自由律俳句とアートをこよなく愛する”ゆ”の掲示板にお越しくださりありがとうございました。
荒らし多数のため、エンターキー式になりました。外人さんは日本語読めないので、もっと良い安が浮かぶまではこの方式で進めます。
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韓国人とベトナム人の混血児が戦後放置された
2013/06/02
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」第3948号2013年5月23日より転載

(読者の声4) ベトナムのビンホア村にある「韓国軍憎悪碑」には、以上のように書かれていると或るブログから知りました。
転載します。
「(引用開始)天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された」(引用止め)
ベトナムのビンホア村にある「韓国軍憎悪碑」には、以上のように書かれています。
確かに、ベトナム戦争の時、韓国軍に慰安所はなかった。が、韓国軍兵士は、十万人単位のベトナム人女性を強姦し、その一部を虐殺した。結果、数万人(最大3万人と言われるが正確な数は不明)のライタイハン(韓国人とベトナム人の混血児)が戦後、放置された。この事実を、韓国政府は否認することができないでいる。が、このことに言及することもない。要は、都合の悪いものには蓋、だ。 そして、その虐殺・強姦犯=韓国軍の同盟軍が米軍だった。橋下が「アンフェア」だと言うのはよく解る。 米軍にも慰安所があり、慰安婦がいた。韓国軍は現地女性を大量に強姦し、挙句に虐殺した。私たちは、このことを糾弾しなければならない。 韓国や米国の「橋下批判」を「天に唾する」と言うのだ。
   (TK生、目黒)

慰安婦像を建てることへの抗議の公開書簡
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第3950号2013年5月25日より転載

(読者の声5)「慰安婦問題緊急集会」のご案内です。橋下発言をめぐって、慰安婦問題を歪曲する論調が広がっています。もともと慰安婦問題の本質は、「若い女性を強制して慰安婦にしたというウソ」「歴史捏造」に他なりません。それを女性の「人権問題」にすり替え、日本の過去の糾弾、元慰安婦への謝罪へ持っていこうというのは、まさに犯罪行為に他なりません。
 日本在住のアメリカ人歴史家マックス・フォン・シュラーさんは、グレンでール市に慰安婦像を建てることへの抗議の公開書簡を作成し、発送しようとしていますが、その中で、TIMEとABC NEWSの、記事写真を示して「自分たちの国である韓国では、売春婦たちが権利を主張してデモを起こしています。それなのに、韓国人はなぜ日本を売春の罪で告発するのかでしょうか?」と述べています。
http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,2072487,00.html
http://www.nbcnews.com/id/43650531/ns/world_news-
asia_pacific/t/s-korean-sex-workers-threaten-set-
themselves-fire-protect-their-brothels/#.UVoTg4VmGv9
 要するに「売春は女性の権利侵害」という主張は、少なくとも韓国売春婦からは厳しく否定されているわけで、慰安婦問題に「女性の権利」問題を持ち込むことは見当はずれ、というより詐欺的な歪曲です。問題の本質は「強制」があったかどうかです。
 問題歪曲の流れを正し、慰安婦問題の真実を訴える緊急集会が下記の通り、来週28日(火)に開催されます。
          記
新しい歴史教科書をつくる会 緊急国民集会 橋下発言と「従軍慰安婦」問題の本質


韓国は今や世界的に悪名高い買春大国
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第3894号 2013年3月6日(水曜日)

(読者の声3)以前の投稿で、韓国人の売買春が世界中に拡散していると指摘しました。3月3日付の朝鮮日報コラムでも触れています。
【コラム】世界に進出する韓国の「夜の文化」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_
dir/2013/03/03/2013030300152.html
(引用始め) 『認めたくはないが、韓国は今や世界的に悪名高い買春大国となった。「東南アジアの買春利用客1位は韓国人」という先日の刑事政策研究院の報告書は、われわれが漠然と予想していた事実を確認させてくれた。研究院の調査チームに対し、東南アジア現地の市民団体は「わが国の売春産業の最も頼りになるスポンサーは韓国だ」と含みのある言葉を残したという。国連の麻薬犯罪局の報告書でも韓国の男性は「東南アジアの児童買春の主な顧客」と規定されている。本当に「とんでもない」韓国人男性だ。』(中略)『韓国は売買春の需要と供給の両方で活躍している。男性の買春欲求はどの国よりも強く、供給の面では生計のためではなく美容整形やブランド品購入のための「ぜいたく型売春」を行う女性が大量に市場に流出している。あらゆる新手法を考え出す売買春産業の「革新的な」能力は驚くほどだ。ルームサロン(高級個室バー)、マッサージ店から、キスルーム、抱擁ルーム、休憩ホテル、オフィスルーム(オフィスのような形態で外からは分かりにくい売春店)のような奇想天外な業態がどんどん生み出され、絶え間なく進化し続けている。』『恥ずかしい話だが、韓国の売買春産業は高度成長期に製造業が成功した秘訣(ひけつ)を思い起こさせる。韓国の性産業は世界でも例を見ないほど工場型の大量生産システムになっている。企画化された工業製品のように性商品を大量に製造し、大量に販売する。その最新形態が最近はやっている、いわゆる「フルサロン」だ。ルームサロンとホテルを空間的、機能的に合わせたフルサロンは、韓国の性産業が創造した、まれにみる革新商品といえるだろう。フルサロンで行われる売買春の過程は、まるで自動車工場の組み立てラインのようだ。日本人向けの紹介サイトには、ソウル・江南のフルサロンの利用法を3段階で説明している。(1)俗称「マジック・ミラー・チョイス」でパートナーを選び(2)60分間飲酒や歌や踊りを楽しみ(3)ホテルの部屋に移動して30分過ごす―というものだ。ベルトコンベヤーの作業ラインの上で売買春という製品が段階別に組み立てられていくようなものだ。フルサロンは超大型の性工場だ。昨年オーナーが逮捕されたYフルサロンは180室の個室と400人の女性従業員を抱えていた。警察の推定によると、ここで1年10カ月の間におよそ8万8000回の売買春が行われていたという。早い時間に来ると割引もあり、待つ客に番号札を渡す場所もあった。これが、所得2万ドルの先進国であることを誇る韓国の、浅はかな夜の文化だ。
「夜の江南スタイル」は韓国人が行く所なら世界中どこでもついて回る。米国、オーストラリア、中国などのコリアン・タウンにも確実に輸出され、現地に根付いている。数日前にはとうとう北京のフルサロンで韓国の会社員2人が逮捕され、国外退去処分を受けた。かつてわれわれは「キーセン(妓生=この場合は売春婦)観光」に来る日本人を軽蔑した。今度はわれわれが軽蔑される側になっている。』

韓国人にも「恥」という感覚があるのですね。
であれば、なぜ慰安婦問題をあれほど声高に叫ぶのか。朝鮮半島や済州島の若い女性が日本軍に連れ去られた、という韓国人の主張(吉田清治の虚言を朝日が大々的に取り上げたものがネタです)が仮に事実であったなら、当時の朝鮮の男たちはよほどの腰抜けと罵られてもおかしくない。
中国・朝鮮(韓国)の弁論は事実かどうかはどうでもよく、大声で相手を言い負かしたほうが勝ち。
中韓相手には事実関係での正確さを前提にしながらも相手の弱みをとことん突く弁論術が必要なのですが日本人には苦手です。韓国人が韓国女性を騙して日本で売春させているのに、「日本政府は人身売買を許すな〜、女性の人権を守れ〜」、となんでも日本が悪いという韓国。
韓国が「慰安婦」とひとこと言うたびに、「夜の江南スタイル」がなにをふざけたことをいう、と10倍言い返さないと韓国の反日病は治らない。韓国に「アメとムチ」のアメは通じないことは朝鮮総督府の頃から、「朝鮮人は対等の観念がない、優しさと弱さの区別がつかない、情けは掛け捨てにせよ」といわれていたことからも明らか。韓国の新政権を見ると今まで通り弱者の恫喝をするつもりなのは明白ですが、それはもはや通用しないことを明らかにし、後はひたすら無視あるいはムチをふるうしかないようです。
   (PB生、千葉)

安婦記念碑計画NJフォートリーに反対のメッセージ
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第3919号2013年4月9日より転載

(読者の声1)新たな慰安婦記念碑計画NJフォートリーに反対のメッセージを送ろう!
新たな慰安婦記念碑が計画されているニュージャージ州のフォートリー。現在、韓国系団体間で意見の相違が出ているのに加え、現地から慰安婦記念碑に対する疑問の声も上がっているようです。これまで皆様に御協力いただいてきました、メッセージ運動の影響がでてきています。
慰安婦記念碑反対!の意見を、フォートリー市長、議員、そしてメディアの記者達に送りましょう!
送り先メールアドレス、メッセージ英文サンプルを纏めました。
詳細は↓こちらをご覧ください。
sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=3318
日本の名誉を護るため、一つでも多くのメッセージが届きますよう、ご協力お願いいたします。
<参考ニュース>慰安婦碑建設計画に対しアメリカ現地住民が反発 「韓国人を追い出せ」「必ず中断させろ」
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/
333f4a507f195ab2c9705bc4f6e30455
Korean Group Warns Officials To Change Memorial Or Face Opposition at Polls
http://fortlee.patch.com/articles/korean-american-group-to-mayor-council-revise-
memorial-wording-or-
face-strong-opposition-in-election
Critics cause Fort Lee to reconsider monument honoring Korean WWII prostitutes
http://www.nj.com/bergen/index.ssf/2013/04/
critics_cause_fort_lee_
to_reconsider_monument_honoring_
korean_wwii_prostitutes.html
Controversy puts planned ‘comfort women’ memorial in Fort Lee on hold
http://www.northjersey.com/fortlee/Controversy_
puts_planned_comfort_women_memorial_in_Fort_
Lee_on_hold.html

御協力お願い
引き続き御協力お願いいたします。
『慰安婦 強制連行 20万人 性奴隷』は事実無根!米国メディアにメッセージを送ろう!
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=3036

米国 黒人系メディア リスト
韓国系の黒人(African American)への差別が酷く、一般に仲が悪いことが知られています。黒人系メディアの連絡先、一斉送信用メアドリストを纏めました。米国における韓国系の慰安婦プロパガンダを知ってもらうのにご利用ください。
米国 黒人系メディア一覧 List of African American media companies
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=3307

(正しい歴史を次世代に繋ぐネットワーク なでしこアクション 
http://sakura.a.la9.jp/japan/
(代表 山本優美子)

沖縄は中国の領土なのか?
2013/06/02
Japan On the Globe(80) ■国際派日本人養成講座■H25.06.02 より転載
地球史探訪 : 沖縄は中国の領土なのか?

 沖縄が我が国の領土であるのは、多くの先人たちの努力の結果である。

■1.中国の沖縄領有論

 中国は尖閣諸島のみならず、沖縄の領有権についても主張し始めた。次のように報じられている。[1]

__________
 8日付の中国共産党機関紙、人民日報は第2次大戦での日本の敗戦により「琉球の領有権」は日本になくなったとした上で、沖縄の「領有権」問題を議論すべきだと訴える論文を掲載した。・・・

 論文は政府系の中国社会科学院の研究員らが執筆。琉球王国が歴代の中国王朝に対して朝貢を行う「冊封国」だった経緯を説明した上で「琉球王国は明清両朝の時期には中国の属国だった」とした。

その上で「(当時は)独立国家だった琉球を日本が武力で併合した」とし、尖閣と同様、日本が敗戦を受け入れた時点で日本の領有権はなくなったとの認識を示した。
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 領有権論争を沖縄まで広げておいて、尖閣諸島の対立を有利に展開しようという狙いであることは明白だが、こういう問題は一笑に付していてはいけない。国際社会では、日本側が黙っていれば、言った者勝ちになってしまう。


■2.中国領有論の変化球としての沖縄独立論

 今回は、菅官房長官がすかさず「(論文が)中国政府の立場であるならば断固として受け入れられない」と反論したが、こういう問題では国民一人ひとりが史実を踏まえた上で、政府の主張を支持する必要がある。

 中国も日本の国民世論の反応を見ながら手を打っているので、国民の間で轟々たる非難の声があがれば、それが中国に対する抑止力の一つとなる。逆に国民が醒めた態度でいれば、中国は「隙あり」と見て、さらに攻勢を強めるだろう。

 中国の沖縄領有論の根拠については、弊誌393号「超速! 沖縄・琉球史」で吟味した。そこでは、薩摩藩が実質的に琉球を支配下に置きながら、琉球を通じて間接的に対清貿易を行っていた。そして、そのために、形式上、清国の服属国という形をとっていたのだ。しかし、服属国という形式は、その後の日清間の外交で、けりがついている。

 中国領有論のバリエーションとして沖縄独立論がある。沖縄はもともと独立国家だったのに、日本に併合されて独立を失った、という史観である。もし沖縄が独立できれば、当然、沖縄経済は自立能力がないので、中国に頼らざるえず、その衛星国として中国の覇権下に組み入れられてしまう。

 今回は、沖縄に関する日中の駆け引きを歴史的に辿ってみたい。そこから、国家にとっての領土とは何なのか、が見えてくる。


■3.沖縄の中にあった中国人コロニー

 沖縄の歴史が明瞭になってくるのは、12世紀頃からだ。源為朝が沖縄本島南部の豪族の娘との間にもうけた舜天(しゅんてん)が王となり、沖縄を統一したと言われている。沖縄の旧家の長男に「朝」の字が多いのは、「為朝」にあやかりたいという願望からだと言う。[2,p71]

 1372年に、舜天の子孫の察度王(さつどおう)が明の光武帝に朝貢を求められ、恐る恐る従ったら、その莫大な返礼を見て驚いた。以後、琉球王国は中国の華夷秩序に依存し、明との朝貢貿易で稼ぐようになる。

 明は鎖国政策をとっており、外国船の出入りも朝貢船に限定されていた。明と貿易をしようとすれば、明の服属国として朝貢貿易をするしかなかったのである。さらに明は冊封国に中国人を在留させて、朝貢貿易の政務を担当させた。那覇市内の久米という地域が、中国人の居留区となっていた。

 寛永21(1644)年、明が滅び、清が成立したとき、満洲族の支配を忌避して、明人(漢民族)の36姓の部族が亡命してきた。現知事の仲井真弘多氏、前知事の稲嶺恵一氏とも、この36姓の子孫である。

 久米では19世紀になっても中国語が話されており、日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に置こうと画策していた。現在も約3千人の県民が中国子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を運営し、団結は固い。

 歴史的に戦乱や飢饉の続く中国大陸から大量の難民が国外に脱出してきたが、その子孫が東南アジアでは多くの国で華僑として経済的実権を握ったり、またサンフランシスコやバンクーバーでも閉鎖的な中国人コロニーを築いて、現地社会との摩擦を起こしたりしている[a]。そのミニ版が沖縄にもあったのである。


■4.薩摩藩の琉球経由の中国貿易

 慶長14(1609)年、薩摩軍が約3千人の部隊をもって琉球に進攻した。慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦以降、外様となって財政難に陥っていたこともあって、琉球王国の朝貢貿易に着目したのである。

 琉球士族は公家のような贅沢な生活に慣れており、簡単に薩摩軍の占領を許した。島津家久は、尚寧王以下、百余名を江戸や駿府に帯同して、徳川家康、将軍秀忠に拝謁させ、島津家は幕府から琉球太守に任ぜられた。

 薩摩は琉球経由の間接貿易に力を入れた。沖縄のサトウキビを大阪市場で独占販売し、その利益で本土の文物を沖縄に送り、中国に朝貢させて、その返礼で巨大な利益を上げる、というシステムである。薩摩の役人が琉球王府役人に扮して進貢船に乗り込んだりもしていて、中国側も気がついていたが、利益のためには目をつぶっていた。

 琉球王府は北殿を日本式に、南殿を中国式に建造して、それぞれの使節を歓待していた。王族一門も朝貢貿易から上がる利益で、奢侈な生活を営んでいた。

 薩摩藩も、この間接的な中国との貿易で得た経済力を使って、倒幕、明治維新を果たしていくのである。


■5.「これほどまでに不幸な生活をしている人民は見たことがない」

 その一方では、中国式官僚国家を築いた琉球王家の支配の下で、人民は悲惨な生活を余儀なくされていた。その一つに、明治の廃藩置県まで4百年間も続いていた「地割制」がある。

 これは農民の土地私有を許さず、集落単位で8公2民の重税をかけ、さらに耕作地を2〜3年、離島地域では10年ごとに交代させる一種の原始共産制であった。

 台風と干魃(かんばつ)が交互に訪れる沖縄では、本土式農業は定着せず、絶えず深刻な食糧不足に悩まされていた。そして、各地で謀反や一揆が続発していたので、それを抑えるために編み出されたのが、この制度であった。

 土地の私有が許されず、しかも数年毎に「地割替え」では、農民は農地を開拓したり、改良したりするはずもない。また、各集落には王府から探偵が配置され、謀反を起こす恐れのある者を徹底的に摘発した。

 江戸時代には、すでに本土では識字率男子50%、女子25%と世界最高水準を達成していたが、沖縄では農民は一切、文字も読めず、自分の名前も書けない状況にあった。

 嘉永6(1853)年、沖縄に寄港したペリー提督が「メキシコの労働者を除けば、これほどまでに不幸な生活をしている人民は見たことがない」と述べている。

 明治34年に、最後の琉球王・尚泰が亡くなった時、当時の奈良原繁沖縄県知事が「喪に服するよう」県民に指示したが、従ったのは旧王都首里の士族だけで、本島北部金武村にいたっては、祝いの綱引き大会を二晩にわたって行ったという。


■6.中国帰化人「支那党」の暗躍

 明治4(1871)年、沖縄に廃藩置県、四民平等の太政官令がもたらされた。しかし、中国帰化人の「支那党」がことごとく反対し、琉球王を「絶対に日本につくな」と恫喝し、民衆には「(清国の)黄色い軍艦が間もなく沖縄に救援に来る」と説いた。

 明治6(1873)年、沖縄の年貢運搬船が台湾に漂着し、乗組員54名が蛮族に殺害された事件が起こった。日本政府は沖縄の統治権を主張して、清国に賠償を要求した。

 中国は沖縄への日本統治権を認めながらも、「中国は台湾の領有権を有していない」と賠償を拒否した。このため、日本は明治7年4月、36百名の陸軍部隊を台湾に送って、蛮族を攻撃した。慌てた清国政府は日本の要求を全て呑んだ。

 沖縄人民が殺害されて、日本に賠償を支払ったということは、沖縄が日本政府の統治下にあることを認めたことになる。そんな状況下でも、琉球王府は明治7(1874)年11月、独断で北京に朝貢使を派遣した。

 さらに廃藩置県にも抵抗を示したので、日本政府は明治12年3月、警官160名、陸軍歩兵400余名を送って、強制執行を行った。王府役人は一人として反抗するものなく、あっさり首里城を明け渡した。しかし、その後も支那党は反日活動を続け、清国総理・李鴻章に琉球救援を依頼したりした。

 初代県令・鍋島直彬は教育普及のために、小中学校を設置し、本島には師範学校を創設したが、長きにわたる地割制の愚民政策で県民の向上心は皆無に近く、効果は上がらなかった。明治18(1885)年には、本土における就学率は男子66%、女子32%に上っていたが、沖縄は明治30(1897)年になっても、男子がようやく30%、女子にいたっては5%以下に過ぎなかった。


■7.「沖縄近代化のためには命などは惜しくない」

 明治25(1892)年7月、沖縄改革のピンチヒッターとして、鹿児島出身の奈良原繁が宮中顧問官から県知事として着任した。奈良原は生麦事件で英国商人を斬殺した剣豪と噂され、「沖縄近代化のためには誰が何と言ってもあとには退かない。命などは惜しくない」と語って、支那党を戦慄させた。

 奈良原はその以前から沖縄への思いが深く、明治5年1月に薩摩藩士として琉球王府を訪れ、同藩の琉球への債権5万円を放棄し、それを貧民救済にあてるよう通知している。

 奈良原知事の在任3年目の明治27(1894)年8月に日清戦争が始まった。沖縄県内では日清両国の勝算をめぐって支那党と白党(日本党)が衝突し、乱闘事件が頻発した。支那党は徒党を組んで神社仏閣に詣でて、清国の勝利を祈った。県庁職員や県外出身の商人は自警団を組織し、一時、子女を本島中部の山間部に疎開までさせた。日清戦争での日本の勝利は、奈良原に絶大な追い風として作用した。

 奈良原は15年間も沖縄県知事を務め、農地解放と土地私有制の確立、女子を含む教育制度の普及、那覇港などの産業インフラの確立で沖縄の近代化に貢献した。奈良原の知事ぶりに関しては、こう評されている。

__________
 歴代の知事として何れも教育を尊重しない方はもちろんなかったが、奈良原知事は特に教育に重きをおかれ、よく県下の学校を巡視し、学用品を贈与せられ、親しく児童に接して懇諭激励を与えられる。[1,p93]
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 奈良原の着任当時の小学校就学率はわずか18%弱だったが、離任時には93%まで上昇した。

 明治41年4月、離任した奈良原の功績を顕彰するため、県民は那覇市奥武山公園中央に銅像を建立した。その隣には明治36年に建てられた改租記念碑(地割制廃止記念碑)があった。


■8.沖縄を本土から引き離そうとする策謀

 明治41(1908)年以降、沖縄には特別島嶼町村制が施行されていた。「特別」となったのは、いまだ経済基盤が整わず、県財政の70%もの国庫補助を受けていたからである。

 それでも大正5(1916)年頃から、「本土並みの地方自治」を訴える県民運動が展開された。廃藩置県に抵抗した沖縄が、今度は本土並みの要求をするまでになった。県財政を考えれば無理があったが、国民意識の浸透という点では、それまでの日本政府や奈良原知事などの努力の結果と言えるだろう。

 沖縄戦では、多くの民間人が軍と一緒になって戦い、犠牲となったが、それも本土との一体化を目指した今までの努力があったからこそである。そして玉砕に際して、沖縄根拠地隊司令官・大田實海軍中将が送った「沖縄県民斯ク戦へり、県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」との電文は、多くの県民の心を慰め、戦後は心ある政治家を動かして、沖縄の祖国復帰の原動力となった。[b,c]

 しかし、沖縄を本土から引き離そうとする策謀は、戦後も続く。米軍占領下、「沖縄人連盟」が結成され、7万人の会員を擁して、沖縄独立、地割制の復活を主張した。日本共産党は「沖縄民族は少数民族であり、歴史的に搾取、収奪された民族」として、沖縄独立論を唱えた。

 昭和33(1958)年11月、沖縄でも台湾国民党政府の支援の下で琉球国民党が結成され、沖縄独立を画策する。また、沖縄戦で日本軍が沖縄の民間人を虐殺したというプロパガンダが、大江健三郎など左翼知識人によって流布された。[d,e,f]

 今回の中国の沖縄領有論も、こうした流れに乗った動きの一つである。現代の日本人は戦後の温室の中での経験しかないので、「そんな馬鹿な」と思うだろうが、沖縄が日本の一部となっているのは、我が先人たちの必死の努力の結果なのである。

 それが一つ間違えれば、今の北朝鮮のような国が沖縄に存在していたかも知れないのである。そうなっていたら、沖縄県民の不幸は言うに及ばず、エネルギー輸入や工業製品輸出のシーレーンの喉元を握られて、戦後日本の高度成長も繁栄もなかったかも知れない。 そういう日を我々の子孫が迎えなくとも良いように、現時点で最大限の努力をするのは我々の責務なのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(784) 中国の列島蚕食
「日本列島は日本人だけのものではない」が現実になる日。
http://blog.jog-net.jp/201302/article_1.html

b. JOG(643) 「沖縄県民斯ク戦へり」(上) 〜 仁愛の将・大田實海軍中将
 玉砕寸前の海軍司令部から「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と電文が発せられた。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_9.html

c. JOG(644) 「沖縄県民斯ク戦へり」(下) 〜「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ」との祈り
 大田實中将の電文に感銘した多くの人々が、沖縄の為に尽くした。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_8.html

d. JOG(472) 悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話
 「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との神話が崩されつつある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h18/jog472.html

e. JOG(沖縄戦「住民自決命令」(上)〜 神話の創作者たち
「住民自決軍命」の神話を創作した沖縄タイムスは、米軍の御用新聞だった。
http://blog.jog-net.jp/201111/article_1.html

f. JOG(723) 沖縄戦「住民自決命令」(下) 〜 神話との戦い
http://blog.jog-net.jp/201111/article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)

1. MSN産経ニュース、H25.5.9「沖縄の領有権『日本にはない』 中国共産党機関紙が論文」

2. 惠隆之介『誰も語れなかった沖縄の真実 ──新・沖縄ノート』★★、ワック、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898311644/japanontheg01-22/

アメリカよ恥を知れ
2013/05/29
外国特派員協会で慰安婦問題を語る
西尾幹二   WILL 2013 6月超特大集号より転載

 2013年4月4日に、日本外国特派員協会で次のごとき意見陳述を行った。外国メディア向きの昼食付き記者会見である。
 送られてきたペーパーには、「安倍総理大臣が河野談話の見直しの必要性について言及をしましたが、日本政府が今後どのように従軍慰安婦問題を含む歴史問題に取り組み、アジアの近隣諸国と向き合うべきなのか」と書かれてあった。
 従軍慰安婦問題は韓国タームと思われていたが、近年、アメリカ議会が相次いで対日非難決議をするので局面が大きく変わった。日本外交の壁をなしているのは、いまやアメリカである。
 与えられた時間は通訳を入れて約20分、私の持ち時間は多分、その半分と見て、ターゲットをアメリカに絞って、用意していたペーパーに基づき次のような話をした。アメリカ人特派員に聞かせるのが目的である。
 これを、外務省がやろうとしない日本側からの反撃の狼火としてもらいたいとの切なる願いに発している。

意見陳述

 アメリカ合衆国は2007年7月30日、下院において慰安婦問題決議を行い、この事件を(決議文一部抜粋)、Whereas the”comfort women" system of forced military prostitution by the Government of Japan. Considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;(日本政府による軍隊向強制売春である「慰安婦」システムは、その残忍さと規模において前例を見ることのない、結果に於いて四肢切断、死亡または自殺まで引き起こした強姦、強制中絶、侮辱のシステムであり、20世紀における最大の人身売買事例の一つである〜) と規定し、今年に入ってニューヨーク州議会上院、ニュージャージー州議会下院において同様の議決を行ったことは、許しがたい誹謗で、憂慮に耐えません。
「慰安婦」という人たちは当時いました。世界には貧困のために、あるいは他の理由で、不幸にして自分の性を売らなければならなかった人たちはいました。しかし日本が国家としての権力を使って強制的に女性たちに性を売らせたという事実はありません。
 ましてや20万人に近い若い女性が拉致され、トラックに積まれて戦地にはこばれたなどという事実は荒唐無稽で、どこを探しでも証拠は出て来ないのです。もし当時の朝鮮でそういうことが起これば、当然暴動が起きたでしょう。
 当時の朝鮮の警察官の8割までが朝鮮人でした。最初のウソが積み重なって、日本政府の弁解のまずさもあり、誤解の輪を広げました。どのようにしてウソが始まり、全体がどのような経過を辿ったかは、後ほど質問があれば時間の許す限りお話しします。アメリカ議会はこのことをしっかり再調査し、各決議を撤回していただきたい。
 そもそもアメリカに、あるいは世界各国に、戦争と性の問題で日本を非難する資格はありません。 元都立大教授、東洋大学良の磯村英一氏は、敗戦のとき渋谷区長をしていて、米軍司令部(GHQ)の将校から呼ばれて占領軍の兵士のために女性を集めろと命令され、レクリエーション・センターと名づけられた施設を作らされました。 市民の中には食べ物も少なく、チョコレート一枚で身体を売るような話も広がっていた時代です。磯村氏は慰安婦問題が国際的話題になるにつれ辛くて、自国の女性を米軍兵士に自由にされる環境に追いやった恥を告白せずにはいられない、と俄悔しています(「産経新聞」1994年9月17日)。

 米国に謝罪と賠償を要求

 穏健な良識派で知られる日本芸術院長の三浦朱門氏は、次のように記しています。
「また軍隊と性という問題としてなら、戦後の米軍が憲兵と日本の警察を動員して一定街路を封鎖して全ての女性の性病検診を行ったこと、その際、娼婦でない女性がまきこまれたことも書いてほしい。レイプもあった。事件のほとんどはヤミからヤミに葬られた……」(「産経新聞」1996年8月2日)
 パンパンとかオンリーという名で呼ばれた「日本人慰安婦」が、派手な衣裳と化粧でアメリカ兵にぶら下がって歩いていた風俗は、つい昨日の光景として、少年時代の私の目に焼きついています。いいですか、これは米軍による日本人慰安婦なのですよ。米軍によるこの日本人慰安婦の数は、およそ20万人いました。
『りべらる』という雑誌には、若い女性が特殊慰安施設に連れて行かれて初めての日に処女を破られ、一日最低、15人からの戦場から来たアメリカ兵の相手をさせられ、腰をぬかし、別人のようになったさまが手記として残っています。
「どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの鴫咽がきこえてきました」「2、3カ月の間に病気になったり、気がちがったりしました」「これは何年にもわたって、日本全土にわたって行われたことの縮図だったのです」(1954年11月号)
 これは、戦争が終わって9年目の記事です。
 日本をいま告発するアメリカ議会、キリスト教団体等に、貴方たちの父や兄が何をしていたかを知り、恥を知れと言いたい。
 日本政府は、アメリカに謝罪と賠償を要求するべきです。もしそれができない、政府にそのつもりがないというのであれば、日本も慰安婦問題についていかなる謝罪も賠償もすべきではありません。国際関係は何よりも、相互性と公平公正を原則とします。
 アメリカは日米戦争において自国の正義を守るために、日本を残虐非道の国であったとしておきたい。さもないと、原爆や東京大空襲をした歴史上の犯罪を正当化することができないのでありましょう。

 日本兵士の武士道

 2007年以後のいくつもの米議会の慰安婦決議は、いままで親米的であった日本人、戦後アメリカの反共政策に協力してきた日本の保守層(たとえば私もその一人ですが)を苦しめ、苛立たせています 今後、この間題をアメリカが謙虚になって取り下げなければ、無実の罪を負わされて傷つけられた日本人の感情は内攻化し、鬱屈し、反米的方向へ走り出す可能性があります。
 一番いけないのは、日本をホロコーストを犯したナチスの国・ドイツと同列に並べて裁こうとするあまり、慰安婦問題を針小棒大に描き出すことです。
 ここに重要なドイツ語文献、フランツ・ザイドラー『売春・同性愛・自己毀損−ドイツ衛生指導の諸問題、1939−1945』という本、おそらくドイツですら忘れられている本の表紙と目次のコピーをもって来ました。完璧な国家売春を行っていたのは、ドイツなのです。この本にはドイツの実態、衛生管理、売春宿経営、一般女性の拉致監禁が科学的に報告されています。
 ナチ管理下の売春では人種間題があり、ドイツ人士官や党幹部がユダヤ人女性と性交すれば、死刑でした。あらゆる点で西欧と東欧ではやり方が違っていて、オランダやノルウェーなどでは公娼制度が施設として利用されました。しかし、ポーランドやソ連地区では公娼制度が存在せず、ドイツの前線司令官は、半ば強制処置をもって売春婦になる少女たちをかき集めました。
 それでもドイツの慰安婦問題がなぜ話題にならなかったのかといば、ナチスのそれ以外の犯罪があまりに巨大で、極悪で、慰安婦の一件は影が霞んでしまったのです。ホロコースト、殺人工場、人体実験、不妊断種手術、安楽死政策というナチスの犯罪と比べれば、世界中、大昔からどこにでもある「軍隊と売春」の犠牲者の悲劇は一線に並べることもできません。
 日本の戦争をドイツの戦争と同じように捉え、ホロコーストもしていない日本をドイツと同じように扱うために慰安婦問題を大げさに言い立てるのは、あまりにバカげています。韓国はベトナム戦争に参戦し、7千人ー2万人の私生児を残してきています。
 最後に一つのエピソードを申し上げて終わりとします。
 中国雲南省の最前線で米軍に追い詰められたある日本部隊は、隊内にいた朝鮮人慰安婦を、お前たちは生きて帰れと米軍側に引き渡し、日本人慰安婦は兵隊とともに玉砕した、という事件もあります。日本の兵士たちは武士道をもって戦ったのです。

 質疑応答

Q:1933年から1945年の間に、日本政府は戦争犯罪を起こしたとお考えでしょうか。あるいは、何も起こしていないとお考えでしょうか。
西尾:各国並みの一般の戦争犯罪は起こしたかもしれませんが、慰安婦問題については戦争犯罪を起こしていないと私は思います。河野談話のなかに「一定の強制があった」ということが書き込まれているわけですが(註・正確な表現は「官憲等が直接これに加担した」)、その文章を作成した官僚を問い詰めた結果、その官僚は、それはオランダの事件を語ったものであって、韓国の事件を語ったものではないという弁明をしました。
 オランダの事件というのは、インドネシアにいたオランダ人女性が強制的に売春を強いられたという事件です。これは戦争中に責任者は軍法により処罰されて、その慰安所は閉鎖されています。 ということは、軍がそのようなことをしてはならないということをむしろ表明しているわけです。しかも、戦争が終わってからBC級戦犯として、その日本兵は死刑になっている。問題はそのような形で解決しているわけです。その問題を日本の官僚が頭に置いて一定の強制性があったという言葉を河野談話のなかに入れた。しかし、これは誤解を招くやり方でした。
 官僚というのはずるいので、どちらから言われても文句が出ないように(註・すでに謝った宮澤首相もおかしいといわれないように)するために、強制はあったと言って、一面で強制はなかったかのような、そこを明確にしないでおいたというところが、日本の官僚の悪質かつ国を滅ぼす危いところです。本当に日本の官僚はダメなんですが、そのようなことが背後にあったと申し上げます(河野談話と官僚の一件は、西岡力氏の『WiLL』2007年8月特別号の論文を参考にさせていただいた)。

Q:戦時中に現地の日本軍人による性犯罪があったと思われるのか、ないと思われるのか。そして、それがもしあったとしても全軍的、組織的犯罪でなかった場合は日本政府は謝罪すべきではない、というお考えと理解してもよろしいでしょうか。
西尾:世界のあらゆる軍が慰安施設を持っているということには、二つの理由があります。
 まず、兵士の性病を防止する。軍事力の低下を防ぐためです。第一次世界大戦時のドイツはこれで失敗しています。自分たちの軍を病気から守るということが挙げられます。
 第二に、一般市民の女性の貞操を守る。そのために、売春を商売とする一定の女性を対象とした慰安施設を軍が管理する。これは世界各国が行っていることです。いまでもあらゆる国で行っていることです。これを犯罪だとするならば日本も犯罪を犯したことになりますが、これを犯罪ではないとするならば日本も犯罪を犯したことにはなりません。そのようなことはどこの国でもやっていることだということを申し上げているわけであって、それをもって賠償だの謝罪だのというのは腹を抱えるほど可笑しな話です。 

 騙されてきた日本政府

 地球上に軍隊が作られて以降、中世の軍隊、十字軍にも、近世の軍隊、傭兵にもこのようなことは常にあった話です。それがなぜ近年、大きな話題になったかという背景を申しますと、日本と韓国の間は特殊な関係になっているのです。日本側が謝罪すれば終わりにするよ、という関係です。たとえば慮泰愚大統領も、謝ってくれればこの問題は終わりにする、と日本政府に言いました。
 日本はそのようにして騙されてきたわけです。同じ騙しが常に繰り返されてきたのが日韓関係の構造です。日本は愚かにも、ずるずると泥沼にはまったのです。

 この会場には西洋の方がたくさんおられますが、アジア人はエモーショナルなんです。謝ればお互い水に流そうよ、という非政治的、非論理的な悪い癖が日本人にはあります。相手に謝ればそれで全て問題は解決する、というふうに甘く思い込んでしまった。ところが、そうはならなかったというのが、この事件の全てなのです。
1982年までは、韓国からはいかなる声も上がっていなかったのです。82年に歴史教科書問題が発生して中国が揺さぶりをかけ、政治と歴史を結びつけて日本をこらしめることができるということを見て、83年に全斗換大統領が俄かに歴史を持ち出して日本をゆすり、日本から援助をもぎ取るという手口を覚えたわけです。
 そこへもってきて、吉田清治という詐話師、偽物を語る男が登場して、それを朝日新聞が煽り立てて問題を複雑化した。日本はどうにも仕方がなくなり、謝ればうまく解決しますよ、という韓国政府の意見にあわせて、日本は一方的に謝るというスタイルを取った。それが河野談話です。

(※河野談話に携わった元官房副長官 石原信夫氏の証言:なぜ強制性があるかのように取れる表現にしたのかといえば、これは元慰安婦たちの名誉の問題だから、それを認めたことにしてくれれば、韓国側はそれで結構です。賠償問題などを日本政府に要求することはありませんと、当時の韓国政府ははっきりと言っていた。これは当時の外務省の関係者も外務省も私も聞いている。最近になってこれを蒸し返されると言うのは、当時の関係者からすれば心外な話です。)

Q:日本は、日本国内から日本の女性を連れて戦地まで行って慰安所を作っていた。現地の女性に人権の問題が起こらないようにそのような行動を取った。日本はむしろ人権に対して、他の国の軍隊よりきわめて配慮していたと考えられるのですが、いかがでしょうか。
西尾:たしかに、ドイツは現地調達でした。ドイツ人女性を前線へ連れて行くケースはなかったようです。ルーマニアなど、現地で調達した。指名された女性は二つに一つの道しかなかった。すなわち現地の、つまりルーマニアの慰安所に勤務するか、さもなくば東部戦線に駆り出されるか、その二つに一つの選択しかないので、多くの人は慰安所に入ったという記録が残っています。
 ドイツの女性が出かけていくことがないということは、ナチスにとっては困っ問題でした。なぜなら、ナチスは血を大事にしますから、ゲルマン人以外の血と混じることは許し難いことであったという論争も巻き起こっていました。これを見ても、ドイツは現地調達だったことが分かります。
(「質疑応答と意見陳述」終了−)

 慰安婦問恵は、日本の国内では論争終了で片がついているのに、いままで世界にきちんと発信がなされないできた。中韓には何を言ってもダメだが、アメリカやヨーロッパその他に事件の真相、日本の主張が届いていないのは、ひとえに外務省の責任である。それで日本政府は追い込まれている。官僚の卑屈と怠惰が政治の危機を招いている。
 われわれ言論人は、この件では無力であることを思い知らされてきた。日本人有志がアメリカの新聞に意見広告を出すような試みもなされてきたが、かえって無力感をきわ立たせた。公的立場をもつ政治家や官僚が言うべきことを言わないからである。安倍首相も、最近ではアメリカに威嚇され、腰が引けているようにみえる。
 私のこの小さな発言が、反撃の発火点になって欲しいという思いは私だけでなく、ネット言論のあちこちに見出された。しかしまた例によって、マスメディアが口裏を合わせて、なかったことにするのかもしれない。日本で一番日本をダメにするのは、マスメディアである。
 私が慰安婦問題で国内の論争に参加したのは1997年のことであった。フランツ・ザイドラーの『売春・同性愛・自己毀損〜ドイツ衛生指導の諸問題1939〜1945』(クルト・フォヴィンケル出版社)という1977年刊の本を参考に供し、『諸君!』(1997年1 月号)に「慰安婦問題の国際的不公平−ドイツの倣岸、日本の脳天気」を書いたのは、数少ない論争参加の足跡である。この論文は単行本『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)に収められている。
 最近の慰安婦情報に関しては、松木国俊氏から、また文中に示したように西岡力氏の論文から学ばせていただいた知見も含まれている。末筆ながら、両氏に御礼申し上げる。
 文中に三浦朱門氏の文章からの引用があるが、原文は告発調ではなく、次のごとくユーモラスに語られている。
「事件のほとんどはヤミからヤミに葬られたが、私は一つだけ未遂事件を知っている。デザイナーの花森安治氏は常識へのレジスタンスもあってスカートをはき、長髪にしていたが、エビス駅の近くで外人兵士に襲われた。『ヤツの顔を見て兵隊め、びっくり仰天、ワァーと言って逃げていったんだと』……私は笑いころげた覚えがある」
 町中いたるところで狼籍が行われていた証言でもあるが、三浦氏は上手に作家らしく、ユーモアに包んで報告している。

にしおかんじ
1935年、東京生まれ。東京大学文学部卒。文学博士。
著書に『ニーチェ』『国民の歴史』『異なる悲劇日本とドイツ』『人生の価値について』『江戸のダイナミズム』『真贋の洞察』『皇太子さまへの御忠言』『GHQ焚書図書開封1〜7「天皇と原爆』『平和主義ではない「脱原発」』など多数。
2011年秋より『西尾斡二全集』全二十二巻刊行中。

「あえて問う、従軍慰安婦は必要だった」よしのり
2013/05/28
●「あえて問う、従軍慰安婦は必要だった」
歴史問題を現代の倫理感覚で語ることの愚かしさよ
おためごかしメディアと腰ぬけ政治家の欺瞞を撃つ!

橋下徹・大阪市長が、いわゆる「従軍慰安婦」に関する発言で政治家やメディアが一体となった大バッシングにさらされている。
だが、野田聖子・自民党総務会長が「論外だ!」と切り捨てたように、政治家もメディアも彼の主張に正対しようとしていない。なぜか?
慰安婦論争の矢面に立ってきた小林よしのり氏は、「実はみな、彼のいっていることが本当は正しいことに気づいているからだ」と喝破する。

[緊急直言!ゴーマニズム宣言 特別版] 小林よしのり

米軍も戦地で売春宿をもっていた

 橋下徹は、まるで「王様は裸だ」と叫んでしまった子供のようである。どんな反応が起きるのかまったく考えず、愚直に本当の話をし始めている。10年以上前の慰安婦論争のときに、わしがどんな目に遭ったか知らないようだ。
 5月13日年前の記者会見で、橋下はこう述べた。
「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨風のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくそんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは、これは誰だってわかる」
 メディアも政治家も「女性への冒涜だ」の「人権無視」だの、橋下に対して集中砲火を浴びせている。96年にわしがはじめて『新ゴーマニズム宣言』(SAPIO連載で慰安婦問題を取り上げた際、43もの市民団体から一斉に抗議を受け、「元慰安婦に対するセカンドレイプだ」などと罵られた当時を思い出す。
 わしは橋下を政治家として評価していないし、わしの批判に「面識のない相手を呼び捨てにするな」と噛みついてきたときなど、なんと子供じみた奴だと思ったものだが、それと今回の発言が内容として正しかったかどうかは別の話だ。
「戦時中に慰安所は必要だった」とする橋下発言は、何ら間違っていない。
 現代の人権至上主義の価値観を過去の歴史に押しつけることは、歴史の実相を見えなくするだけだ。戦時中の日本には公娼制度があり、国内において売春は違法でもなんでもなかった。国内はOKで戦地ではダメというのは理屈が通らない。繰り返すが、あくまで当時の価値観や法においては認められていたということだ。
 もちろん、慰安婦になった女性のなかには、貧困な農村から親に売られた女性もいたわけで、残酷で不幸な体験だったことは間違いない。年増もいかぬ若い娘が見知らぬ男に体を売ることを強制されるというのは、筆舌に尽くしがたい苦しみだったはずである。
 ただ、もしその仕事がなかったらどうなっていたかを想像してみることも必要だ。一家全員が餓死していたかもしれないのである。女性が大金を稼げる仕事は当時、そうそうなかった。
慰安婦を募集すれば、朝鮮人女性や中国人女性だけでなく、日本人女性からも応募が殺到したのも事実である。慰安婦は当時の大卒初任給の10倍近い高給取りで、故郷に家を建てた者も多かった。こういった事実にも目を向けなければ慰安婦の実像は見えてこない。
 橋下は「戦場における性」というものに切り込んだ。死と隣り合わせの極限状況において、性を求める兵士たちの気持ちに思いを寄せたのである。
 兵士と慰安婦の関係は「牲奴隷」という言葉でくくれるようなものではなく、様々な感情や交流があった。
 支那派遣軍慰安係長の手記『武漢兵站』(山田清吉著)には様々な慰安婦のエピソードが出てくる。これから前線へ出るという青年将校が、ある慰安婦へ2000円という当時にしてほ大変な大金を預けた。その将校は、「今度は生きて帰れない。前線ではお金を使うこともないから、君にこのお金を全部あげる。前借(借金)を返すのに使ってほしい」といい、「そんなことをいわないで、もう一度訪ねてきてください」という彼女の言葉も聞かず、お金を置いていった。だが彼女は一銭も使わずにこの慰安係長のもとを訪ね、「兵站に寄付しますから、何かに使ってください」と差し出したという。彼女はその際、「もしあの将校さんがもう一度来てくれたら、自分の身銭を切ってでも遊ばせてあげる」といったそうだ。
 これは一部の例に過ぎず、ほとんどは無機質なセックスが繰り返されていたのかもしれないが、必ずしもそれだけではなく、死が差し迫るなか、女性のぬくもりを感じたい、故郷の話をしたいといった心の交流や癒Lを求めた日本兵も多かった。また、若い兵士を抱えた上官のなかには、「女も知らずに死んでいくのは可哀想でならない」と慰安所に連れていく者もいた。
 これまで慰安婦問題は、かわいそうな元慰安婦のお婆さんと悪の旧日本兵という対立構図だけで語られてきたが、なぜ慰安婦には同情するのに、自分の国を守るために戦った日本兵には同情しないのか。なぜ死を目前に性を求めた心理状況に思いを寄せられないのか。日本のために、我々のために死んでくれた若者に対する「情」を取り戻す。わしが慰安婦問題を戦った根底には、その思いがあった。
 橋下は5月14日のツイッターでこうも述べた。
 「僕は今の視点で慰安婦が良いか悪いかと言われれば、それは良いことだとは言えない。ただ世界各国を見れば、軍人の性的欲求の解消策が存在したのは事実」
 これもわしがかつて議論したことで、日本以外の国の軍隊でも、慰安所を活用

していたのである。
 アメリカ下院議会は07年7月に「慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める決議」を採択しているが、当の米軍が朝鮮戦争でもベトナム戦争でも現地女性を集めた軍用の売春宿をもっていた。日本が戦争に負け、占領軍を受け入れる際にも、日本政府は米兵向けの慰安
所「特殊慰安施設協会(RAA)」を設置している。なぜ国がわざわざ慰安所を作ったのかというと、日本と同様に敗戦したドイツでは米兵(やソ連兵)によるレイプが頻発し、沖縄戦でもレイプ被害が甚大だったからである。(なお、占領下の7年間で、表に出ただけでも約1万人の婦女子が米兵にレイプされていると言われている)
 このような国が、日本の慰安婦を非人道的だと非難するのは片腹痛いといわざるを得ない。
 慰安所を持たなかったソ連軍は戦利品とばかりに略奪・レイプを繰り返す軍隊で、満州国から引き揚げる日本人女性はソ連兵から逃れるため、頭を丸坊主に刈り、顔を泥で汚して逃げたが、それでも非常に多くの女性がレイプ被害に遭っている。こういった話が表に
出てこなかったのは、彼女たちが黙って泣き寝入りしていたからである。

橋下発言を批判する安倍の卑怯

 橋下は会見で「なぜ日本の慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか」と訴えたが、その思いはよくわかるし、問いかけとしても正しい。メディアから激しい非難を受けた後も、橋下は5月15日の記者会見ではさらにこう述べている。
「日本が『牲奴隷』を使っていたら、国として大変な恥になる。そうでなかったとしたら、当時の世界各国がやっていた対応と同じだったら、日本だけの特殊性の恥ではない」
 そもそも慰安婦問題は、吉田清治なる人物の「自分が軍の命令を受けて朝鮮の女性を強制連行した」との証言を朝日新聞などが広げることで国際間題にまで発展したわけだが、この証言の事実関係も吉田なる人物の経歴も後の検証ですべてウソだとわかり、そのほかには日本軍による「強制連行」の証拠は一切出てこなかった。そもそも軍に属していたわけではないから、「従軍」ではなかった。慰安婦が「性奴隷」だったかどうかについて、国内での議論はとっくに決着している。
 つまり、橋下の認識はすべて正しいのだが、間題は慰安婦問題が、いまは国内での学問的ステージから国際的な政治的なステージに移行しているということだ。アメリカでは韓国側のロビー活動によって、慰安婦は「性奴隷」との認識が広まり、日本は完敗しているのが現状だ。議論で勝っても政治的には負けているのである。
 この状況を打破するには方法は2つしかない。 1つは中央突破で、安倍晋三・首相が橋下発言を受けてアメリカに対して同様の宣言をすること。もう1つは、韓国と同じようにお金と人員をかけて地道にロビー活動を展開することである。
 ところが、安倍政権は卑怯なことに橋下発音を批判した。稲由朋美・行革相は、「慰安婦制度は女性の人権に対する大変な侵害だ」と述べ、安倍も自ら「安倍内閣、自民党の立場とは全く違う発言だ」と椿下バッシングに加担した。
 信じられない対応である。もともと安倍や稲田はなんといっていたか。
 稲田は昨年8月31日付産経新聞で、「当時は『慰安婦』業は合法だった。それにもかかわらず『強制性』を認めて謝った河野談話を否定し、韓国や米国で宣伝されているような、朝鮮半島の若い女性を多数、強制運行して慰安所で性奴隷にしたといった嘘でわが国の名誉を毀損することはやめていただきたいと断固、抗議すべきである」といっている。
橋下発言と何が違うのか。
 安倍は昨年11月30日に開かれた日本記者クラブ主催の党首討論で慰安婦問題について聞かれ、「安倍政権においてそれ(強制連行)を証明する事実はなかったということは閣議決定しています」とし、前述の吉田証言に基づいた朝日新聞の記事を痛烈に批判している。
 本来なら橋下の主張に呼応し、アメリカと対時すべきなのに、彼らはアメリカの顔色を見て日和ったのである。そもそも安倍は前回の首相時代、プッシュ大統領との首脳会談で慰安婦問題に関し「総理大臣として申し訳ない」と謝罪した過去がある。安倍は最近になってそのことを否定しているが、プッシュが「私は安倍総理の謝罪を受け入れる」と発言したことは、首相官邸の記録にも残っている。政権についた途端、親米ポチの本性が露呈するのだ。

アメリカに日和った産経

 日和っているのはメディアも同じだ。朝日新聞は5月15日付初社説で「橋下氏の一連の発言は、元慰安婦たちの傷口に塩を塗るばかりでなく、いまを生きる女性たち、さらには米兵をも侮辱するものだ」と批判した。捏造記事に対する反省は相変わらずないが、アメリカの虎の威を借りているので、余裕さえ感じられる。
 問題は保守を自任する産経新聞で、同日付の社説では「今の時代に政治家がこうしたことを公言するのは女性の尊厳を損なうものと言わざるを得ない。許されない発言である」と以前とは真逆の論陣を張った。アメリカと安倍政権におもねっているのである。
 わしが慰安婦問題を取り上げた頃と違い、一般庶民のなかには「いいたいことがわかる」という人も増えた。それだけ慰安婦に関する理解が進んだといえるが、しかしその一方で、彼ら庶民までが「政治家の発言としてはいかがなものか」と政治的判断″をしてしまっている。結局、こうしてメディアも政治家も庶民も、日本全体が慰安婦の議論を再び封殺しょうとしている。安倍政権によって、むしろアメリカの顔色をうかがって生きていく「戦後レジーム」が復活したのである。
 橋下はそうした背景をわからないまま、愚直に正論を言い続けている。まさに「王様は裸だ」という子供だ。橋下がさらけ出したのは、安倍と、安倍を首相にしたこの国の、あまりにも情けない裸だった。(週刊ポスト130531より転載)

●韓国・中国の「妄言」 こうして黙らせろ!
「慰安婦は性奴隷」
米議会デタラメ報告書とサムスン・マネー

やっかいな隣人との付き合いも長くなればそれなりに慣れてくるものだが、この2つの国はこちらが(紳士的に)下手に出るほど、ますますつけ上がる。

〈ヒラリー・クリントン前国務長官は、国務省に対して.”慰安婦という婉曲的表現ではなく”性奴隷”という呼称を使うように指示したと伝えられている〉
 5月1日付で発行された、米国議会調査局による日米関係についての報告書からの一節である。

米国議会調査局とはどんな組織なのか。大手紙ワシントン特派員が解説する。
「連邦議会の中に事務所を構えており、議会の要望に基づいて報告書をまとめるシンクタンク的な組織です。報告書は政府や議会の公式見解とは言えませんが、ある程度の影響力はあります。全体で500名程度連名で発行されています」
 だが、今回の報告書の内容はあまりに一方的だった。
〈歴史認識をめぐる安倍総理や閣僚の言動は、米国の国益に反する形で日本と近隣国の関係悪化をもたらす懸念がある。安倍は強固なナショナリストとして知られている)
 冒頭の一節にいたっては、米国内の出来事であるにもかかわらず、なぜか韓国紙「朝鮮日報」からの引用だった。国務省がその事実を認めたわけではないのだ。
 外交評論家の田久保忠衛氏はこう批判する。
「アメリカには、伝統的に.弱い日本″を望む勢力がおり、安倍はナショナリスト」という分析は、そうした一派によるものであることが歴然としています。
 従軍慰安婦問題については、でに強制連行がなかったことが証明されており、牲奴隷という表現は言語道断です。かつてアメリカの進駐軍も「至急、女を調達しろ』と指令を出していたのに、旧日本軍の慰安婦だけが性奴隷というのは明らかにおかしい」
 ところが、日本では大新聞の論説委員らが議会報告書を”逆輸入″して安部政権批判につなげている。例えば、「歴史認識 孤立を避けるために」と題した朝日新聞の社説(五月十日付)はこう書く。
〈安倍政権の歴史認識を疑問視する声が、米国内で急速に広がっている。このままでは、日本の国際的な孤立さえ招きかねないことを、首相は深刻に受け止めるべきだ〉
 再び、田久保氏が言う。「由々しき事態です。真っ当な批判材料が見当たらない中で、米議会の報告書をつまみ食いして政権批判に利用することは、日本のジャーナリズムの見識のなさを表しています」

韓国系アメリカ人が政府要職に

 日本のメディアには前科≠ェある。政治評論家の屋山太郎氏が解説する。
 「1982年に、いわゆる『教科書誤報事件』が起きました。日本の歴史教科書から、中国への侵略″という言葉が削除されたと一部の新聞が大騒ぎしたのですが、結果的にこれは誤報でした。ところが、それを目の当たりにした中国は、歴史問題は日本への揺さぶりに使えると味をしめた。韓国の従軍慰安婦問題にしても、1965年の日韓基本条約締結で解決している問題なのに、その後も韓国の主張をことさら大きく取り上げてきた日本のメディアの責任は極めて重い」
 一方、今回の米議会報告書が生まれた背景として、米国内で増長する韓国ロビーの存在も見逃せない。
「近年、アメリカ政界への韓国勢力の進出は顕著です。2007年に米議会の慰安婦決議を主導したことで有名になったマイケル・ホンダ下院議員は日系人ですが、選挙区に中国や韓国をはじめとするアジア系のマイノリティ人口が多く、彼らの代弁者となっています。
 政府機関の要職にも、韓国系アメリカ人が増えている。例えば、東アジア・太平洋担当のキャンベル国務次官補の後任が決まるまでの代行を務めているジョセフ・ユン、国務省の法律顧問だったハロルド・コ一といった人物です」(国際ジャーナリスト)
 韓国ロビーの成果″については、ほかならぬ議会報告書が(いわゆる慰安婦問題が米国内で表面化したのは、韓国系アメリカ人の活動家グループによるところが大きい)と位置付けている。そして、韓国マネーも動いている。前出のワシントン特派員が言う。
「先日、下院外交委員長を務める共和党のエド・ロイス議員の講演を聴く機会がありましたが、主催したヘリテージ財団のスポンサーとしてサムスンが名を連ねていました。韓国大便が主賓として出席し、イベント自体にもサムスン創業者の名前が冠されていました。ロイスは、新たな慰安婦決議に意欲的であるとも伝えられている人物で、今年2月には訪韓もしています」
 こうした韓国ロビーの精力的な動きによって、米国内で反日的な空気が作られているのだ。無理が通れば道理が引っ込むような状況下で、日本が取るべき行動はなにか。
 前出の田久保氏が語る。「訪米して日本批判を繰り返した韓国のバク・クネ大統領は、近く訪中する際にも反日で中国の歓心を買う心づもりのようです。しかし、デモクラシーという共通の価値観を捨てて独裁国家にすり寄るのであれば、相応の代償を支払うことになります。反日という人気取りが、長期的な国益には致命的となることを、日本は韓国に通告すべきです。日本には世界で正しい主張を続ける王道″が求められています」
 ナチス政権下のゲツベルスの言葉に『嘘も百回言えば真実になる』というものがあるが、嘘は何回ついてもやはり嘘なのである。(週刊文春130523より転載)

▼日本人大衆は、テレビや新聞のマスコミの言うことをそのまま自分の考えにしてしまう素直な人が多いのがこうした問題を長引かせるのです。先の戦争でも、移民排斥法やクズ鉄や石油の禁輸で米国の価値観を押し付けるやり方を朝日などの新聞にけしかけられて、大衆は戦争を起こしてしまいました。メディアリテラシー(マスコミが言うことを疑ってみる、自分で歴史を学んで自分の意見を持つ)ということをしないと、知ったかぶりでどこかのマスコミの受け売りの人間が多いいので、結局戦争になってしまうのではないかと心配です。
本当の自分の考えを持ってください。哲学を持って自分を絶えず疑い、真実を求める努力を忘れないでください。

WBCで通い合った日台の真心
2013/05/27
Japan On the Globe(800) ■国際派日本人養成講座■ H25.05.26より転載

The Globe Now : 東京ドームの聖なる夜景
〜 WBCで通い合った日台の真心

「311支援 謝謝台湾」「日本人は永遠に台湾人の真心を忘れない」など、多くのプラカードが観客席から掲げられた。

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■1.「この清々しさはなんだろう」

 本年3月8日、東京ドームで行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2ラウンド日本−台湾戦は、まれに見る名勝負だった。

 メジャーリーグでも活躍した王健民投手が日本を6回まで無失点に抑える間に、台湾は3回、5回と1点ずつ入れた。8回表に日本が2点を入れて同点に追いつく。その裏、すぐさま台湾は1点追加したが、9回表に再び、日本がしぶとく同点に追いつく。

 10回表、日本がヒットをつないで、1点リード。その裏の台湾の攻撃を零点に抑えて、ようやく1点差の勝利をものにした。両軍の激闘に、4万人超の観衆のウェーブが何度も起こった。

 試合後、珍しい光景が見られた。台湾の選手たちがマウンドに集まり、観客席に向かって360度の円陣を作り、帽子をとって深々と一礼したのである。その姿に、観客席からも惜しみない拍手が送られた。その光景は、通常の試合中継では映されず、後日、フジテレビの「Mr.サンデー」で報道された。[1]

 その光景を見た人々から、ツイッターで次のような発信がなされた。[1]

__________
・選手全員がマウンドで一礼する姿は、ほんと感動した。タイワンの人いい人すぎ泣いた。

・私達日本人はその強さ、優しさに感謝と敬意を表明し見習いたいです。ありがとう(^_^)

・この清々しさはなんだろう。まだ敗者復活もありうる。決勝でまた戦えたら最高だよ。
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■2.「WBC日台戦で台湾への感謝のプラカードを」

「この清々しさ」の発端は、試合数日前に、「もののふ庵」さんから発信された次のようなツイートだった。

__________
 WBC、日本は初戦が台湾に決定。この試合を見に行かれる方、先般の東日本大震災への台湾からの多大な支援へのお礼の横断幕やプラカードをお願いします。WBCを通じ、日本と台湾の信頼関係を深め、私達が本当に感謝している事を伝えて下さい。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 台湾と日本は、過去大地震のたびに、互いに心の籠もった支援をしてきた。たとえば、1999(平成11)年の台湾大地震で3階建ての校舎が全壊した台中市の健民国民小学校には、阪神大震災で被災した兵庫県などから多額の募金が送られ、新しい校舎が建てられた。

 東日本大震災では、その新校舎で学ぶ子供たちが「恩義を忘れない」という校長の呼びかけに応えて、お小遣いを持ち寄り、合計190万円が日本赤十字社に送られた。[a]

 そうした子供たちの善意の寄付も含めて、台湾は世界最大級の200億円をこえる義援金、400トンもの支援物資、いち早くの救援隊を送ってくれたのだった。

「もののふ庵」さんの呼びかけは、ツイッター上で多くの人々の賛同を呼び、拡散されていった。


■3.「2年もたっているのに日本人がまだ覚えているなんて・・・」

「もののふ庵」さんの呼びかけは、翌日には中国語に訳され、台湾でもツイッターで広がっていった。「これ見ただけで涙が出てきました」「台日友好! バンザイ!」などとの発信が続いた。[1]

 「Mr.サンデー」で、インタビューされた青年は、携帯でその中国語訳のツイートを見せながら、こう語る。

__________
 友達から送られてきたんだけどとても感動しました。2年もたっているのに日本人がまだ覚えているなんて・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 台湾のニュースにもとりあげられ、「ネット上で台湾に感謝の気持ちを伝える横断幕を試合中に掲げようと呼びかけている日本人がいます」と報じられた。

 さらにある日本のテレビの日程表で「台湾代表」と伝えられている事も、台湾メディアで報じられた。オリンピックなどの国際試合では中国の圧力で、「台湾」や「中華民国」という名称は使えず、「チャイニーズ・タイペイ」と呼ばれている。

「台湾」と呼ばれた事に関して、こんなツイートも発信された。

__________
 日本だけが台湾を台湾と呼んでくれる。・・・台湾を尊重してくれる彼らに感動しました。私からも日本人にありがとうといいたい。私はあなた達を愛してます(ハート・マーク3つ)[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■4.台湾−韓国戦で吹き出した反韓感情

「もののふ庵」さんの呼びかけに触発されて、台湾でも真心の籠もった発言が続いた。

 たとえば、「緊迫している釣魚島(日本名・尖閣諸島)事件など敵意を表すやり方は、日本に来て、この(試合の)時に行うには適しない」などと呼びかける人も出た。先のオリンピックで韓国サッカー選手が試合後、領土問題に関するプラカードを掲げたような愚劣な真似はしないように、という意味だろう。[2]

 また、こんな発言もインターネットで流れ、さかんに拡散された。
__________
 東京にWBC観戦に行かれる野球ファンのみなさまへ。台湾対日本戦であろうが、他の国との対戦であろうが、球場では過激な内容の横断幕やプラカードを掲げないでください。日本の方がツイッターで拡散されている内容(上記の投稿の中国語訳)をご覧ください、このような状況下で、我々が見苦しいメッセージを掲げれば、恥をかくのは我々です。[4]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この発言の背景には、3月5日に台湾で行われた韓国−台湾戦で、嫌韓感情を露骨に示したプラカードが多数、掲げられた、という事実があった。北朝鮮の金日成、金正日、金正恩の3人の写真を並べて世襲独裁政権を皮肉ったり、韓国選手を戦車で踏みつぶす漫画を描いたり、という内容だった。[5]


■5.反発には反発が、好意には好意が返ってくる

 台湾の嫌韓感情も根強い。2010年に行われた広州アジア大会の女子テコンドー49キログラム級予選では、台湾のスター選手が勝利寸前に失格判定を受けるという不可解な判定をめぐって騒動に発展した。台湾の国会では韓流コンテンツの放送を規制する法案が提出され、市民らは韓国製品の不買運動を繰り広げて反韓感情をあらわにした。[6]

 韓国は今までオリンピックやワールドカップなど多くの国際競技で、疑惑の判定で勝利したり、また相手国に対する非礼なプラカードなどで不興を買ってきた。平成14(2002)年に日韓共催で行われたサッカーワールドカップでも、韓国と対戦したイタリア、ポルトガル、スペインがいずれも不可解な判定で敗れ、世界中のマスコミから非難が集中した。[b]

 台湾−韓国戦の後に行われた台湾チームの東京ドームへの壮行セレモニーでは、一人の台湾選手が、マウンドに台湾国旗を立てた。

 これは2006年と2009年のWBCで、韓国チームが日本を破った直後にマウンドに韓国旗を立てた行為を皮肉ったものである。田中将大投手が激怒して引き抜くなどの一幕もあったが、韓国チームはその後、残りの試合を勝てなくなったという因縁がある。[7]

 また、1次リーグで早々と敗退した韓国チームに対して、韓国マスコミからは、、「韓国の試合はすべてナイターで、寒かったから力が発揮できなかった」、「球場の練習設備が悪かった」、挙げ句の果てには、「台湾の料理が塩辛かった」と言い訳の声が上がった。普通の国なら、お世話になったホスト国に感謝すべき所なのに、これでは反韓感情に油を注いだだけだろう。

「韓国は多くの国から嫌われてるけど、その理由は結局韓国人自らが作り上げて来たんだよね」とは、ある台湾人のツイートである。[7]

 台湾−韓国間の反発と、日台相互の友好ムードとを合わせ考えれば、二つの国民の間の感情は鏡のようなもので、反発には反発が、好意には好意が返ってくるのだろう。そして、互いへの好意や敬意の中でこそ、選手がプレーに集中し、観客もその奮闘ぶりに魅了されて、好試合が生まれるのではないか。


■6.「感謝 TAIWAN」のプラカード

 いよいよ8日の夜に行われたWBC日台戦は台湾の人口24百万人のうち、半数の12百万人がテレビや大会場、広場などでのパブリック・ビューイングで観たと言われる。

「もののふ庵」さんの呼びかけに応えて、後楽園ドームのスタンドから、次のような手書きのプラカードがあちこちに掲げられた。

「感謝 TAIWAN」「台湾謝謝」「311支援 謝謝台湾」
「2011.3.11 ありがとう台湾 日本人永遠不會忘台湾人的真心(日本人は永遠に台湾人の真心を忘れない)」・・・

 球場の大型スクリーンで、それらのプラカードが映し出されるたびに、試合中にもかかわらず、観客席から盛んな拍手が送られた。

 この様子は、台湾のニュース・メディアが放送した内容を、以下のYOU TUBEで見ることができる。球場内外での日台の真心の交流が直に伝わる映像である。

中天新聞》「謝謝台灣」日本球迷場温馨舉牌
(「台湾ありがとう」日本の球場で温かいプラカード)
http://www.youtube.com/watch?v=r81ogO_-R3o

 台湾選手たちは、インタビューでこう語っている。[1]

「大型スクリーンで台湾への感謝のプレートが見えて、日本と台湾の距離は非常に近いと感じました」

「私たちを支えてくれて感謝してくれたのを見て、その気持ちは言葉では表せないです」

 事前にツイッターで、「もののふ庵」さんの呼びかけを知っていたのだろう。観客席の台湾ファンからは、次のような返礼のプラカードが掲げられた。

「私達も日本を応援します!!! by 台湾」
「日本頑張れ 東北頑張れ」

 こういうスタンドの盛り上がりが、選手たちの心に火をつけたのだろう。両軍の闘志溢れる名勝負が実現した。それが終わって、冒頭の円陣のお辞儀となったのである。


■7.謝監督の爽やかなコメント

 台湾チームの謝長亨監督は、試合後、こんなコメントを残した。

__________
 選手は素晴らしいプレーをしてくれた。国際試合で日本の高いレベルに近づきたいと思っていた。尊敬する日本に勝つことこそできなかったが、重圧をかけられた。残念な結果だが、いつか勝つ日が来ることを願っている。反省から学びたい。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 スポーツマンらしい、かつ、対戦相手への敬意のこもった爽やかなコメントである。謝監督の風貌も温和ながらも風格があり、こういう人物ならでこそ、台湾チームの敢闘と円陣での一礼という礼節を引き出し、多くの日本人ファンも魅了したのだろう。

 その謝監督は、日台ファンの友好ふりについて、インタビューで、「野球を通じてお互いの人々が結びついたことに本当に感動しました・・・」と語っている。[1]

 台湾ファンからもこんなツィートが発信された。「台湾チームは良く頑張った。これからはずっと日本を応援しよう!そして、日本と台湾の友好が末永く永遠に続きますように…。」[7]


■8.「台湾隊、加油!(台湾チーム、頑張れ)」

 試合が終わった時には、日付が変わっていたが、日台の交流は、その後、球場外でも続いた。「日本おめでとう」とマジックで書き込んだ台湾国旗を掲げて歩く台湾人ファン。この光景には「台湾は民度が高い人が本当に多い。以前にも増して台湾が好きになった」とのツイートが寄せられた。さらに球場外で、日台の国旗を並べて、一緒に記念写真をとる両国ファンまであらわれた。

 翌9日に行われたキューバ対台湾の敗者復活戦では、多くの日本人ファンが台湾国旗や「台湾隊、加油!(台湾チーム、頑張れ)」などと書いたプラカードを持って、応援に駆けつけた。[7]

 10日朝、ホテルからチェックアウトする台湾選手たちの様子をある台湾紙は次のように伝えた。

__________
 ロビーにはたくさんのファンが集まり、なんと日本人が一番多かった。日本のファンは台湾選手に応援と感謝の気持ちを伝え、サインや記念撮影をリクエスト。その姿はまるで台湾人ファンと同じように熱心で、選手たちは驚きつつも喜びであふれていた。[8]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ある外国との間で、これだけ多くの両国民の真心が通い合ったのは、我が国の戦後史においても希有な経験である。ただ、台湾のマスコミは、このニュースを新聞やテレビで大々的に伝えたのに対し、我が国のマスコミは、冒頭のフジテレビ「Mr.サンデー」を除いて、ほとんど黙殺した。それだけに日台友好の真実を伝えたフジテレビの義挙には敬意と謝意を表したい。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(720) 大震災で深まった日台の絆
 台湾大地震、東日本大震災と、互いへの支援を通じて、日台両国民の心の絆は深まっていった。
http://blog.jog-net.jp/201110/article_4.html

b. JOG(248) ワールドカップの報道統制
 世界中で報道されていた「判定疑惑」を日本のマスコミは頬被りし、日韓友好のみ謳い続けた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h14/jog248.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)

1.フジテレビ、Mr.サンデー「WBC激闘の裏の”つぶやき” 台湾ナイン”お辞儀”の秘密」★★★★

 以下のYou Tubuでご覧になれます。涙なくしては見られない素晴らしい番組です。
http://www.youtube.com/watch?v=CLvzgOzEdfs

2. JCASTニュース「WBCで日本側スタンドに「謝謝台湾」 台湾SNSでは『感動した!』の声」
http://www.j-cast.com/2013/03/09168913.html?p=all

3. 台湾の反応ブログ「【台湾の反応】WBC効果で日台の友好は深まった!!日本のTV番組が伝えたWBC日台戦特集番組が中国語に翻訳され台湾人にも伝わる!!
http://blog.livedoor.jp/v_w/archives/24744544.html

4. 青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ「WBC日台戦で「震災支援してくれた台湾に感謝を!」球場の外では友情の輪が拡散中! 台湾チーム、完璧で美しい勇姿で日本に挑む=台湾メディア 3月8日」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/37311531.html

5. 【WBC野球】台湾応援団の挑発に韓国ブチギレ「国家間の基本的な礼儀も守らないのか! 失望した!!」
http://www.watch2chan.com/archives/25330813.html

6. サーチナ「台湾選手がマウンドに「国旗」…韓国皮肉りチョッとだけ=WBC」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0307&f=national_0307_016.shtml

7. 台湾の反応ブログ「【台湾の反応】WBC台湾報道が伝えた日本戦と韓国戦の違い!!スポーツを通じて更に深まった日台の絆!!今後は日本を応援するよ!!」
http://blog.livedoor.jp/v_w/archives/24419520.html

8. サーチナ「WBC台湾選手、日本ファンの応援にビックリしながら大感謝」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0312&f=national_0312_034.shtml

広島 ひろしま ヒロシマ HIROSHIMA
2013/05/22
先々月末に広島に帰った時に、空いた時間に原爆ドームを撮り、平和記念資料館を訪れ、その後市内の美術館巡りをしました。

●原爆ドームには相変わらずドイツ語やイタリア語も聞こえます。宮島とここしか集客力のあるものがないのですから。
今回の目的は、ドームを見上げる英語人を撮りたいと思っていましたので。

外国人見つめる過ちはくり返しませんから  ゆ

記念資料館に行きたかったのは、3月20日の読売新聞に以下の記事があったので是非その是非を判断するために再度確認したかったからです。

「8.6」再現人形撤去へ 広島平和記念資料館

 広島平和記念資料館(広島市中区)は19日、原爆投下直後の被爆者を再現したプラスチック製人形=写真=の撤去を決めた。新年度から5年かけて行う改修工事に伴い、展示を実物資料中心とするためだ。平和学習で訪れる多くの修学旅行生らに原爆の悲惨さを強く印象づけてきた人形領、2016年度にも姿を消す。
 広島市などによると、1955年の開館時から、被爆者の服を着せたマネキンを展示。73年には、原爆投下直後の街を歩く被爆者のろう人形を置いた。91年に替わった現在の3体は、女性と女学生、少年が、服がポロポロになり、皮膚の垂れた両腕を突き出して逃げまどう姿を再現している。
 人形については以前から「作り物だ」「演出が過ぎる」と否定的な意見があった。一方で、被爆者の証言などを基にした造形に修学旅行生らは衝撃を受け、多くの子が感想文で触れる。大阪市内の小学校長は「子どもの心に強く訴える展示」と話す。
 展示見直しについて、資料館の前田新一郎館長(64)は「犠牲者の遺影と遺品を並べて原爆の非人道性を訴えるなど、知恵を絞りたい」と言う。

▼私の印象は、実際は、この3体では、本当の実情を表してはいません。中沢啓治の『はだしのゲン』に見られるように道を埋め尽くすほどの多くの被爆者が火傷のでただれた皮膚がめくれた手足の皮をぶら下げ引きずりながら、幽霊のように歩いていたのです。
「作りものだ」とか「演出が過ぎる」というのは、余りに実際を分かっていないのではないでしょうか。実物を掲示することはできないので臘人形やフィギャアで表すしかないでしょう。チャイナやコリアの反日館にようにねつ造したものでは断じてありません。むしろ控えめ過ぎるくらいです。実物なら、誰も直視できないでしょう。

展示場所で、説明員の方と色いろ話をし、当時のことなどの実体験などを話しました。

●広島現代美術館
「路上と観察をめぐる表現史‐考現学以後」
ここでは黄門の印篭の出番で、入場整理券をもらいました。
「震災バラック調査」、「しらべもの[考現学]展」、「東京銀座街風俗記録」、「郊外風俗雑景」、
「吉田健吉」、「岡本太郎」、「木村庄八」、「遺留品研究所」、「下道基行」、「チーム・メイド・イン・トーキョー」、「大竹伸朗」、「林丈二」、「路上観察学会」、「東京建築探偵団」、「一木勉」、「トマソン観測センター」など

▼「さっぱり分からない。しかし、実に興味深い」

●広島県立美術館
『夏目漱石の美術世界』
電車で移動。

『坊っちゃん』で有名な  ターナーから、蘆雪、劉生など日本美術の名品まで

近代日本を代表する文豪・夏目漱石(1867・慶応3−1916・大正5)は、『坊っちゃん』、『こゝろ』など多くの名作により、国内外で親しまれている国民作家です。少年時代から絵を見ることが好きだった漱石は、ロンドン留学中にも何度も美術館を訪問。帰国後に小説家として活躍を始めますが、美術に対する幅広い知識と豊かな鑑賞体験は、さまざまな文学作品や美術批評の中で花開いています。
このたびの展覧会は、漱石が注目し、小説や日記、批評の中などで語った作家や作品を可能な限り集めて一堂に展示しょうとするかつてない試みです。ターナーやミレイ、ウオーターハウスらのイギリス美術から、伊藤若冲や長沢蘆雪らの近世絵画、黒田清輝や岸田劉生、本県出身の南薫造など漱石と同時代の作家の作品まで幅広く紹介。あわせて漱石自筆の山水画のほか、著作を華麗に彩り革新的なブックデザインを生んだ津田青楓や橋口五葉らの装幌や挿画の仕事も紹介します。
いわば漱石を案内役とした、古今東西の美術品鑑賞。お気に入りの小説の一節を思い浮かべて絵を楽しむもよし、視覚イメージを得てから著作を再読するもよし。美術と文学、相互の魅力が交錯し豊かな広がりを持つ、漱石の美術世界が体感できる待望の展覧会です。
(パンフレットから)

▼これ結構面白かったです。小説家としての漱石というより、絵画などのアート文化全体への目配りあっての漱石文学でしょうね。

5月14日から7月7日まで、上野の東京芸術大学美術館にて

●ひろしま美術館
「常設展」
第1展示室 ロマン主義から印象派まで
第2展示室 新印象派と後期印象派(ポスト印象派)
第3展示室 フォーヴィスムとピカソ
第4展示室 エコール・ド・パリ
▼何度も何度も見ました。

『絵本画家・イラストレーター100人の原画展』
―100の物語、200の情景−メルヘンに託された想いを描く。

★ユニバーサルメルヘンの世界
51のメルヘン02のシーンが、あなたのメルヘン感を広げる照かも…

味戸ケイコ・こうのこのみ・本くに子・牧野鈴子・杉浦範茂・川村みづえ・かすや昌宏・岸田耕造・葉祥明・小渕もも・吉田追彦・東逸子・篠崎三朗・松永禎郎・宇野亜喜良・新野めぐみ・矢吹申彦・奥田みき・飯野和好・景山ひとみ・駒田寿郎・田中恒子・小川ひさこ・鈴木由美・小松修・栗原徹・金森一意・百田まどか・佐藤直行・井筒啓之・手島加江・伊藤正道・江原利子・板垣しゅん・タケイ工ミコ・村井和章・朝倉めぐみ・木内達朗・中野和美・金子恵・浅野隆広・長谷川和子・小倉正巳・赤勘兵衛・田崎トシ子・中村景児・網中いづる・星野哲朗・八木美穂子・菅野研一

★動物メルヘンの世界
動物キャラクターたちが誘う部のお話、60のファンタジックな出会い。
 
やなせたかし・野沢まりこ・大橋正・田中恵美・朝倉摂・早川良雄・大橋歩・秋里信子・小泉美里砂・松井しのぶ・今成敏夫・長新太・メグ・ホソキ・岡村好文・横山明・たかすかずみ・仁科幸子・吉田カツ・スズキコージ・白浜美千代・渡辺宏・倉石琢也・小泉るみ子・高橋キンタロ!渡辺あきお・川上和生・奥田みえこ・坂本宮志雄・松本孝志

★民話・昔話の世界
19の物語、38の情景で、懐かしいころにタイムスリップ。

北島新平・林静丁田島征三・石倉欣二・おぽまこと・松本修一・儀同比呂志・田本宗太・清水耕蔵・小島直・北見隆・吉本宗・上田みゆき・藤川秀之・加藤英夫・和田忠士・西のぼる・夏目尚
                (吾順不同敬称略)

▼これ結構望外の喜びでした。

侵略に定義はない
2013/05/22
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第3947号 2013年5月22日より転載

(読者の声1)
安部首相の5月20日の「侵略に定義はない」という発言に対して、伊藤和子氏が書いた文章がインターネットの各所で話題になっています。ちなみに伊藤氏は、平成3年早稲田大学法学部卒業で平成7年弁護士登録。
 その後、平成16年に日弁連推薦でニューヨーク大学ロースクール客員研究員として留学とのことです。
「侵略」には定義があるとして、
「1974年の国連総会では、日本も参加・賛成して侵略の定義に関する国連総会決議が採択され、侵略が明確に規定されている。 決議3314という有名な決議だ。和訳については外務省定訳がないようであるが、ウィキペディアは以下のように訳している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0
これは国際常識である」と書いています。
日本語は国連の公用語でないので、「侵略」の定義が国連でなされることはありえません。決議3314で規定されたのは、国連公用語のひとつである英語では「Agression」です。
これは、国際法の用語で、挑発されていないのに武力を使って境界を超えることを指します。国際法ではその日本語訳は「侵攻」です。
つまり、決議3314で「侵略」が規定されたということは、事実に反します。ストレートに言えば嘘です。
これに対して、国際法上の用語の「Invasion」は、境界を超えることです。国際法での日本語訳は「侵出」です。
つまり侵出が一般的な用語で、(1)挑発されていない、(2)武力を行使する、という二つの条件を満たした侵出の一つの形態が侵攻です。
また日本語の「侵略」は国際法の用語ではなく、それに対応する英語の国際法用語は存在しません。侵略とは、定義のはっきりしない曖昧な言葉です。「略」という語は略奪する、奪い取るという意味があります。
したがって、略奪を伴う侵出が侵略ではないかともいえそうです。少なくとも、日華事変以降の日本と中華民国の戦いはこの意味の侵略ではありません。日本軍は軍糧を自らもち、なくなると現地で民間人から購入しました。奪っていたのは、国民党軍であり、共産党軍でした。
国民党軍があまりにもひどく略奪したので、日本軍が糧秣の中から住民に分け与えたこともあります。
中国人作家が書いた実話に基づく小説「1940」にも書かれています。20世紀以降の東アジアで侵略の例として先ず思い浮かぶのは、韓国による竹島侵略では。
日本による侵略の例は、寡聞にして思いつきません。
では、日本がおこなった侵攻は何があるのでしょうか。
私には思いつきません。
少なくとも盧盧溝橋事件以降の軍事行動は、侵攻ではありません。共産党と国民党の挑発によって始まった自衛行動だからです。挑発によってはじめられた軍事行動ではありません。
したがって、侵攻の結果としての責任を追及されることもありません。そこに、侵略という摩訶不思議な言葉を解することによって、日本軍の責任が創出されるのです。
このような詭弁がはびこらないようにするため、日本国外務省が、早期に国連総会決議3314の外務省訳を発表するよう働きかける必要があります。
ところで、伊藤氏は早稲田大学法学部卒業で弁護士だそうですが、法律用語に非常に疎くまたニューヨーク大学ロースクール客員研究員として留学とのことですが、英語もできないようです。
それともわかっていてあんなことを書くようならそれこそ、私のような上品な人間が使うことを憚るような単語を使わないと表現できないような人間のようです。
 (ST生、千葉)

(宮?正弘のコメント)「侵略」「侵攻」「進攻」などの定義の研究は一時期保守論壇でもなされました。国際法と照らし合わせての研究も進んでいて、単行本もでていると思います。

『魔性の女』−挿絵展と竹久 夢二『美人画とモデル』展
2013/05/17
『魔性の女』−挿絵展
―大正〜昭和初期の文学に登場した
 妖艶な悪女たち― Femme fatale au Japon

明治末から、大正、昭和初期にかけて日本の文学に登場した「魔性の女」を、当時のイラストレーションによって紹介します。

泉鏡花「高野聖」の女、谷崎潤一郎「痴人の愛」のナオミ、江戸川乱歩「黒晰賜」の緑川夫人など、官能的な魅力によって男性を支配し、ついには破滅させる、あるいは美の追求のためなら殺人をも厭わないという「怖い魅力」を秘めたヒロインに、我々は強く惹きつけられます。時には、優しく善良なヒロインより、強烈な魅力を感じさせられることもあるでしょう。

現在では目にする機会の少ない、彼女たちの当時の絵姿を、ストーリーとともに紹介し、耽美・幻想の文学世界を楽しんでいただきます。

明治末期から昭和初期にかけての日本文学に登場した妖艶な悪女を紹介する「魔性の女 挿絵(イラストレーション)展」が東京都文京区の弥生美術館で開かれている。
 谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」の場面を画家の水島爾保布が描いた挿絵や、伝奇物の挿絵で知られた橘小夢の「玉藻の前」など、新聞や雑誌などで発表された11作品を中心に、約400点を展示。官能的な魅力で男性を支配したり、美を追求するために殺人もいとわなかったり、怖さを秘めた女性たちが当時流行した流麗な画風で描かれている。扇情的として発禁処分になった作品や時代に埋もれた画家の作品も数多く集めた。
 同美術館学芸員で「魔性の女挿絵集」(河出書房新社)も出版した中村圭子さんは「カワイイという言葉が流行する今だからこそ、一味違う女性の魅力を再評価してもらえたら」と話す。
 6月30日まで。月曜休館だが、5月6日まで無休。一般900円、大学、高校生800円、中、小学生400円。問い合わせは同美術館(03・3812・0012)。
(2013年4月27日 読売新聞)


竹久 夢二『美人画とモデル』展
―描かれた女性の謎とロマンスに迫る

大正ロマンの画家・竹久夢二 (1884-1934)が表現した、優美でセンチメンタルな美人画は、現代においても多くの人々を魅了しています。
 女性の外見だけでなく、内面を映し出すような表情やしぐさの観紬な描写に加えて、時代の流行を捉えた装い、こだわりのある着こなしを夢二は多彩に描出し、女性の美しさを最大限に引き出しました。
 美人画の制作に当たっては、モデルの存在が夢二に大きな影響を与えました。その中には恋人であった女性も含まれ、特に岸他万喜・笠井彦乃・佐々木力子ヨ(お葉)とのロマンスは、夢二の私生活や思想にも影響を及ぼしました。
 本展では、夢二が残した美人画、モデルになった女性たちをクローズアップすると共に、夢二の恋愛模様や理想とした女性像について紹介していきます。

6月30日まで
文京区弥生美術館=竹久夢二美術館

毛主席『沖縄は日本』と
2013/05/11
中国「日本の抗議受け入れられぬ」
     沖縄帰属論文

 【北京=五十嵐文】中国外務省の華春宝副報道局長は9日の定例記者会見で、沖縄県の帰属を「未解決」とした人民日報の論文に対する日本政府の抗議について「受け入れられない」と述べた。そのうえで、沖縄の帰属問題が注目されているのは、「日本が釣魚島(尖閣諸島の中国名)問題で絶えず挑発行動を取り、中国の領土主権を侵犯した」からだと強調。沖縄の領有権に関する中国政府の立場については「変わって、いない」と述べるにとどめた。
 華副局長の発言は、論文と中国政府は無関係だとの立場を示したとする見方の一方、論文を中国政府として支持したとの受け止め方もあり、日本側は真意の確認を急ぎたい考えだ。
 論文に対する抗議は、菅官房長官が9日の記者会見で明らかにし、「記事が中国政府の立場であるというのであれば、断固として受け入れられない」とする一方、中国側が「研究者が個人の資格で執筆した」と回答したと説明した。

 【北京=時事】中国の外交文書に毛主席『沖縄は日本』と

 中国外務省が1964年、米国の施政下にあった沖縄の主権について、毛沢東主席の意向に沿い、「当然日本に返還されるべきだ」という外務次官の談話を作成した上、各地の大使館などに電報で送り、外交官に指示を徹底させていたことが9日に分かった。時事通信が、中国外務省档案館(外交史料館)で外交文書として収蔵された電報の原文コピーを閲覧した。
 中国共産党機関紙・人民日報は8日、沖縄をめぐる主権について「未解決」と主張する研究者の論文を掲載した。しかし、1949年の中華人民共和国の成立以降、中国は沖縄に対する領有権を唱えておらず、この電報は、沖縄の日本帰属を中国が認めていたことを示す証拠の一つと言えそうだ。
 電報の表題は「『ソ連はあまりに他国領土を取り過ぎている』という毛沢東の談話」(64年7月28日)。それによると、毛氏は同年7月10日、社会党(当時)の国会議員と会談。議員が北方領土問題への毛氏の考えを質問したところ、「あなたたちに返還すべきだ」と答えた。毛氏はこの年の1月、訪中した日本の日中友好関係者と会見した際、沖縄を「日本の領土」と認め、沖縄返還要求運動について、「中国人民は日本人民の正義の闘争を心から支持する」と表明していた。
(読売130510より)」

▼まったく、彼ら毛沢東の落とし児だか知らないけれど、妄想を逞しくする党のようで、妄逞党と改名するのではないでしょうか。

『リンカーン』by スピルバーグ
2013/05/10
東京から帰って最寄り駅に着くと、丁度マイカルの開演時間が間近。葵の印篭を掲げてシニア料金で、ほぼ真ん中の席の暗闇に心を沈めました。
『インディ・ジョーンズ』、『トランスフォーマー』や『バック・ツー・ザ・フーチャー』では全くなく、『シンドラーのリスト』や『戦火の馬』のように戦争(ここでは南北戦争)を描くのではなく、スピルバーグが作るフランク・キャプラの『スミス都に行く』です。
正義を愛する米国のはずが、今日では当たり前の正義である筈の「奴隷制度を廃止する」ために、下院議員を直接お金で買収するのではないのですが、選挙に落選した後の議員の失職の不安を利用して、賛成票を買い取るという、観ててむかつくような汚い政治活動です。これは、現在の米議会でもロビー活動で、チャイナやコリアの金のかかったあこぎなロビー活動により、容易に反日決議がなされる実情を思わせ、米国を民主主義の模範生であるとみなしている多くの無邪気な日本人に、政治と言うものの裏側をめくって見せる映画でもあると自分は思いました。
さらに、現在日本も憲法委改正論議がされていますが、参考になるような気がします。
つまり、現在の議員の多くが、国よりも次の議席確保のためにしか動かないかも知れないと疑ってみることです。

リンカーンを演じたダニエル・デイ・ルイスよりも、夫人を演じたサリー・フィールドがアカデミー女優賞をとった、『ノーマ・レイ』や『プレイス・オブ・ザ・ハート』の自立した生きる為に戦う女性の姿が、かわいい外見なのにと、ほれていましたので、この映画での悪妻ぶりがまた可愛かったです。
観衆は少なく、地味な内容だと、一般向きではなかったとみられたのは残念です。エンターテイメントを期待される普通の人にはお勧めしません。

INTRODUCTION(以下パンフより)

 社会を大きく左右する決断を迫られたとき、未来を見据えた選択ができるかどうかでリーダーとしての資質が決定づけられる。 アメリカ第16代大統領エイプラハム・リンカーンは、“すべての人間は自由であるべぎという信念と、その理想が引き起こした国を二分する南北戦争の狭間に立たされながらも、その後の人類の未来を大きく変える偉業を成し遂げた人物として、現在でも世界中に知られている。
 アメリカ映画界を代表する巨匠スティーブン・スピルバーグは、伝説化されたリンカーンの実像に迫る作品の製作を12年に亘って温め続け、魂の震えるような感動をもたらす、サスペンスにみちたドラマを構築した。ピュリッツァー賞作家ドリス・カーンズ・グッドウインの同名ノンフィクションをもとに『ミュンヘン』のトニー・クシュナーが手がけた脚本を得て、最期に至るドラマチックな4カ月間を映像にくっきりと紡ぎだす。
 すべての人が自由であるための道を拓くために合衆国憲法修正第十三条を議会で通過させて、悲惨な南北戦争という内戦をどのようなかたちで終結させるか−若者を死地に送る痛みに苛まれながらも、人間の自由を確立しなければならない。葛藤を繰り返しながら、ふたつの命題を実現するために、リンカーンは知恵と勇気、不屈の闘志を駆使する。リンカーンの理想を貴くためにさまざまな策も厭わない現実主義者的な一面、これまであまり伝えられなかった妻や子供との葛藤などが、ぐいぐいと引きこむようなスピルバーグの語り口で浮き彫りにされていく。そこには自らの信念にしたがって、孤立や誤解を恐れずに戦いぬいたひとりの男のドラマが香り立つ。感動的な人間ドラマであると同時に、汲めど尽きせぬ面白さに彩られた、スピルバーグの傑作がここに誕生した。
 特筆すべきは選りすぐられたキャスティングである。あの印象的な容姿のリンカーンにみごと成りきってみせたのは『マイ・レフトフット』と『ゼア・ウイル・ピー・ブラッド』で2度のアカデミー主演男優賞に輝いたダニエル・デイ=ルイス。感情を抑えた内省的な男性像を存在感豊かに表現してみせ、本作で3度目のオスカーを手中にした。
 さらに『ノーマ・レイ』と『プレイス・イン・ザ・ハート』で2度のアカデミー主演女優賞を手中に収めたサリー・フィールドがリンカーンの妻メアリー・トッドに扮するのをはじめ、『グッドナイト&グッドラック』のデヴィッド・ストラザーン、『(500)日のサマー』のジョセフ・ゴードン=レヴイツト、『セクレタリー』のジェームズ・スペイダー、『イントウ・ザ・ワイルド』のハル・ホルブルック。そして日本では缶コーヒーのCFでも人気の高い、『メン・イン・ブラック』のトミー・リー・ジョーンズなど、個性と演技力を兼ね備えた俳優たちが、リンカーンの軌跡を彩る人間たちを巧みに演じきっている。
 撮影のヤヌス・カミンスキー、プロダクション・デザインのリック・カーター、編集のマイケル・カーン、音楽のジョン・ウィリアムズはいずれもスピルバーグ作品の常連ばかり。監督の意を汲んでみごとな仕事ぶりを披露している。
 一足早く公開を迎えたアメリカでは、大絶賛の嵐が巻き起こり、アカデミー賞最多12部門(作品・監督・主演男優・助演男優・助演女優・脚色・美術・撮影・衣裳デザイン・編集・録音・作曲)にノミネートされ、2部門(主演男優・美術)で受賞。ホワイトハウスで開かれた試写会ではバラク・オハマ大統領も感動に浸った本作。
 現在のアメリカのみならず、民主主義の礎を築いた男エイプラハム・リンカーン。これは現代を生きる私たちが自分たちを見つめなおすために必見の作品である。

STORY

1865年1月、エイプラハム・リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)が大統領に再選されて2カ月後、彼は大きな苦境に立っていた。自身が目指す奴隷解放の賛否を巡って起こった国を二分する南北戦争は4年目に入り、多くの若者の命が奪われていた。「すべての人間は自由であるべき」だと信じるリンカーンは、自らの夢である《奴隷解放〉を実現するには、憲法改正が必要であると考え、合衆国憲法修正第十三条を議会で可決しようとする。しかし、長引く戦争への嫌気から、味方であるはずの共和党の中からも奴隷制を認めて、南軍との和平を実現するべきだという声が強くなっていた。
リンカーンは国務長官ウイリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)を介して、議会工作を進めるべく指示する。同じ共和党の保守派プレストン・ブレア(ハル・ホルブルック)を使って党の票をまとめても、成立させるためには20票、足りない。リンカーンはあらゆる策を弄するように命じ、スワードはW.N.ビルボ(ジェームズ・スペイダー)をはじめとするロビイストを駆使して、敵対する民主党議員の切り崩しにかかる。その動きを冷静に見つめていたのは、奴隷解放を唱える共和党急進派の下院議員、タデウス・スティーブンス(トミー・リー・ジョーンズ)だった。彼はリンカーンがどこかで妥協するのではないかと考えていた。リンカーンの妻のメアリー・トッド(サリー・フィールド)は幼い息子を亡くした心労で、夫とは良好な関係とはいえなかったが、心の底では夫を信じていた。リンカーンにとってホッとできるのは末息子のタッド(ガリバー・マクグラス)と過ごすひと時だけだった。そんな中、長男のロバート(ジョセフ・ゴードン=レヴイツト)が正義感から母の強硬な反対を押し切って、北軍に入隊してしまう。リンカーンは学生として、安全な人生を歩んでほしいという父としての願いを抑え、ただ見守るしかなかった。すでに二人の息子を幼くして失っていたリンカーンの妻メアリー・トッドは息子を戦場に送ることに反対し、戦争を進める立場のリンカーンを責める。リンカーンは1月25日、下院議会に合衆国憲法修正第13条を提出する。
 自分の理想の為に失われてゆく多くの命。人間の尊厳と戦争終結の狭間に立たされるリンカーン。合衆国大統領として、ひとりの父として、人類の歴史を変える決断が下される。

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