヤルタ会談では英国外務次官アレクサンダー・カドガンは、ルーズヴェルトは「会議を主宰するよう呼ばれても掌握も先導もできず、ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」と述べている。ルーズベルトはこの会談の2か月後、高血圧性脳出血で死去している。スターリンはこういう状態のルーズベルトを相手に、交渉したのである。


■3.「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」

 さらにルーズベルトが連れて行った国務長官ステティニアスは外交に関しては全く素人で、しかも国務長官に就任してわずか二か月しか経っていなかった。

 元駐日大使で国務次官ジョゼフ・グルーや、モスクワでの代理大使を務めたジョージ・ケナンなどは連れて行かなかった。グルーは早期の対日講和を主張しており、ケナンは後にソ連封じ込め政策を立案する人物で、ソ連にとっては好ましい人物ではなかった。

 そのかわりにルーズベルトが指名したのは、無名の一官僚アルジャー・ヒスだった。ヒスは戦後、ソ連のためにスパイ行為を働いたとして、告発された人物である。スパイ行為については有罪にはならなかったが、ソ連のスパイとの関係があったのに嘘の証言をしたとして、偽証罪で禁固5年の有罪となっている。

 ステティニアスはヒスに頼りきりで、発言はほとんどヒスが主導した。しかもヒスはアメリカ側のすべての最高機密ファイルを見られる立場にいた。

 ソ連のスパイであった疑いの濃厚なヒスが、病人のルーズベルトと素人のステティニアスをリードしていた。ルーズベェルトは「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」状況に置かれたようなものだと、戦後、ヤルタ会談の実態を知って怒った共和党のウィリアム・ノーランド上院議員は述べている。


■4.ヤルタ密約

 その「鏡を背にしたポーカー」の結果、ヤルタ密約が結ばれた。その原案はソ連側が作成した。ドイツ降伏から2,3か月後にソ連が対日参戦することと引き換えに、多くの領土と権益を与えるという内容だった。日本の領土に関する部分だけを列挙すると:

・千島列島のソ連への引き渡し(南千島(現在、北方領土と呼ばれる北方四島)は1855(安政元)年の日露和親通好条約で日本領土と確認された。明治8(1875)年の樺太・千島交換条約で、日露混住の樺太をロシア領とし、千島列島全体が日本領となった。)

・樺太の南部のソ連返還(樺太南部は、日露戦争の結果、日本に割譲された)

 当時、アメリカの国務省はソ連との交渉を念頭に、千島列島に関して次のようなレポートをまとめていた。

__________
 南部の諸島に対するソヴィエトの権利を正当化する要因は、ほとんどないように思われる。ソヴィエト連邦へのこのような譲渡は、将来の日本が永久の解決としては受入れ難い事態を造り出すことになろう。それは、歴史的にも民族的にも日本のものである島々と、漁業的価値のある海域を、日本から奪うことになる。
南部の諸島は、もし要塞化されるならば、日本に対して絶えず脅威となるであろう。[1, 2579]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 現在の日本が抱える北方領土問題を正確に予言している。このレポートはルーズベルトに宛てて提出されたが、ヤルタ会談のための準備資料には含まれていなかった。資料を統括をしていたヒスが外したと推測されている。

 そしてルーズベルトはスターリンとの交渉で「サハリンの南半分と千島列島が戦後、ソビエトに行くことについては何らの困難もないと思う」と発言したと記録されている。

 ヤルタ密約では、このほかに満鉄と旅順・大連の運営権をソ連に与える事がとり決められた。ヤルタ密約はルーズベルトとスターリンによって署名され、イギリスのチャーチルは同席せず、後に形式的に署名した。文書は一切公表されず、存在そのものが隠蔽された。

 アメリカでは外国との条約締結は上院の3分の2以上の賛成による承認が必要である。ヤルタ密約はルーズベルトの越権行為であり、戦後、アメリカ政府から条約としての効力を持つものではないと否定されている。


■5.日本の降伏を遅らせよ

 ヤルタ会談で満足な結果を挙げたスターリンにとっての最大のリスクは、ソ連参戦前に日本が降伏してしまうことであった。そうなれば何も得られない。ヤルタ会談の時点では、ソ連はドイツとの激戦を続けており、アジアで日本との戦いに入るためには、もう数ヶ月必要だった。

 なんとか日本の降伏を引き延ばしたいスターリンの援軍となったのが、ルーズベルトの無条件降伏要求だった。条件付き講和の道を閉ざされれば、敗色濃厚となっても日本は簡単には降伏できない。ルーズベルトはこの無条件降伏要求を、1943年1月の連合国首脳とのカサブランカ会談で打ち上げた。

 自国の国務省に相談することもなく、チャーチルの反対を押し切って、ルーズベルトはあたかも連合国首脳の総意であるかのように発表したのである。

 ルーズベルトがヤルタ会談に向けて出発する2日前、マッカーサーからの急報がルーズベルトに届いた。日本側が講和案を5つのルートで打診してきており、アメリカはこの提案を受け入れるべきだと進言するものだった。日本は天皇の安全以外何も求めておらず、これは最終的に日本が受諾した降伏条件と同じものであった。

 しかしルーズベルトは「マッカーサーは最も素晴らしい将軍だが、ダメな政治家だ」とこの進言を却下した。

 陸軍のマッカーサーだけでなく、ウィリアム・リーヒ、チェスター・ニッミツの2人の海軍元帥も、1945(昭和20)年2月のヤルタ会談の時点では戦争の勝負はついており、ソ連軍の参戦は不必要、かつ望ましくないと考えていた。

 これらの陸海軍トップの意見は無視され、逆に「アメリカ陸軍はソ連の対日参戦を必要としている」という全く逆の意見が、あたかも軍の総意であるかのように吹聴された。ジョージ・マーシャル参謀総長の仕業で、この人物は後に国共内戦においてアメリカの蒋介石側への支援を遅らせ、シナ大陸を共産党の手に渡した人物である。[b]


■6.終戦遅延工作による被害者65万人超

 ヤルタ会談以降の日米戦争による被害を挙げてみれば、スターリンの終戦遅延工作の影響の大きさを窺うことができる。主なものだけでも以下のようになる。数字は戦死・行方不明者数である。

2月19日〜 硫黄島の戦い 日本軍1万8千、米軍7千
3月10日〜 東京大空襲 以降、各地の空襲により、20〜30万
3月26日〜 沖縄戦、日本軍民約19万、米軍2万
8月6日  広島への原爆攻撃 9〜12万
8月9日  長崎への原爆攻撃 7万
8月9日〜 満洲、南樺太、千島列島へのソ連軍侵攻 日本軍2〜8万、民間人犠牲者多数
8月9日〜 シベリア抑留 6万以上

 少なめの推定数字だけで合計しても、約65万人規模となる。米軍も2万7千人の被害を蒙っている。スターリンの謀略工作によって、これだけの人命が失われたのである。

 人的被害だけではなく、東アジアにソ連と共産主義勢力が入り込んだことによって、シナ大陸や北朝鮮、北ベトナムが共産陣営に取り込まれてしまった。その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、現在の北朝鮮問題、尖閣問題、南シナ海問題など、現代世界で東アジアが最も危険な地域の一つになってしまったのは、ヤルタ密約に源を発するのである。


■7.手玉にとられた日本

 日本にとって、まことに迂闊(うかつ)だったのは、このソ連に和平仲介の依頼をしていることだ。事の次第はこうである。

 5月2日のベルリン陥落後、鈴木貫太郎内閣は連合国に対して和平を求めることを決め、仲介役としてソ連が選ばれた。交渉役としなった広田元首相は6月3、4日、箱根にてマリク駐日大使と極秘会談を持った。広田はこの会談は友好裡に行われ、ソ連側の受け方も良好で、交渉の前途は有望と東郷外相に報告した。

 ところが、その後、いつまで経ってもマリクからの音沙汰がない。昭和天皇からも「なるべく速かに戦争を終結するように取り運べ」とのお言葉があった。6月29日にマリクから日本側の意向について再確認があり、広田が説明したところ、「本国政府に取り次ぎ、回答があり次第、会談を進める」という返答だった。

 その後、いくら督促してもマリクは病気と称して出てこない。やむなく、日本政府は近衛文麿侯爵・元首相を特使としてモスクワに派遣することを打診したが、ソ連側はモトロフ外相が多忙との理由で、回答は遅延するだろうとの事だった。この時点では7月17日からのポツダム会談が迫っていたのである。

 結局、ソ連はヤルタ会談で対日参戦を約束し、日本からの和平仲介の依頼をあしらって対日作戦準備の時間を稼ぎ、終戦の6日前に日ソ中立条約を破って、対日侵攻を始めたのである。まさにスターリンは見事に日本を手玉にとったのである。


■8.「日本は誰と戦っているのか」

 江崎氏は次のように結論づける。

__________
 国際政治の世界では、騙された方が悪いのです。そして先の大戦で日本はインテリジェンスの戦いで「敗北」したのです。[1, 3390]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 過去に欺された事への恨みつらみを語っても、仕方が無い。それよりも大事なことは二度と欺されないことである。そのためには、前回、どのように欺されたのかをよく調べて、日本に何が欠けていたかを分析することだろう。

 わが国の弱点は、あまりにも相手の分析が足りないことである。ソ連に和平の仲介を依頼するなどは、その典型である。

 またアメリカの国情をよく分析すれば、ルーズベルトやソ連の工作員たちのように、無条件降伏をテコに日本の降伏を遅らせようという一派ばかりではなく、グルーや陸海軍の上層部のように、妥当な条件で日本との早期講和を図ろうとする一派もいたことが、分かったはずだ。

 たとえば、日本を対米開戦に追いこんだのは、最後通牒ともいうべきハル・ノートであった。そしてこのハル・ノートは米国内でも秘密にされていた。日本軍の真珠湾攻撃後、米国共和党リーダーのハミルトン・フィッシュは対日開戦に賛成する演説をしたのだが、戦後、ハル・ノートを知って、こう語っている。

__________
 今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したということを知っており、この演説を恥ずかしく思う。[c]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 したがって日本政府がハル・ノートを世界に公開していれば、間違いなくルーズベルトは共和党や国民の批判にあって、日本を追い詰める姿勢を続けられなかったであろう。

 敵の分析が弱いということは、現代日本についても言える。慰安婦問題で世界に反日世論を巻き起こそうとしてるのは、一体どこの国が、どのような狙いでやってる事なのか。沖縄の米軍基地反対は誰の差し金か。朝鮮危機の最中、一部野党が「もりかけ」問題で国会を空転させ、内閣の足を引っ張っているのは、何のためにやっているのか。

 我々は本当の敵を見極めなければならない。『日本は誰と戦ったのか』とは、江崎氏の著書の卓抜なタイトルであるが、今我々は問わなければならない。「日本は誰と戦っているのか」と。

■リンク■

a. テーマ「大東亜戦争:開戦への罠」のブログ記事
http://blog.jog-net.jp/theme/b532556537.html

b. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
 なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.ht

c. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』(Kindle版)★★★、ベストセラーズ、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/458413829X/japanontheg01-22/

現代史は日本人が学ぶべき最重要科目
2017/12/08
太平洋戦争「開戦の日」に考えてほしいこと 現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である
東洋経済オンライン 丹羽 宇一郎6

© 東洋経済オンライン 米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書十二月八日(写真:国立公文書館)

 「物事には始めがあって終わりがある。日本人にとって12月8日(開戦の日)は8月15日(終戦の日)と並ぶ大事な日であるはず」と語る元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏に、日本が二度と戦争をしないために、日本人が学ぶべき現代史について語ってもらった。
終わりだけを知って始まりを知らない日本人
 今日12月8日は、1941年(昭和16年)に日本がアメリカとイギリスに宣戦を布告した「開戦の日」、いわゆる太平洋戦争の開戦日である。当時、2歳だった私にはこの日の記憶はない。
 同日、発表された開戦の詔書では、宣戦布告の相手はアメリカ、イギリスの2カ国であった。一方、終戦の8月15日に玉音放送で流れた終戦の詔書ではアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連の4カ国が当事国である。中国とは1937年(昭和12年)の支那事変からすでに戦争状態にあり、ソ連は1945年(昭和20年)8月8日に日本に宣戦布告しているので、開戦の詔書と終戦の詔書では当事国の数が異なるのだ。
 終戦記念日である8月15日は、毎年、日本中でさまざまな式典があるため、ほとんどの日本人が知っている。それに対して、開戦の日である12月8日は、アメリカでは12月7日「Remember Pearl Harbor」で、私がアメリカ駐在のころ、日本人はおとなしく早帰りしていたが、日本では特に大きなイベントもなく、メディアもあまり取り上げることがないので、単なる師走の1日にすぎない扱われ方となっている。しかし、物事には始めがあって終わりがある。日本人にとって12月8日は8月15日と並ぶ大事な日であるはずだ。
 私が今年の8月に出した『戦争の大問題』の中でも紹介しているが、開戦時の日本の指導者たちは、勝ち目のないことを承知で出口なき戦いへ突入していった。『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著、中公文庫)という本がある。昭和16年の8月、陸海軍および各省、それに民間から選ばれた30代の若手エリートたちが日本の兵力、経済力、国際関係など、あらゆる観点から日米戦を分析した。
 研究会の報告は、「開戦初期には勝利が見込めるものの、長期戦になることは必至であり、日本の国力では、資源不足と生産力不足によって戦力の低下は避けられない。戦局が決定的に悪化すれば、最終局面で必ずソ連は参戦し日本は敗れる」という、ほぼ実際の日米戦をトレースする精度の高いものだった。日本必敗である。
 しかし、この報告を聞いた東條英機陸相は、「これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているようなものではない」と論評、戦争はやってみなければ勝利はどっちに転ぶかわからない、と研究会の報告を握りつぶした。その一方で、東条陸相は「この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬ」と口止めすることは忘れなかった。
 このシミュレーションの持つ意味の大きさは、十分に理解していたことがうかがわれる。すなわち、口が裂けても言えないが内心では日本が負けることはわかっていたのだ。過去の指導者の判断を論評するのは、歴史の結果を見てからなら誰でも言えるなどという批判は当たらない。それ以前の問題だ。

自己の面目ばかりを考える軍エリートと熱狂する国民
 実際に戦争を遂行する軍部でも、国民を戦争へ駆り立てる一方で、次のような動きがあった。軍事ジャーナリストの田岡俊次氏によれば、開戦間近となった1941(昭和16)年10月、陸軍軍務局長から、内閣書記官長を通じて海軍の軍務局長に対し「海軍から日米戦を欲しないと表明してくれないか」という申し出があったという。しかし、海軍幹部は「海軍はずっとアメリカを仮想敵国として予算をいただいてきた。いまさらアメリカと戦わないとは言えません」と答えたという。
 中国で戦争している陸軍にとって、アメリカまで相手にすれば、ますます戦況が不利になることは明白、とはいえいまさら非戦とは陸軍から言い出しにくいので海軍に頼んだ。だが、海軍は海軍で日露戦争以後アメリカを仮想敵国として予算を獲得してきた経緯がある。
 このようなご都合主義の結果、300万人を大きく超える犠牲者を出すことになる戦争へと突入していったのである。
 では一般の国民は、アメリカとの戦争に対してどのように考えていたのだろうか。緒戦で勝ったこともあり、日本人の多くは熱狂した。著名な作家たちが残した当時の日記などにもその気配が表れている。
 中国文学者の竹内好は「支那事変に何か気まずい、うしろめたい気持ちがあったのも、今度は払拭された」と記した。アメリカとの戦争は、白人の第一級者に挑戦する戦いであるからわだかまりがない戦争という心境をつづっている。作家・文芸評論家の伊藤整は、「12月8日宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気持ちであった」と『太平洋戦争日記』の中で述べている。詩人高村光太郎の感想も、「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた」と随筆「十二月八日の記」にある。
 彼らの文章からは、戦争が手段ではなく、何か崇高な目的のようになっていることがうかがわれる。これがおそらく当時の日本社会を覆っていた空気であろう。
 こうした空気の中、わずかに戦争に疑問を呈する発言もあった。経済ジャーナリストの石橋湛山は「可憐なる我が一般国民は、軍艦さえあれば、兵隊さえ備わらば、戦争は出来るものと思っている。彼らは、その軍艦を動かす石油がどこから来るか、また戦争が長引く時、その軍艦兵器を補充する工業力が、わが国に幾ばくあるかを知らないのである」と、日本とアメリカの国力の違いを示し、暗に戦争の無謀さを批判した。
 また、作家の菊池寛は日米開戦の4年前、1937年9月(支那事変の後)に「話の屑籠」に「いかに日本の武力をもってしても、あの大国と4億の民衆とを徹底的に屈服させることは不可能であろう。生殺しに叩きつけても10〜20年経つと国力を回復して向かってくるだろう。その度に叩きつけなければならないとすると、日本にとって負担となるであろう」と、出口なき日本の軍事行動に疑問を投げかけている。
 外交ジャーナリストであった清沢洌は、開戦の直後に「なぜに高い理想のために戦うことができないのか。世界民族に訴えてその理性をとらうる如き」〈『暗黒日記』(岩波文庫)〉と国民全体が熱狂の渦中にある中、ひとり領土、権益のために開戦に踏み切った日本を嘆いていた。
 しかし、このような冷静な議論はごく一部であって、日本人は大きな熱狂の渦に巻き込まれていく。国民の熱狂は1941年12月8日にピークとなり、その後、惨憺(さんたん)たる思いをしながら1945年8月15日を迎える。

歴史は自国中心の文脈でつくられる
 歴史(History)とは勝者の物語(Story)である。歴史はただ事実を時系列に並べただけのものととらえるのは、あまりにもナイーブだ。同じ出来事でも国によって解釈が異なる。その解釈が「歴史」なのである。事実を勝者にとって都合よく意味づけ、勝者を正当化したものが歴史だ。
 歴史が勝者の物語である以上、敗者である日本には語るべき現代史がない。日本の現代史は敗者の物語だからだ。
 中国の現代史とは、中国共産党の勝利の物語である。共産党が、いかに正しかったかを書いているのが中国の現代史だ。勝者を正当化するためのものが歴史である以上、戦前の日本を徹底的に否定するのは、中国共産党を正当化するうえで欠くことができない。中国の現代史では、日本軍は侵略者であり、敗者だ。
 日本を一方的に悪とするこの中国の「歴史」を、日本人としては素直に受け入れがたい。しかし、中国史学者の岡田英弘氏(東京外国語大学名誉教授)は著書『歴史とは何か』(文春新書)の中で、いかなる歴史も主観によってつくられたものであると述べている。
 主観は個人によって異なる。まして違う国となれば、お互いの主観でつくられた国の歴史が一致することはありえない。歴史とはそういうものだ。
 歴史は自国中心の文脈でつくられる。したがって、中国の歴史認識に日本人の多くが反感を覚えるのは、同じ日本人として無理からぬことかとも思う。しかし、中国が中国中心の文脈で歴史を形作るのと同様、日本も、また自国中心の文脈で歴史を見ていることに気づくべきである。
 しかし、歴史とは未来永劫にわたって固定されるものではない。過去の事実は固定化されても、歴史認識は時代によって変わりうるものだ。
 歴史学者の村井章介氏(東京大学名誉教授・立正大学教授)は『中世日本の内と外』(ちくま学芸文庫)で、固有の領土という意識は近代になってようやく生まれたものであり、それ以前にはなかった。歴史を1本の線としてとらえれば、「歴史認識」とは期間限定の「常識」であり、未来にはまた新しい概念でとらえられると述べている。
 いまわれわれの知っている歴史は、未来の人々にとっては、また別の意味でとらえられる可能性は大いにある。

アメリカ人女性の勇気ある一冊
 アメリカは勝者の物語を持つ代表的な国である。だが、そのアメリカでも自国中心の歴史認識の誤謬(ごびゅう)を訴える学者がいた。ヘレン・ミアーズは終戦直後にGHQの一員として日本へやって来た日本研究者である。彼女は帰国後に『Mirror for Americans:JAPAN』(邦題『アメリカの鏡・日本』(角川ソフィア文庫))という本を著す。
 ミアーズは戦時中にアメリカ人が抱いた日本人観と、自分の目で見て調べた日本人の実像との違いを指摘し、アメリカ政府の行きすぎたプロパガンダ政策に警鐘を鳴らした。戦前から戦時中に、アメリカ人が思い込んでいた日本人像とは、ファナティックで好戦的、世界征服の野望を持った危険な国民というものだったが、ミアーズは、日本人は欧米人に比べても戦いを好まない、文化的な国民であることをこの本でつぶさに述べている。
 ミアーズは、戦前の日本がやった中国をはじめとする対アジア諸国政策は、間違ってはいるが、欧米列強のやってきたことを倣ったにすぎない。また、日本人が天皇を崇拝するのは、アメリカ人が星条旗に忠誠を誓うのと何ら変わらないと主張する。
 ミアーズの本はマッカーサーによって日本で翻訳出版することを禁じられ、母国でも学者として評価されないまま終わった。それでもミアーズは、われわれにいくつかの貴重な示唆を与えてくれている。
 1つは、自己中心の物語を持つ国アメリカでも、国の行きすぎたプロパガンダ政策を冷静に批評する学者はいたということ。もう1つは、実際の日本人が当時のアメリカ人が考えたようなファナティックで、好戦的で、危険な人間ではなかったように、今日、われわれがファナティックで危険な国民と思い込んでいる北朝鮮のような国の人々も、実際には文化的で平和的な人々であるかもしれないのだ。

勇気をもって敗者の現代史を学べ
 われわれ日本人には勝者の現代史はない。あるのは敗者の物語だ。だが、勝者の歴史は勝者を正当化するため、過去の出来事を脚色し、勝者の正当化を図る。一方、敗者の歴史は過去の事実を粉飾する必要はなく、歪曲することも求められない。
 勝者の歴史は、過去から現代までで終わるが、敗者の歴史は過去の事実から学んだことを未来のために生かす。敗者である日本の現代史は、未来志向の歴史なのである。
 日本の現代史は敗者の物語であるが、日本人はあえて敗者の現代史を、勇気を持って学ぶべきである。そして、学ぶべき眼目で最大のものが、戦争をしない、戦争に近づかないための知恵である。
 戦争は国民を犠牲にする。戦争で得する人はいない。結局みんなが損をする。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけない。これは敗者の歴史からしか学べないことだ。だから日本人は現代史を学ぶべきなのである。
 戦争を実際に知っている人がいなくなっている今日、日本人は文献や記録からだけでも戦争を知らなくてはいけない。現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である。
 私は「あの戦争は正しかった」という発言があってもよいと考えている。問題は正しかったか、間違っていたかではないからだ。
 アメリカは広島、長崎への原爆投下を正しかったとしている。しかし、原爆投下の判断がどんなに正しかろうとも、原爆がもたらした惨状を肯定できるはずがない。正しかろうと、正しくなかろうと、人々を不幸のどん底に突き落とす戦争をしてはいけない。戦争が引き起こす悲惨さを、戦争なのだから仕方がないで済ませるようであれば、世界は日本国民を歴史から学ぶことを忘れた愚か者と言うだろう。
 戦争に近づいてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、日本国民の叫びであり、われわれが現代史を学ぶ意味とすべきだ。これが開戦の日である今日12月8日に私が言いたいことである。

戦争ができる国になってこそ戦争のリスクを下げられる
2017/11/19
戦争ができる国になってこそ戦争のリスクを下げられる
Japan On the Globe(1036)■国際派日本人養成講座■H29.11.19より転載
Common Sense: 戦争と平和の逆説
 〜 エドワード・ルトワックの『戦争にチャンスを与えよ』から__
過去の検証は戦争回避への模索 戦後に仕組まれた情報戦は何のためか

■1.戦争を「やり切る」ことによって平和が訪れる

 国際的な戦略家エドワード・ルトワックの最新刊『戦争にチャンスを与えよ』[1]がベストセラーになっているが、そこで言われている「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」とは、一見、矛盾しているが、真実を突いた逆説ではないか、と思った。逆に言えば、戦争を「やり切る」ことによって平和に到達できる、ということである。

 例えば徳川家康は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで石田三成や毛利輝元など豊臣家中の敵対勢力を排除し、慶長19(1614)年の大坂冬の陣で豊臣方の立て籠もる大阪城の本丸のみを残し、堀を埋め立てるという条件で和睦した。そして続く夏の陣ではついに豊臣秀頼と淀君を討って実権を確立した。

 もし家康が関ヶ原の勝利で戦争をやめていたら、豊臣方の勢力はいつまでも残り、豊臣と徳川が対立する不安定な状態がずっと続いていたであろう。それでは二百六十年もの江戸の平和は実現できなかったろう。

 明治維新も同じである。鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸に逃げ帰って謹慎したところで、戦争をやめてしまっていたら、徳川の力がいつまでも残り、その後、明治新政府が国を挙げての近代化に邁進できたかどうかわからない。

 西郷隆盛が官軍を率いて江戸をおさえ、さらに抵抗する会津藩や庄内藩などを打ち破ったことで、初めて国内が明治新政府のもとでまとまったのである。

■2,「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」

 これらは戦争を「やり切った」ことで平和が訪れた例であるが、その逆の「戦争が凍結されては、平和が決して訪れない」典型的な事例は朝鮮戦争であろう。

 マッカーサー率いる国連軍は北朝鮮軍を押し返して、シナ国境まで追い詰めた。そこでさらにシナと北朝鮮の国境をなす鴨緑江(おうりょくこう)に架かる橋の爆撃を計画していた。これが実現されれば、シナ軍は参戦できず、北朝鮮が滅びて戦争は終わっていたろう。そうすれば、朝鮮半島全体が韓国によって支配され、今日のような北朝鮮による危機はなかったはずである。

 しかし何故か、そこでマッカーサーは解任され、後任のクラーク将軍も勝つための武器・兵員を与えられなかった。何者かによって不自然な形で朝鮮戦争は凍結され、開戦前とほとんど変わらない三十八度線で休戦協定が調印されたのである[a]。

 以後、60年以上も北朝鮮と韓国は休戦ラインを挟んでにらみ合い、時々小競り合いが起こっている。北朝鮮は核開発を着々と進め、今や韓国、日本ばかりかアメリカをも脅かそうとしている。これがまさしく「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」と言うことである。

■3.「人間は人間であるがゆえに」

 この逆説を述べているルトワックは本誌でも、その著書『中国4.0 暴発する中華帝国』 から、956号「暴発する中国から世界を護る戦略」[b]として紹介した。

『戦争にチャンスを与えよ』とは、日本語では聞き慣れない表現だが、英語では"Give War a Chance"。これは"Give him a chance"、「彼に任せて、やらせてみろ」といった場合に使う表現である。要は、戦争が始まってしまったら、途中で止めたりせずに、とことんやらせてみろ、と言う意味である。

 ルトワックの徹底したリアリズムは、なぜこの逆説が成り立つかを述べている次の一節からも窺える。

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 人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる。[1, 215]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「人間は人間であるがゆえに」とは、人間には未来が見えず、限定的な合理性しか持っていないということだろう。それゆえに、例えば明治維新の時にも、新政府に抵抗して、幕府側として戦った人々がいた。

 その後の歴史を知っている我々から見れば、幕藩体制ではもはや日本はやっていけないということは分かりきった事だと思ってしまうが、当時の人々にとっては、一寸先は闇である。だから、薩長などよりも、実績のある幕藩体制の方が良いと考えたとしても、何の不思議もない。

 薩長が良いか、佐幕が良いかは、議論で決着がつく問題ではない。だから最後まで戦争をして、佐幕派が追い詰められ、疲弊することによってようやく決着がついた。

 この戊辰戦争を途中で止めてしまえば、佐幕派がいつまでもエネルギーを残して、薩長との対立関係が続き、明治新政府として一丸となって、近代化に邁進するということもできなかったであろう。

■4.「平和が戦争をもたらす」

「戦争が平和をもたらす」のと対照的に「平和が戦争をもたらす」と言う逆説も、ルトワックは述べている。

__________
 人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。[1, 1041]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この典型的な事例が、イギリス首相チェンバレンの対ドイツ融和政策であろう。1935年、ヒットラーはヴェルサイユ条約の取り決めを一方的に破棄して、再軍備と徴兵制の復活、非武装地帯に定められていたラインラントへの進駐、オーストリア併合など着々と勢力を広げていた。

 第一次大戦後の平和を求める世論に縛られていた各国は、ドイツの行動を黙認した。さらにヒットラーはチェコスロバキアの要衝ズデーテン地方を要求し、チェンバレン首相はミュンヘン会談で「ドイツがこれ以上の領土要求を行わない」との約束のもとにその要求を呑んだ。ヨーロッパ中で、平和が維持されたという喜びに包まれ、チェンバレン首相は讚えられた。

 しかし、ヒトラーは増長してその約束を簡単に破ってポーランドに侵攻し、ついに英仏もドイツに宣戦布告をした。チャーチルが「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べているように、チェンバレンの融和政策が第二次大戦をもたらした、と言う見方が根強い。

■5.「まあ大丈夫だろう」という危険な選択

「平和が戦争をもたらす」現象は北朝鮮危機に対する韓国の態度にも見られる、とルトワックは指摘する。

__________
 さらに北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルを保有し、韓国を直接脅かしているのに、韓国自身は何もしていない。彼らは、北朝鮮に対して抑止さえもしていないのだ。
 韓国は、北朝鮮に何度も攻撃されているのに、反撃さえしていない。韓国の哨戒艦「天安」の沈没事件でも、誰もいない方向に砲撃しただけだ。
 要するに、韓国は、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。
 これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。[1,1049]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この態度は、日本も同様であると、ルトワックは言う。

__________
 何度でも言う。現在の日本は、北朝鮮に対して何も行動しておらず、唯一選択しているのは、「まあ大丈夫だろう」と言う態度だが、このような態度こそ、平和を戦争に変えてしまうものなのである。[1, 1110]
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■6.「平和が欲しければ戦争に備えよ」

 平和安全法制が審議された時に、左翼は「戦争ができる国になる」と言って、反対運動を起こした。「戦争ができない国」であれば平和が守れると言う考え方は、根拠のない信仰である。歴史はそれが誤りである事を教えている。

 チベットは第二次大戦後、唯一他国に侵略されて植民地に転落した国である。そこで起こったことは、「戦争ができない」国がシナに簡単に侵略されたということであった[c,d]。

 もしチベットが多少なりとも「戦争ができる国」であったとしたら、アフガニスタンの山岳ゲリラがかつてのソ連軍や、今日の米軍に粘り強く抵抗しているように、シナに易々と植民地化されることもなかったであろう。

 侵略国は、侵略のメリットとコストを天秤にかけて考える。侵略のメリットよりも、コストのほうが大きいと思えば、侵略に乗り出す事は無い。「戦争ができない国」はそのコストがほぼゼロということであるから、容易に侵略に乗り出すことができるのである。

 戦争をしたくなかったら、「戦争ができる国」となって、侵略しても割が合わないようにする必要がある。これが「抑止力」の概念である。

 ルトワックは「戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ」と指摘しているが、これは4世紀のローマ帝国の軍事学者ウェゲティウスが「平和が欲しければ戦争に備えよ」と言っていることと同じである。

■7.「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒した

「戦争に備える」方策の一つとして、ルトワックは同盟の重要性を指摘し、これを「大国は小国を打倒できない」と言う逆説で表現する。

__________
大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っているからだ。小国は、規模が小さいゆえに誰にも脅威を与えない。だからこそ、別の大国が手を差し伸べるのである。
 小国のベトナムは、大国のアメリカを打ち負かし、小国だからこそ、ソ連と中国の支援を獲得できた。当時、ソ連と中国は、対立していたのだが、それでも互いに協力してベトナムを助けたのである。[1, 1146]
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「同盟関係は自国の軍事力より重要なのだ」とまでルトワックは言う。例えば軍事の天才ナポレオンに率いられた12万は精強だったが、イギリスはプロイセンやロシアなど同盟国を集めて、23万の兵力で対抗した。多くの「犬と猫」の同盟が「ライオン」を倒したのである。

 同様に、第2次大戦でのドイツ軍も屈強で、100人のドイツ軍を打倒するのに、イギリス軍は300人の部隊を必要としていた。しかしドイツ軍がいくら屈強でも、イギリスが米ソと同盟しては勝ち目はなかった。

 第二次大戦後にアメリカが結成したNATO(北大西洋条約機構)は、イギリスの同盟戦略のコピーであるとルトワックは指摘する。この同盟戦略で、アメリカはソ連と言う「熊」を倒したのである。

 ルトワックは、兵力も装備も貧困で戦闘力として頼りにならない小国をも同盟関係に入れることの重要性を説いている。NATOにはアイスランドやルクセンブルクのような小国や、トルコやギリシャなどの周辺国も入っていた。これらの小国を同盟に入れることの意味は、私見だが、次の三つが考えられるだろう。

 第一に、敵が孤立感を持つように仕向けられること。第二に小国と言えども、独自の立場からの情報貢献、経済貢献が期待できること。第三にそれぞれぞれの小国が敵と通じたり、反旗を翻すリスクを減らすこと。

■8.「安倍首相はまれに見る戦略家だ」

 以上を踏まえれば、ルトワックが「安倍首相はまれに見る戦略家だ」[1,544]と言う理由がよく分かるであろう。

 第一に、安倍首相は左翼が言うように日本を「戦争ができる国」にしようとしている。それは戦争のリスクを減らすために、必要不可欠なことだからだ。

 第二に、安倍首相は精力的な外交努力で対中包囲同盟を築きつつある。そこにはアメリカやインドなどの大国だけではなく、フィリピンやベトナムなども含まれている。安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、日米同盟を従来の極東からインド洋にまで拡大し、インドとの協力強化も含めたものである。

 先ごろ日本を訪れたトランプ米大統領も、この戦略を共有する姿勢を示した。日本が世界戦略を示し、アメリカがそれに賛同するというのは戦後初めての現象であろう。そしてその戦略は、世界的な戦略家ルトワックが激賞したものなのである。

 しかし偏向したほとんどの日本のマスコミは、こういう点を論じない。マスコミの記者自身が、ルトワックの説くような戦略論に無知なのか、あるいは敵側の視点でその戦略に恐れをなしているからであろう。

 自由民主主義国家にとって大切な事は、国民が「平和が欲しければ戦争に備えよ」「戦争ができる国になることが戦争のリスクを減らす」という防衛の逆説を理解し、多くのマスコミの偏向報道を見破って、正しい戦略をとっている政治家を後押しすることである。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(1002) 地球史探訪: 国際共産主義はグローバル資本が生み育てた.
 ロシア革命、第二次大戦、シナ国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、国際共産主義を生み育て、争いの種を蒔いてきた勢力の正体。http://blog.jog-net.jp/201704/article_6.html

b. JOG(956) 暴発する中国から世界を護る戦略
 中国の「対外強硬論」を挫折させたのは日本とベトナムだった。
http://blog.jog-net.jp/201606/article_5.html

c. JOG(123) チベット・ホロコースト50年(上)〜アデの悲しみ〜
 平穏な生活を送っていたチベット国民に、突如、中共軍が侵略を始めた
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog123.html

d. JOG(124) チベット・ホロコースト50年(下)〜ダライ・ラマ法王の祈り〜
 アデは27年間、収容所に入れられ、故郷の文化も自然も収奪された
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog124.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. エドワード・ルトワック『戦争にチャンスを与えよ』(Kindle版)★★★、 文春新書、H29
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朝日新聞はいかに 加計事件を創りだしたか
2017/11/05
Japan On the Globe(1034)■国際派日本人養成講座■H29.11.05より転載
Media Watch: 「加計事件」 〜 朝日新聞の謀略報道
 朝日新聞はいかに「加計事件」を創りだしたか。

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■1.「総理からの指示に見えるのではないか」

 これはまさしく確信犯による謀略報道だ、と小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」──朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読んで思った。加計事件の発端となった朝日新聞の5月17日付け「新学部『総理の意向』」と1面横にぶち抜いた大見出しの「スクープ」記事である。

 記事では「加計学園事件 文科省に記録文書 内閣府、早期対応求める」と縦の大見出しを添え、その記録文書の写真を載せているが、そこには次のような問題となった一文が読める。

__________
○ 設置の時期については、今治市の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。[1]
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 しかし、この次の次の段はスポットライトからはずれて、暗くて読めないようにしているが、実はこういう文面になっていた。

__________
◯「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか。[2, 1718]
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 この文面はどう読んでも、総理からの指示はなかったのに、そう見せかけた、という意味である。朝日はこの部分をスポットライトから外して、読めないようにして写真を掲載した。まさに意図的な捏造記事である。

 小川榮太郎氏の『徹底検証「森友・加計事件」』は、森友事件に関しても同様に朝日による「報道犯罪」ぶりを暴いているが、「森友事件」そのものは地方行政での土地売却事案に過ぎず、国政に関わる重要問題ではない。しかし「加計事件」として使われた獣医学部設置は鳥インフルエンザなどへの危機管理対応からして、国民の安全に直結する国家的課題である。

 この国家的課題を朝日は倒閣のための謀略報道に使った。以下、この点を詳述しよう。


■2.「もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね」

「加計事件」の根源には、獣医学部新設を52年間も認めてこなかった文科省の「岩盤規制」がある。前川喜平・前次官は規制の理由の一つとして、「獣医学部の定員を増やすという理由がない」と7月10日に参院で述べているが、実態はまったく異なる。

 加戸守行・前愛媛県知事は、獣医師の深刻な不足状況について、つぎのように語っている。

__________
 平成22年に宮崎県で口蹄疫が発生した際には、愛媛県の港に検疫態勢を取り、入県する車と人は全部消毒し、四国への上陸を阻止した。全員が不眠不休でやったが、獣医師が足りないから(民間の)ペットの獣医師まで動員して助けてもらった。あのときほど獣医師がほしかったことはなかった。
もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね。(7月16日付け産経新聞 加戸守行前愛媛県知事インタビューより)
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 この年に発生した牛や豚などの口蹄疫では約30万頭が殺処分され、畜産関連の損失額は1千4百億円、関連損失は950億円に上った。口蹄疫のウイルスは伝染性が非常に強いので、もっと早く発見して早く処置していれば、ここまで損失が広がる事もなかったろう。

 口蹄疫に罹った家畜は発熱したり、口の中や蹄の付け根などに水ぶくれができたりする程度で、死亡率は数パーセント。早く発見し早く処置するためにも獣医師が欠かせない。

 その獣医師を育てる獣医学部は極端な東高西低で、文科省による定員は東日本が10学部735名に対して、西日本は6学部あるものの195名に過ぎず、四国には一つもない。しかも、現在の学生数は約1200名で、定員に対して23%もの水増し入学となっている。自民党の青山繁晴・参議院議員は次のように証言している。

__________
 実は現場の方々に随分尋ねてきました。そうしますと、例えば、教室に入り切れない学生が廊下にあふれて、授業を一種見学している、のぞき込んでいるという実態もある。一番大切な実習も、実は背後からのぞくだけという状態が、これ大学によって変わりますけれども、起きているところがかなりあると。[2,2652]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 前川・前次官は出会い系バーで「貧困調査」をしている暇があったら、こういう実態調査をすべきだった。


■3.国の将来に関わる獣医学部新設

 今治市の獣医学部申請には、畜産物輸出やライフサイエンスなど国の将来に関わる重要なビジョンも含まれていた。農林水産省は和牛など畜産物の輸出拡大に取り組んでいるが、検疫での信頼性を確保するためには、国際的に信用のある獣医学部の設立が不可欠である。

 また医学と獣医学の連携が世界的に進むなか、ライフサイエンスや試薬の開発にも、獣医学部の充実が求められている。例えば4千万人を感染症から救って、ノーベル賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授は、アメリカでの研究を牛の寄生虫退治のための動物薬の開発から始めている。[a]

 日本の医学部は世界的に見ても先端的なレベルを確保しているが、獣医学部は国際的にみてあまりにも貧弱で、専門家によれば「絶望的」なまでに遅れているという。この状況をなんとかしようと今治市から獣医学部新設の要望が出されたが、文科省の岩盤規制により15回も却下されたのである。


■4.「ゆがめられた行政が正された」

 このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている。

__________
 業界団体は多年の自民党政権下、有力な族議員に参入規制を陳情し、議員は監督官庁に圧力をかけて、規制を作らせてきた。この規制によって業界は既得権益を保護され、その為に動いた議員には様々な利益が供される。官僚はこの仕組みに積極的に参加することで天下り先を確保できたわけである。[2, 3216]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 過度の新規参入が価格破壊やサービス低下を招いて、業界を混乱させ、消費者にも不利益を与えることがある。こういう場合には新規参入規制も意味があるが、獣医師会と族議員、文科省による獣医学部新設凍結は国家的に見ても大きな問題であった。

 このような岩盤規制に風穴を開けるために、安倍政権で創設されたのが「国家戦略特区」制度であった。これは国家戦略特区に指定された分野に新規参入希望者が現れた場合、監督省庁の側が規制の必要性を説明しなければならないという制度である。これにより「はじめに規制ありき」が通用しなくなった。

 獣医学部の場合は、文科省も農水省も規制の必要性を説明できず、獣医学部新設から逃げることはできなくなった。

 ここで作成されたのが冒頭の文書である。内閣府の藤原豊・審議官の発言を文科省の担当課長が報告した内容で、文科省が獣医師会と族議員から規制を崩された責任を糾弾された時に、「総理からの指示」で仕方なくのんだ、という形にする為以外に考えられない、と著者・小川榮太郎氏は指摘する。

 前川氏の「行政がゆがめられた」発言に対し、加戸氏は「岩盤規制に国家戦略特区が穴を開け、『ゆがめられた行政が正された』というのが正しい」と証言している。どちらが正しいか、獣医学界の惨状を見れば明らかである。


■5.加戸発言をほとんど報道しなかった偏向ぶり

 7月の国会閉会中の集中審議で、参考人として前川・前事務次官、加戸・前知事以外に、国家戦略特区ワーキンググループの中心メンバーも証言して、岩盤規制の実態が明らかにされた。

 しかし、朝日新聞は1面トップの記事に「加計ありき 疑念消えず 前川氏『官邸が関与』 首相ら当事者不在」、2面では「『丁寧な説明』なき審議」、3面では「加計巡り説明不足」と畳みかけた。その一方で、加戸発言については一般記事では全く触れず、詳細記事で20行、紹介したのみであった。

 同日の産経は一般記事で50行、詳細で53行、読売は一般記事で68行を使っている事と比べれば、朝日の偏向報道ぶりは明らかである。[2]

 テレビも同様で、小川氏のシンクタンクの調査では、7月11日、12日、在京キー局で参考人の発言を放送した合計2時間42分のうち、前川・前次官の発言が2時間33分と95% を占め、加戸前知事の発言は6分に過ぎなかった。

 加戸・前知事の発言は岩盤規制で「ゆがめられた行政」の実態を示す貴重な証言だったが、意図的な偏向報道によって、その実態は国民の目から隠されてしまったのである。


■6.「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)たれ」?

 かつて「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)たれ」と言われた。木鐸とは「木の舌(振り子)のついている大きな鈴」で、古代中国で法令などを人民に示す時に用られた。つまり、新聞は社会の「警鐘」とならねばならない、という意味である。

 新聞が「木鐸」としての役割を果たそうとすれば、「もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね」という危機状況や、獣医学部が「絶望的」なまでに遅れている現状に警鐘を鳴らし、同時に既存の獣医学部では「教室に入り切れない学生が廊下にあふれて」いる現状をレポートして、政治の怠慢に批判の声を上げるべきだった。

 さらにその原因として52年間も学部新設を阻止してきた政・官・民による岩盤規制の問題も摘出すべきであった。それをしていれば「岩盤規制に国家戦略特区が穴を開け、『ゆがめられた行政が正された』」のは、安倍政権の重要な業績の一つである事を国民は知ったであろう。

 さらに言えば、前川が出会い系バーに頻繁に通っていたことは文科省高官としては極めて不適切であったこと、文科省の天下り斡旋(あっせん)疑惑で停職処分発表前の辞任が認められ、自己都合退職として退職金5千万円余もが支払われた事に対する糾弾の声も上げるべきであったろう。

 朝日新聞はこのような「社会の木鐸」たる役割の、まさに正反対を演じてきたのである。


■7.倒閣のための謀略機関

 朝日の加計報道は、その内容だけでなく、手法においても、報道機関としての原則を完全に逸脱したものであった。

 冒頭の文章が報道された際に、菅義偉・官房長官は、「全く、怪文書みたいな文章じゃないでしょうか。出どころも明確になっていない」とコメントした。誰がいつ、どこで書いたのかも分からない、しかもそのうちのごく一部しか報道しない、こんな文章は裁判でも証拠能力はなく、一般社会でも「怪文書」扱いされるのは当然である。

 そんな怪文書に「総理の意向」と書かれてあっただけで、書かれた総理の側に説明責任を要求するのは、報道の基本原則から逸脱したものだ。まともな新聞記者なら、まずその文書を、いつどこで誰がどのような状況で書いたものか、の事実を追求するはずだ。

 その常識に従って菅官房長官が「怪文書だから関知しない」と言った後で、前川を登場させ、当事者として証言させたことで、「政府が調査から逃げている、何か隠している」という印象作りに成功したのは、謀略報道としては見事な腕前であった。

 そして、関係者の証言で獣医学部の岩盤規制の実態が明らかになった後も、加戸前知事の「ゆがめられた行政が正された」との発言はほとんど報道せずに、大見出しで「加計ありき 疑念消えず」、「『丁寧な説明』なき審議」、「加計巡り説明不足」と畳みかける印象操作を続けた。

 怪文書の片言節句を取り上げて説明を要求し、政府がいくら説明しても「疑念消えず」と見出しで印象操作をする。事実を国民に伝える報道機関ではなく、倒閣のための謀略機関そのものの手口である。


■8.「北朝鮮や中国と通じているのではないか」

 しかもこの期間は、北朝鮮のミサイルが日本列島周辺に着弾する、という国家的危機の最中であった。5月30日の朝日は前川の取材記事を一面トップで報じていた。前川証言をトップニュースで扱うのは2週間で3度目だった。

 その前日、北朝鮮が弾道ミサイルを3週連続で発射し、日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾したが、それを抑えてのトップニュースである。前川証言と北朝鮮の弾道ミサイルと、どちらが国民にとっての重大事件か、言うまでもない。前川証言を報ずるにせよ、一日ずらしても国民にとっては何ら問題はないはずだった。

 民進党が森友学園問題で政府を追及する様に対して、維新の足立康史・衆院議員は「安保情勢が厳しい中で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の足を引っ張るのは、北朝鮮や中国と通じているのではないかと疑われても仕方ない」と批判した。[4]

 筆者も朝日新聞に対してこの疑念を抱く。その意図はどうあれ、少なくとも結果的には、謀略報道で「事件」を作りだし、政府から国家的危機対応のための貴重な時間を奪い、同時に国民に対して危機から目をそらせていたのは事実である。北朝鮮からは頼もしい援軍と見えたであろう。

 森友・加計問題で、朝日新聞はますます確信犯的な謀略機関としての本質を国民の前に晒しつつある。わが国の自由民主主義を守るためには、一人でも多くの国民が、その正体に気がつくことが必要である。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)

b. 「朝日新聞」に関する弊紙記事
http://blog.jog-net.jp/theme/4f841679c7.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 朝日新聞Digital、H29.05.17「加計学園の新学部『総理のご意向』 文科省に記録文書」
http://www.asahi.com/articles/ASK5K0494K5JUTIL08N.html

2. 小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」──朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(Kindle版)★★★、飛鳥新社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/486410574X/japanontheg01-22/

3. 産経新聞、H29.10.08「朝日と毎日は『ゆがめられた行政が正された』との加戸守行前愛媛県知事発言取り上げず」
http://www.sankei.com/politics/news/171008/plt1710080094-n1.html

4. 産経新聞、H29.03.17「『北や中国と通じているのか』維新・足立康史衆院議員、森友学園問題攻撃の民進党を批判」
http://www.sankei.com/politics/news/170317/plt1703170030-n1.html

日米対立の道
2017/10/22
歴史教科書読み比べ(44): 日米対立の道
■ Japan On the Globe(1032)■ 国際派日本人養成講座■H29.10.22より転載
歴史教科書読み比べ(44): 日米対立の道

 東京書籍版は、日本だけが悪役で、アメリカも他の国も登場しない一人舞台史観。

■1.「石油やゴムなどの資源を獲得しようとした」

 日中戦争から抜け出せないまま、日米関係は悪化していく。東京書籍(東書)版は、「日本の南進」の項で、次のように描く。

__________
イギリスやフランスなどがドイツとの戦争で劣勢におちいると、日中戦争が長期化した日本は,近衛内閣の下,これらの国々の植民地がある東南アジアに武力による南進を始めました。援蒋ルートを断ち切るとともに,石油やゴムなどの資源を獲得しようとしたのです。[1, p224]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 育鵬社版の描く世界は全く別だ。

__________
 日中戦争が始まってから3か月後の1937(昭和12)年10月,アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは議会での演説で,無法な国を世界から隔離すべきだと,日本を非難しました。

 わが国は石油などの重要な物資をアメリカからの輸入に頼っていましたが,アメリカは, 1939(昭和14)年に日米通商航海条約の廃棄を通告し,対日輸出制限を強化しました。[2, p231]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日本の南進、仏領インドシナ(今日のベトナム)北部への進駐は1940(昭和15)年9月。援蒋ルート、すなわち米英などからの蒋介石支援物資が北ベトナム経由で運ばれていたので、それを断ち切ろうとしたのは事実である。しかし、アメリカはその前から日米通商航海条約の廃棄を通告し,対日輸出制限を強化していたのである。

 東書版は、日本は南進によって「石油やゴムなどの資源を獲得しようとした」と書くが、このアメリカの対日輸出制限を書かないので、なぜここで急に資源獲得の話が出てくるのか、中学生たちは分からないだろう。この書き方では、英仏がドイツとの戦いで劣勢に陥った隙を狙って、南方の資源を盗もうとしたとしか読めない。


■2.ルーズベルトの異様な敵意

 ルーズベルト大統領の「隔離」演説は、この人物が日本に対して抱いていた異様な敵意をよく表している。米国国務省が作成した演説原案には「隔離」云々の部分はなく、演説直前にルーズベルト自身で挿入したものである。

 この演説は米国内で激しい反発を引き起こし、6つの平和主義団体が、大統領は米国民を世界大戦の道に連れて行こうとしているとの声明を出した。米国労働総同盟や議員三分の二も反対の声をあげた。

 しかし、国内の反発にも関わらず、ルーズベルトは着々と日本を追い込んでいく。日米通商航海条約は、もともと幕末の1858(安政5)年に結ばれた日米修好通商条約が改定を重ねたものである。いわば80年以上に渡って日米友好の基盤となった条約を破棄して、いつでも合法的に対日貿易を制限、あるいは停止できるようにしたのである。

 当時、日本にとって、アメリカは原油、精銅、屑鉄、機械類などの主要供給先であった。しかも、アメリカにとっても、日本は英国、カナダに次ぐ輸出先で、日本への輸出量はシナを含む全アジアへの輸出量よりも多かった。

 ルーズベルトの日本への敵意は、国民の意見も経済合理性も長年の友好関係も無視した異様なものであった。


■3.日本が着々とアジア侵略?

 育鵬社版の記述と比べて気がつくのは、東書版では日本の動きだけを追って、一向にアメリカその他の役者が登場しない事だ。この一面的な記述ぶりは、この後も続く。

__________
 日本は1940(昭和15)年9月,フランス領インドシナの北部に軍を進め,次いで日独伊三国同盟を結びました。さらに,1941年4月に日ソ中立条約を結び,日本の北方の安全を確保したうえで同年7月にフランス領インドシナの南部へも軍を進めました。
 こうした動きと合わせて, 日本は「大東亜共栄圏」の建設を唱えました。それは, 日本の指導の下,欧米の植民地支配を打破し,アジアの民族だけで繁栄しようという主張でした。[1, p224]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 フランス領インドシナ北部への進駐、日独伊三国同盟、日ソ中立条約、仏領インドシナ南部への進駐と、日本が着々とアジア侵略を進めたように描かれている。

 その目的としては、日本の指導の下、「大東亜共栄圏」を作って、「アジアの民族だけで繁栄しよう」としたと言う。「欧米の植民地支配を打破」しようとしたのは事実だが、「アジアの民族だけで繁栄しよう」としたと大胆に断言した根拠は書かれていない。

 1943(昭和18)年11月6日、アジアの独立運動のリーダーたちを東京に集めた大東亜会議では、大東亜宣言を採択し、そこには「大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ・・・以テ世界ノ進運ニ貢獻ス」との条項もあった[a]。それが単なる建前であって、本音は違うというなら、そう断定できるだけの根拠を示すべきである。

 外交も戦争も相手のあることであって、その作用、反作用が歴史を織りなしていく。アメリカその他の国の動きは描かずに、日本だけが侵略に突っ走ったというのでは真っ当な歴史記述にはなりえない。


■4.「四か国協商」の目論み

 このあたりを育鵬社版は次のように記述する。

__________
 ドイツの快進鑿に目をうばわれた日本政府は,1940(昭和15)年,日独伊三国同盟の締結に踏み切りました。さらに米英に圧力をかけて讓歩させるため,ソ連を含めての四か国協商を結ぼうとして,日ソ中立条約を結びました。しかし、ドイツが日本に事前の協議もなく,不可侵条約を破ってソ連に攻めこんだことでその期待は裏切られました。
 また,三国同盟の最大の敵国はイギリスだったため,すでにイギリスと事実上の同盟関係にあったアメリカとわが国の関係は決定的に悪化しました。[2, p232]
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 東書版では日ソ中立条約は「日本の北方の安全を確保したうえで」南進するために結んだように書いているが、育鵬社版では「ソ連を含めての四か国協商を結ぼうとして」結んだものとしている。そして、その目的は「米英に圧力をかけて譲歩させるため」としている。実際に、当時の近衛文麿首相は手記にこう記している。

__________
 当時独ソは親善関係にあり、欧洲の殆ど全部はドイツの掌握に帰し、英国は窮境にあり、米国は未だ参戦せず、かかる状勢下で日独ソ連携によって英米に対する我国の地歩を強化することは支那事変を解決し、対英米戦をも回避し、太平洋の平和に貢献し得るのである。[3, p559]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 しかし、そんな目論みも、独ソ開戦により吹き飛ばされる。日本は着々と主体的にアジア侵略の道を歩んだのではなく、複雑奇怪な国際政治に翻弄されていたのである。


■5.経済封鎖と仏印進駐

 その後の日米交渉に関して、東書版は次のように記述する。

__________
 日本が侵略的な行動を取る中で,日米関係は悪化していきました。近衛内閣は,アメリカとの戦争をさけるために1941年4月から日米交渉を行いましたが,軍部の要求などもあって,南進を止めませんでした。
 フランス領インドシナの南部へ軍を進めた日本に対して,アメリカは石油などの輸出禁止にふみ切り,イギリスやオランダも同調しました。戦争に不可欠な石油を断たれた日本では,このように日本を経済的に封鎖する「ABCD包囲陣」を打ち破るには早期に開戦するしかないという主張が高まりました。
 日米交渉の席でアメリカが,中国とフランス領インドシナからの全面撤兵などを要求すると,近衛内閣の次に成立した東条英機内閣と軍部は,アメリカとの戦争を最終的に決定しました。[1, p225]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「近衛内閣は・・・日米交渉を行いましたが,軍部の要求などもあって,南進を止めませんでした」という一文では、いかにも交渉のポーズを見せつつ、実は侵略を続けた、と言いたいようである。

 育鵬社版は、南部仏印進駐について、こう説明する。

__________
 当時のわが国は,使用する石油の多くをアメリカから輸入し一部をオランダ領東インド(現在のインドネシア)から輸入していました。しかし,三国同盟によってオランダとの関係が悪化し,石油・ゴムなど重要物資のインドネシアからの輸入が困難になりました。そこで日本政府は,東南アジア産出の重要物資を確保するため, フランス領インドシナ南部に軍を進めました(南部仏印進駐)。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち、先に「ABCD包囲陣」による経済封鎖があり、追い詰められた日本が資源確保のために、南部仏印に進駐したのである。東書版では、日本の「南進」を強調するあまり、原因と結果が逆になっている。

 ちなみに仏印進駐はフランスの主権を尊重し、フランス政府との合意に基づいている。これを侵略というなら、同じ年に英国やアメリカがドイツ侵攻の予防として、アイスランドとグリーンランドに進駐したのも同じ侵略であろう。ましてやソ連によるポーランド、バルト三国、フィンランドへの侵攻は、文句の言い様のない侵略である。


■6.日本との戦争を決意していたルーズベルト

 こうしてわが国は、袋小路に追い込まれていく。育鵬社版の記述では:

__________
 これに対しアメリカは, 国内にある日本の資産を差しおさえるとともに石油の対日輸出全面禁止に踏み切り,日米の対立は決定的なものになりました。また,アメリカは,イギリス,中国,オランダとともにわが国を経済的に圧迫し,封じこめを強化しました。
 首相の近衛文麿は,アメリカ大統領ルーズベルトとの会談を提案しましたが実現せず,開戦に消極的だった海軍も石油問題に危機感を強めていきました。[2, p233]
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「経済封鎖は戦争行為である」とはパリ不戦条約批准の際のケロッグ米国務長官の議会での発言である。ルーズベルトは部下からも再三、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていたが、聞き入れなかった。ルーズベルトは当初から、日本との戦争を決意しており、この点はアメリカ国内でも批判されている。

 ルーズベルトの前の大統領であったハーバート・フーバーは、終戦後、日本を占領中のマッカーサーを訪れて対談した。そこでは「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」と私(フーバー)がいうとマッカーサーは同意した」という会話がなされている。[b]

 また共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員は、戦後に著した著書で、「フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した」と書いている。[c]


■7.ルーズベルト政権を操ったソ連

 今日では、当時の秘密文書公開によって、ルーズベルト政権には多くのソ連工作員が紛れ込んでいた事が明らかになっている。

 たとえば、真珠湾攻撃の7ヶ月前に日本爆撃計画が立案され、ルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた。この計画の立案者がロークリン・カリー大統領補佐官で、彼がソ連と極秘情報のやりとりをしていたことは、当時の米暗号解読機関によって確認されていた。

 また日本政府に開戦を決意させた最後通牒ハル・ノートは、財務次官ハリー・デクスター・ホワイトの手になるもので、これもソ連の指示に従ったものである事が明らかになっている。

 前号では、スターリンの謀略で、蒋介石政権と日本が日中戦争に引きずりこまれた事を示した。そして、近衛政権の近くに尾崎秀実などソ連に通じた工作員がいて、日本の対シナ強攻策を煽っていた事実を指摘した。そのスターリンの魔の手が、ルーズベルトを操って、日本を戦争に追い込んでいったのである。

 アメリカは日本との戦争には勝ったが、ソ連が北朝鮮、シナから東ヨーロッパ諸国まで共産圏に収め、アメリカ自身は何一つ得る所がなかった。この結果を見れば、まさに天才スターリンの一人勝ちであったことが分かる。


■8.一人舞台史観では歴史教育にならない

 本稿で述べたスターリンの陰謀説は、近年公開された機密文書などに基づき、アメリカでの歴史見直しが進んでいる段階であって、定説として確立するまでには、もうしばらくはかかるであろう。

 東書版の記述は占領軍に押しつけられた60年前の自虐史観そのものだが、日本だけを単独の悪役にすることで、世界各国の実情や思惑を無視した「一人舞台史観」となってしまっている。先にも述べたように、いろいろな国々の作用、反作用が歴史を織りなし、そこでの失敗や成功を学ぶことが歴史教育の眼目である。日本だけが悪玉の一人舞台史観では真の歴史教育にならない。

 それはちょうど、日本国憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのと同じ、世界各国のそれぞれの実情も思惑も無視した「お花畑」世界観と同じなのである。

 そんな歴史教育では、様々な国が入り乱れる複雑な国際社会の中で生き抜いていく国際派日本人は育たない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(338) 大東亜会議 〜 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h16/jog338.html

b. JOG(951) ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」 〜 日米戦争、冷戦、そして共産中国
 共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
http://blog.jog-net.jp/201605/article_4.html

c. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
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http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/


■『世界が称賛する 日本の教育』に寄せられたアマゾン・カストマー・レビュー

■★★★★「戦後の教育」ではなく、それより昔の「我が国固有の教育伝統」に光をあてると・・・(Emerald Greenさん、ベスト500レビュアー)

〈本書でいう「日本の教育」とは、戦後の教育ではありません。江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、それに明治以降の近代化努力を注いで形成してきた我が国固有の教育伝統を指します。
/ 戦後の教育は軍国主義だったという批判がありますが、実際はどうだったのか、日本の教育がいかに近代的で、国際性を持つものだったのか、まず事実を見てみましょう。〉と、「第1章 世界の賞賛する日本の教育」は始まる。

本書は、著者のいう「日本の教育」の素晴らしさを「事実」によって例証すると同時に、今日、打ち捨てられ顧みられないことの愚かしさも示される。そうした、教育の中身には「教育勅語」も含まれる。それが作成された経緯等について知ると、決して偏狭なだけの愛国主義に根ざしたものではないことを知ることができる。

他書からの引用にもとづいての論議が多いが、原著者の意図を捻じ曲げて伝えるようなことはしていない。つまり、原著者たちも、日本の伝統教育の素晴らしさを認めているということだ。そうした中には、評論家の渡部昇一、灘校国語教師の橋本武や教育学者の齋藤孝も含まれる。

「人づくり」に関心のない教師や親はいないと思うが、効果的にそれを行い「生きる力」を子どもたちに付与したいと願う方であれば、誰にとっても参考となるにちがいない。

■伊勢雅臣より

 我々の先人達は、「人作り」の本当の道を知っていました。それを思い出したい、というのが、著者の願いです。

日中戦争に引きずり込まれた日本
2017/10/22
Japan On the Globe(1031)■ 国際派日本人養成講座■ H29.10.22より転載
歴史教科書読み比べ(43):  
■■ Japan On the Globe(1031)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
歴史教科書読み比べ(43): 日中戦争に引きずり込まれた日本
 
■1.スターリンの天才

 東京書籍(東書)版は「日中戦争の開始と長期化」の項の冒頭で、次のように書く。

__________
 満州を支配下に置いた日本は さらに中国北部に侵入しました。中国では,国民政府(国民党)と共産党との内戦が行われていましたが,抗日運動が盛り上がる中,毛沢東が率いる共産党は,蒋介石を指導者とする国民党に協力を呼びかけ,1936(昭和11)年に内戦を停止しました。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 育鵬社版で、これに対応する記述は以下のとおりである。

__________
 一方,日本軍が満州に隣接する華北地域に親日政権をつくると,中国で抗日運動が高まりました。中国では,国民政府と共産党の内戦が続いており,共産党が劣勢でした。しかし,西安(シーアン)事件をきっかけに,国民政府と共産党は協力して日本に対抗するようになり,両者による抗日民族統一戦線がつくられました。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西安事件に関しては、側注で「抗日を唱える共産党に,国民政府軍の張学良(張作霖の子)が同調して、西安で蒋介石を監禁し,内戦の停止と共産党と協力しての抗日を要求した事件」と説明している。

 東書版では「毛沢東が率いる共産党は,蒋介石を指導者とする国民党に協力を呼びかけ」と、さも平和的な連携のように記述しているが、当時、蒋介石の言葉では、共産党を滅亡させる「最後の5分間」にあったとしている。中村粲・獨協大学名誉教授の『大東亜戦争への道』では次のように述べている。
__________
 事件の報に接した中共(JOG注:中国共産党)では、蒋の人民裁判を主張する者も少なくなく、毛沢東自身の意見は「殺蒋抗日」であった。本家のモスクワの指示を仰いだところ、スターリンからは「連蒋抗日」と蒋介石の釈放を命ずる指示が届いた。
スターリンの電報に接した毛は「真赤になり、悪態をつき、足を踏みならして怒った」と伝へられるが、スターリンとしては、蒋を釈放しない場合は、国府軍によって中共軍が潰滅させられること、また蒋に代って反共・親日家の汪精衞が政権を取ることになるのを倶おそ)れたものと思はれる。[1, p220]
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 蒋介石が釈放の条件として何を約束させられたのか、は謎に包まれているが、この頃、モスクワに留学していた蒋介石の息子・蒋経国がソ連に人質にとられていたことを考えれば、おおよその推測はつく。いずれにせよ、この西安事件をきっかけとして、共産党が日本と蒋介石との対立を煽るという構図が生まれた。スターリンの天才と言えよう。


■2.盧溝橋事件は誰が仕掛けたのか?

 この後、日中戦争の起点となった盧溝橋事件が起こる。東書版はこう記述する。

__________
1937年7月,北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに,日中戦争が始まりました。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東書版は「日中両国軍の武力衝突」で済ませてしまうが、育鵬社版はもう少し事件の経過を説明している。

__________
1937(昭和12)年7月,条約に基づいて北京に駐屯する日本軍の部隊が,郊外の盧溝橋付近での訓練中に何者かの銃撃を受け,それが中国軍との戦闘に発展する事件がおこりました(盧溝橋事件)。[2, p229]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 まず「条約に基づいて北京に駐屯する日本軍」という記述からは、日本軍の駐屯が合法的であることを明記している。これは義和団の乱で清朝が北京の各国大使館や居留民の安全を守らなかったために、各国と清朝が結んだ北京議定書によるものである。この点をおさえないと、そもそも北京郊外に日本軍がいること自体が侵略行為ではないか、という誤解が生ずる恐れがある。

 次に「日本軍の部隊が,郊外の盧溝橋付近での訓練中に何者かの銃撃を受け」とある。これも正確な表現で、日本軍は実弾を固いボール紙で包装しており、しかもある中隊は兵の過労をふせぐため、鉄帽すら携行していなかったというから、事を起こそうという考えは全くなかったのは間違いない。

「何者かの銃撃を受け」と、ぼやかしているが、これが中国共産党の仕業であったことを示唆する証拠がいくつか挙がっている。たとえば、事件の直後、延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で「成功した」と緊急無線があり、それを日本軍も蒋介石軍も傍受した、という証言がある[4]。

 育鵬社版の「何者かの銃撃を受け」というあたりが中学の歴史教科書としては精一杯の記述かも知れないが、少なくとも日本軍が意図的に武力衝突を起こしたのではない事が明記されている点は大切である。


■3.隠された通州事件

 盧溝橋事件の3週間後の7月29日、通州(現在の北京市通州区)にて、2百数十名の日本軍守備隊及び邦人居留民が虐殺される事件が起きた。事件後の目撃者の元陸軍少佐が宣誓口供書に残した証言には、次のような部分がある。

__________
 守備隊の東門を出ると、数間(すうけん)ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家悉(ことごと)く首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦人は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、七、八名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部に箒(ほうき)を押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を断ち割ってある者など見るに堪えなかった。[5, p163]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 1928年(昭和3)年5月3日の済州事件でも十数名の邦人が同様に残虐な方法で殺されたが、こういう行為はシナの伝統のようだ。この通州事件については、両教科書とも記述がない。この点について渡部昇一氏は次のように語っている。

__________
 この通州事件については、戦後、ほとんど語られなくなった。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。・・・
 現在、最も詳しい近代史年表とされている岩波書店の近代日本総合年表は、800ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは1行も書かれていない。おそらく、意図的に省いたのであろう。[5, p162]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 済州事件や通州事件のことを書かなければ、当時の日本政府及び国民にとって、シナの在留邦人の安全確保がいかに大きな問題であったかが分からない。そして、この点が分からないと、次の上海での兵力増強も「日本軍の侵略」に見えてしまう。


■4.日本と蒋介石軍を全面戦争に引きずりこんだ共産党の策謀

 この後、戦火は上海に飛び火する。東書版はこう記述する。

__________
戦火は中国中部の上海に拡大し,全面戦争に発展しました。これを受けて,国民党と共産党は日本との戦争のために協力し合うことを最終的に決め,抗日民族統一戦線が結成されました。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 盧溝橋事件と同様、戦火が自然発火したような書きぶりで、誰が戦争を起こしたのかを伏せている。そしてここでも共産党と国民党の協力が協調されている。

 育鵬社版の記述は以下のとおりである。

__________
日本政府は不拡大方針をとりましたが,一方で兵力の増強を決定しました。その後も日本軍と国民政府軍との戦闘は終わらず,8月には日本軍将校殺害をきっかけに上海にも戦闘が拡大しました。ここにいたって日本政府は不拡大方針を撤回し, わが国と中国は全面戦争に突入していきました(日中戦争)。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「兵力の増強」とは、蒋介石が上海方面に10個師団もの兵力を集中しつつあったからである。上海の日本の居留民を守るのは、わずか約4千人の陸戦隊のみ。日本政府は8月14日に2個師団を上海に派遣することを決定した。通州事件の後であることを考えれば、当然の居留民保護策である。

 この14日には蒋介石軍の爆撃機が日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦のみならず市街地にも爆弾を投下した。爆撃は共同租界、フランス租界に対しても行われ、大衆娯楽センターにいた千人以上、英人経営のホテル等では外国人を含めて2百数十名が死亡した。[3, p420]

 この爆撃は蒋介石軍の幹部で、共産党に通じていた張治中が、蒋介石の制止を振り切って実行した。日本軍将校殺害同様、日本と蒋介石を戦わせようと言う共産党の工作によって、日本と蒋介石軍は戦争に引きずり込まれたのである。[b]


■5.戦時プロパガンダ「南京事件」

 この日中戦争の過程で「南京事件」が起こったとされている。東書版の本文と側注での記述は次のようである。

__________
 日本軍は,1937年末に首都の南京を占領し,その過程で,女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件(1))。しかし,国民政府は,首都を漢口,次いで重慶に移し,アメリカやイギリスなどの支援を受けながら,戦争を続けました。
(1)この事件は,「南京大虐殺」とも呼ばれます。被害者の数については,さまざまな調査や研究が行われていますが,いまだに確定していません。[1, p220]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 同じ東書版でも平成13年版では「20万人ともいわれる捕虜や民間人を殺害し」と人数を記載していた記述が、大幅に後退している。

 育鵬社版では、本文に

__________
 日本軍は12月に首都・南京を占領しましたが。蒋介石は奥地の重慶に脱出して徹底抗戦の姿勢をとり,戦争は長期化していきました。[2, p229]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 とあり、南京事件については、以下の側注で記載するのみである。

__________
 このとき日本軍によって,中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数などの実態については.さまざまな見解があり,今日でも論争が続いている。[2, p229]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「今日でも論争が続いている」のは確かだが、多くの研究者の多大な努力によって、この「南京事件」がシナ側の戦争プロパガンダであった実態が明らかにされつつある。「南京事件」を報じた欧米人記者たちが、国民党の「中央宣伝部」の工作を受けていた内部資料が発見されている。そして南京陥落時に現場にいた彼らですら、「大虐殺」に関しては伝聞としての記事しか書いていない。[c]

 当時、南京にいた国際委員会のメンバー、マギー牧師も東京裁判でアメリカ人弁護人から「では、あなたが実際に目撃した殺人事件は何件でしたか」と尋ねられて「たった1人です」と答えている。しかもそれは安全地区を警備していた日本兵が、そこに入ろうとしたシナ人を誰何したところ、突然逃げ出したので背後から撃ったというのである。

 現実に2百数十名が虐殺された通州事件は伏せられ、「南京事件」の20万人などというプロパガンダが教科書にまで記載されていた。戦後の日本の歴史教育の歪みを示す端的な事例である。


■6.妨害された和平交渉

 東書版は前項の記述で「日中戦争の開始と長期化」の項を閉じているが、育鵬社版では、さらに次の一節を設けている。

__________
 その間,何度か和平交渉が行われましたが,わが国も,米ソなどの援助を得ていた蒋介石も,強硬な姿勢を崩さず,和平にはいたりませんでした。中国戦線の長期化により,わが国の国力はしだいに低下していきました。[2, p229]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 和平工作の一つとして上海派遣軍司令官・松井石根(いわね)大将が、国民党首脳部とも親しい間柄にあった茅野長知に依頼して、即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意を取り付けたが、近衛内閣のブレーンとなっていた昭和研究会のメンバーに潰されている。[d]

 昭和研究会の主力メンバーであった尾崎秀実は国内で「東亜百年戦争」を煽って、日本と蒋介石政権を戦争で疲弊させ、共産革命を実現させようと図っていた。尾崎は後にソ連のスパイであることが発覚し、死刑となった人物である。

 日中戦争は、スターリンがシナリオ書き、毛沢東が実現させたものであった。この点を踏まえないと、日本軍は無謀なシナ侵略を目指して、泥沼にはまった、という東書版の歴史解釈になってしまう。

 育鵬社版の記述では、「何者かの銃撃を受け」「日本軍将校殺害をきっかけに」と、第三者の策謀を示唆する記述が散見されるが、近い将来、この点を正面から書けるようになった時、日本はなぜ共産党の策謀にはまったのか、という真の反省ができるようになる。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 1026 歴史教科書読み比べ(41): 内戦続くシナ大陸
 清朝が倒れた後、軍閥の抗争の中で、在留邦人をどう保護するのかが、日本政府の直面した難題だった。
http://blog.jog-net.jp/201709/article_5.html

b. JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
 スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog446.html

c. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
 中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち
http://blog.jog-net.jp/200607/article_2.html

d. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/

4. 産経新聞、H6.09.08、東京夕刊「『盧溝橋事件』中国共産党軍指令部に電報で“成功した” 党謀略説を裏付け」

5.渡部昇一『昭和の大戦への道 渡部昇一「日本の歴史」6 昭和篇』★★★、ワック、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898311423/japanontheg01-22/


■『世界が称賛する 日本の教育』によせられたアマゾン・カスタマー・レビュー

■★★★★★「歴史」という縦軸でものを考えられる人には、すんなり納得できる本です。(街道Walkerさん、ベスト1000レビュアー)

戦後の教科書的にいえば、国内は身分制で息詰まるような封建社会、国際的には鎖国と言う閉塞状態それが江戸時代でした。

そんな中からわずかな年月で西洋列強の植民地支配をはねのけたばかりか、一気に欧米の文化・技術を吸収し近代化を進め西洋列強に並ぶ国を築け上げたのが明治維新というエポックメーキングです。

日本人にとってはそれが史実であり、当たり前のことですが、同じような条件であってもそうはならない国との違いから、明治の近代化の秘密に興味を持ち続けています。

近世の教育システムである「寺子屋」が果たした、当時の世界に類を見ない識字率の突出した高さ、民衆レベルでの底の厚さがあったからこそ近代へスムーズに移行したことが本書ではポイントを押さえた解説ですんなり胸に落ちます。

そうして近代国家の要件である「国民」の気概が、教育勅語に代表される「公」の精神をさらに深化させ、そうした戦前の教育を受けた世代が、日本史上で最大の国際政治のポジションを戦前に築き上げ、敗戦後はその同じ世代の人々が奇跡の経済復興を牽引し、ついには米に次ぐ世界第2位の経済大国を実現させました。

そして1980年代半ば以降、戦前の教育を受けた世代が社会の第一線から引いていく一方で、経済、教育など多方面で日本の衰退を招いていることは、私も実感しており、著者の見方に強く賛同するところです。

それじゃあ、どうするのか?
次に続く疑問についても、著者は処方箋を記しています。
3才までの母子一体感が、その後の人格に及ぼす影響、幼児教育の中への漢字教育の取り込み方、福井県での小中学校での家庭を巻き込んだ取り組み方の成功の秘密など。

さらに「ゆるみ」教育を批判し、本当の「ゆとり」教育のあり方について、灘校での名物国語教師の授業を紹介して、自律的にものを考える子供の育て方とそれが一生の宝になるということ。

本書には小さな子供をもつ親御さん、教育に携わる人達にはぜひとも読んでもらいたい話しがちりばめられています。

そうでない人々にも、マスメディアでは報じることのにない教育勅語についての知識など、新たな視点が得られることでしょう。

■伊勢雅臣より
著者の言いたかった事を、著者以上の簡潔明快さで指摘頂きました。脱帽です。

日本を中華帝国の隷属国家にすること
2017/10/08
Japan On the Globe(1029)■国際派日本人養成 ■H29.10.08より転載
The Globe Now: 憲法9条が招く国難
「日本は、憲法上の制約を口実に、アメリカの安全保障のためにほとんど何もしない」

■1.尖閣奪取は「中国の夢」の最初のステップ
 2016年春、ワシントンの民間軍事問題研究機関「国際評価戦略センター」は、シナの東シナ海戦略についての調査報告書を公表した。そこではシナが尖閣諸島の奪取のための軍拡を急速に進めている様子が報告されていた。

 例えば、尖閣諸島から約360キロの浙江省の南ジ列島でヘリコプター発着を目的とする新軍事基地の建設を始めた。同じく約320キロの地点にある同省温州市で、日本の海上保安庁にあたる「海警」の新しい基地の建設を始める事を明らかにした。

 高速大型のホバークラフトを配備し、新鋭の重量級ヘリの開発にも着手した。さらに軍用航空機と軍艦の拠点として機能する「洋上基地」の東シナ海での配備を決めた。

 この報告書は、シナが尖閣だけでなく、沖縄を含む琉球諸島全体の奪取を目論んでいると結論づけている。それが成功した暁には米軍はグアム以東に駆逐され、西太平洋は「シナの海」となり、わが国はそこに浮かぶ孤島列島となってしまうだろう。

 この「国際評価戦略センター」のリチャード・フィッシャー主任研究員は、シナの究極の目的を次のように説明している。

__________
 中国共産党は究極的には、日本という国をほぼ完全に屈服させることを目指しているといえます。アメリカとの同盟はなくす。自衛能力もきわめて制限される。もちろん核兵器など持たない。そして少しずつ中国の国家発展長期計画に日本という国を組みこんでいく。そんな目標です。つまりは日本を中華帝国の隷属国家にすることです。[1, 464]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 尖閣奪取は、この「中国の夢」の最初のステップに過ぎないのである。

■2.シナの3度の南シナ海侵略

 シナの侵出にどう対応すべきか。それを考えるのに南シナ海でのシナの動きが参考となる。

 シナは1974(昭和49)年1月、パラセル諸島(シナ名、西沙諸島)の南ベトナム軍を襲って、同諸島を我がものとした。この時、アメリカ軍が南ベトナムを離れてすでに10か月近く経っていた。さらに時のニクソン政権は、ウォーターゲート事件で苦境に追い込まれており、再び南ベトナムに米軍を送ることなど、まったく望めない状況にあった。

 そこをシナ軍が襲いかかって、双方の軍艦と戦闘要員が2日間激闘を続けた。結果は兵力の優勢なシナ側の圧勝で、ベトナム側戦死者53名、シナ側18名という結果だった。南ベトナム政府は詳細を公表し、国連に提訴したが、当然のことながら、国連安保理常任理事国であるシナに握りつぶされた。

 その後、ベトナム共産党政権が全土を統一したが、その共産主義政権が支配するスプラトリー諸島(シナ名、南沙諸島)のジョンソン南礁他に対しても、1988(昭和63)年にシナは攻撃して奪取した。ベトナム側は70人以上の戦死者と、輸送艦2隻の沈没、強襲揚陸艦1隻大破の被害を受けた。

 1994(平成6)年秋には、スプラトリー諸島の要に位置するミスチーフ環礁を支配するフィリピン軍に攻撃をしかけた。当時、米軍はフィリピンから撤退しつつあり、フィリピン国内で長年使ってきたスービック海軍基地とクラーク空軍基地を1992年までに返還していた。シナ軍は、その米軍の抑止力のなくなった好機を見逃さなかったのである。

 この3つの事例から、シナの攻め方の特徴が明らかに見てとれる。第一にシナは米軍がいる間は手を出さない。第二に相手の戦力を見て、弱いと分かれば、ためらいなく軍事力を行使する。「軟土深掘」(柔らかい土は深く掘れ)」という諺がシナにはあるそうな。それを地で行くシナの侵略パターンである。


■3.尖閣に関する虚々実々の駆け引き

 南シナ海に関しては、この3回の軍事侵攻で制圧を完了し、現在は島の埋め立てなど軍事基地化を進めている。これに比べれば、東シナ海の尖閣侵略は、これからの段階だろう。

 これまでの侵攻パターンを見れば、シナを抑止するためには、米軍の存在と、当該国自身の防衛力を充実させて、尖閣侵攻にはシナにとって相当のリスクがあることを見せつけることが必要であることが見てとれる。

 シナが尖閣海域では海警船は出しても、海軍の軍艦を出さないのは、海警は正規の軍隊ではないため、もし日本側と衝突があっても、米軍の出動条件にはならないからである。

 また、日米安保条約が適用されるのは、「日本の施政権下にある領域」だが、シナは海警の艦船を週7日、一日24時間パトロールできるという実績を示して、「尖閣海域の施政権は中国が保有している、少なくとも日本と共有している」と宣言できる状態に近づけようとしている。

 この出方は、アメリカも読んでいて、オバマ政権では「米軍が尖閣を防衛する」とは明言しなかった「曖昧さ」を変更して、トランプ大統領、ティラーソン国務長官、マティス国防長官がそれぞれ個別に「尖閣諸島は日米安保条約により共同防衛の対象になる」と明言して、シナを牽制している。尖閣に関しては、米中で虚々実々の駆け引きが続いているのである。


■4.日米同盟を弱体化させるシナの工作

 米軍が沖縄にいては尖閣侵攻もできないので、シナは日米同盟をなんとか突き崩そうとしている。アメリカ議会の政策諮問機関である「米中経済安保調査委員会」が2016(平成28)年3月に公表した報告書は、次のように指摘している。

__________
 中国の政治工作員は沖縄住民の米軍基地に対する不満や怒りを扇動することに努める。そのために中国側関係者が沖縄の米軍基地反対の集会やデモに実際に参加することもよくある。
 その結果、沖縄住民の反米感情をあおり、日米同盟への懐疑を強め、日米間の安保協力をこじれさせることを企図している。
 中国はまた沖縄の独立運動を、地元の親中国勢力をあおって支援するだけでなく、中国側工作員自身が運動に参加し、推進している。[1, 1653]
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 沖縄の米軍基地反対活動には本土から渡った左翼活動家が多く、かつシナ企業から資金が出ていると国内でも指摘されていたが[a]、シナの関与が米国議会でも公言されたのである。

 また、翁長沖縄県知事は、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に出向いて「沖縄県民は日本政府及び米軍から抑圧される被差別少数民族である」というシナのプロパガンダそのままのスピーチをした。

 幸い、この翌日、沖縄女性の我那覇真子さんが「我々沖縄県民は少数民族ではありません」と断言し、シナの脅威に対する米軍基地の役割を指摘した。我那覇さんの活躍で、翁長氏のスピーチは不発に終わった。[b]

 翁長氏の娘さんは北京大学に留学後、シナ共産党・太子党幹部の子息と結婚したそうな。いかにもシナらしい工作だが、シナの手は国内の左翼のみならず、県知事にまで及んでいるのである。


■5.「従軍慰安婦」問題は日米韓連携へのシナのくさび

「従軍慰安婦」問題に関して、なぜ韓国があれほど執拗なのか、という疑問も、シナの日米同盟破壊工作という視点から謎が解ける。アメリカの軍事ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏はこう指摘する。

__________
(慰安婦像を設置した)グレンデールで起きた裁判の訴状を見ると、グローバル・アライアンス(世界抗日戦争史実維護連合会)が姿を見せています。この組織は在米中国人を中心とし、中国政府との協力も密接です。慰安婦問題ではこの中国の動きこそが核心なのです。[2,p41]
 ・・・中国がさまざまな手段を用いて日本、韓国、そしてアメリカのあいだを切り裂こうとしている、ということです。三カ国の間に亀裂が入れば、中国の南シナ海での勢力拡張や尖閣諸島の獲得が有利になるからです。慰安婦問題が拡大して最も利益を得るのが中国であることはいまや明らかです。[2,p39]
 慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は中国の操り人形として利用されているだけなのです。[2, p40]
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 日韓に基地を持つ米軍と、自衛隊、韓国軍が連携すれば、極東の対シナ防衛力がフルに発揮できる。「従軍慰安婦」問題は、その三国の連携にくさびを打ち込もうとするシナの工作なのである。

 2015(平成27)年末の日韓慰安婦合意の陰には、アメリカから韓国への圧力があった。その二か月前のホワイトハウスでの米韓首脳会談では、オバマ大統領が日韓友好を求めて朴槿恵大統領を叱責し、会談後の会見でも「(日韓の)困難な歴史問題が解決されることを望む」と厳しい表情で語った。[2]

 韓国がシナの慰安婦工作に踊らされていることが、極東の平和にいかに障害になっているのか、防衛問題に消極的だったオバマ政権ですら、重大な懸念を抱いていた事が窺われる。

■6.国内左翼による安全保障体制強化への反対
 シナの対日工作で最大の脅威をもたらしているのは、国内左翼による安全保障体制強化への抵抗だろう。平成27(2015)年の平和安全法制、今年5月の「テロ等準備罪」をそれぞれ「戦争法」、「現代の治安維持法」などと呼んで、左翼勢力は激烈な反対運動を展開した。尖閣防衛に威力を発するオスプレイ配備にも抵抗した。

 シナや北朝鮮からの危機には口を閉ざし、国内の「軍国主義化」のみをあげつらう左翼の主張は、シナの対日批判の受け売りである。国内左翼の唯一の「オリジナリティ」は、「森友・加計問題」で安倍政権の足を引っ張ろうとした点のみである。

 左翼勢力の本家である日本共産党がソ連やシナの下部組織として活動してきたこと[c]、また朝日新聞も長年、ソ連やシナの代弁者としてプロパガンダ報道を続けてきた前科[d]から考えれば、これら左翼勢力のなかにシナの指示を受けて、その代理人となって活動している人々がいるのは間違いないだろう。

 日本の安全保障体制強化の最大の山場は憲法9条の改正であるが、シナの工作を受けて、左翼勢力の反対活動はますます激烈になるだろう。


■7.「日本国民はソニーのテレビを見ていればよいのです」

 実は現在の日米同盟への非難はアメリカからも来ている。アメリカは日本の防衛に貢献するが、日本はアメリカの防衛に義務を負わないという「片務性」が、アメリカ国内で深刻な議論を呼んでいるからである。

__________
 日本は、憲法上の制約を口実に、アメリカの安全保障のためにほとんど何もしない。それなのに、アメリカが膨大な費用と人命とをかけて、日本側の無人島の防衛を引き受けるのは理屈に合いません。日本側はこの種の不均衡をいつも自国の憲法のせいにします。かといって、『では憲法を変えよう』とは誰もいわないのです。[1, 1866]
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 本年2月、下院外交委員会のアジア太平洋小委員会の公聴会で下院の民主党ベテランメンバー、ブラッド・シャーマン議員の発言である。これに対して、共和党古参のデーナ・ローラバッカー議員は、こう日本を弁護した。

__________
 確かに日本の憲法が日米同盟を一方的なものにし、公正に機能することを阻んではいます。しかし安倍晋三首相は憲法改正をも含めて日本の防衛を強化し、同盟をより均等にしようと努めています。それにアジアでは中国に軍事的に対抗する際に、真に頼りになるのはまず日本なのです。[1, 1866]
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 弁護しつつも「日本の憲法が日米同盟を一方的なもの」にしているという問題認識は同じである。そして、それは極めて合理的な、事実にも基づいた正確な認識であることは否めない。

 トランプ大統領も選挙キャンペーン中に、「アメリカが攻撃されても、日本は何をする義務もない。日本国民は家にいて、ソニーのテレビでもみていればよいのです」と度々指摘していた。そして「こんな状態を、みなさんはよい取り決めだと思いますか」と聞くと、聴衆からは「ノー」という声がどっと湧き起こった。

 アメリカの一般国民は、日本の憲法問題など関心も知識もないし、たとえ憲法上の問題があるにしても、「自国の憲法なんだから、自分たちで憲法を変えれば済む話ではないか」と思っている。これは国際常識そのものである。

 この片務性の問題は、まだ議論の段階だから今の程度で済んでいるが、実際に米艦船が攻撃を受けた際に、近くにいる自衛隊の艦船が法的制約で何もできなかったというような事態が実際に起こったら、米国民は怒り狂って、日米同盟は存亡の危機に瀕するだろう。


■8.『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』
 尖閣諸島や沖縄をシナの侵略から守り、ひいては日本国自体がシナの隷属国家になることを防ぐには、抑止力として自衛隊と日米同盟の維持強化が不可欠である。

 その最大の障害となっているのが、憲法9条なのである。『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』という古森義久氏の著書のタイトルはここから来ている。

 我々の子孫をチベット、ウイグル、モンゴルの民のような目に遭わせたくなかったら、シナの工作に従って蠢(うごめ)いている国内左翼勢力を克服して、改憲を実現しなければならない。我々が自国の憲法を自分で変えられない、というような愚かな国民でいては先人にも子孫にも申し訳が立たない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG Tweet 中国(10) 沖縄奪取の野望
http://blog.jog-net.jp/201508/article_8.html

b. JOG(958) 日本を守る沖縄の戦い 〜 我那覇真子さん、国連での言論戦
 翁長知事の国連を利用した米軍基地移転反対に、若き沖縄女性が立ち上がった。
http://blog.jog-net.jp/201607/article_1.html

c. JOG(941) 日本共産党小史 〜 国民政党なのか、外国工作機関なのか
 日本共産党は世界共産化を狙うコミンテルンによって設立され、その資金と指示で武闘路線を歩んできた。
http://blog.jog-net.jp/201603/article_1.html

d. JOG(866) 中ソの代弁70年 〜 朝日新聞プロパガンダ小史(下)
 朝日は、中国の国内代弁者としてモンスター国家の成長に一役買った。
http://blog.jog-net.jp/201409/article_4.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 古森義久『戦争がイヤなら 憲法を変えなさい』★★★、飛鳥新社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4864105650/japanontheg01-22/

2.呉善花「日韓慰安婦合意成立 最大の理由は米国の圧力と経済的な要因」、『NEWSポストセブン』 SAPIO H28.3
http://ironna.jp/article/2941


■前号「朝鮮総督府の『一視同仁』チームワーク」に寄せられた「おたより

■日本国民にも韓国への請求権があるのでは(康之さん)

 今回ご紹介のあった本については、たまたまですが、自分も既読しております。今回の紹介の中で、あえて外して書かれたと思われる所がありました。それは、”朝鮮から帰国の際に一定額以上は没収された”というところがあるかと思います。

 韓国が強制労働に対する賃金を払えというなら、日本もこの没収されたお金を返せと韓国で裁判を起こすわけには行かないのでしょうか?

■伊勢雅臣より

 国家間条約では、個人の請求権は消滅しない、という韓国の論法が通るなら、在留邦人が残してきた個人財産にも請求権があるはずです。西川さんの本には、以下の記述があります。

__________
 私達日本人が、日本に引き上げしてくる時は、一人千円しか持ち帰れなかったのです。手に持てる荷物だけしか認められませんでした。当時の貯金も、朝鮮にそのまま置いてきています。一体、日本人が残した貯金はその後どうなったのでしょうか。その天文学的な数字の財産を韓国はすべて自分のものとしたのです。[1, p166]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 こういう問題が残るから、個人財産の請求権も含め国家間条約で処理しているわけです。

 おそらくこの時期に徴用工の請求権問題を焚きつけているのは、北の工作だと思います。それによって日韓の離反を狙っているのでしょう。日本政府としては、こんな要求は相手にせず、また日本企業が事なかれ主義で支払いに応ずることも厳しく阻止すべきだと思います。

■「日本は朝鮮戦争で大儲けをした」と言われた(Hiroshiさん)

 小生は、条約ができる前、昭和47年、27歳から4年間、韓国に駐在しました。現在のような対立のムードはなく、若い人との間で、種々のビジネスも経験しました。その頃の話の中で、記憶に残っているのは:

「過去のことは特別な主張はない。間もなく条約もできる。一つだけ申し上げたいことは、私達は、その後の北との戦争で酷い目にあった。日本も同じ目に会えとは言わないが、その間、日本は大儲けをしたはず。この点を考えて、少し配慮をしてくれればありがたい」。

この点は、いかがでしょう。

■伊勢雅臣より

 朝鮮戦争で、日本が大儲けしたことは事実ですが、その前に日本統治時代に莫大な投資をして、それが全て韓国や北朝鮮のものになっています。西川さんの本には、解説のページで、以下のような一節があります。

__________
 日本が朝鮮統治の36年間に行った支援累計約は、 20億7892万円、現在の価値で約63兆円に相当する巨額なもので、、、[1, p181]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 朝鮮戦争で日本が儲けた金額はこの63兆円に比べれば、はるかに小さいでしょう。

 さらに日韓基本条約は、無償3億ドル、長期低利の借款2億ドル、さらに3億ドル以上の民間借款提供で合意に至りました。1961年当時の韓国の輸出額が年間4千万ドル足らずですから、その20年分に相当する額です。また日本側にとっても外貨準備高18億ドルの半分近い額で、並大抵の金額ではありませんでした。[a]

a. JOG(380) 筋を通した日韓交渉
 日本政府は足かけ14年もの交渉で筋を貫き通して、「完全かつ最終的な解決」にこぎつけた。
http://blog.jog-net.jp/200501/article_1.html

 これらを考えれば、韓国併合は完全に日本の持ち出しでした。やはり半島、大陸方面は日本にとって鬼門ですね。

日鮮のチームワークが朝鮮の高度成長を支えた
2017/10/01
Japan On the Globe(1028)■国際派日本人養成講座■H29.10.01転載
地球史探訪: 朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク
 日本人官吏と朝鮮人官吏の和気藹々としたチームワークが朝鮮の高度成長を支えた。

■1.「大和系日本人」と「朝鮮系日本人」のチームワーク

 朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』[1]だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

 この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

 一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

 仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。


■2.町の周囲の山が禿山だった

 西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

__________
 朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。

・・・朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。[1, p24]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、7、80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

 朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である[a]。西川さんはその一翼を担ったのである。


■3.日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

 昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

 昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

 給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

 その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。ここでも朝鮮人の上司に仕えたのだが、石川さんは全く違和感はなかったという。朝鮮人の上司は、西川さんをとても可愛がってくれた。

 朝鮮統治では、「皇民化」で当時の朝鮮人を軍国主義に染め上げようとした、などとの批判が現在されているが、それについて西川さんはこう答える。

__________
 皇民化政策について勘違いしている方が多いのです。日本人も朝鮮人も皇民だったということです。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思います。[1, p72]
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 道庁内では各課ごとに野球チームを作り、野球大会をやっていた。朝鮮人は野球がとてもうまく、朝鮮人だけのチームもあったが、そこが一番強いかというと、そうではなかった。なぜか朝鮮人と日本人の混合チームがいちばん強かったと言う。個人の能力の高い朝鮮人とチームワークに優れた日本人の強みがうまく補完し合うからだろう。

 朝鮮は、日韓併合後の最初の20年で、人口も米の生産量も2倍となるなどの高度成長期を迎えるが、その原動力の一つが、この日本人と朝鮮人のチームワークだった。


■4.朝鮮人は日本名を名乗る権利があった

 朝鮮人に日本名を名のらせる創氏改名が強制されたというのも、戦後の神話である。

__________
 道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名しない人は沢山いました。はっきりと覚えていませんが、私の周りでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」と言う命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。

 総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うことを聞かないと言う事はできません。それが名前を変えなかったという事は、創氏改名は自由だったということです。[1, p108]
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 むしろ朝鮮人が日本名を欲しがったと言う話も聞いたくらいだった。「あの当時は同じ日本人なのだから、したかったらしたらという感じでした。無理にしろということではありません」と西川さんは回想する。実際に「氏の創設は自由 強制と誤解するな」という総督からの注意が新聞記事でも残っている。[1, p111]

__________
 もし、創氏改名が出来なければ差別になります。日本人と同じと言っておきながら、朝鮮人が日本名に変えることができないとなると、これは一つの矛盾となります。朝鮮人は日本名を名乗る権利があったのです。[1, p110]
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■5.「徴用は、強制というより納得するように話すんです」

 現在、朝鮮人労働者を日本内地で働かせた「徴用」は「強制労働」とレッテルを貼られ、当時の日本企業に損害賠償を求める裁判まで起こされている。

 西川さんは寧越郡の内務課長時代にこの「徴用」に取り組んだ。徴用とは戦時下の労働力不足に対応するための国民に対する勤労動員である。内地では昭和14(1939)年から実施されていたが、朝鮮では昭和19(1944)年9月に開始された。

 朝鮮総督府が各道庁に朝鮮人男子青年の人数を割り当て、道庁は郡に、郡は面(村)に人数を割り当てる。ただし、西川さんの前任者は、10人の割り当てがあっても、5、6人しか集められなかった。

 西川さんは10人の割り当てに10人集めた。その成績が非常に良いと言うことで総督府の事務官が理由を聞きに、西川さんの所にやってきた。逆に言えば、徴用は法律上は強制であっても、実際には言うことを聞かない朝鮮人も多かった、ということである。

__________
 どうやって集めたかと言うと、面長(村長)とか、関係の人にきちんと説明して、本人にも納得するように説明してもらう事でした。・・・

 徴用は、強制というより納得するように話すんです。それをしっかりと話をしないで、集めようとするから、皆、嫌がって日本に行かないことがわかりました。

私はきちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんともらえると、係官に説明をしてもらったのです。[1,p105]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが「強制労働」の実態だった。


■6.「従軍慰安婦」の強制連行はなかった

「従軍慰安婦」の強制連行などは無かった、と西川さんは断言する。もし「従軍慰安婦」の強制連行があったら、徴用と同じように人数の割り当てがあり、内務課長がその人数を集める責任を負うはずだ。内務課長であった西川さんがそれをしてなかったという事は、強制連行の事実がなかったと言うことになる。

 百歩譲って、西川さんが嘘をついていたとしても、まだまだ反証がある。西川さんの周囲には、郡長や部長レベルも含め多くの朝鮮人官吏がいた。もし朝鮮人女性をトラックで無理矢理連行するような事があったら、それらの朝鮮人官吏が黙って見ていたはずがない。必ず大騒動が各地に起こったであろう。

 さらにもう一つの証拠として、当時の行政の厳格な文書主義がある。戦後、西川さんが帰国して、再就職する際に、政府から履歴書を再発行してもらった。そこには朝鮮に渡った18歳からの経歴、役職、給与までが克明に記録されていた。コンピューターもない時代に、総督府は一人ひとりの官吏にまで、このような詳細な記録を残していたのである。

 終戦後の引き揚げの混乱の中でも、総督府は「特別輸送乗車船証明書」を発行している。これは引き揚げの交通費を免除するためのもので、印刷された用紙に名前を書き、公印まで押している。

 もし総督府が行政命令として慰安婦を集めていたら、その命令書や執行報告書、そして集められた慰安婦たちの一人ひとりの記録が残されていたはずだ。西川さんは引き揚げ時には書類はすべて道庁に残してきたというから、もし慰安婦の強制連行があったら、その膨大な証拠書類が出てこないわけがないのである。


■7.朝鮮人志願兵への応募30万人

「従軍慰安婦」とは対照的に、朝鮮人志願兵の記録は詳細に残っている。朝鮮人の第一回志願兵募集が始まったのは昭和13(1938)年だった。応募者は2,976人と倍率が7倍を超えたので、採用者を増やして480人が採用された。

 志願者は年々増え続け、昭和18(1943)年には30万人にも達した。採用予定者は5,300人で、倍率は約57倍だった。この年にはさらに幹部候補の募集も行われた。

 日本の軍隊の特徴は、日本人と朝鮮人を混在させた点にあった。そのため朝鮮人上官の下に日本人兵が配置されることもあった。そこでは朝鮮人上官が日本人の部下を怒鳴りつけたり、殴ったり、靴を磨かせていた事も、当時の軍として普通に見られたようだ。

 アメリカでは、白人部隊と黒人部隊が完全に分かれ、黒人の上官の下に白人の部下がつくことなど、ありえなかった時代の話である。[1, p158]

 靖国神社には、日本軍として戦った朝鮮人兵士約2万1千人以上が英霊として祀られている。「一視同仁」、すなわち、日本人も朝鮮人も同じ「皇民」である、とする精神が軍隊内での処遇においても、慰霊においても実践されていたということである。


■8.「私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません」

 終戦の玉音放送を、西川さんは自分の机で聞いた。よくは聞き取れなかったが、「忍び難きを忍び」などの天皇陛下のお言葉を聞いて負けたということがわかった。道庁の中で、朝鮮人官吏の様子については特に変わった様子もなかったようで、記憶に残っていないという。

 西川さんは翌日も、職場に行った。

__________
 私は机の身近なものなど片付けて、それ以上はもう自分は必要ないから触らずに帰ってきたわけです。何も朝鮮と戦争した訳でもないから、朝鮮を差別したこともないし、内鮮一体でやってきたわけだし、私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません。

 朝鮮人と日本人と一緒になって、一生懸命やりましょうということだけで、仕事をしてきたわけです。江原道庁で、見られて都合の悪い書類なんて何もありませんでした。総督府は善政を敷いたのです。[1, p138]
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 日本の朝鮮統治は「植民地化」ではなく、「合邦」、企業で言えば「合併」であった[b]。そして西川さんたち朝鮮総督府官吏は、日本人も朝鮮人も「一視同仁」、「内鮮一体」の理想に忠実に、良きチームワークを発揮してきたのである。

 玉音放送の2,3日後、日本人が一人二人とコソコソと引き揚げてることを聞いて石川さんは人事課長の所へ行って、提案した。

__________
 戦争に負けて国は三等国以下になったとしても、我々国民はそのまま世界の一等国民ではありませんか、こそこそと逃げて帰るような事はしたくないです。現在、春川(シュンセン)に約一千人位いると思われる日本人全員が一カ所に整然と引き揚げて、流石(さすが)日本国民だ、綺麗な引き揚げ方だったと、朝鮮人から言われるような引き揚げをしませんか。
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 その言葉通り、在留邦人たちは一体となって、西川さんが仕立てた列車で釜山に行き、収容所で1ヶ月、船を待って、日本に帰り着いた。「一等国民」として、誇りに満ちた引き揚げ方だった。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://blog.jog-net.jp/199810/article_1.html

b. JOG(1017) 歴史教科書読み比べ(39):韓国併合の影と光
 韓国併合への反対派とマイナス面だけでなく、賛成派とプラス面も公正に両論併記すべき。
http://blog.jog-net.jp/201707/article_8.html

c. 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
 朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・融和のチームワークだった。
http://blog.jog-net.jp/200108/article_1.html

d. JOG Step 韓国問題−歴史編
 韓国の歴史に関する本講座記事を、体系的に週1編ずつ、お届けします。「植民地統治」「従軍慰安婦」など、史実をきちんと見ていきましょう。
http://blog.jog-net.jp/201402/article_5.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 桜の花出版編集部『朝鮮総督府官吏 最後の証言』★★★、H26、星雲社
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4434194453/japanontheg01-22/

昭和16年7月、日本爆撃計画に大統領が署名し承認した
2017/09/05
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第5418号平成29年9月4日(月曜日)より転載       
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(読者の声1)宮崎さんと渡辺さんの共著『激動の日本近現代史 1852-1941』(ビジネス社)読ませていただいています。お二人の知の対決というより真実を抉り出そうという共同作業ですね。
 まず年表を見させていただきました。そこで非常に重大な三つの事件が載っていないことに気付きました。

 昭和16年7月23日米国統合参謀本部がルーズベルト大統領に提出した、日本爆撃計画に大統領が署名・承認した。昭和16年7月25日対日石油禁輸をおこなえば日本の方から開戦するという進言に大統領が賛成し、日本爆撃計画を中止とした。昭和16年8月1日米国政府が対日石油禁輸を発表した。
日本爆撃計画はそれまで中国で中国人に擬装した退役米国軍人をシェーンノート中将が指揮して行っていました。いわゆるフライイングタイガーです。
それを拡大して、日本の三都市の工業地帯を爆撃して軍事能力を削ごうというのが計画でした。東京、大阪、長崎です。各編隊はそれぞれ約千五百機です。攻撃対象は非軍事施設、宣戦布告なし。勿論、国際法違反であり、ルーズベルト大統領の選挙公約違反です。
そういった作戦計画に大統領が署名していました。
1970年代に米国国立公文書館で資料が見つかり、平成19年(2007年)に米国のABCテレビの人気番組「20/20」で放送されました。
司会のバーバラ・ウォールターズが「日本がだまし討ちをしたと思っていたが、実はルーズベルトはこんなことを計画していたのか」と青ざめた顔で言っていました。
人気番組なので数千万人が観たはずですが、観た人もその時点ではショックを受けてもすぐにまた、元の歴史観に戻ってしまったことでしょう。大多数の人間の歴史意識なんてそんなものなのです。

ちゃんとした資料の裏付けのあることです。少なくとも日本の中学の教科書には載せてもらいたいものです。ちなみに、もし実行されていれば、殆ど全てゼロ戦をはじめとする優秀な日本軍の戦闘機に殆ど全て撃墜され、パラシュートで脱出した米国兵は捕虜となっていたはずです。
   (當田晋也)

国民のための国防常識
2017/09/03
Japan On the Globe(1023)■国際派日本人養成講座 ■H29.09.03より転載
Common Sense: 国民のための国防常識 〜 憲法学者に惑わされないために
 一般国民の社会常識を働かせば、自衛隊違憲論には惑わされない。

■1.「危機が起きてからでないと法制はできませんでした」

 朝のテレビ・ニュースを見ていたら、突然、それを遮って、「北朝鮮から弾道ミサイルが発射されました。屋外にいる場合は、近くの頑丈な建物や地下(地下街や地下駅舎などの地下施設)に避難して下さい」とのテロップとアナウンスが流れた。全国瞬時警報システム(Jアラート)というシステムだそうだ。

 北朝鮮の最近のミサイル実験が、我々の日々の生活にも影響を及ぼし始めた一瞬だった。こういう現実に直面すると、野党やマスコミが今まで騒いでいた森友やら加計学園の空騒ぎぶりが、改めて国民の目の前に明らかになった。

 ちょうど、自由民主党本部で湾岸戦争以降のすべての安全保障・防衛政策の策定・立案等に関わってきた田村重信氏の近著『知らなきゃヤバい! 防衛政策の真実』を読んでいたら、唖然とした一節があった。「今までの危機管理法制というのは、危機が起きてからでないと法制はできませんでした」と氏は指摘しているのだ。

 昭和34(1959)年の伊勢湾台風で死者・行方不明者5千人以上を出して、災害対策基本法ができた。よど号ハイジャック事件の後に「ハイジャック防止対策本部(常設)の設置」などが決められた。平成7(1995)年の阪神・淡路大震災では、放置車両が自衛隊の救援活動を妨害したので、災害対策基本法が一部改正された、という具合である。

 防衛政策や危機管理体制に関して、実際に被害が出てからでないと考えない、というのは、我々現代日本人の一大欠陥ではないか、と思えてくる。この点で、Jアラートシステムにしろ、昨年の平和安全法制にしろ、北朝鮮からの脅威に対して、現実の被害が出る前に対応が少しずつでもなされているのは、一歩、前進だろう。


■2.半世紀以上も繰り返される同工異曲の批判

 防衛政策に関して、なぜ「危機が起きてからでないと法制はでき」ないのかは、田村氏の著書を見れば良く分かる。その都度、左翼が激烈な抵抗をしていたからである。

 昭和35(1960)年の日米安保条約改定では、「米国の戦争に日本が巻き込まれる」と、全学連のデモ隊が国家に突入し、激しい反対闘争が繰り広げられた。

 平成4(1992)年のPKO(国連平和維持活動)への自衛隊参加に道を開くためのPKO協力法案審議では「戦争への道だ!」と社会党、共産党が反対し、朝日新聞も「PKO協力の不幸な出発」と題した社説を発表した。

 平成11(1999)年に有事関連法制が国家に提出された時も、「有事法制は戦争法だ」「アメリカの戦争に協力するためのもの」などと左翼は反対した。

 こうした左翼の批判が正しかったかどうか、その後の歴史を見れば誰の目にも明らかだ。日米安保条約で、日本はアメリカの戦争に巻き込まれたか? PKO協力法で、わが国は自衛隊を「海外派兵」し、侵略戦争に乗り出したのか?

__________
 その後、カンボジアやモザンビーク、南スーダンなど各地における自衛隊の活動は世界の平和に大きく貢献し、各国から感謝され、国際的にも高い評価を得ているのはご存じのとおりです。当時、猛烈に反対していた朝日新聞なども、今では自衛隊のPKO支持に転じています。[1, 1588]
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 昨年、成立した平和安全法制に関しても、野党やマスコミの一部は「安倍政権は日本の軍国化を目指している」「米国が起こす戦争に荷担することになる」などと批判をした。60年安保以来、半世紀以上もの間、現実を見ずに同じ批判を繰り返しているのである。

 一般社会で、ある人物が50年以上も誤った言説を主張し続け、しかも間違っていた事実を認めず、反省も謝罪もしないとしたら、そんな人物はどう受けとめられるだろうか? 間違った信念に凝り固まった狂信者か、別の目的のためにそのような言説を繰り返す確信犯か、あるいは生活のためにはもはや転向できなくなった利得者のいずれかであろう。

 いずれにせよ、そのような人物を政界やマスコミ、学界に多数、抱えていることは、わが国の自由民主主義国家としての構造的欠陥である。


■3.「サシミの法則」

「サシミの法則」をご存じだろうか? 「刺身」ではなく「三四三(サシミ)」である。アリや蜂の社会を観察すると、自ら先頭に立って働く蜂が3割、与えられた仕事をしている蜂が4割、怠け者の蜂が3割だという。

 防衛の分野に当てはめると、国家の平和と安全を守るために声をあげてきたリーダー蜂が3割、黙々と日々の仕事に打ち込んでいる働き蜂が4割、半世紀以上も反省もなく誤った言説をまき散らしてきた抵抗蜂が3割という構図だろう。

 3割の抵抗蜂が狂信者か、確信犯か、利得者であるとすれば、事実も観ず、論理も通らない彼らの考えを変えさせようとすることは無駄な努力だろう。自由民主主義国家では言論と思想の自由があるから、放っておくしかない。

 ポイントは、4割の働き蜂がこれらの抵抗蜂の言説に惑わされずに、自らの目で事実を観て、自らの頭で論理的に考えるようにすることである。それには抵抗蜂たちの言論がいかに事実に悖(もと)り、論理を歪めているかを示すことだろう。この4割の働き蜂が健全な見識を持つことが、自由民主主義社会を護る本道である。

 その意味で、政権与党として、憲法や国際情勢の制約の中で、抵抗蜂と戦いながら国民の安全と平和を守るために苦闘してきた田村重信氏の著書は、4割の働き蜂が国防の常識的な事実と考え方を学ぶ上で好適である。


■4.「国家として当然の権利である自衛権」

 抵抗蜂たちが働き蜂を惑わすために用いる代表的な言い分が「自衛隊は憲法違反だ」という主張である。わが国は平和憲法を持っており、戦争を放棄したのだから、軍隊は持つべきではない。したがって、自衛隊は憲法に違反している、という。これに関しては、まず「自衛権」の概念を良く理解する必要がある。

__________
・・・国際法上、日本は国家として当然の権利である自衛権を有するということですので、したがって、自衛行動は憲法上許される。自衛のための戦力に至らない必要最小限の実力という保持もこれは合憲である。[1, p2050]
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 平成24(2012)年2月、「民主党政権」時代に野田内閣の藤村修・官房長官が衆議院予算委員会で答弁した内容である。これが伝統的な政府見解であり、最近の安倍首相も同様の発言をしている。

 自民党から民主党に、そして再び、自民党へと政権が移っても、政府としての憲法解釈は、そう簡単には変えられない。責任ある政権政党なら当然の政治姿勢だろう。

 ここで言われる「自衛権」とは、個人になぞらえて考えたら分かりやすい。たとえば、「平和を愛する周囲の人々の公正と信義に信頼して、自分の安全と生存を保持しようと決意した」人は、もし暴漢に襲われたとしても、何の自衛手段もとれないのだろうか。

 誰でも正当防衛の権利はある、というのが、人間社会の常識だろう。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と聖書は説くが、どんな敬虔なキリスト教徒でも「暴漢に長男を殺されたら、次男を差し出しなさい」とは言わない。

 理想と現実のギャップを少しでも埋めようとする努力は大切だが、そのギャップを無視して、あたかも理想が実現しているかのように振る舞うことは、狂信者の行いである。

 アフリカ・ソマリア沖を通過するタンカーなどを海賊から護るために海上自衛隊の護衛艦を派遣する事に反対していたピースボートが、地球一周の船旅で海自に護衛して貰った[2]。彼らは自らの理想が実現していると信ずる狂信者ではなかった、ということである。偽善者ではあったが。


■5.国民を護るのは国家の義務

「自衛隊が違憲か」に関して、最高裁が唯一、憲法第9条の解釈をしたのが「砂川判決」であり、そこには自衛権をベースに次のように述べられている。

__________
 憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
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 日本国民も「平和のうちに生存する権利」を有する。国家は、国民が互いに助け合う共同体である、と考えれば、国家が国民の「平和のうちに生存する権利」を護るために自衛権を持つというのは、国民に対する義務でもある。これが国際常識である。

 人権を大切と考えるなら、最も基本的な人権は生命の安全なのだから、国民の安全が北朝鮮の核ミサイルに脅かされている現在、人権運動家こそ、現在の防衛体制で国民の人権を護れるのか、と政府に問い詰めなければならない。


■6.自衛のための「必要最小限度の武力の行使は許容される」

 日本が国として自衛権を持ち、「そのための必要最小限度の武力の行使は許容される」というのが、上述の最高裁の判断であり、従来からの日本政府の基本的な立場でもある。

 それでは憲法9条はどうなのか、との疑問があがるが、これについての政府見解は、次のようなものであると田村氏は説明している。

 まず、第一項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に対しては、政府は次のような答弁書を出している。

__________
 憲法第9条第1項は、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められているところであると解している。[1, 172]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「自衛のための必要最小限度の武力」という点が、キーポイントである。9条1項が禁じているのは、北朝鮮が核ミサイルでわが国を脅かしているような武力の使い方であって、その脅威から日本国民を護ろうとする武力の行使は認められている、という解釈である。

 第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」であるが、これに対して、同じ答弁書は次のように指摘している。

__________
 憲法第9条第2項は、『戦力』の保持を禁止しているが、このことは、自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。[1, 204]
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「必要最小限度の実力」に関しては、「性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、これを保持することが許されないと考えており、たとえば、ICBM(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母みたいなものは保有することは許されない」としている。[1, 204]


■7.「自衛隊が憲法違反だ」とする主張は憲法違反

 政府見解はそうだとしても、ほとんどの憲法学者は「憲法9条は『戦力は持てない』としているのだから、自衛隊は憲法違反だ」と考えている。彼らは問い詰めるであろう、「政府見解がほとんどの憲法学者よりも正しい、とする根拠はどこにあるのか」と。この異議に対する田村氏のカウンターパンチは単純明快である。

 憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と述べている。政府見解が正しいか、大方の憲法学者が正しいのかを、最終的に決定するのは最高裁判所である。

 そして、前述の砂川判決が最高裁が下した唯一のものである以上、「自衛隊が憲法違反だ」とする主張そのものが憲法違反なのである。

 もし憲法学者が心底から「自衛隊が憲法違反だ」と考えたら、その後の論理展開は以下の3通りになる。

a)武力をいっさい認めない憲法では国民の「平和のうちに生存する権利」を守れないから、自衛隊を合憲とするよう憲法を改正すべきである。

b)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。したがって他国に侵略された場合は、それを甘受し、どれほど国民が虐殺、略奪されても仕方がない。

c)憲法の命ずる通り、武力はいっさい持つべきではない。日本さえ他国を侵略しなければ戦争は起こらないから、平和も人権も保てる。

 一般社会の常識から考えたら、b)もc)もあり得ないだろう。それなら、a)を主張すべきだが、憲法学者が改憲を主張している姿はあまり見たことがない。要は、憲法学者の多くは、法学の世界に閉じこもっていて、そこから先を考えてないのである。

 彼らの中には狂信者や確信犯や利得者もいるだろうが、いずれにせよ、3割の抵抗蜂であることは確かである。我々、働き蜂の一般国民は国防の基本的常識を学び、彼らの言説に惑わされないようにしなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(969) 憲法9条改正シナリオ
 9条1項の「積極的平和貢献」は日本の伝統的理想、それを実現するために2項「非武装」を改変すべき。
http://blog.jog-net.jp/201609/article_5.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 田村重信『知らなきゃヤバい! 防衛政策の真実』★★★、扶桑社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594077714/japanontheg01-22/

2. 産経新聞、H28.5.17「『危ないときは守って』はムシがいい」 ソマリア沖で海上自衛隊の護衛艦がピースボートを護衛」
http://www.sankei.com/politics/news/160517/plt1605170038-n1.html

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