外国特派員協会で慰安婦問題を語る 西尾幹二 WILL 2013 6月超特大集号より転載
2013年4月4日に、日本外国特派員協会で次のごとき意見陳述を行った。外国メディア向きの昼食付き記者会見である。 送られてきたペーパーには、「安倍総理大臣が河野談話の見直しの必要性について言及をしましたが、日本政府が今後どのように従軍慰安婦問題を含む歴史問題に取り組み、アジアの近隣諸国と向き合うべきなのか」と書かれてあった。 従軍慰安婦問題は韓国タームと思われていたが、近年、アメリカ議会が相次いで対日非難決議をするので局面が大きく変わった。日本外交の壁をなしているのは、いまやアメリカである。 与えられた時間は通訳を入れて約20分、私の持ち時間は多分、その半分と見て、ターゲットをアメリカに絞って、用意していたペーパーに基づき次のような話をした。アメリカ人特派員に聞かせるのが目的である。 これを、外務省がやろうとしない日本側からの反撃の狼火としてもらいたいとの切なる願いに発している。
意見陳述
アメリカ合衆国は2007年7月30日、下院において慰安婦問題決議を行い、この事件を(決議文一部抜粋)、Whereas the”comfort women" system of forced military prostitution by the Government of Japan. Considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;(日本政府による軍隊向強制売春である「慰安婦」システムは、その残忍さと規模において前例を見ることのない、結果に於いて四肢切断、死亡または自殺まで引き起こした強姦、強制中絶、侮辱のシステムであり、20世紀における最大の人身売買事例の一つである〜) と規定し、今年に入ってニューヨーク州議会上院、ニュージャージー州議会下院において同様の議決を行ったことは、許しがたい誹謗で、憂慮に耐えません。 「慰安婦」という人たちは当時いました。世界には貧困のために、あるいは他の理由で、不幸にして自分の性を売らなければならなかった人たちはいました。しかし日本が国家としての権力を使って強制的に女性たちに性を売らせたという事実はありません。 ましてや20万人に近い若い女性が拉致され、トラックに積まれて戦地にはこばれたなどという事実は荒唐無稽で、どこを探しでも証拠は出て来ないのです。もし当時の朝鮮でそういうことが起これば、当然暴動が起きたでしょう。 当時の朝鮮の警察官の8割までが朝鮮人でした。最初のウソが積み重なって、日本政府の弁解のまずさもあり、誤解の輪を広げました。どのようにしてウソが始まり、全体がどのような経過を辿ったかは、後ほど質問があれば時間の許す限りお話しします。アメリカ議会はこのことをしっかり再調査し、各決議を撤回していただきたい。 そもそもアメリカに、あるいは世界各国に、戦争と性の問題で日本を非難する資格はありません。 元都立大教授、東洋大学良の磯村英一氏は、敗戦のとき渋谷区長をしていて、米軍司令部(GHQ)の将校から呼ばれて占領軍の兵士のために女性を集めろと命令され、レクリエーション・センターと名づけられた施設を作らされました。 市民の中には食べ物も少なく、チョコレート一枚で身体を売るような話も広がっていた時代です。磯村氏は慰安婦問題が国際的話題になるにつれ辛くて、自国の女性を米軍兵士に自由にされる環境に追いやった恥を告白せずにはいられない、と俄悔しています(「産経新聞」1994年9月17日)。
米国に謝罪と賠償を要求
穏健な良識派で知られる日本芸術院長の三浦朱門氏は、次のように記しています。 「また軍隊と性という問題としてなら、戦後の米軍が憲兵と日本の警察を動員して一定街路を封鎖して全ての女性の性病検診を行ったこと、その際、娼婦でない女性がまきこまれたことも書いてほしい。レイプもあった。事件のほとんどはヤミからヤミに葬られた……」(「産経新聞」1996年8月2日) パンパンとかオンリーという名で呼ばれた「日本人慰安婦」が、派手な衣裳と化粧でアメリカ兵にぶら下がって歩いていた風俗は、つい昨日の光景として、少年時代の私の目に焼きついています。いいですか、これは米軍による日本人慰安婦なのですよ。米軍によるこの日本人慰安婦の数は、およそ20万人いました。 『りべらる』という雑誌には、若い女性が特殊慰安施設に連れて行かれて初めての日に処女を破られ、一日最低、15人からの戦場から来たアメリカ兵の相手をさせられ、腰をぬかし、別人のようになったさまが手記として残っています。 「どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの鴫咽がきこえてきました」「2、3カ月の間に病気になったり、気がちがったりしました」「これは何年にもわたって、日本全土にわたって行われたことの縮図だったのです」(1954年11月号) これは、戦争が終わって9年目の記事です。 日本をいま告発するアメリカ議会、キリスト教団体等に、貴方たちの父や兄が何をしていたかを知り、恥を知れと言いたい。 日本政府は、アメリカに謝罪と賠償を要求するべきです。もしそれができない、政府にそのつもりがないというのであれば、日本も慰安婦問題についていかなる謝罪も賠償もすべきではありません。国際関係は何よりも、相互性と公平公正を原則とします。 アメリカは日米戦争において自国の正義を守るために、日本を残虐非道の国であったとしておきたい。さもないと、原爆や東京大空襲をした歴史上の犯罪を正当化することができないのでありましょう。
日本兵士の武士道
2007年以後のいくつもの米議会の慰安婦決議は、いままで親米的であった日本人、戦後アメリカの反共政策に協力してきた日本の保守層(たとえば私もその一人ですが)を苦しめ、苛立たせています 今後、この間題をアメリカが謙虚になって取り下げなければ、無実の罪を負わされて傷つけられた日本人の感情は内攻化し、鬱屈し、反米的方向へ走り出す可能性があります。 一番いけないのは、日本をホロコーストを犯したナチスの国・ドイツと同列に並べて裁こうとするあまり、慰安婦問題を針小棒大に描き出すことです。 ここに重要なドイツ語文献、フランツ・ザイドラー『売春・同性愛・自己毀損−ドイツ衛生指導の諸問題、1939−1945』という本、おそらくドイツですら忘れられている本の表紙と目次のコピーをもって来ました。完璧な国家売春を行っていたのは、ドイツなのです。この本にはドイツの実態、衛生管理、売春宿経営、一般女性の拉致監禁が科学的に報告されています。 ナチ管理下の売春では人種間題があり、ドイツ人士官や党幹部がユダヤ人女性と性交すれば、死刑でした。あらゆる点で西欧と東欧ではやり方が違っていて、オランダやノルウェーなどでは公娼制度が施設として利用されました。しかし、ポーランドやソ連地区では公娼制度が存在せず、ドイツの前線司令官は、半ば強制処置をもって売春婦になる少女たちをかき集めました。 それでもドイツの慰安婦問題がなぜ話題にならなかったのかといば、ナチスのそれ以外の犯罪があまりに巨大で、極悪で、慰安婦の一件は影が霞んでしまったのです。ホロコースト、殺人工場、人体実験、不妊断種手術、安楽死政策というナチスの犯罪と比べれば、世界中、大昔からどこにでもある「軍隊と売春」の犠牲者の悲劇は一線に並べることもできません。 日本の戦争をドイツの戦争と同じように捉え、ホロコーストもしていない日本をドイツと同じように扱うために慰安婦問題を大げさに言い立てるのは、あまりにバカげています。韓国はベトナム戦争に参戦し、7千人ー2万人の私生児を残してきています。 最後に一つのエピソードを申し上げて終わりとします。 中国雲南省の最前線で米軍に追い詰められたある日本部隊は、隊内にいた朝鮮人慰安婦を、お前たちは生きて帰れと米軍側に引き渡し、日本人慰安婦は兵隊とともに玉砕した、という事件もあります。日本の兵士たちは武士道をもって戦ったのです。
質疑応答
Q:1933年から1945年の間に、日本政府は戦争犯罪を起こしたとお考えでしょうか。あるいは、何も起こしていないとお考えでしょうか。 西尾:各国並みの一般の戦争犯罪は起こしたかもしれませんが、慰安婦問題については戦争犯罪を起こしていないと私は思います。河野談話のなかに「一定の強制があった」ということが書き込まれているわけですが(註・正確な表現は「官憲等が直接これに加担した」)、その文章を作成した官僚を問い詰めた結果、その官僚は、それはオランダの事件を語ったものであって、韓国の事件を語ったものではないという弁明をしました。 オランダの事件というのは、インドネシアにいたオランダ人女性が強制的に売春を強いられたという事件です。これは戦争中に責任者は軍法により処罰されて、その慰安所は閉鎖されています。 ということは、軍がそのようなことをしてはならないということをむしろ表明しているわけです。しかも、戦争が終わってからBC級戦犯として、その日本兵は死刑になっている。問題はそのような形で解決しているわけです。その問題を日本の官僚が頭に置いて一定の強制性があったという言葉を河野談話のなかに入れた。しかし、これは誤解を招くやり方でした。 官僚というのはずるいので、どちらから言われても文句が出ないように(註・すでに謝った宮澤首相もおかしいといわれないように)するために、強制はあったと言って、一面で強制はなかったかのような、そこを明確にしないでおいたというところが、日本の官僚の悪質かつ国を滅ぼす危いところです。本当に日本の官僚はダメなんですが、そのようなことが背後にあったと申し上げます(河野談話と官僚の一件は、西岡力氏の『WiLL』2007年8月特別号の論文を参考にさせていただいた)。
Q:戦時中に現地の日本軍人による性犯罪があったと思われるのか、ないと思われるのか。そして、それがもしあったとしても全軍的、組織的犯罪でなかった場合は日本政府は謝罪すべきではない、というお考えと理解してもよろしいでしょうか。 西尾:世界のあらゆる軍が慰安施設を持っているということには、二つの理由があります。 まず、兵士の性病を防止する。軍事力の低下を防ぐためです。第一次世界大戦時のドイツはこれで失敗しています。自分たちの軍を病気から守るということが挙げられます。 第二に、一般市民の女性の貞操を守る。そのために、売春を商売とする一定の女性を対象とした慰安施設を軍が管理する。これは世界各国が行っていることです。いまでもあらゆる国で行っていることです。これを犯罪だとするならば日本も犯罪を犯したことになりますが、これを犯罪ではないとするならば日本も犯罪を犯したことにはなりません。そのようなことはどこの国でもやっていることだということを申し上げているわけであって、それをもって賠償だの謝罪だのというのは腹を抱えるほど可笑しな話です。
騙されてきた日本政府
地球上に軍隊が作られて以降、中世の軍隊、十字軍にも、近世の軍隊、傭兵にもこのようなことは常にあった話です。それがなぜ近年、大きな話題になったかという背景を申しますと、日本と韓国の間は特殊な関係になっているのです。日本側が謝罪すれば終わりにするよ、という関係です。たとえば慮泰愚大統領も、謝ってくれればこの問題は終わりにする、と日本政府に言いました。 日本はそのようにして騙されてきたわけです。同じ騙しが常に繰り返されてきたのが日韓関係の構造です。日本は愚かにも、ずるずると泥沼にはまったのです。
この会場には西洋の方がたくさんおられますが、アジア人はエモーショナルなんです。謝ればお互い水に流そうよ、という非政治的、非論理的な悪い癖が日本人にはあります。相手に謝ればそれで全て問題は解決する、というふうに甘く思い込んでしまった。ところが、そうはならなかったというのが、この事件の全てなのです。 1982年までは、韓国からはいかなる声も上がっていなかったのです。82年に歴史教科書問題が発生して中国が揺さぶりをかけ、政治と歴史を結びつけて日本をこらしめることができるということを見て、83年に全斗換大統領が俄かに歴史を持ち出して日本をゆすり、日本から援助をもぎ取るという手口を覚えたわけです。 そこへもってきて、吉田清治という詐話師、偽物を語る男が登場して、それを朝日新聞が煽り立てて問題を複雑化した。日本はどうにも仕方がなくなり、謝ればうまく解決しますよ、という韓国政府の意見にあわせて、日本は一方的に謝るというスタイルを取った。それが河野談話です。
(※河野談話に携わった元官房副長官 石原信夫氏の証言:なぜ強制性があるかのように取れる表現にしたのかといえば、これは元慰安婦たちの名誉の問題だから、それを認めたことにしてくれれば、韓国側はそれで結構です。賠償問題などを日本政府に要求することはありませんと、当時の韓国政府ははっきりと言っていた。これは当時の外務省の関係者も外務省も私も聞いている。最近になってこれを蒸し返されると言うのは、当時の関係者からすれば心外な話です。)
Q:日本は、日本国内から日本の女性を連れて戦地まで行って慰安所を作っていた。現地の女性に人権の問題が起こらないようにそのような行動を取った。日本はむしろ人権に対して、他の国の軍隊よりきわめて配慮していたと考えられるのですが、いかがでしょうか。 西尾:たしかに、ドイツは現地調達でした。ドイツ人女性を前線へ連れて行くケースはなかったようです。ルーマニアなど、現地で調達した。指名された女性は二つに一つの道しかなかった。すなわち現地の、つまりルーマニアの慰安所に勤務するか、さもなくば東部戦線に駆り出されるか、その二つに一つの選択しかないので、多くの人は慰安所に入ったという記録が残っています。 ドイツの女性が出かけていくことがないということは、ナチスにとっては困っ問題でした。なぜなら、ナチスは血を大事にしますから、ゲルマン人以外の血と混じることは許し難いことであったという論争も巻き起こっていました。これを見ても、ドイツは現地調達だったことが分かります。 (「質疑応答と意見陳述」終了−)
慰安婦問恵は、日本の国内では論争終了で片がついているのに、いままで世界にきちんと発信がなされないできた。中韓には何を言ってもダメだが、アメリカやヨーロッパその他に事件の真相、日本の主張が届いていないのは、ひとえに外務省の責任である。それで日本政府は追い込まれている。官僚の卑屈と怠惰が政治の危機を招いている。 われわれ言論人は、この件では無力であることを思い知らされてきた。日本人有志がアメリカの新聞に意見広告を出すような試みもなされてきたが、かえって無力感をきわ立たせた。公的立場をもつ政治家や官僚が言うべきことを言わないからである。安倍首相も、最近ではアメリカに威嚇され、腰が引けているようにみえる。 私のこの小さな発言が、反撃の発火点になって欲しいという思いは私だけでなく、ネット言論のあちこちに見出された。しかしまた例によって、マスメディアが口裏を合わせて、なかったことにするのかもしれない。日本で一番日本をダメにするのは、マスメディアである。 私が慰安婦問題で国内の論争に参加したのは1997年のことであった。フランツ・ザイドラーの『売春・同性愛・自己毀損〜ドイツ衛生指導の諸問題1939〜1945』(クルト・フォヴィンケル出版社)という1977年刊の本を参考に供し、『諸君!』(1997年1 月号)に「慰安婦問題の国際的不公平−ドイツの倣岸、日本の脳天気」を書いたのは、数少ない論争参加の足跡である。この論文は単行本『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)に収められている。 最近の慰安婦情報に関しては、松木国俊氏から、また文中に示したように西岡力氏の論文から学ばせていただいた知見も含まれている。末筆ながら、両氏に御礼申し上げる。 文中に三浦朱門氏の文章からの引用があるが、原文は告発調ではなく、次のごとくユーモラスに語られている。 「事件のほとんどはヤミからヤミに葬られたが、私は一つだけ未遂事件を知っている。デザイナーの花森安治氏は常識へのレジスタンスもあってスカートをはき、長髪にしていたが、エビス駅の近くで外人兵士に襲われた。『ヤツの顔を見て兵隊め、びっくり仰天、ワァーと言って逃げていったんだと』……私は笑いころげた覚えがある」 町中いたるところで狼籍が行われていた証言でもあるが、三浦氏は上手に作家らしく、ユーモアに包んで報告している。
にしおかんじ 1935年、東京生まれ。東京大学文学部卒。文学博士。 著書に『ニーチェ』『国民の歴史』『異なる悲劇日本とドイツ』『人生の価値について』『江戸のダイナミズム』『真贋の洞察』『皇太子さまへの御忠言』『GHQ焚書図書開封1〜7「天皇と原爆』『平和主義ではない「脱原発」』など多数。 2011年秋より『西尾斡二全集』全二十二巻刊行中。 |