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嘘を発信し続ける中国と韓国、信じて日本を叩く米国
2018/12/06
嘘を発信し続ける中国と韓国、信じて日本を叩く米国
森 清勇
2018/12/06 06:00

 ラビア・カーディル元世界ウィグル会議議長が中国のウィグル政策に対して、「米国は目覚めた」と語っている(「産経新聞」平成30年10月21日付)。
 自由や民主主義、法の支配は古代から幾多の哲人や革命などを経て確立され、近代社会になると人権も重視され、今日では普遍的価値とされている。
 また、17世紀半ばのウェストファリア条約体制で、「国家主権の尊重」が確立され、普遍的価値と共に現代の国際社会を律する基本とみなされている。
 そうした中で法の支配を無視する韓国、自由や人権も含めた普遍的価値観を蔑にする北朝鮮などの独裁国家も依然として存在する。
 ところが中国は、中華思想や華夷秩序も手伝ってか、普遍的価値観を認めず、他国の国家主権の侵害も平然と行い、覇権を追求してやまない国であるようだ。
ピルズベリー博士の指摘
 米国のマイク・ペンス副大統領はハドソン研究所で行った10月4日の演説で、対中対決の姿勢を明確にした。
 「ソ連の崩壊後、中国の自由化は避けられないと想定した」
 「自由が経済的だけでなく政治的にも拡大することを期待した」
 こう述べ、そのため「楽観主義をもって米国経済への自由なアクセスに合意し、WTO(世界貿易機関)にも加盟させたが、その希望は満たされなかった」と断言したのだ。
 副大統領は、ハドソン研究所理事のマイケル・ピルズベリー著『China 2049』の論拠をなぞるような形で演説した。
 ピルズベリー博士は、もとCIA(米中央情報局)の高級職員として米国の歴代政権に仕え、1973年から中国各軍の将官や政府の強硬派と仕事をしてきたと自認する人物である。
 コロンビア大学の博士課程時代の政治学の指導教官は「西洋と日本がいかに中国を不当に扱ってきたかを強調し、『贖罪すべきだ』と示唆した」と述べる。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 『China 2049』(日経BP社)
 その結果、中国を研究する米国人の多くは「(中国を)西洋帝国主義の気の毒な犠牲者」と見做しがちであるという。
 「中国を助けたい」という願望と、「犠牲者という中国の自己イメージ」を盲信する傾向が米国の対中政策の軸となり、「中国分析の専門家による大統領などへの提言」にも影響を与えたという。
 『China 2049』は、博士が50年間中国に関わってきた集大成として2015年に上梓したものである。
 中国専門家として中国の軍部や諜報機関に誰よりも通じていたと自負する著者が、朝鮮戦争、中ソ関係、ニクソン訪中、天安門事件などに関わる中国の考えを米国は少しも理解していなかった、というから驚きである。
 ピルズベリー氏と同じように、ジョージ・ワシントン大学のロバート・サタ―教授なども中国の攻撃的行動を過小評価していたことを告白している。
 中国が依然として「孫子」の国であったことを如実に示したというべきであろう。
 そこに習近平氏が登場し、ケ小平の遺訓ともいうべき「韜光養晦」の終焉を告げたのである。
 「中華民族の偉大なる復興」を掲げて権力を集中し、「中国製造2025」で世界一の軍隊を作り上げ、太平洋の二分を目指すと公言したのだ。
 そのベースになる研究や技術は米国や日本など先進国の知財窃盗によるものである。
 中国が米国に対峙する、あるいは凌駕する覇権国家を目指すと闡明するに至っては、好意的にサポートしてきた米国も黙っているわけにはいかないと立ち上がったのだ。
中国の条約破りに加担した米国
 日本で参事官として1919年まで2年間勤務したジョン・マクマリーは、帰国後は国務省で極東部長や国務次官補を務め、1925年から4年間、公使として中国で勤務する。
 1921〜22年のワシントン条約会議にも参加し、中国の主権や領土をいかに保全するか真剣に議論されたことを知り尽くした人物である。
 また、米国が英国に代わって世界のリーダーに躍り出る仕組みを仕かけ、日英同盟もこの時に破棄されたのだ。
 しかし、中国は条約違反を繰り返す。
 日本が被害を受けている事実を中国の後見人ともみなされた米国に訴えると、逆に日本の対応に異議を唱える始末で、中国を諫めるどころか増長させていくことになる。
 そうした顛末については、マクマリーが『平和はいかに失われたか』に詳述している。
 米国がもっと日本の言い分に耳を傾け、また約束を守らない中国に強く当たったならば、状況は全く変わったであろうというのだ。
 著名な外交史家のジョージ・ケナンやジョセフ・グルー駐日米国大使もマクマリーの見識を高く評価していた。
 特にケナンは、ワシントン条約破り常習犯の中国に日本が苦労していることや共産主義に日本が対処している実情を米国が理解していれば、その後の米国がソ連という共産主義国に対処する必要は起きなかったといったニュアンスのことを述懐している。
 日本人で当初共産思想に憧れ、米国に帰化したカール・カワカミ(カールはカール・マルクスに由来)は、後に米国紙誌の論壇で保守思想家として活躍する。
 1930年代、満州や中国本土なども視察し、中国を最も知っているのは日本(人)であると述べ、その日本の忠告に耳を傾けない米国に意見する。
 実際どのように米国が親中反日的行動をとっていたかを、下記2人の米国人が教えてくれる。
中国の宣伝に踊ったルーズベルト大統領
(1)フレデリック・ウイリアムズの忠告
 ウイリアムズは少年時代に外人部隊に所属し、その後は世界各地を放浪する冒険者的生活を続け、新聞で発表していた経験からジャーナリストになる。
 支那事変前の日本軍と中国軍にも従軍して取材し、正義感はどちらが持ち合わせているか、また共産主義の危険性などを警告する。日米と米中の貿易についても商務省統計を使って事実を明かす。
 「西洋諸国はアンチジャパンで、(中略)日本が負けたら、ソビエトがあらゆる国を中国貿易から締め出し、共産主義の垂れ幕の下に宝の山を運び入れるだろうという事実を彼らは考慮に入れない」
 「ロシアの脅しが聞こえている。いままさに行動に移ろうとしている。日本はいまにも世界のパワーになろうとしているソビエトを阻止しようと一人で戦っている」
 「我々が日本に1ドルを支払うごとに、彼らは20ドルをアメリカに支払っている。日本は1937年では、アメリカから41%以上を買っている」
 また、1936年と37年の米国の対日中貿易額の細部にわたる統計資料(36年:対日出超額3179万1000ドル 対中入超額2681万7000ドル、37年:対日出超額8417万6000ドル 対中入超額5391万9000ドル)から、両年で対日出超額は5238万5000ドルの164%増加に対し、対中入超額が2710万2000ドル、10%増加を示す。
 そして、「日本は西洋の工場で生産された農業機械類、鉄道資材など、無数のものを必要とした。(中略)アメリカ人が目覚め、外国のプロパガンダの手先になることをやめれば、このビジネスに参加できる」と、真実に目覚めるよう訴える。
 蒋介石のプロパガンダについては「かつてなかったほど沢山の偽物写真がアメリカの新聞雑誌にこっそりと挿入されている。彼らは次々と人々に恐怖を起させようと、実にタイミングよくリリースしていった」として、上海の爆撃で破壊された廃墟で泣き叫ぶ赤ん坊の写真を例示する。
 「世界中に配布されているから、偽物だと論破するにはもう遅い。(中略)『無法行為』をしでかした『非人間的な日本人』への反感から、義憤が立ち上がってきた。このような写真は沢山ある。・・・そして日本の敵には大変な名声を博している」
 「没落し行く紹介石政府は絶望したあげく、アメリカ人が結果として干渉してくることを期待して、まず同情を、それから援助を獲得しようとして宣教師たちにすがり寄った」
 「宣教師がやろうとしたのは、アメリカ人からの寄付であった。(中略)彼らは軍閥の支配体制、泥棒性、いかさま性、不信性、道徳的堕落、野蛮性、ふしだら、賄賂といったことには言及しない」
 「これらは役人にも大衆にも共通する中国人の日常生活である。彼らは『素晴らしい』ところ、哀れを誘うところ、同情を喚起するところしか言わないのだ」
 「中国人は善意で貧しくて、西洋世界とキリスト教が彼らに与えられるものを評価し、あこがれていると」
(2)ラルフ・タウンゼントの警告
 タウンゼントはコロンビア大学卒業後、新聞記者、大学講師を経て外交官となり、カナダから1931年に中国に赴任する。上海、厦門、福州で領事として2年勤務する。
 中国に対する知識をほとんど持たずに赴任した実体験から、中国人の生き方や社会観、国家観などが自分の国と著しく違うことを知り、同時に米国が行っている援助や布教活動は全く無意味なものであると考え、外交官を2年で辞職する。
 中国の本当の姿を知るのは宣教師、事業家、外交官らであるが、宣教師と事業家は本国からの援助や事業継続のために真実を覆い隠し、外交官は美辞麗句の建前報告をする一方で、日本の脅威のみが誇張されたという。
 中国の本当の姿を米国人に知らせる必要があるとして『暗黒大陸 中国の真実』(1933年)を書き上げる。
 その後も大学講師の傍ら米国の極東政策のあるべき姿を示し、米国人の間違った日本観、中国観を執筆や講演・ラジオで糾すことに明け暮れる。
 ルーズベルト大統領が進めている極東政策、なかんずく対日政策の誤りを質すものだけに、言論弾圧にも似て出版も放送も制約され、自宅あてに希望冊数などを寄せた者へ配送するなど大変な窮状の中でやらざるを得なくなる。
 サンフランシスコのラジオ局から放送された原稿などを集めた『アメリカはアジアに介入するな!』では、中国発信の嘘を米国が拡大発散していく状況を、軍隊の規模や商務省の統計などを活用して明らかにしている。
 当時の米欧諸国は「狂犬病的日本軍国主義の恐怖にさらされている」という話で持ちきりであるが、タウンゼントは「いかなる証拠があっての言い分か?」と訝る。
 そして「最大限入手可能な中立国の資料を総合して弾いた兵力」を、中国225万人、ソ連130万〜150万人と紹介し、同時期の日本の常備軍は列強中最小の25万人だという。
 しかも、中国とソ連は合体し400万人の兵力と圧倒的優位な資源で日本に対処してくる恐れがある。これでどうして「(日本が)世界征服を企てる」と言えるのかと疑問を呈する。
 日本は「米国を脅したことは一度もない」し、「どこの国よりも米国に対して丁重であり、借金をきっちり返済する唯一の国である」と事実に基づいて言う。
 軍国主義ばかりでなく、日本の印象を悪くするためにありとあらゆる偽情報、例えば最大の海軍増強国、独裁国家、未開の国、侵略国家などが流されているという。
 他方で、「民主主義の中国」、「平和愛好国家中国」と称揚し、「孤立するアメリカ」と際立たせて、すべての原因が日本にあると言わんばかりの一色に染め抜かれた状況に言及する。
 こうした「反日アジは、中国の領土を保全しようとして起きたものでないことは明らか」という。
 なぜなら、1895年(日清戦争)から1910年(韓国併合)までずっと日本が領土を拡張していた頃、「アメリカの新聞は大の親日」であり、西海岸の一部の新聞を除いて1918年(WW1終了)まで「心から日本を支持」していた。
 実際、親日世論もあって日露戦争(1904〜5年)時、クーン・ローブ社のニューヨーク銀行のジェイコブ・シフはかなりの額の融資を行う。
 タウンゼントはこうした真実を米国民に訴え続けるが、米国政府の(日本を敵に仕立てる)政治的企みがもたらす悪意の宣伝に抗すべくもなく、前述のウイリアムズともども、日本を好意的に報道したとして外国代理人登録法違反で囚われ、日米開戦数か月後から囚われの身となり刑に服する。
米国の対中認識は遅すぎた
 米国の中国専門家や政治家が中国に対する敵対心を高めている。しかし、ざっくり言えば、上述のように政治的思惑から放任してきたわけで、寝ぼけた話である。
 日清戦争は中国の約束破りから起きたもので、日本はそれ以前から中国の狡猾に気づいてきたし、諸外国に警告も発してきた。
 しかし、諸外国、特に米国は一向に耳を傾けないどころか、日本を悪者に仕立てて批判するばかりで、日本は孤軍奮闘する以外になかった。
 こうした状況は昔話ではなく、今でも南京事件や慰安婦問題などに受け継がれている。
 中韓の誇大宣伝は真よりも偽の拡大をベースにしている。対する日本は物事の真髄を指摘して、さほど騒いだりしない。
 ところが、多くの米欧メディアは偽を騒ぎ立てる中韓に加担して、「日本=悪」という前提を固守しているように見受けられる。
 「一帯一路」に関係する諸国は、中国の底意に気づき、プロジェクトに疑義を持ち始めた。
 これらの諸国よりも1世紀以上も長く中国と関わってきた米欧諸国もマーケットの大きさなどに幻惑されることなく、中国の本質をしっかり見極めてほしいものである。

あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?
2018/11/16
号外 ★あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?
(ロシア政治経済ジャーナル)

■Japan On the Globe(号外)■国際派日本人養成講座■
【伊勢雅臣】私の愛読する「ロシア政治経済ジャーナル」
https://www.mag2.com/m/0000012950.html
の北野幸伯さんが、拙著『比較中学歴史教科書一国際派日本人を育てる』の書評を発信されました。

 その中で、心に残ったのが、こんな子供の声です。

「僕は、日本人。
よりよい日本を作り、世界に和をもたらすのだ!」

 まさしく、こういう子供達が育つような歴史教科書であって欲しい、という思いで、この本をまとめました。北野さん、まことにありがとうございました。

伊勢雅臣『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』(勉誠出版、新書、\900+税)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/

 なお、教育改革に取り組まれている方、より良い教科書採択に努力されている方へのプレゼントを続けています。ご遠慮なく、応募下さい。
お申し込みは=>
   https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=463786
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     ロシア政治経済ジャーナル No.1879
                2018/11/10

★あなたはいつ【自虐史観】に洗脳されたのか?

全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!

北野です。


では、本題。

私が、1990年19歳でモスクワに行ったとき、「自然と」自虐史観に染まっていました。

「ナチュラルに」「日本は悪い国」と信じていたのです。

しかし、モスクワに行ったら、日本と日本人は、世界でとても愛され、尊敬されていることがわかった。

それで、私は比較的速やかに自虐史観を卒業することができました。

ところで、今になって私は考えます。

「なんで自分、自虐史観に染まってたんだっけ?」

「いつのまに自虐史観を植えつけられたんだっけ???」

唯一の答えは、【学校で自虐史観を植えつけられた】でしょう?

他の場所は考えられません。

ところが、この先、私はどこにも進むことができません。

かなり確信的に、「学校以外の場所は考えられない」と思いますが、検証するのは容易ではない。

皆さん、自分の子供が、「僕は、悪い日本民族の子。

あ〜あ、なんでアメリカ人として生まれなかったんだろう。

中国人と韓国人に、あやまりつづけて、下をむいて生きて
いこう」

というふうに育ってほしいですか?

それとも、

「僕は、日本人。

よりよい日本を作り、世界に和をもたらすのだ!」

と思い、大志をもって進んでいけるようにしたいですか?

「セルフイメージ」ってホントに大事ですね。

松下村塾から偉人が続出したこと、「セルフイメージ」の大切さを証明しているのではないでしょうか?

志を植えつけられた子は、田舎に生まれ育っても大きなことを成し遂げるのです。

私たちの子供達は、どんな風に自虐史観を植えつけられて
いるのでしょうか?

「自虐史観ではない」歴史教科書はあるのでしょうか?

この疑問に答えてくれるのが、私が非常に尊敬する伊勢雅臣先生です。

皆さんご存知「国際派日本人養成講座」(JOG)発行人。

JOGは、全日本国民必読メルマガです。

まだの方は、いますぐこちらからご登録ください。(無料)

https://www.mag2.com/m/0000000699.html


伊勢先生、昨日ものすごい本を出版されました。



●比較中学歴史教科書─国際派日本人を育てる

(詳細は https://amzn.to/2Pg4F3r )

これを読むと、「嗚呼、俺はこうやって知らぬ間に自虐史観を刷り込まれていたのか!」
とはっきりくっきり理解できるようになります。

自虐史観というと、たいていは「2次大戦の話」かと思いがち。

ところが、日本の教科書は、なんと縄文時代の話から自虐史観に満ちている。

一方でシェアはすくないものの、なかには「脱自虐史観」の教科書もあるのですね。

伊勢先生は、具体的に「自虐史観教科書」と「脱自虐史観教科書」を比較され、「ここがこんな風に自虐的」と指摘してくださいます。

なんと古代から冷戦終了まで、非常に細かく具体的に解説してくださっている。

私は読みながら思ったのですが、「自虐史観教科書」って、ある面「自虐史観のステマ」をしているのですね。

ある記述、一見すると当たり前に思え、そこに自虐史観が組みこまれていることに気づかないのです。

ところが、伊勢先生のような大賢人が読むと、「ここはここがおかしい」と気づかれる。

私も、教科書比較と伊勢先生の解説がなければ、「この場所に巧妙に自虐史観が隠されていたのか!」と気づかなかったでしょう。

お子さんのいる方は、是非伊勢先生の新刊をお読みください。

次に「脱自虐史観」の教科書も入手しましょう。

そして、気概と大志を持った子供達を育てていきましょう。

北野絶対お勧めです!


●比較中学歴史教科書─国際派日本人を育てる 勉誠出版

(詳細は https://amzn.to/2Pg4F3r )

■伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。
 本誌への返信にてお送り下さい。

約1万5000年前,日本人は,土器をつくり始めました
2018/11/10
国際派日本人を育てるための歴史教育
Japan On the Globe(号外)■ 国際派日本人養成講座 ■H30.11.09

伊勢雅臣著『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』発売
 歴史教育の問題を探ろうと、各社の中学歴史教科書を読み比べてみたら、みな検定を通っているのに、こんなに違うのかと驚きの連続でした。
 その教科書比較から、日本の歴史文化を「根っこ」として持ち、国際社会で尊敬される国際派日本人を育てるための歴史教育が見えてきました。

■あなたは自分の言葉で日本を語れますか?

 いくら外国語ができても、自国の歴史文化も語れない「根なし草」では、外国の歴史文化も語れず、外国人と語り合うこともできません。そういう日本人が多いのは、日本の歴史教育の問題ではないでしょうか?

「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」

 この学習指導要領の目標が達成されていれば、それを「根っこ」として国際社会でも逞しく生きていける「国際派日本人」が育つはずです。現在の歴史教科書は、この目標を達成しているのでしょうか。

 この問題意識から、本講座では5年、46回に渡って、「歴史教科書読み比べシリーズ」を発信してきました。そのエッセンスを大幅に書き改め、1冊の新書版にまとめたのが、今回の『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』です。教育改革、教科書採択に関わっていらっしゃる皆様や、自分の言葉で日本を語る事に自信のない方々には、ぜひお読みいただきたいと思います。

伊勢雅臣『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』(勉誠出版、新書、\900+税)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/

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■■『比較中学歴史教科書 国際派日本人を育てる』贈呈■■

 本書は、我が国の教育改革にささやかなりとも貢献したいという思いで、書き綴ったものです。現実に教育改革に取り組まれている方々、より良い教科書採択に努力されている方々に、贈呈させていただきます。今後のご活動の参考にしていただければ、幸いです。

 皆様のお知り合いで、このような方がいらっしゃいましたら、ぜひ本号を転送して、お知らせ下さい。

お申し込みは=>
   https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=463786
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 以下、目次と前書きのみ、ご紹介させていただきます。

■目次

 序章 歴史教科書の目標
  歴史教育の目標
 「なぜ歴史を学ぶのか」
 
 第一章 独立国家・独立文明の建設
  縄文・弥生・古墳時代の独創性
  国づくりの苦闘
  日本文明への自信

 第二章 大御宝のための国づくり
 「公地公民」か、「階級社会」か
  戦国時代の高度経済成長
  徳川幕府の学問による国づくり
  世界最高の教育水準が実現した農村自治
  大御宝のための国づくり

 第三章 植民地主義との戦い
  欧米列強のアジア進出と幕末の危機
  日清戦争は何のため?
  日露戦争(上)〜 怪雲空にはびこりつ
  日露戦争(下)〜 世界を変えた一戦
  韓国併合は植民地化か

 第四章 共産主義との戦い
  暴力革命だったロシア革命
  日中戦争に引きずりこまれた日本
  大東亜戦争 〜 自存自衛とアジア解放の戦い
  和平への苦闘
  占領下の戦い
  冷戦とアジア独立


■まえがき
 
 三内丸山遺跡の発見などによって日本の縄文時代像が急速に書き変えられつつあり、それに刺激を受けて、縄文土器や土偶がブームとなっている。このように学問的な進歩が急速に進む時の歴史教科書の記述は難しい。定説と仮説との境界がまだはっきりせずに、どこまでを定説として教科書に記述すべきか、教科書執筆者は難しい判断を迫られるからだ。

 一般の読者は歴史教科書はすべて文部科学省の検定を通っているので、考古学的な研究成果については、ほぼ同じような内容だろうと、想像するかも知れない。しかし、各教科書の記述を比べてみれば、大きな違いがある。たとえば最古の土器の年代に絞って、いくつかの中学歴史教科書を見てみてみよう。(いずれも平成二十七年検定済み)


(1)狩りや漁・採集で得た食糧の保存や煮炊きのために土器を使うようになり、食べられる物の種類が増えて、食生活は豊かになりました。このころの土器は、表面に縄目の文様がつけられていることが多いので縄文土器といいます。(帝国書院『社会科中学生の歴史』)

 帝国書院版は土器と食生活の関係に関しては詳しいが、年代は書いていない。


(2)日本列島の人々は,1万2000年ほど前から土器を作り始めました。これはどんぐりなどの木の実を煮て食べるために考え出されたもので,世界的に見ても古い年代とされています。(東京書籍『新版 新しい社会歴史』)

 東京書籍版では、「1万2000年ほど前」から土器を作り始めた、とし、「世界的に見ても古い年代」とする。


(3)今から約1万5000年前,人々は,食物を煮炊きしたり保存したりするための土器をつくり始めました。これらの土器は, その表面に縄目の模様(文様)がつけられることが多かったため,のちに縄文土器とよばれることになります。縄文土器は,北海道から沖縄まで日本列島全体から出土しています。これは世界で最古の土器の一つで、・・・(育鵬社「新編 新しい日本の歴史』)

 育鵬社版では「土器をつくり始め」た時期を「約1万5000年前」とし、「世界で最古の土器の一つ」と表現している。


(4)今から1万数千年も前から、日本列島の人々はすでに土器をつくり始めていた。これは、世界で最古の土器の一つである。
側注1 青森県大台山元1遺跡から発見された土器は炭素年代測定法で約1万7000年前とされている。
側注2 2013年、日・英の研究チームが、北海道や福井県で出土した約1万5000年前の土器から、世界最古の過熱調理の痕跡を発見した。(自由社『新版 中学社会 新しい歴史教科書』)

 自由社版の記述はもっとも詳しい。側注では最古の土器として約1万7000年前のものが見つかっていることを指摘し、本文で「世界で最古の土器の一つ」としている。また「世界最古の過熱調理の痕跡」も発見されていることを述べている。


 土器の年代だけでも、「記述なし」(帝国書院)、「1万2000年」(東京書籍)、「1万5000年前」(育鵬社)、「約1万7000年」(自由社)とばらついている。
発見された最古の土器の年代を言うか、ある程度、普及した時期を言うかによって、2〜3千年のバラツキがあるのは理解できるが、東京書籍版で「1万2000年前」というのは、群を抜いて新しい。また、帝国書院に至っては、年代すら記載していない。

 さらに世界の他の地域との比較に関しては、記述なし(帝国書院)、「世界的に見ても古い年代」(東京書籍)、「世界で最古の土器の一つ」(育鵬社、自由社)と、これもバラバラである。

 教科書はギネスブックではないし、またいつ、より古い土器が見つかるか分からないのだから、ピンポイントの世界一かどうかを教科書で論じてもあまり意味はない。
しかし、岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官が指摘しているように、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」(『日本の歴史01 縄文の生活誌』、講談社学術文庫)という点は、わが国の歴史を学ぶ以上は、知っておくべき重要ポイントであろう。
そのような大事なポイントをまったく学べない教科書もある、という問題をここでは指摘しておきたい。

 土器の年代という単純な事実に関しても、各教科書でこれだけのバラツキがある。とすれば、それらの事実をベースに描かれる縄文の時代像も、教科書によって大きく違ってくる。かつては日本の縄文時代は「毛皮を着た原始人が獣を追っている」というようなイメージで描かれており、弥生時代になってようやく中国や朝鮮から米作が伝わって文明化した、という時代像であった。
しかし、最近の考古学的発見で縄文時代の日本列島では独自の文明が発達していたという時代像が描かれつつある。各教科書の記述のばらつきは、古い時代像から新しい時代像への移行に積極的か、慎重か、という違いから来ているように思われる。

 いずれにせよ、中学校教育は義務教育の最終段階であり、日本国民としての最低限の情操、知識を育む事を目的としている。その歴史教育がこれほどの大きなバラツキがあっても良いのか、というのが、本書をまとめる事になった問題意識である。


 本書は、筆者の発行している創刊二十一年、購読者五万人超のメールマガジン『Japan On the Globe国際派日本人養成講座』の中で「歴史教科書読み比べ」シリーズとして、五年、四十六回(単行本三冊分)にわたって発信してきた内容を大幅にまとめ直したものである。

 筆者は留学と駐在で通算十一年、欧米に滞在し、業務出張や学会参加、観光などで訪れた国は五大陸三十二か国に及ぶ。その間に海外で多くの日本人と出会ったが、かなりの人々が日本の歴史と文化に関する知識に乏しく、それがために海外の人々との交流も底の浅いものになっていると感じてきた。
異文化理解、異文化コミュニケーションをきちんと行うには、自分自身の母国の歴史・文化をしっかりとした「根っこ」として持たなければならない、というのが、筆者の海外体験を通じて得た持論である。自国の文化と歴史を良く知り、愛着を持ってこそ、他国の文化と歴史を理解し、かつ尊重することができるからである。

 この点の知識を補うために『国際派日本人養成講座』を始めたのだが、読者の中には、海外に出て自分がいかに日本を知らないか、を痛感して、インターネットを探し回って、このメールマガジンに辿り着いたという方も多い。

 多くの日本人が日本を知らない原因として、日本の歴史教育に何らかの問題があるのでは、と考え、いくつかの歴史教科書を読み比べつつ本当の日本の姿はどうなのか、を考えてきたのが本書のもととなった「歴史教科書読み比べ」シリーズであった。

 たとえば、帝国書院版で縄文土器について学んでも、その古さに関しては何ら記述がないので、無味乾燥な知識で終わってしまう。そんな知識は学校を出た途端に忘れてしまうだろう。

 しかし育鵬社版や自由社版と読み比べて「世界で最古の土器の一つ」と知れば、なぜそんな古い土器がユーラシア大陸の東端の日本列島で出土しているのか、という興味深い疑問が生まれる。そこから自分なりに調べたり、考えたりした事は、日本人の自画像を描く重要な材料となるだろうし、海外の人々に自分の言葉で日本を語る上でも貴重なトッピクスとなる。

 従来の文明観では、石器時代の人類は狩猟・採集による移動生活を送っていたが、約1万2千年前くらいから、世界の各地で農耕と牧畜を始めてようやく定住生活ができるようになり、そこから文明が始まったというものだった。この文明観から完全にはみ出しているのが、1万5千年前くらいから始まった日本の縄文時代だった。そこで我々の先人たちは狩猟や採集のまま定住生活を始めたのである。

 日本列島を巡る海は寒流と暖流がぶつかり合って世界有数の豊かな漁場をなし、深い森林からは木の実や果物、キノコなどがとれた。イノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富だった。こうした自然の恵みを活かして、縄文人は世界に先立って定住生活を始めたのである。
そして定住生活の中で調理や保存のための土器を作り出し、それによって食材の種類を増やし、さらに豊かな食生活を築いていった。(小林達雄『縄文文化が日本人の未来を拓く』、徳間書店)

 今日の日本料理が多種多様な食材を活用している様は世界の料理の中でもユニークな特色だが、それは縄文時代から続いている伝統だろう。また、土地への負荷が大きい畑作・牧畜を数千年続けてきたチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河などの流域はみな砂漠化してしまったが、縄文人たちは一万年以上も豊かな自然と共生してきた。
現在の日本列島が世界有数の人口密度と経済規模を支えながら、緑地の比率でもフィンランド、スウェーデンに続いて先進国中3位という豊かな自然を保っているのも、縄文時代の自然観が今も日本文化の中に根づいているからではないか。

 土器の年代から、こういう日本文化論にまで話を広げると、外国人も興味深く聞いてくれるだろうし、また異文化社会で自分自身を支えてくれる「根っこ」ともなる。本書では、教科書の読み比べから所々で脱線して、こういう形で日本の姿を語っている。読者が自ら日本を語るための材料としていただければ幸いである。

 本格的なグローバル化の時代を迎え、仕事や留学などで海外滞在している邦人数は百三十万人を超えている。海外からの訪日観光客数は年間三千万人、日本からの海外に出る観光客数は二千万人に達しようとしている。
これからの日本人は否応なく異文化社会で暮らしたり、異文化の人々とのコミュニケーションを迫られる。その際に自らを支えてくれる母国の歴史と文化という「根っこ」をしっかり太く深く伸ばすために、本書の試みがいささかなりとも参考になれば、望外の幸せである。

平成三十(二〇一八)年八月九日 伊勢雅臣

(文責 伊勢雅臣)

江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』
2018/09/30
■ Japan On the Globe(1083)■国際派日本人養成講座■H30.09.30より転載

地球史探訪: 敗戦直後の日本を共産革命から救ったのは
〜 江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』から

 敗戦の混乱の中で共産革命を実現しようとする国内およびGHQの共産主義者たちの前に立ちはだかったのは。

■1.野坂参三の凱旋帰国

 終戦から5か月の昭和21(1946)年1月12日、野坂参三は釜山からの連絡船に乗って、博多港に上陸した。博多港で待ち構えていた朝日新聞は、このニュースを社会面トップ、4段ぶち抜きで報じた。

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 平和時代から支那事変大東亜戦下の十五年を外国生活に過し中国共産党の本拠延安において日本人解放運動の最高指導者として反戦解放運動を活発に続けていた中共(JOG注: 中国共産党)幹部の野坂参貳氏(筆名岡野進)は戦犯者処分、軍国主義者追放など民主主義旋風裡の祖国日本に帰国、十二日正午釜山経由、博釜連絡船で博多港に上陸した。[1, 3989]
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 記事はこの後も、「長い四箇月の旅路を祖国再建への熱情で踏破」「大きな役割を示すものとして期待されている」などと、まるで凱旋将軍のような書きぶりである。

 野坂が東京入りすると、「人民の英雄、同志野坂」「働かせろ、食わせろ、家を与えろ」「人民共和政権樹立」などの幟(のぼり)やプラカードが林立するなか、共産主義者の愛唱歌「インターナショナル」を斉唱する群衆に迎えられた。

 野坂参三の凱旋帰国は、敗戦直後のわが国が迎えた共産革命の危機の幕開けであった。


■2.日本共産革命のエース

 世界共産革命を目指してソ連が設立した国際組織コミンテルンの日本代表であり、かつコミンテルン日本支部として創設された日本共産党のメンバーであった野坂参三が、モスクワから中国共産党の本拠地・延安に入ったのは1940年のことだった。

 延安では支那事変で捕虜となった日本軍兵士を洗脳して、将来の日本における共産革命の戦士に仕立てあげる日本労農学校が設けられ、野坂はその校長となった。そこでは日本軍兵士たちは厚遇され、悪いのは日本の軍国主義者であって、日中両国の人民が協力して彼らを打倒し、日本の兵士や労働者、農民を解放すべきだ、という洗脳がなされた。

 この方法は情にもろい日本軍兵士に大きな効果を上げた。1944(昭和19)年に延安を訪れたアメリカ軍事使節団は、これに驚き、ここから、終戦後、アメリカ占領軍によって実施される「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に発展した。

 アメリカの使節団は共産主義者が中心となっており、野坂を「明晰な思想家でかつ指導者たる器である」と高く評価した。野坂はソ連、中国、アメリカの共産主義者たちから見れば、日本で共産革命を起こすためのエース的な存在だったろう。その期待のエースがいよいよ日本に上陸したのである。


■3.GHQとともにやってきた共産主義シンパ

 日本の占領行政を行ったGHQ(総司令部)は、共産主義者の巣窟だった。当時は大恐慌の後で、資本主義の失敗が誰の目にも明らかとなり、人類の未来は共産主義にある、と信ずるインテリが多かった。さらにアメリカの共和制の伝統から、独裁的な帝政を倒して史上初の共産主義政権を樹立したソ連に親近感を持つ人々が少なくなかった。

 ルーズベルト政権が大恐慌克復のために始めたニューディール政策は公共投資を中心とした社会主義的な性格が強いもので、それまで小さな政府だった連邦政府を急拡大したため、多くの共産主義者が政府に入り込んだ。

 ソ連が世界の共産革命を狙って、各地の共産主義シンパとのネットワークを造り、彼らが各国の政権の中枢に入って、ソ連の工作員として働くようになったのも、自然のなりゆきだったろう。

 日本と蒋介石との戦いを煽って、「祖国」ソ連を守ろうとした尾崎秀実はその一例である[a]。同様にルーズベルト政権内にも200人以上の共産主義者が入り込んで、アメリカをドイツや日本と戦わせようとした[b]。こうした工作員、共産主義シンパが、GHQスタッフとして日本にやってきて、共産革命を起こそうとしたのである。


■4.GHQの容共政策

 GHQが矢継ぎ早に打ち出した占領政策は共産主義国家がとる政策と本質的に同じであった。まず報道や言論、思想の自由の抑圧である。報道や出版、私信の検閲など、総勢6千人を超える陣容で、戦時中よりはるかに厳格な検閲がなされた[c]。その上で、日本人に罪悪感を植え付ける洗脳工作「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が進められた。

 ついで反対勢力の弾圧としては、国内法にも国際法にもない「侵略の罪」や「人道の罪」による東條英機元首相ら39人の逮捕。さらには「公職追放」という名の粛正で、21万人以上の追放。大学や出版社などで多くのポストが空き、それを共産主義シンパやGHQに媚びをうる輩が埋めた。

 GHQのスタッフとして日本共産党を支援したのがハーバート・ノーマンであった。日本に赴任したカナダ人牧師の息子として、17歳まで日本で育った。ケンブリッジ大学在学中にはイギリス共産党に入り、その後、カナダの外交官となり、「日本は天皇制を中核とするファシズム国家である」との博士論文を書いて有名になり、マッカーサーによってGHQにスカウトされた。

 そのノーマンが起草した「人権指令」が10月4日に発表された。治安維持法など思想犯を取り締まる法律をすべて廃止し、それによる拘留者を10月10日までに釈放するように命じた。同時に10月5日には特別高等警察(特高)の警察官全員の罷免を要求する覚え書きも発した。

 特高、治安維持法などは、日本が共産主義と戦うための手段であったが、それらを全廃し、なおかつ、共産主義者を野に放って、共産革命に火をつけようという魂胆であった。

 府中刑務所から釈放された日本共産党幹部、徳田球一、志賀義雄らは、その日のうちに声明を出して、GHQに謝意を表し、その平和政策を支持するが、「天皇制」を打倒することなしには、ポツダム宣言に謳われた「日本の民主化」も、飢餓の克復もできない、と訴えた。

 こうしてGHQによる共産革命の下地作りが進んだところに、野坂参三が帰国したのである。


■5.「朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね」

 その頃の国内は、食糧事情が悪化していた。昭和天皇は:

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食糧事情の悪化は、このまま推移すれば多数の餓死者を出すようになるというが、戦争に塗炭の苦しみをした国民に、このうえさらに多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたいことである。[1, 4253]
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 と、心配され、皇室御物の目録を作らせて、これを代償にマッカーサーに食料供給を求められた。マッカーサーは感動して、「皇室の御物をとりあげる事など面目にかけてもできないが、国民のことを思う天皇の心持ちは十分に了解される」として、「かならず食料を本国から移入する方法を講ずるから、安心されたい」と答えた。

 一方、共産党にとっては、国民が苦しむ時こそ混乱に乗じて共産革命に火をつけるチャンスであった。野坂参三と、釈放された共産党幹部たちは、昭和21(1946)年4月7日、日比谷公園で「幣原反動内閣打倒人民大会」を開催して7万人を集めた。

 翌5月19日には、25万人も集めて「米飯獲得人民大会(食料メーデー)」を皇居前で開催した。この時、「朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね」などと書いたプラカードをデモ隊は掲げ、暴徒の一部が坂下門を突破して皇居に乱入した。

 この頃、警視庁が行った調査では、大半の世帯が米飯を一日に一回小盛りで食べるのがせいぜいで、あとは雑炊やいもなどの代用食でつないでおり、一日に米一粒も食べられない世帯も決して少なくなかったほどであった。

 マッカーサーは昭和天皇の御要望に答えようと、ワシントンに対して214万トンの対日食糧輸出を要請した。しかしアメリカ本国は、その要請を1946年2月に却下している。

 3月から小麦・雑穀の輸入が始まったものの、ソ連もメンバーとなっている極東委員会からは「日本はいかなる連合国または解放諸国より食糧補給の優先的取扱いを受けざる」よう掣肘を受けた。食料不足に苦しむ国民が増えるほど、反政府・反米のムードが盛り上げるからである。


■6.労働争議、ストライキなど頻発し、、、

 食料・経済危機を背景に、共産党は労働争議を盛り上げていった。特に8月、9月は労働争議への参加が60万人規模に達した。激しいインフレに対応するための賃上げ要求などが中心だったが、やがて運動は急速に政治化し、12月17日には「吉田内閣打倒国民大会」が「人民広場」と呼ばれた皇居前広場で開催され、50万人が集結した。

 労働組合の組織化も急速に進み、官公庁、民間含め、組合員は600万人に膨れあがった。

 吉田首相は昭和22(1947)年1月1日の年頭の辞において、こうした動きへの危機感を訴えた。

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 昨年以来労働争議、ストライキなど頻発し、生産減退、インフレおよび生活不安を激化し、いわゆる経済危機を助成せしめつつある現状であります。・・・
 いわゆる労働攻勢、波状攻撃などと称して市内に日日デモを行い、人心を刺激し、社会不安を激化せしめて、あえて顧みざるものあるは私のまことに意外として、また心外にたえぬところであります。[1, 5812]
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 この後、吉田首相は「しかれども私は、かかる不逞のやからが、わが国民中に多数あるとは信じられません」と語ったのだが、この「不逞のやから」発言を批判して、組合側は2月1日のゼネスト実施を宣言した。ゼネスト、すなわちゼネラル・ストライキは多数の産業にまたがる諸組合が一斉にストをして、経済を麻痺させる戦術である。

 共産党は「民族の独立と産業再建を妨げる吉田内閣を倒し、民主人民政府の樹立されるまで断乎として戦う」と、革命を宣言した。野坂は東京のソ連代表部の参事官に対して、定期的に共産党の活動を報告していた。吉田首相は「ソ連の代表などは、当時の労働不安、社会不安は、むしろ歓迎していて」と指摘している。


■7.「もしゼネストが実行されていたら、、、」

 ゼネスト予定日2月1日の前日、マッカーサーが禁止命令を出した。「余は現下の困窮かつ衰弱せる日本の状態において、かくの如き致命的な社会的武器を行使することを許容しない」と、共産革命を許さない姿勢を示した。

 この背景には、GHQ内部で、共産革命を支援する動きに対して立ち上がった人物がいた。GHQ参謀第2本部の部長チャールズ・ウィロビー将軍である。ウィロビーはある日本人から示唆を受けて、ソ連とアメリカ共産党の関係を知り、さらにはGHQ内での共産主義シンパの追い出しにかかっていた。

 マッカーサー自身も、日本の民主化は求めていたが、共産化は欲していなかった。ゼネストの動きを見ていて、これ以上放任すれば、日本の秩序を紊(みだ)し、治安の上からも危険であると誰でもが認めざるを得ない段階に至るのを待っていたのである。果たして、ゼネスト中止命令に対して、ソ連から抗議が来たが、マッカーサーは一蹴した。

 こうして間一髪の処で、ゼネストは回避された。吉田首相は言う。「もしもあの時、総司令部の断が下らず、二・一ストが実行されていたとしたら、その後の日本の状況はどうなっていたであろうか」


■8.国民を覚醒させた昭和天皇の御巡幸

 共産革命が不発に終わったのは、昭和天皇がマッカーサーに皇室御物の目録まで添えて頼まれた食料輸入が、昭和21(1946)年6月頃から本格化し始めた事も寄与した。たとえば東京都民が配給を受けた食料のうち、8月、9月は輸入分が90%以上となっていた。これが国民を餓死から救った。

 もう一つ、日本国民を覚醒させたのは、昭和天皇の全国御巡幸だった。昭和天皇は「この際、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ」との御決意のもと、昭和21(1946)年2月から、沖縄を除く全都道府県を8年半かけて回られた。

 御巡幸については、拙著『日本人が知らない 世界が称賛する日本』[d]で紹介したが、敗戦直後では宿舎もままならず、列車の中や学校の教室に泊まられたこともあった。「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」と言われた。

 常磐炭坑では、地下450メートルの坑内を歩かれ、40度の暑さの中を背広、ネクタイ姿で、上半身裸の鉱夫たちを激励された。深い坑内で万歳の声が轟(とどろ)いた。昭和天皇が訪れられる先々で、国民は勇気づけられ、生産高は飛躍的に上がった。

 ソ連抑留中に洗脳され、革命の尖兵として帰国したが、昭和天皇と国民の心の通い合いを見て、涙ながらに「天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」と語った引き揚げ者もいた。

 ゼネストで国民の生活をさらに苦しめて、混乱の中から革命につなげようとする共産主義者に対して、「国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与へる」昭和天皇の大御心が共産革命の機運をしぼませたのである。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html

b. JOG(929) スターリンが仕組んだ日米戦争
 米政府内に潜伏した200人以上のソ連スパイがルーズベルト政権を操って、日米開戦を仕組んだ。
http://blog.jog-net.jp/201512/article_1.html

c. JOG(098) 忘れさせられた事
 戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog098.html

d. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanonthegl0-22/

慰安婦 情報戦への反撃
2018/08/12
Japan On the Globe(1075)■国際派日本人養成講座■H30.08.12より転載
Media Watch: 「慰安婦」情報戦への反撃
〜 山岡鉄秀『日本よ、情報戦はこう戦え』より

 中国・韓国から「慰安婦問題」で仕掛けられている情報戦にどう反撃するか。

■1.「慰安婦像によって分断された町として記憶されてはなりません」

 オーストラリア・シドニー近郊、人口約4万人の町ストラスフィールド。その駅前の公有地に、2014年、「慰安婦像」が建てられようとしていた。ここは中国・韓国系移民が人口の約3割、1万人を超え、対する日本人は子供も含めて70人ほどだった。

 4月1日に市議会で公聴会が開かれることになり、ストラスフィールドに住む日本人の母親からの「日本人に集まって欲しい」というメールが、オーストラリアに永住して企業で働いていた山岡鉄秀氏の所に舞い込んできたのは、その前日のことだった。

 子どもたちが差別やいじめを受けないかと怯(おび)えているお母さんたちの事を思うと、「見て見ぬふりはできない」と山岡氏は思った。メールを出したお母さんと連絡をつけ、反論の仕方について、こう意見を述べた。

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 相手はいつものように歴史問題で日本を糾弾してくるはずだ。しかし、その土俵に乗って反論すべきではない。事実関係がどうであれ、そんな問題をローカル・コミュニティに持ち込んだらダメだという原則論を一貫して主張すべきだ。[1, p12]
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 翌日の公聴会では4人ずつがスピーチをした。相手側は中国人、韓国人だけだったが、こちらは地元のオーストラリア人、アメリカ人を含み、山岡氏がアンカーを務めた。

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 これまでのところ、ストラスフィールドは、多文化主義が最も成功した町です。その評判は維持しなくてはなりません。慰安婦像によって分断された町として記憶されてはなりません。市議会のみなさんもきっとそう思うのではないでしょうか。[1, p14]
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 終始一貫、淡々と、しかし情感を込めて、コミュニティの融和の大切さを訴えた。公聴会の結果は「市で判断できる問題ではないので州や連邦の大臣に意見を求めます」。中韓団体のごり押しの政治力を考慮して即時却下にはならなかったが、棚上げにはできた。

 山岡氏の新著『日本よ、情報戦はこう戦え!』[1]には、ここで発揮された情報戦のノウハウがふんだんにちりばめられている。


■2.「中韓主導のまさに情報戦」

 山岡氏がシドニーで駐在員の日本人社長たちと飲んでいる時の事である。氏が「慰安婦問題とは、事実を突き詰めて、何があったのか何がなかったのかということを明確にしておかないと、のちのち禍根を残すことになりますよ」と言ったら、皆、真面目な顔をして「そんなの、謝ってさっさと金払って終わりにしちゃえばいいんじゃないの」と言っていた。

 また、世界的に名の通ったビジネス・コンサルタント大前研一氏も、元慰安婦たちは「日本にひと言、謝ってほしい、それで韓国人は納得する」というような事を述べていた。

 駐在員社長やら、コンサルタントなど、国際社会で仕事をしている人々が、「さっさと金払って」とか「ひと言、謝って」などで問題が解決すると思っている「国際社会オンチ」ぶりには驚かされる。

 結局、こういう人々は海外といっても、良識の通じる日系企業や現地の一流企業としかつきあっていないのではないか。「ストラスフォードの慰安婦設置の動きは、中国共産党からの指令により、中国人主導で韓国人の反日感情を利用した運動であることは、疑う余地はなかった」と山岡氏は言う。

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 日本人は情報戦に関しては、思考停止状態に等しい。慰安婦像設置の動きなどは、中韓主導のまさに情報戦なのである。歴史を歪曲して切り取った情報戦を仕掛けられているというのが、慰安婦問題の本質と言える。[1, p23]
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 情報戦を仕掛けられながら、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」というのは、まさに「思考停止状態」に他ならない。


■3.我が国は、情報戦の総攻撃を受けている

 スイス政府が国民に配布している『民間防衛』では、敵からの侵略には次の段階があるとしている。

 第1段階 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳
 第2段階 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導。
 第3段階 教育の掌握。国家意識の破壊。
 第4段階 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用
 第5段階 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う
 最終段階 国民が無抵抗で腑抜けになったときに大量移住して侵略完了

 現代日本においても、いちいち思い当たるふしがある。たとえば第1段階として、自民党の中にも福田元首相のように「南京大虐殺記念館」を訪問する人もいるし、かつての民主党政権に至っては、蓮舫のような国籍も定かでない議員や帰化議員が権力を握っていた。

 第2段階でも、NHKや民放、新聞の偏向報道ぶりは弊誌でさんざん取り上げてきた。第3段階では日教組を中心とした偏向教育はすでに長い歴史がある。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は平和や人類愛をプロパガンダとして利用する第4段階であろう。第5段階の「自分で考える力を奪う」の成果は、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」とか言う人にすでに表れている。

 いずれにせよ、第2段階から第5段階まではすべて情報戦なのである。我が国は、情報戦の総攻撃を受けている、と言ってよい状態なのだ。


■4.「誰も韓国大使に文句を言っていない」

 公聴会の2週間ほど前、山岡氏があるランチの席で、韓国大使と一緒になる機会があった。大使が席を立とうとした時に、山岡氏は「大使、大使」と呼びかけ、「慰安婦像を建てようという人たちがいるらしいと聞いたので、非常に懸念しているのだが」と言った。

 韓国大使が驚いた顔で「それは民間がやっていることで、政府としては関知していない」と答えたので、山岡氏が「政府として関知していないのだったら、これから関知してやめるようにいったらどうです? そんなことをオーストラリアでやってもしようがないでしょう。迷惑です」と言うと、「そんな苦情を言ってきた日本人は君が初めてだ」と非常に驚いた。

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 つまり、オーストラリアに日本人はたくさんいるのに、誰も韓国大使に文句を言っていない。日本人は、みんな黙ってしまうのだ。そうそうたる企業の社長たちがいても、もちろん誰も何も言わない。日本の大使も外交官も一言も意見していなかったのだろう。[1, p53]
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 敵は情報戦の攻撃を次々と仕掛けてきているのに、日本人はみな他人事だと思って、知らんぷりをしている、という状態のようだ。これは正しく第3段階の「国家意識の破壊」、第4段階の「抵抗意識の破壊」、第5段階の「自分で考える力を奪う」が奏功しているという事ではないか。

 韓国大使は驚きのあと、少し気をとりなおして、「サッカースタジアムに『韓国人お断り』と書いてあった事件もあったじゃないか」と反論した。山岡氏はすかさず、こう言い返す。

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 それは日本国内でも厳しい批判を受けていることで、そのこと自体が本質ではない。慰安婦像を設置して、協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはないでしょう。[1, p55]
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 韓国大使は、これには本当に驚いた顔をしていた。


■5.「議論の土俵を変える」

 山岡氏の主張で注目すべきポイントは、「協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはない」という点である。これは公聴会においても、「そんな問題をローカル・コミュニティに持ち込んだらダメ」と主張した事に通ずる。

 すなわち、中国、韓国系移民が提起している慰安婦問題は棚上げにして、ローカル・コミュニティにこういう問題を持ち込んでいいのか、というように議論の土俵を変えてしまったことだ。

 この土俵では慰安婦像を建てようとする中韓勢力は、ローカル・コミュニティに不和を持ち込もうとする悪役となる。また、地元のオーストラリア人や、中韓以外の外国人も味方につけられる。

 国民が仲良く平和に暮らしている日本国内では、慰安婦問題のような対立があると、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」とか、なるべく早く対立を解消しようとするが、それでは相手の思う壺である。情報戦を仕掛けられているという危機意識を持って、その情報戦にいかに勝つかを、考えなければならない。

 そのための一つの戦術が、この「議論の土俵を変える」という手段なのである。


■6.中韓の誣告(ぶこく)という伝統

 議論に勝つために、どう土俵を変えるのか。相手の得意な戦い方を良く知って、それを発揮させないように土俵を変えれば良い。この点で、中国、韓国の戦い方は世界でも特異なものである。

 山岡氏は立命館大学の北村稔明・名誉教授から教わった「誣告(ぶこく)」という中国人の伝統を紹介している。これは「虚偽の事実で相手を貶(おとし)める」というやり方である。「南京大虐殺」はこの一例である。「従軍慰安婦」はこの伝統が韓国に伝わった結果だろう。

 韓国で偽証罪が多いのは、この誣告の伝統の現れだと思われる。韓国で2010年に偽証罪で起訴された人は日本の66倍、日本の人口が韓国より2.5倍多いことを勘案すれば165倍に達する。これはもはや文化の違いとしか言いようがない。[a]

 誣告の伝統を知っていれば、「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」などという反応は、相手の思う壺である事が見抜けるはずだ。

 逆に、中国人、韓国人は誣告、偽証が国際社会の標準から見れば、どれほど信用を落とすものか分かっていない。議論の土俵を変えて、その主張が意図的な偽証であることを国際社会の前で明らかにするのが良い戦術なのである。それができれば、「慰安婦」像は彼らの「誣告の記念碑」となってしまう。


■7.韓国政府に「女性の人権を護れ」と抗議する

 彼らの誣告を逆手にとって、「慰安婦」問題そのものの土俵を変えてしまう戦術を、山岡氏は紹介している。それは「朝鮮人慰安婦への同情」をベースにした訴え方である。

 それによると、昔から朝鮮では女性の権利はないがしろにされており、宗主国・中国への貢ぎ物として差し出されていた。日本統治時代に公娼制度が導入され、売春そのものは禁止できなかったが、法律によって女性の権利が最低限守られるようになった。しかし、朝鮮人ブローカーが女性を欺し、誘拐した罪で日本の警察に逮捕された膨大な記録が残っている。

 もしも韓国人が本当に女性の人権を憂慮しているなら、現在、世界中で売春業から抜けられない何万人もの韓国人女性の救済に奔走すべきである。これら、現代の人身売買の被害者たちは、100年以上前に日本政府が取り締まっていたのと、まさに同じような極悪ブローカーたちによって苦しめられているのだ。

 海外で売春する韓国人女性は10万人に達するとみられ、アメリカやオーストラリアでも問題となっている。そのうち5万人は日本で働いているというから、日本政府も両国と組んで、女性の人権を護れ、と韓国政府に抗議する事ができよう。


■8.問題は事なかれ主義を許している国民の姿勢

 山岡氏の現地の人々を巻き込んで「協調的に平和に暮らしている我々の生活を乱す権利は、あなたたちにはない」というアプローチと、「慰安婦」問題で現在の韓国人女性の権利を護れ、というアプローチには、二つの共通点がある。

 第一は、アメリカ人やオーストラリア人など第三者も巻き込んで、国際常識の下での問題提起をする、という点である。そもそも平気で「嘘」をつく中韓と1対1で交渉しても、モンスター隣人と話し合うようなもので、まともな議論はできない。だからこそ、第三者を巻き込み、国際常識に沿った議論をすべきなのだ。

 第二は、「ローカル・コミュニティでは協調的に平和に暮らすべき」とか、「若い女性を売春婦として輸出するようなことはすべきではない」という主張は、日本人の真心から出てくるもので、こういう「真実」と「真心」の訴えは、中韓の「嘘」に基づく誣告などよりも、はるかに世界の国々の支持を集めることができよう。

 このように「慰安婦」でも「南京大虐殺」でも、誣告に勝つ情報戦略はいくらでもある。一民間人の山岡氏でもこれだけ戦えるのだから、外務省が真剣に立ち上がれば、いくらでも反撃できるはずだ。

 問題は外務省の事なかれ主義であり、それを許しているのが、国民の「さっさと金をはらって」とか「ひと言、謝って」などの事なかれ主義なのである。それはすでに我々が情報戦の第3段階「国家意識の破壊」、第4段階の「抵抗意識の破壊」、第5段階の「自分で考える力を奪う」に相当やられてしまっているからだろう。

 まずは我々自身が、これは国の未来を、我々の子孫の幸福を脅かしている情報戦だということを認識しなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(815) 隣の国はモンスター!? 〜 『悪韓論』から
 データで明かされた韓国社会の異様な実態。
http://blog.jog-net.jp/201309/article_10.html

b. 「サムライたちの広報外交−米国メディアにおける日露戦争」、伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
カスタマー・レビュー:62件、5つ星のうち4.9
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★★★★★「国際派日本人という名称が気に入っています」(Amazon Customerさん)
 子供の時から、国際人になろう考えていました。現在、国際的に活動する状況になっていますが、日本人としてのアイデンティティが重要であることを実感し、ネームプレートに日の丸があることを誇らしく思います。日本人としての根本を保持しつつ国際的に活躍する、まさに国際派日本人という言い方がもっとも理想的と思っています。
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 山岡鉄秀『日本よ、情報戦はこう戦え!』★★★、扶桑社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594080219/japanontheg01-22/


■前号『公民教科書読み比べ(7): 日本国憲法の「不都合な真実」』へのおたより

■(デジタル難民さん)

 日本国憲法については『憲法改正=九条改悪』と脊髄反射する「九条教信者」のような方々がいて、話がややこしくなっているように思います。

 スポーツのルールでもそうですが、ルールは常に不都合が起きれば正しく変えられるべきであり、日本国憲法もその例外ではないと思います。(憲法自身が自分自身を変えることに言及している)

 九条は変えるべきものであるかどうか決めつける以前に、「変えるべきものであるかどうか議論する」ことの自由は保証しなければならないし、またその議論を経て「変える/変えない」を決めるべきでしょう。

 その結果として国民が「無改正期間で世界記録を更新」を選ぶならそれも大いによし、「改正件数で世界記録を更新」を選ぶならそれもまたよし、とするのがただしい民主主義のあり方ではないでしょうか。

「憲法改正」と口にすれば中身も聞かずに「九条改悪」と決めつけ議論すらさせないと言いたげに見える「九条教信者」の方が、むしろファシズムに近いと言うと言い過ぎでしょうか?

■伊勢雅臣より

「九条教信者」の中には、「平和や人類愛をプロパガンダとして利用」する情報戦にやられて「思考停止状態」に陥った人々と、日本が自衛力を高めては不都合な国のために、意図的にそのような情報戦を仕掛けている工作員がいると考えられます。

日本国憲法の不都合な真実
2018/08/06

Japan On the Globe(1074)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
公民教科書読み比べ(7): 日本国憲法の「不都合な真実」

 その特異な素性と、無改正期間の世界記録更新中という真実は隠すべきではない。
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■伊勢雅臣 講演「皇室の祈り−国民を結ぶ利他の心」■

・公益財団法人モラロジー研究所「公開教養講話」
・平成30年8月13日(月) 14:00〜15:30
・会場:モラロジー研究所内 廣池千九郎記念講堂(千葉県柏市光ヶ丘2-1-1)
・聴講料:1,000円 受付にてお支払ください。
・申込み方法:お名前、性別、年代、ご住所を明記のうえ、
下記のアドレスにメールにてお申込みください。
・公益財団法人モラロジー研究所 柏生涯学習センター kashiwa@moralogy.jp
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■1.日本国憲法の制定

 日本国憲法は外国軍隊が占領中に制定されたという世界史上でも特異な素性を持っているが、制定の経緯について東京書籍版(東書)はこう記述する。

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【日本国憲法の制定】 1945(昭和20)年8月,日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し,第二次大戦は終わりました。そして,日本は軍国主義を捨て,平和で民主的な政府を作ることになりました。[1, p39]
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 育鵬社版の説明はもう少し精しく、内容も異なっている。

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【日本国憲法の制定】 1945(昭和20)年に日本はポツダム宣言を受け入れ,第二次大戦が終わりました。連合国は,大日本帝国憲法の下での政治体制が戦争のおもな原因だと考え,日本の民主主義的傾向を復活強化して,連合国にふたたび脅威をあたえないようにするために,徹底した占領政策を行いました。[2, p49]
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■2.占領軍による徹底した検閲

 東書では、「日本は軍国主義を捨て,平和で民主的な政府を作ることになりました」というが、誰が「軍国主義」だと判断して、「平和で民主的な政府を作る」と決めたのか、主語がぼやかしてある。

 この点、育鵬は主語が「連合国」である事を明確にしている。その「徹底した占領政策」の一環として、「検閲を受けた出版物」と題し、新聞紙面上に荒々しく指示の書き込まれた写真の下でこう説明している。

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 GHQは占領期間中,軍国主義の復活を防ぐためとして,徹底した検閲を行いました。また,その検閲の実態や,GHQが日本国憲法の起草において果たした役割への言及も禁止しました。そのため,自由な報道や表現は大きく制限されました。[2, p49]
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 占領中の検閲の実態は、江藤淳による労作で明らかにされている[a]。それはわが国歴史上かつてなかった規模で、日本人5千人を含む体制で、毎月400万通の私信、350万通の電信を検閲し、2万5千回の電話の盗聴を行っていた。

 さらに日本で発行されるすべての新聞、雑誌、図書、ラジオ、選挙演説などの事前検閲を行い、内容の修正削除を命じたり、時には発行禁止処分を行っていた。

 たとえば、朝日新聞は昭和20(1945)年9月18日から48時間の発行停止処分を受けたが、その理由は占領軍兵士による暴行事件を報道したこと、原爆、民間人への無差別空襲、病院船攻撃などの米軍による戦争犯罪に触れた記事が原因だった。発行停止処分の後、朝日新聞の論調は180度急旋回して、占領軍べったりに変わった。

 日本国憲法は、このように言論の自由も、公正な報道もないなかで、占領軍によって押しつけられたものだった。


■3.「自ら1週間で憲法草案を作成」

 東書は、新憲法制定について、こう記述する。

__________
政府が初めに作った憲法改正案は天皇主権を維持していたため,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し,政府はそれを基に改正案を作り直しました。改正案は,帝国議会で審議され,一部修正のうえ可決されました。[1, p39]
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 日本政府による憲法改正案は「天皇主権を維持していたため」「民主化が不十分である」とGHQが判断したとされているが、ここで「天皇主権」を再び持ち出し、それが「民主化」の逆であるかのように指摘する。「天皇主権」なる言葉のおかしさは[b]で述べた。

 一方、育鵬の描く過程は、これまた、もう少し込み入っている。

__________
 連合国軍最高司令官マッカーサーは,憲法の改正を日本政府に求め,政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし,連合国軍総司令部(GHQ)はこれを拒否し,自ら1週間で憲法草案を作成したのち,日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。
日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し,改正案として1946(昭和21)年6月に帝国議会に提出しました。改正案は,一部の修正を経たのち,11月3日に日本国憲法として公布され,翌年5月3日から施行されました。日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん,国外にも広く受け入れられました。[2, p39]
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 育鵬は憲法草案の英語原文を写真で示して、次のように説明する。

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英文で書かれた日本国憲法の草案 GHQの民政局は,各国の憲法を参照しながら英文で憲法草案を書き上げました。[2, p49]
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 しかし、GHQがなぜ草案を自ら1週間で急いで作ったのか、という点での説明がもう少し欲しい処だ。その理由は数週間以内に、GHQをチェックする権限を持つ極東委員会が発足する予定となっており、その中でソ連代表が強行に天皇制廃止を要求してくると予想されていたからだ。

 マッカーサーとしては、そんな事になれば、日本各地で叛乱が起きて、占領統治自体が頓挫することは目に見えていた。そこで、極東委員会が発足するまえに、天皇を象徴とする「民主的」な新憲法を世界に発表して、ソ連の動きを封じてしまおうと考えたのである。[c]


■4.「あとのことはすべて犠牲にしていい」

 しかし、憲法には素人ばかりのGHQ民政局のスタッフが1週間で憲法草案を作ることには無理があった。たとえば「貴族制度廃止で貴族院はなくなるので一院制にする」という原案に対しては、日本側から「二院制は議会多数派の独走に対するチェック・アンド・バランスとして必要だ」という基本知識を講義される始末であった。

 またGHQ民生局にはニューディーラー(アメリカの左翼)が多く、「土地および一切の天然資源の所有権は国家に帰属し」などという条項があって、日本側を社会主義憲法かと驚かせた。この条項も日本側の反対で、削除された。

 東書は「民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し」と書くが、これらの逸話だけでも、GHQ民政局が「民主化の先生」であったはずがない事が判る。マッカーサーとしては「民主化憲法の制定」という既成事実を作ってしまい、欧米世論に天皇訴追を諦めさせるだけの説得ができれば良かった。マッカーサー自身は次のように語っている。

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 どんなに良い憲法でも、日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしかもたないというのが自分の確信だ。[c]
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 占領が終われば、日本人はさっさと自主憲法を作ってしまうだろうから、とりあえず天皇訴追という最悪自体を避けられれば、それで十分とマッカーサーは考えていた。この思いは当時、首相だった幣原も共有していた。こう語っている。

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 ほかの点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁には自分たちで変更することができる。しかし、皇室だけはいったんぶち壊してしまったら取り戻すことができない。だから、すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない。

 天皇制の一点さえ、マッカーサーが極東委員会に対して承諾させてくれるなら、あとのことはすべて犠牲にしていいとさえ思っている。[c]
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■5.「余りに"ユートピア"的」

 育鵬は「日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん,国外にも広く受け入れられました」と結ぶが、この一文はいかにも「とってつけた」ようで、文科省の検定意見でやむなく入れさせられたかのように見える。

 実際には、日本政府が発表した新憲法草案に対して、次のように酷評したアメリカの新聞もあった。

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 新草案が陸・海・空軍を全面的に廃止し、日本は今後その安全と生存を世界の平和愛好国の信義に依存すべしと宣言するにいたっては、余りに"ユートピア"的であって、むしろ現実的な日本人として草案を軽んずるに至らしめるであろう。(ニュー・ヨーク・タイムス)

 これは日本の憲法ではない−日本に対するアメリカの憲法である。・・・この憲法の重要事項に日本の現実から生まれた思想はひとつもない。(クリスチャン・サイエンス・モニター)
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「日本の現実から生まれた思想がない」というのも当然の指摘で、たとえば前文はアメリカ独立宣言、合衆国憲法、リンカーンのゲティスバークにおける演説などの切り貼りである。素人集団が一週間で作ったのだから、それも仕方がないが、マッカーサーが「日本はアメリカのような民主国家に生まれ変わる」と欧米世論を説得するには、分かりやすい手法だったろう。


■6.押しつけ憲法無効論

 このような日本国憲法の怪しげな素性は、「占領下に押しつけられた憲法は無効である」との「押しつけ憲法無効論」を生む余地を作った。たとえば、占領軍が占領地の法律を改変することを禁じたハーグ陸戦条約違反である、などの指摘がある。

 東書で、以下のように、さも日本国が自主的に憲法制定をしたかのように精しく書いているのは、こうした無効論を牽制するためであろう。

__________
 政府はそれ(JOG注: GHQ草案)を基に改正案を作り直しました。改正案は,帝国議会で審議され,一部修正のうえ可決されました。日本国憲法は,1946年11月3日に公布された後,1947年5月3日に施行されました。[1, p99]
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 しかし、いくら日本の帝国議会が審議・可決したとは言え、マッカーサー自身が言うように、占領軍が「日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法」では自主制定とは言えない。

 ただ、東書の記述の最大の問題は、制定過程の史実をきちんと伝えずに、さも、日本側が自由な議論を通じ、自らの主体的判断で憲法を制定したかのような仮構を描いていることである。

 これは、「GHQが日本国憲法の起草において果たした役割への言及も禁止」した意向に今でも沿っていることになる。憲法をどうするか、という問題は、日本国の「公民」としての最重要の課題なのであるから、その制定過程の真実を教えない、という姿勢は、日本国の公民を育てる目的にそぐわない。


■7.日本国憲法、「無改正期間」において世界記録を更新中

 押しつけ憲法無効論とともに、公民として知っておくべきは、「法定追認」説であろう。これは民法125条で示されているように「たとえ脅迫による契約であっても、文句も言わずに履行していたら追認したものと見なす」という考え方である。

 これによると、たとえ押しつけによる無効な憲法であっても、独立して文句を言える状態になっても、そのまま守っていれば、その憲法を追認したことになる。

 当座しのぎの「民主」憲法を即席ででっち上げて、ソ連などからの天皇訴追をかわすというマッカーサーの戦術は成功した。しかし、彼の見通しが間違っていた点が一つだけあった。「銃剣を突きつけて受諾させた憲法」は占領が終わればすぐに改訂されるだろうとの読みに反して、日本国憲法は現在まで70年以上も手つかずのまま残された。

 憲法学者の西修・駒沢大学教授は、戦後40年近く経った昭和60年頃に、民生局で憲法起草にあたった人々にインタビューを行ったが、彼らの大半は、自分たちが短時間で十分な資料もないまま作り上げた日本国憲法が、その後一度も改正されていないのを聞いて、驚いたという。[c]

 西ドイツは1949年5月の独立と、ほぼ同時に基本法を制定した。憲法と言わないのは、東ドイツとの統一がまだだったからである。そして、その後、50回以上もの改正を行っている。

 日本国憲法が制定以来、一度も改正されていないのは、世界でも異例である。現行バージョンだけで考えれば、70年以上も手つかずの日本国憲法はすでに「世界最古」となっており、「無改正期間」において世界記録を更新中なのである。[d]

 立憲政治をするためには、憲法で現実に合わなくなった部分を改良し、かつ、環境保護など新しい考え方に合わせて進化させていく努力が不可欠である。押しつけ憲法を押し頂き、なおかつ金科玉条の如く守っていくのは、立憲政治としては真に未熟な姿なのである。

 マッカーサーは「日本人は12歳」と言ったが、少なくとも憲法に関する限り、これは当たっている。だからこそ、中学の公民の授業で、この「不都合な真実」を学ばなければならない。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■
a. JOG(098) 忘れさせられた事
 戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog098.html

b. JOG(1069) 公民教科書読み比べ(6):日本に人権思想はなかったのか?
「真の人権思想の確立は,日本国憲法の制定まで待たなければなりませんでした」と東京書籍版は説くが、、、
http://blog.jog-net.jp/201807/article_1.html

c. JOG(141) 仮設憲法、急造成功
 今週末までに、新憲法の概案を作れ、、、マッカーサーは、なぜそんなに急がせたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog141.html

d. JOG(105) 憲法の国際ベンチマーキング
 日本国憲法、無改正期間の世界記録更新中。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog105.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122333/japanontheg01-22/

2. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382483/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

地球温暖化 狂騒曲の 不都合な真実
2018/07/22
Japan On the Globe(1072)■国際派日本人養成講座■H30.07.22■転送
Media Watch: 「地球温暖化」狂騒曲の「不都合な真実」
 0.001℃下げるために、わが国は80兆円を使うのか?
■転送歓迎■■ 50,636 Copies ■ 4,505,324Views■

■1.「『低温』も日照不足も、地球温暖化が原因」?

 豪雨災害の後の猛暑で、被災地の救助救援に当たっている自衛隊員ら諸士の苦労を思っている所に、環境科学などを専門とされている渡辺正・東京大学名誉教授とお話しする機会を得た。

 東大名誉教授という重々しい肩書とは対照的に実に気さくなお人柄は、最近、出版された『「地球温暖化」狂騒曲 社会を壊す空騒ぎ』[1]という軽妙な書名からも窺うことができる。その中にあった、次の一節には吹き出してしまった。

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 2017年の8月下旬には朝のニュースで同じ大本教授(弊誌注:東京大学大気海洋研究所教授)が、「今夏の東日本を見舞った『低温』も日照不足も、地球温暖化が原因」と、老化のせいで聞き間違えたかと思えるほどの発言をしていました。ちょっとした大雨のニュースでも、近海でとれる魚の種類が一時的に変わったという話でも、たいてい「地球温暖化」というキーワードが聞こえます。[1, piv]
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 低温や日照不足ならずとも、この豪雨や猛暑は当然、人々に「地球温暖化」を連想させる。この「地球温暖化」がさらに進めば、2年後の東京オリンピックはいったい、どうなるのか、という心配が一気に盛り上がってきた。『「地球温暖化」狂騒曲 社会を壊す空騒ぎ』の著者にとっては、完全な逆風の中でお話をうかがった。


■2.北極の氷が解けてシロクマが溺れ死ぬ?

 お会いして早々、教授が示されたのは、地球全体の現時点での温度分布を示したカラー画像だった。それを見ると、確かに日本列島の中央部は真っ赤に色づけされて平均以上の温度となっているが、南洋海上には青く塗られた低温地域があった。たとえば、そこに近いと思われる沖ノ鳥島は7月の平均気温30度に対し、今年はやや低いという程度である。

「地球温暖化」とは地球全体の気温上昇を言うが、現在の猛暑は日本列島の中央部のみのローカル現象であり、他の地域ではかならずしもそうではない。教授のお話を聞いていて、私は昨年まで3年間アメリカ南部に住んでいたのに、冬には100年ぶりという豪雪に何回か見舞われて、どこが「地球温暖化」だ、と疑問に思ったことを思い出した。

 人間の判断は限られた範囲での見聞に強く左右される。たとえば、アメリカの元副大統領アル・ゴアは「地球温暖化」を描いたドキュメンタリー『不都合な真実』でノーベル平和賞も受賞した。

 その中で北極の氷が少なくなったため、シロクマが餌のアザラシを追って長距離を泳がなければならなくなり、溺れ死んでいる、という「事実」が紹介された。筆者もある女性が「温暖化で氷が解けて、シロクマが溺れ死んでいるのよ!」と叫んでいるのを聞いたことがある。この点に関して、教授は以下のデータを示されている。

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 国際自然保護連合の発表によるとシロクマの総数は、2005年の約2万頭から2015年の約2万6千頭へとむしろ増えてきた。だいぶ前、1940年の推計値が5000〜1万頭と少なかったのは、狩猟のせいだという。狩猟が規制されたあと十分に増えたため(70年代〜2010年で約5倍増)、狩猟はまた解禁されている。地球温暖化とはいっさい関係がない。[1, p86]
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■3.「八〇兆円をつぎ込んで最大0.001℃しか冷やせない」

 このシロクマの事例だけでも温暖化の議論は怪しげな事が判るが、それが単にある学説が正しいかどうか、という問題なら、専門家に任せておけば良い。国民がこの問題を看過できないのは、それが膨大な国費の投入を迫っているからだ。渡辺教授が提起しているのは次のような問題だ。

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 ・・・日本は、2013年から30年までの17年間に、CO2排出量の21.9%だけ減らすと宣言した。・・・CO2を世界の3.5%しか出さない日本が21.9%だけ減らしたとき、地球を冷やす効果は・・・0.001℃に過ぎない。[1,p115]
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 そのために必要な費用は、従来のまま温暖化対策費を使い続けるとすると、ほぼ50兆円。これに2012年に導入された温暖化対策のための「再エネ発電賦課金」が30兆円で、合計80兆円となる。国民一人あたりでは67万円となる。

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 八〇兆円をつぎ込んで最大0.001℃しか冷やせない−−という明白な事実を政府が正直に発表し、それをメディアが報じてくれれば、集団ヒステリーめいた「温暖化対策」騒動も沈静化に向かうのではないか。[1, p116]
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 そして「まず役に立たない温暖化対策費(再エネ補助金も含めて年5兆円)の一部を防災に充てるだけでも、洪水や土砂崩れの被害はそうとう減るに違いない」[1, p130]と言われるのは、今夏の大災害を見透かされていたかのようである。


■4.地球温暖化を訴える人びとにとって「不都合な真実」だらけ

 そもそも地球温暖化の議論は、「このままCO2排出が増え続ければ、地球の気温が上昇して、人類にとって大変な問題になる」という警告から始まった。過去の警告が、現時点から見て、どうだったかを事実で検証してみよう。アル・ゴアにとってシロクマの頭数が増えたという以上の「不都合な真実」が、次々に出てくる。

1)5年以内に北米とユーラシアの穀倉地帯は温暖化による干ばつで荒れ果て、食糧をめぐる暴動も頻発しよう。(環境防衛基金のマイケル・オッペンハイマー氏、1990年)

 二酸化炭素が増えると、作物は収量が増える。だから、ハウス栽培では人工的に二酸化炭素を大気中の数倍に増やして増収を図る。この「CO2増加の恵み」は、世界の農業生産額のうち1961年の2兆円が2011年には15兆円に拡大。2050年までに見込める恵みは1千兆円を超すだろうと、見積もられている。[1, p20]

2)温暖化を食い止めないと、2000年には海面上昇でいくつもの国が水没する。(国連環境計画の幹部ノエル・ブラウン氏、1989年7月5日)

 1850年代以降の海面上昇は年に1.92ミリメートル。CO2(二酸化炭素)の排出が大きく増えた1940年代以降でもこのスピードは変わっていない。100年で192ミリ、すなわち約20センチ。これで水没する国はなかった。

3)温暖化のため何年かのちに雪はほとんど降らなくなって、雪がどんなものかを知らない子どもたちばかりになる。(英国のデビッド・ヴァイナー博士、2000年3月20日)

 前述のとおり、近年、北米は大寒波に襲われ、南部でも記録的な積雪があった。雪の存在だけでなく、その「怖さ」を知っている子供も増えたはずである。

 こうして見ると、地球温暖化を訴える人びとにとっては、「不都合な真実」だらけのようだ。


■5.CO2濃度と気温のよく判らない関係

 そもそも科学的に見て、CO2濃度が上がったら地球の温度が上がるという仮説自体が、まだ検証されていない。渡辺教授の指摘をまとめると、現時点での科学的な研究では、以下の程度しか言えないという。

「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告では、温度は「1905年からの100年間で約1℃上昇した」とされている。そもそも1℃程度の上昇では大きな影響にはならないが、その1℃の上昇でも、時期別に見れば、CO2排出との関連は不明確だ。

1)1905〜1940年、CO2排出はまだ少なかったが、温度は0.5℃ほど上昇。

2)1945〜1970年、世界の高度成長でCO2排出は急増したが、気温は下がり続けた。

 この時期は「地球寒冷化」が騒がれ、日本だけでも「寒冷化」に関する本が20冊ほど出た。気象研究家の根本順吉氏は1973年から80年までに「地球寒冷化」に関する本を5冊出したが、89年には「温暖化」に関する本を出して「温暖化本」の群れを先導した。

3)1970〜2000年、CO2排出量は激増したが、温度は0.5℃の上昇。


■6.気温の変動メカニズムは、まだ闇の中

 この100年間の動きを見ても、CO2排出量が単純に気温上昇をもたらしているとは、とても言えない。温度上昇には以下のような様々な要因があるからである。

・都市化 人口が都市に集中して、エネルギーを使えば、その地域の気温はあがる。たとえば、1950〜2014年の65年間で、東京の温度は約1.5℃上がったが、三宅島の気温は上がっていない。

・太陽の周期的な黒点の増減だけで、計算上は、気温は0.3℃ほど上下する。

・1350〜1850年頃のミニ氷河期の終了。室町〜江戸時代の飢饉やフランス革命の引き金ともなったミニ氷河期が終わり、気温も回復途上にある。ちなみに2千年前のローマ帝国は今よりも高い気温で栄えた。現在の英国の北部でワインが造られ、ハンニバルが象の一群を率いてアルプスを越えてローマに攻め込めたのも、氷河がなかったからである。

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 このように地球の気温は、過去どのように変わってきたのかも、どんな要因がいくら変えてきたのかも、今後どう変わっていきそうかも、まだ闇の中だと言ってよい。[1,p66]
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■7.「気温の低下を隠す作業を完了」

 こんな「闇の中」の「地球温暖化」を、なぜ一部の科学者たちは、さも明白な「科学的真実」であるかのように訴えてきたのか? 地球温暖化の議論をリードしていた英国科学者たちのメールや文書が流出して米国の複数のサイトに公開された事件があった。そこではこんなメールもあった。

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 マンが『ネイチャー』論文でやったトリックを使い、気温の低下を隠す作業を完了。[1, p179]
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 マンとはマサチューセッツ州立大学の古気候学者で、過去千年の間、ほとんど気温は一定していたのに、1950年以降から気温が急上昇している、というグラフを作った。水平線からいきなり上昇カーブに移るという形から「ホッケースティック」と呼ばれ、一時は地球温暖化を訴えるグラフとしてよく使われた。

 このグラフは、西暦1000年前後の中世温暖期も隠すような「トリック」が使われていて、上のメールは、そのトリックを再度、使ったと言っているのである。これらの科学者は自ら嘘と知りつつ、地球温暖化を訴えた確信犯だったようだ。


■8.「地球温暖化」狂騒曲の作者は?

 国際社会では様々な謀略が繰り広げられている。渡辺教授に「『地球温暖化』狂騒曲の犯人は誰ですか」と聞いたが、「判らない」とのお答えだった。良心的な学者は憶測ではモノを言わないものである。

 良心的でも、学者でもない筆者は次のように「邪推」する。まず、謀略の犯人を見つけるには、それで誰が得をするか考えればヒントを得られる。「地球温暖化」狂騒曲で得をする人は誰だろう。

 まずはこの騒ぎで潤沢な研究資金を得られる研究者たちがいる。また、これをネタに騒げるマスコミがある。特にNHKと朝日新聞が「地球温暖化」狂騒曲で熱心なのも、事実報道よりお説教の好きな両社らしい。また、電気自動車だとか、太陽光発電機器などのメーカーも、こういう騒ぎは大歓迎だろう。

 もう一つ、疑り深い筆者は、中国などもこの狂騒曲で大儲けをしている国の一つでは、と睨んでいる。中国はCO2排出量の29.4%(2015年)も占めるダントツの世界一の排出国なのに、2016年のパリ協定での約束は「2030年までにCO2排出量が減り始めるように努力する」だった。言い換えれば、2030年まではどれだけ排出しても構わないという「約束」である。

 排出量が世界の3.5%しかない日本が80兆円かけて21.9%減らしても、0.77%削減にしかならない。その効果は中国が2.6%増やしたら、すっ飛んでしまう。

 自国はCO2を好きなだけ出し、日本や欧州だけが膨大な環境投資を強いられれば、国際競争上の絶好のハンディである。さらに日本に防衛費と同規模の毎年5兆円を使わせれば、その分、日本の防衛強化の足を引っ張れる。

 しかも世界の太陽電池セルのトップ10メーカーのうち、9社までが中国に生産拠点を持つ。本当にCO2削減を目指すなら、原子力発電が手っ取り早い道なのだが、そちらは原発反対運動で封じてある。中国が「地球温暖化」狂騒曲の作者かどうかは判らないが、少なくとも巨大な受益者である事は明白だ。

 アメリカのトランプ政権は、「その手には乗らじ」と早々にパリ協定からの離脱を決めた。アメリカには優秀な、かつ国益を考える科学者が多いからだろう。ノーベル賞学者アイヴァー・ジューバー博士はオバマ政権の科学顧問だった2008年頃には温暖化対策を支持していたが、2015年には意見を変えて、次のように公言している。

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 温暖化は何一つ問題ではありません。・・・「子孫にとって温暖化ほど重大な問題はない」というオバマ発言は、まったくのところ妄言ですね。・・・地球温暖化は宗教のようなものです。IPCCとアル・ゴアに2007年のノーベル平和賞を与えたノルウェー政府には、心底から恥じ入るばかりですよ。[1, p189]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(507) 地球温暖化問題に仕組まれた「偽装」
 政府やマスコミは情報をコントロールしている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog507.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 渡辺正『「地球温暖化」狂騒曲 社会を壊す空騒ぎ』★★★、 丸善出版、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/462130304X/japanontheg01-22/
■伊勢雅臣より

口語俳句(第一回)作品大賞募集
2018/07/14
募集作品 20句(2016年以降現在までの作品。既発表・未発表を問わない。
締め切り日 2018年9月15日(土)
参加費用 2000円

送稿要領 B4四百字詰原稿用紙を使用のこと。
受賞 作品大賞一篇

送り先 〒4170014
富士市鈴川西町1−17−4 金子徹方
作品大賞選考条委員会

電話・FAX 0545−33−0659

第2回尾崎放哉賞
2018/07/12
応募締め切り:2018年11月30日(金)必着
投句料:二句一組で2,000円(何組でも可)
    ※《高校生の部》は無料(1人2句まで)

《一般の部》
大 賞:賞状と賞金100,000円(1名)
優秀賞:賞状と賞金 10,000円(5名)
入 賞:賞状とクオカード3,000円分(10名)

《高校生の部》
最優秀賞:賞状とクオカード5,000円(1名)
 優秀賞:賞状とクオカード1,000円(10名)
 特別賞:愛媛県愛南町特産品(5名)

 表彰式:2019年6月1日(土)
  主催:自由律俳句結社「青穂」

国柄探訪: 傲慢な国、謙虚な国
2018/07/08
■Japan On the Globe(1070)■ 国際派日本人養成講座 ■

 国柄探訪: 傲慢な国、謙虚な国
〜 ジェイソン・モーガン氏『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』を読む

 アメリカの南部人には、日本人の謙虚さが良く分かる。
■転送歓迎■ H30.07.08 ■ 51, Copies ■ 4,,Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

■1.「傲慢× VS 謙虚○」

 歴史学者で麗澤大学助教授のジェイソン・モーガン氏が面白い本を出した。題して『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』[1]。最近、はやりの欧米人による自虐史観克服本の一つであり、この面についてはメルマガ「ロシア政経ジャーナル」で北野氏が鋭い指摘をされているので、そちらをご覧戴きたい[2]。

 弊誌では、この本のもう一つの魅力を紹介したい。それは表紙デザインで「傲慢× VS 謙虚○」と大きく書かれた点に表れている。この本の中身はタイトルから想像するほど「傲慢」なものではなく、それよりも「アメリカも中国も韓国も(傲慢さを)反省して(謙虚な)日本を見習いなさい」と主張しているように読めた。モーガン氏はこう書いている。

__________
 私は神経質で、すぐ緊張し、気を使ってしまうタイプですが、初めて日本に来たとき、すぐにくつろげている自分に気がつきました。不思議に思って考えて見たところ、日本人は外国人の私に対してたいへん寛容だったのです。[1, p143]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 謙虚だからこそ外国人にも寛容になれるのである。モーガン氏はアメリカ南部のルイジアナ州ニュー・オリンズ出身という。思い返してみると、私もアメリカ各地を旅行して、南部が一番、くつろげた思い出がある。

 どうやら謙虚さという面では、アメリカ人の中でもモーガン氏のような南部人は、日本人に近いところがあるようだ。それは文化面や歴史面に起因しているのだろう。今回はモーガン氏の著書から特にこの点を考えて見たい。


■2.遅れて参加したアウトサイダー

 モーガン氏の出身地のルイジアナとは、フランス王ルイ14世の土地という意味であり、ニュー・オリンズとは、新オルレアン、ルイ15世の摂政オルレアン公フィリップ2世に因むそうな。その名の通り、フランス人が開拓した植民地だった。

 しかし18世紀中葉のフレンチ・インディアン戦争で、英仏の植民地軍が戦い、フランスが負けてルイジアナ州のほとんどを含んだフランス領土がイギリス領となった。さらに19世紀初頭、ナポレオンが戦費調達のために、ニュー・オリンズも含めて北米大陸中央部に残った所有地をアメリカに売却したことで、アメリカ合衆国の領土となった。

 ニュー・オリンズにはフランス系住民の子孫が多く住んでおり、フレンチ・クォーターという一角は今もヨーロッパ的な街並みが残っている。フランス文化や近くのカリブ海の影響で、食べ物も伝統的でローカルなものが美味しい。黒人がジャズを生んだ土地でもある。文化的な多様性がくつろいだ雰囲気を醸し出している。

 人柄の面でも、東部や中西部のアメリカ人からはイギリスやドイツに似た謹厳さを感じるが、南部ではフランスやイタリアのような親しみやすさを感ずる事が多い。南部でくつろげるのも、こういう文化的な要因からだろう。

 歴史的要因もある。南部と言ってもバージニア州などはもともとイギリスの植民地であり、かつ初代大統領ジョージ・ワシントンを生み、独立戦争の主力として戦った米国の本流という誇りがあるが、ルイジアナ州やニュー・オリンズは前述のように、遅れてアメリカ合衆国に併合された土地なのである。

 この点は、日本が19世紀中葉に開国して、当時の欧米中心の国際社会に遅れて参加したアウトサイダーであった事と良く似ている。日本もルイジアナも主流派の持ちがちな傲慢さとは縁遠い地域なのだ。


■3.「奴隷解放の北部 対 奴隷制に固執した南部」?

 もう一つ、南部の歴史が日本と似ている点がある。南部というと日本人はすぐ黒人差別を連想する人もいるが、実はそう単純な話ではない。

 映画『風とともに去りぬ』では白人の富豪の子供達が、黒人の太ったメイドによくなついている場面も出てくる。イギリスの貴族が労働者階級を召使いやメイドとして使っていたように、南部の富豪も黒人を使っていた。階級や人種の差別はあったが、それを超えた家族的なつながりも相当程度あったようだ。

 そういう南部の風土が南北戦争敗戦とともに「風とともに去って」しまい、人種平等の掛け声とともに、逆に白人と黒人の間の距離が開き、家族的な親近感も失せて、人種対立がかえって先鋭化していったように思われる。

 もともと南部の産業は綿花やたばこなど人手のかかる農業が中心で、黒人労働力に依存していた。そこでイギリス人商人が黒人をアフリカから拉致してきて売りつけ、その代金でアメリカの綿花を買い、イギリスの工場でそれを綿製品に加工してアフリカに輸出する、という大西洋を股に掛けた三角貿易をやっていた。

 イギリスは1807年に奴隷貿易を違法とした。貿易だけなら止めれば済む問題だが、すでに膨大な黒人奴隷を抱えていたアメリカ南部ではそう簡単には行かなかった。南北戦争の頃には南部の総人口約900万人のうち、400万人近くの奴隷がいたとされる。黒人労働力は南部の産業の欠くべからざる主柱となっていた。

 リンカーン大統領は「奴隷解放の父」と称賛されているが、そもそも南北対立の発端は貿易問題だった。工業化を進める北部がイギリスの工業製品に対する保護貿易を求めたのに対し、南部諸州は綿花輸出などでイギリスとの自由貿易を必要としていたのである。

 南北戦争中に出されたリンカーンの「奴隷解放宣言」は、実は敵対する南部諸州の黒人だけを対象としており、もともと北軍に属しながら奴隷制を認めていたミズーリ、ケンタッキー州、および、すでに北軍に制圧されていたテネシー州などは対象外だった。あくまで南軍の地の黒人に離反を促すための戦術だった。

 この宣言が奴隷解放運動に弾みをつけた事は否めないが、その後、北部の掲げた奴隷解放に抵抗して「奴隷制に固執した南部」というレッテルが貼られてしまう。公正に言えば、世界でアメリカほど人種問題で長年苦しんだ国はなく、その努力のかなりの部分は当然ながら黒人の多く住んでいた南部でなされた。

 もともと黒人の奴隷もそれほど多くなかった北部が「奴隷解放」を叫んだだけで、南部に対して「奴隷制に固執した」というレッテルを貼る傲慢さには、わが国を石油禁輸などで追い詰め、最初の一発を撃たせただけで「侵略国」なるレッテルを貼ったのと同じ狡猾さを感ずる。

 他者に対してこういう無理無体なレッテル貼りをすること自体が傲慢さの表れであり、日本人もアメリカの南部人も、その傲慢さの被害者なのである。


■4.日本人の気配りに驚く感性

 こういう歴史と文化を持った南部からやってきたモーガン氏は、日本に来て日本人の気配りを敏感に感じとる感性をお持ちだったようだ。

__________
 私が来日して間もない頃、驚いたのが、日本人の気配りです。相手の気持ちをくみ、いわれなくても気を利かせて行動します。相手の気持ちを察するのです。

 たとえば友人の家族との夕食の際、しょう油が必要だと私が気づく前に、友人のお母さんが先に渡してくれたので、「すごい。なぜ分かったのですか?」と驚きました。私の心を読んだかのような行動です。相手が動く前に気を利かせて動くシーンが、日本人には多いのです。[1, p139]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こういうさりげない気配りにすぐに気がつくジェイソン氏の鋭敏な感性にも、こちらの方が「すごい。なぜ分かったのですか?」と驚いてしまう。もう一つ例を挙げよう。

__________
 私は、中国人と日本人の観光客をすぐ判別できます。たいていの中国人は、周囲にまで目配りしません。ですから、平気で道をふさいでいて、ほかの人がどうなろうと気にする様子はありません。私が「すいません」といっても知らん顔です。一方、たいていの日本人は、ほかの人が通るから邪魔になると察して、あらかじめ端に寄ります。[1, p140]
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 自分自身が常に周囲に迷惑をかけていないかと目配りしているからこそ、そのような目配りをしない人々にもすぐ気がつくのである。


■5.彼らの傲慢さにどう対処していくのか

 傲慢と謙虚とは、単に文化的な問題だけではない。アメリカ、中国、韓国の傲慢な歴史攻撃が、日本人の「根っこ」を傷つけているからだ。それに対して、日本人はどう立ち向かえば良いのか。彼らと同様の傲慢さで反撃すれば、日本人の謙虚さが失われてしまう。謙虚に反省を続けるだけなら、謙虚さを通り過ごして、卑屈になってしまう。

 こうした傲慢な国々がひっかき回している現代の国際社会で、日本人はいかに謙虚さを失わずに彼らの傲慢さに対処していくのか、国際派日本人にとって重要な問題である。モーガン氏の問いかけの意味はここにある。

 しかし「アメリカも中国も韓国も(傲慢さを)反省して(謙虚な)日本を見習いなさい」と言って、聞く耳を持つ相手ではない。傲慢だからこそ、反省もしないだろう。我々日本人の方がどう対応するのか、と考えなければならない。


■6.「筋を通す」

 謙虚さを守りつつ、傲慢さと戦う一つの道は「筋を通す」という事だ。「筋」の一つとして国際法や条約がある。例えば中国の「南京大虐殺」非難に関して、モーガン氏は次のように書く。

__________
 南京大虐殺は西洋では眉唾ものと思われているのに、多くの日本人は嘘を信じて反省し続けています。

 中国の戦い方の特徴は、軍服を着て戦うのではなく、国際法を無視して、一般市民を装って不意打ちしてくることです。一般人になりすまして弾を打つのですから、反撃すると一般人を殺したように見えてしまいます。犠牲になった人は気の毒ですが、それは日本が悪いのではなく、中国が国際法を破っているから民間人の犠牲になったのです。

 ですから日本は「われわれは国際法を守って戦った」と堂々と言えばいいだけの話です。「ルール違反も虐殺も日本はしていない。中国の方こそルール違反や虐殺をしていた」と、証拠を出して主張し、論破すればいいだけです。[1, p81]
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 国際法や条約をもとに主張すべきことを主張するのは、傲慢ではない。逆に国際法や条約を無視した言い分に屈してしまうのは、謙虚ではなく卑屈である。

 謙虚と卑屈の境目は「筋を通した生き方」をするかどうか、というところにあるのだろう。そして傲慢とは、その「筋」を超えて、自己主張をすることである。筋を通しつつ、思いやりに満ちた接し方をすることが、謙虚な生き方なのである。


■7.「自分が悪くなくても謝ってしまう傾向」

「罪もないのにいつまでも悔い改めている」というのが、モーガン氏が感じる日本の特徴だそうだ。

__________
「自分が悪い」と素直に認めるのはいいことですが、事を荒立てたくないからなのか、日本人は、自分が悪くなくても謝ってしまう傾向があります。・・・

 実はアメリカ南部出身の私も、日本人に近いそのような精神性があります。南北戦争に負けた者たちの子孫だからでしょうか。悪くなくとも「I'm sorry.」とついいってしまいます。

 北部に住んでいた時の私は、常に謝っていました。バスが遅れて職場に遅刻した時も「ごめんなさい、すみません、申しわけないです」と。「悪いのは遅れたバスで、お前が悪いわけじゃない。謝るな」とよく言われました。これは一人私だけではなくアメリカ南部人一般の気性と言えなくもありません。そこは、わりと日本人に近いメンタリティーなのです。[1, p3]
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 自分が悪くても謝らない傲慢な国々に囲まれて、事を荒立てないために、こちらが悪くなくとも謝ってしまう。それは謙虚ではなく、筋を曲げた卑屈さなのである。


■8.国際社会で筋を通した謙虚さを

 モーガン氏が反省を求める相手として、アメリカ、中国、韓国を挙げているのは興味深い。これに北朝鮮を加えれば、おそらくこの4国はその傲慢さから、世界で最も嫌われている国であろう。

 世界には200近い国や地域があるが、その大半は人口や経済規模からいっても小国である。そのために自ずから謙虚な生き方をしている国がほとんどである。そして、わが国は世界有数の大国であるにもかかわらず、世界中から謙虚な国として評価されている。

 現在の国際社会は、国家は規模にかかわらず対等だというのが原則であるから、日本がどんな小国に対しても謙虚に対等に付き合っている様は、筋を通した謙虚さとして国際社会に大変好ましく受けとめられている。

 逆に、中国や韓国、北朝鮮の国際法や条約も無視した傲慢さは、多くの国が嫌い、警戒している。従って我が日本が筋を通して、この3国に国際法や条約を守る事を要求することは、国際社会全体にとっても、好ましい影響を持たらすはずである。我々日本人が学ぶべきは、そうした「筋を通した謙虚さ」なのである。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594075681/japanontheg01-22/
アマゾン「日本史一般」カテゴリー1位 総合61位(H28/9/13調べ)

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■伊勢雅臣『世界が称賛する 国際派日本人』に寄せられたアマゾン・カスタマー・レビュー

■評価★★★★★ 国際人=愛国者ということに気づきました(結一さん)

 本書には十数名の先人達が紹介されていますが、いずれも日本人としての「根っこ」を共に有しております。その「根っこ」とは何かといえば、おそらく、愛ではないかと思うのです。

 たとえば果樹栽培の専門家である近藤亨さん。飢えに苦しむ子どもたちのために、70歳で単身ネパールに旅立ちました。
…って、え、何故?何でそんなことするの?
そんなの、愛がなければ、説明のつかない行動でしょう。

見ず知らずの人に注ぐほどの溢れんばかりの愛がある。そしてその愛は、自分の国に対しても、当然注がれているわけです。余程、ひねくれてないかぎり。そのことを愛国心、あるいは愛国者という。そのどこが危ない思想?と思います。

世界に打って出る日本人ほどの情熱、エネルギーを持つ「国際人」は、我が国のこともまた強く愛する「愛国者」ではないかと思うので。
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. ジェイソン・モーガン『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』★★★、扶桑社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459408012X/japanontheg01-22/

2.北野幸伯「ロシア政治経済ジャーナル No.1788 ★日本の宝ジェイソン・モーガンさんとは?」
https://archives.mag2.com/0000012950/20180701001000000.html

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